異世界の孤児院より~やがて少女は旅に出る~

山なき鳥

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腐れ朽ちる闇のそこ2

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 魔術で作り出した淡い光が照らす部屋で。
 ベッドの上に二つの影が、寄り添うように伸びている。
 私の指は目の前の少女、エイミーの黒髪を撫でるように梳いていた。

「……今日来てもらったのはね、昔話を聞いてほしかったからなの」

 小さな肩にそっと手をおきながら告げる。
 吸い込んだ空気は、せっけんと、少女の甘い匂いがした。

 エイミーが私との時間を選んでくれたあと。
 私は、髪を結わせてほしいとお願いしたのだった。

 本当は夜に髪を結ったって意味はない。
 寝る前に解くことになるし、そのまま寝たら型崩れしてしまう。
 ……それでもお願いしたのは、私が弱いから。

 優しい少女の笑みが今は怖い。
 過去を通して、エイミーは私の本性を知ることになる。
 醜い、罪にけがれた本性を。

 全てを知った彼女の顔から笑みが消えるのが怖い。
 どうしようもないほどに、怖いのだ。

 けれども過去を語るのは、エイミーのなかに『ラピス』という存在を作ってもらうため。
 私の心を預けるため。

 この家に住む私たちは歪んでいる。
 心的外傷トラウマによって過去に縛られ、未来に手を伸ばせないでいる。

 そんな私たちにとって、エイミーは光だ。
 傷ついた心に寄り添って、手を引いて。
 過去から連れ出そうとしてくれる優しい光。
 ……ルシルはきっと、そんなところに惹かれたんだろうな。

 エイミーは過去を振り返らない。
 違うか。そもそも振り返ることができないのだ。
 思い返すべき過去の想いは、奪われてしまったから。

 転生者や転移者のことは聞いている。
 だから、少しだけわかるのだ。
 失ったものに気付けないこと。
 悲しむことも、嘆くこともできないということ。
 ――それがどうしようもないほどに残酷であることを。

 彼女はいつか呑まれてしまう。
 失くした、大切なものがめられていた空洞に。

 流れる涙は予兆。
 少女を呑むのは、昏い、絶望。

 光が絶望に染まるとき。
 その場に私が居なくても。
 この手で救うことわなくても。
 エイミーを……私の愛する家族を、一人にはしたくない。

 ――絶望に呑まれた心を救うのは
 ――寄り添う、心だから


「……ラピスの昔話、なんだよね」

 振り向こうとする少女の頬を指で押さえる。
 空気が漏れる、ちょっとだけ間抜けな音が耳を揺らした。

 それに対して頬が緩まないのは、きっと緊張しているからだろう。
 不自然にできてしまった空白を埋めるように、私はいて唇を動かした。

「――遠い日のおじいちゃんと可愛い女の子。それと、とっても可愛くない女の子の話よ」



 ◆



「私が生まれ育ったのはエルヴンガンドの隣国『白の国』。それはとても寒く、すべてが冷たい国だった」

 少女の髪を梳き、束に分けながら語るは、私の歴史。
 現在いまへと繋がる過去の話。

「家柄に恵まれ、魔術の才に恵まれ。そして神さまの寵愛を受けた私は、世界を見下していた。下らないものだって決めつけてたの」

 偉そうな子供よね。
 少しおどけた調子で笑いかけると、エイミーは困ったように間を空けてから頷いた。

「ある日、家に国からの使者が来て言ったわ。おたくの娘さんを宮廷魔法使いとして召し抱えます、って」

 語りながら魔法を編む。
 手紙に記すは、彼女が好きと言ってくれた魔法の使い道。

 私の魔法は想いを手紙にして届けるものだ。
 その発動条件は、魔法を阻もうとする悪意が近くにないこと。
 私に心を開いている相手にしか使えないことの二つだけ。

 一見利用価値の無い魔法だけど、これには隠された効果がある。
 手紙を受け取った人に想いが触れる一瞬、思考が私に還元されるのだ。

 だから、魔法を用いれば心を読める……とまではいかないけど、垣間見るくらいはできた。
 還元されるのは表層の意識の、言葉に変換できるほんの一部だけ。
 でも、それで十分だった。

 権力者はまつりごとへの利用価値を見出し、私を囲った。

「お城の生活は割と不便だった。魔術講師の真似ごとはもちろん、お散歩すら満足にさせてくれない生活。
 たまーに訪れるお客様を持て成すとき以外、会話らしい会話なんてなかったわ」

 手紙に重ねて言葉を送る。
 それは必要なことではないけれど、無意味なことではないから。

「……寂しく、なかったの?」

 遠慮がちにエイミーは訊いてきた。
 私を気遣ってくれているのだろう。
 短く区切られた文節には、彼女の優しさを感じた。

「全然。むしろ自分が特別な存在だってことに、誇りすら感じていたわ」

 あっけらかんと言ってのける私に対し、少女は口端から苦笑いを漏らした。
 思い返せば、あの頃の自分は本当に可愛げのない子どもだったと思う。

「でもね、それは周りから見て“普通”ではなかった。“特別”に誇りを持つ私を、出会った人たちは否定したの」

 ごく稀にいた親切心から諭す人も、異端を咎める人も、みんな同じことを言った。
 間違ってる、おかしい、って。

「人が、自分と違う存在を認めるのは難しいことだわ。私の心は普通ではなかったから、それが他の人に気味悪く映ったのでしょうね」

 でも、
 私は唇を舐めてから継げる。

「おじいちゃんは違ったの。エルヴンガンドからの賓客として訪れた彼だけは、私の考えを否定しないで、手を握って。ただ、自分の想いを伝えてくれた」

 そのとき握ってくれた手の温かさは覚えていない。
 かつての私にとって、温もりは重要なことではなかったから。

「切っ掛けはたぶんそれ。いつしか優しい彼は、私にとっての“特別”になっていた」

「……好きに、なったんだね」

「ええ」

 きっと、エイミーが思う意味とは違う意味で。

 音をともなわない訂正をいれたあと。
 私は身体の底から、重い空気を吐き出した。
 心の準備をするために。

「――前に種族の差別について、少しだけ話したことは覚えてる?」

「うん。覚えてる、よ」

 優しいエイミーのことだ。
 きっとたくさんのことを考えて、想いを巡らせてくれていたのだろう。
 書庫での、自分を責めるような表情が思い起こされる。

「私が住んでいた国ではね、コリーのような獣人族を人として扱ってなかった。奴隷……ううん、玩具みたいに扱ってたんだ」

 壊れてもすぐに代えがきく安価な玩具。
 それが国の常識であり、誰も疑うことはなかった。

「街の広場にはよく死体が晒されていたわ。理由なんてないの。ただの面白半分」

「したい……?」

 少女の動揺が空気を伝う。

「そう。たくさん殴って、蹴って、どうしようもないくらい痛い思いをさせたあとに吊るすの。
 街の人たちはそこに向かって、石を投げて遊んでいた」

 子どもも、大人も、老人も。
 風に吹かれて ゆらゆらと揺れる遺体の記憶はあいまいだ。
 だけど、覚えていることもある。

「そんな光景を見て、私は何も感じなかった。水たまりを見たときと同じような感想しか抱かなかったのよ」

 避けて通らなきゃ汚れてしまう。
 ……なんて、どうしようもない感想。

「自分と少し見た目が違うだけで“人”として認識できなかった。
 彼らには私と同じ命があり、同じように喜びも苦しみも感じる心を持っているのに――」

 過去の自分に対する吐き気がこみ上げる。
 それを震える吐息でごまかして、継げた。

「濁った瞳は、それを映そうとはしなかった」

 人間は環境に適応する生き物だ。どんな異常も、やがては常態化してしまう。
 ……かつておじいちゃんに言われた言葉だ。

 彼は、“知らない”ということはどうしようもないことだ、とも言った。
 でも、私は何も知らなかったわけじゃないんだ。
 悲痛な声は確かに、耳を震わせていたのだから。

「おじいちゃんはね。そんなときでさえ、私を否定しなかったの」

 息をのむエイミーにささやくと、彼女はか細い声で「どうして?」と訊ねてきた。

「言葉や力で説くことは、冬枯れの花に水を注ぐようなものだ。……そう、彼は言ったわ」

 あのときのおじいちゃんの気持ちは憶測でしかない。
 今よりももっと歪んでいた私の瞳は、人の心を映そうとしなかったから。
 でも、彼がたくさんの絶望を経験してきたことは想像に難くない。

「人の心に根付いた価値観を変えるのは、普通はとても難しいことなの」

 世界のみんながエイミーみたいに優しかったなら――
 益体やくたいもない妄想が、目の前の黒髪を見ていると浮かんでしまう。

「おじいちゃんは私を否定しなかった。けれど、私にひとつだけ命令をしたわ。
 お城で獣竜の世話をしていた、獣人族の少女……トトナって子なんだけど、彼女を名前で呼ぶように、って」

 今でも鮮明に思い出せる。
 赤い髪に隠れた群青色の瞳も。
 まとっていた甘酸っぱい芳香も。
 包みこむような、温かい笑顔も。

「ラピスはいま、トトナのことが好きなんだね」

 エイミーは断定的に言った。
 言葉と言葉の空白から、確信できる何かを見出してくれたのだろう。
 そして“いま”という言葉が示すのは、私がかつて嫌っていたことに対する理解だ。

「ええ。彼女はとてもやさしい子だったから。……とても」

 自分をかえりみないくらいに。

「でも、偏見に満ちた私は、そんな子をも見下していた。人として見ていなかった」

 力が籠ってしまった手先を揉んで、弛緩しかんさせる。
 温かな空気が満ちる部屋なのに、それは凍り付いたように冷たかった。

「そんな頃、おじいちゃんは私に贈物をしてくれたわ。綺麗な虹色のリボン。光にかざすと七色に輝くそれを、二本も」

 梳いていた手を止め、小さな咳払いのあと継げる。

「でもね、彼はトトナにも贈物をしようとしていたの。私に贈ったものとは違うものを買っていた」

 それが何だったのかは覚えていない。
 けれど、私に隠そうとしていたことだけは覚えている。

「彼はトトナを人として扱っていた。だからこそ、私は焦ったんだ。
 ようやく見つけた、私を否定しないでくれる“特別”を奪われてしまうような気がして」

 初めて芽生えた嫉妬に狂った。
 激しい憎しみが焦げ付いた。


「――だからね、殺しちゃおうと思ったんだ」


「彼女を人じゃないと決めつけていた私は、何の罪悪感も感じなかった」

「贈られた虹色のリボンの片割れ。それを“友達のあかし”と言ってトトナに渡して、油断させて」

「騙して、獣竜に襲わせようとした」

「……ひどい」

 感情を排して淡々と語る私に、黒髪の少女は小さく呟いた。
 
「本当に、ね。……けれど、それは失敗した」

 失敗してくれた。
 もしも成功してしまっていたら、私は後悔することすらできなかっただろう。

「おじいちゃんは彼女に精油を塗っていたの。世話していた獣竜に怪我をさせられないように、注意を逸らす効果のものを」

 彼女がまとっていた甘酸っぱい芳香。
 懐かしい匂いがふと、鼻先を掠めた気がした。

「……その結果、激昂した獣竜は私に襲いかかった。子どもであれば丸呑みにできてしまう大きな口。爪と蹄を併せ持った太い手。鋭い金色の眼光。すべてに恐怖した私は膝を畳んでしまった」

 全身から溢れ出す明確な殺意。
 全てを見下していた私は、初めて見下される絶望を知った。
 圧倒的な恐怖を前にした私は、ただただみっともなく這いつくばった。
 指先が《しるし》を刻むことはなくて、ただ浅ましく、好いた男の名を叫び続けた。

「死、という言葉が頭のなかを占めたとき、私を助けてくれたのはおじいちゃんじゃなかった」

 あの瞬間のことは、たとえこの身が朽ちても忘れない。
 ボロ布をまとい、傷だらけの肢体を目いっぱいに広げて立ちふさがった、

「――トトナが、助けてくれたの」

 優しい女の子の姿を。

「騙されたことを知りながら。それでも“友達”って言ってくれて嬉しかった、って」

「肉を裂かれて、骨を折られて。血に塗れながらも獣竜の前に立ち塞がった」

「骨が折られる鈍い音と叫び声、血と土の臭いに包まれるそこでようやく気がついたの。人の心を持ってないのはトトナじゃなくて、私だということに」

 息をすること忘れてしまったエイミーの背中をたたく。
 数瞬遅れて上下し出した肩を見やって、私は続けた。

「……結局そのあと、私たちはおじいちゃんに助け出された。魔術で傷を癒して、獣竜をなだめてくれた」

 私には扱えない上位魔術で、彼女の傷は見る間もなく完治した。

「“助かった”って思った。私も、私を助けてくれた彼女も」

 でもね、
 私は声音を下げて継げる。

「おじいちゃんから向けられた視線に、ぞっとした。
 私を見る彼の瞳は、信じられないほどに冷たかった。……人として、見ていなかったから」

 詰まりそうになる喉を震わせて、紡ぐ言葉は過去。
 どうしようもなく情けない、私のはなし。

「言葉を失って、私は竦み上がった。獣竜から受けたものよりも何倍も濃密な殺意に、ただただ声も上げられずに震えた」

 彼は状況から全てを理解したんだと思う。
 私の腐った性根は、きっと見透かされていたから。

「それと同時に、私が今までしてきたことの悪辣あくらつさを思い知った。“相手は人じゃないからいい”そう免罪符を貼りつけて、目を背けていた現実を直視した」

 許されない行為が平然と行われる世界。
 そこに馴染んでいた私の、歪みに。

「……死にたいと思った。死ななくちゃいけないと、思った」

 広場で行われていた遊びは惨殺だった。
 同じ心を持った命をもてあそんで、辱めて、踏みにじる。
 それを受け入れ、同じように見下していた私もまた同罪だ。
 
「自分の中の衝動が強まって、どうしようもなくなったとき。トトナがおじいちゃんに言ったの。“私のせいでごめんなさい”って」

 魔術で傷は治っても、体中を包んでいた痛みはすぐに消えることはない。
 そんな最中で、彼女は苦痛を押しのけて嘘をついた。

「獣竜は世話をしているときに誤って怒らせてしまった。傍にいた私を巻きこんでしまった。……そう、涙ながらに訴えた」

 私を守るための、嘘を。

「…………」

 エイミーは無言で話の先を促す。
 安易に言葉をかけないのは、彼女なりの気遣いなのだろう。
 それを噛みしめながら、私は話を続けた。

「いくら性根の腐っていた私といえど、さすがにそれを呑みはしなかった。醜い想いも、欲望も、全てを吐いて謝ったの」

 独占欲から来る、醜い嫉妬を。
 世界の理を知ったふうな顔をしていた傲慢を。
 自分が如何に人でなしかを、より正しく伝わるように言葉を選んで告げた。

「額を地にこすりつけて、這いつくばるようにして。……もちろん、そんなことで許されるとは思ってなかった。人を殺そうとしたんだから、死んであがなうと決めていたわ」

 実際それはなされていないのだから、所詮は口先だけ、ということになってしまうけど。

「それでも、せめて命を絶つ前に恩返しがしたくて。でも、私にはトトナが欲しいものがわからなくて」

 人の心を軽んじていたから。
 何も積み重ねずに生きてきたから。
 私は、気持ちを推し量れなかった。

「訊ねようにも言葉が詰まって、空を噛むばかりの私に彼女は言ってくれたの」

 遠い瞳が映す情景。
 それは、追憶の少女の姿。

「――生きて、ずっと友達でいてください」

 赤い髪に結んだ虹色のリボンをはためかせる彼女を。
 照れ笑いを浮かべながら差し出された手を、忘れたことなんて一度もない。

「……トトナはとても賢い子だった。だからきっと、私の考えなんかお見通しだったのね」

 彼女が救ってくれたのは体と心。
 私の、すべてだ。

「後に聞いた話だけど、彼女は両親を殺されていたの。とても、とても辛い想いをさせられて」

 凄惨で見るに堪えない、ありふれた最期だったらしい。
 語る少女の瞳に涙はなかったことを覚えている。

「それでも彼女は人を恨まなかった。憎しみではなく人とのつながりを求めて、愛を求めていた」

 優しい、どうしようもないくらい優しい子だった。
 こんな世界ではなくて別の世界で生まれたなら、たくさんの人に愛されて、幸せでいられたことは間違いない。

「そんな清い少女の手に、私はすがった。
 怯えながら差し出した私の手を、トトナは両手で大事そうに握るともう一度言ってくれたの。
 “生きていてください”……って」

 血と土に塗れた手は、私にとって何よりも得がたいものだった。
 この手を握ることができるなら。
 彼女と共に在れるなら、私はもう、何の“特別”もいらなかった。

「……本当に、優しい子なんだね」

 黒髪を揺らして、涙まじりの声でエイミーは言った。
 もう一人の優しい少女は、話で聞いただけの女の子にも寄り添おうとしてくれているのだろう。

「優しい子だったわ。本当に」

 答えた私の声もまた、涙がにじんでいた。
 もう泣くことなんて無いと思っていたのに。

「そのあとは、おじいちゃんが去る前に色々取り計らってくれて。私たちの周りに変化はあったけど、おおむね幸せな日々を過ごせたわ」

 涙がこぼれる前に拭って、私は言葉を追わせた。
 間を開けてしまったらきっと、先を語れなくなってしまうから。

「一緒に本を読んだり、お散歩したり、夜中に毛布をかぶっておしゃべりしたり」

 目の前の黒髪を編み込みながら、遠い日の想いに胸を馳せる。
 ……こんなふうに結ってあげたこともあったっけ。

「でも、料理を作ったのが一番楽しかったかな。お城の厨房を夜中に借りて、一緒にお菓子作りをしたことが」

 お菓子と聞いて、小さな肩がピクンと揺れた。
 デンテルによるとエイミーは甘いものが好きみたいだし、食べさせてあげたいな。

「穀物粉を練ってお団子にして、高温の油で揚げるの。レージュの樹液をたくさんかけて食べると、とっても甘くておいしいのよ」

「へえ……。食べてみたいなぁ」

 どうやら元気を取り戻したらしい。
 エイミーの声は、どこかうっとりとしていた。

「おじいちゃんに今度、材料を揃えてもらわないとね」

 言葉に反応して危うく頷きかけた首をおさえる。
 あと少しなのだ。せっかく整えた髪を乱されてはたまらない。
 彼女は“しまった”と言わんばかりに声をあげ、慌てて謝っていた。

 トトナはおとなしい子だったから、こんなことはエイミーが初めてだ。
 自然とこぼれた笑いを添えて「大丈夫よ」と言うと、彼女は今度こそ言葉で返事をしてくれた。

「……幸せな。本当に掛け替えのない日々だった」


 でもねエイミー。
 世界は、とっても残酷だったよ。


「ラピス?」

 空気の変化を察してくれたらしい。
 気遣い混じりに名前を呼んでくれた彼女を、私はあえて無視した。

 束ねた黒髪を編み込んで、最後に耳元でリボンを結ぶ。
 その姿を見るのも、見せるのも。
 私の話が終わってから。

「――そんな幸せは壊されたわ。唐突に、何の前触れもなく」

 情けない心を奮い立たせて。
 震える弱きを食い殺す。

「私が知っているのは断片的な情報だけ。同士討ちをする自国の騎士たち。
 声高に叫ばれる魔女と、腐毒の神の名前。水音を孕んだ悲鳴。視界を埋め尽くす、おびただしいほどの赤」

 少しだけできた空白の時間。
 エイミーが何かを言いかけて、それが飲み下される音がした。

「世界を俯瞰ふかんして見られる目があったなら、当時の出来事を事細かに語ることもできたでしょう。
 けれど、人の目はここに……二つしかないの」

 鳥になれたら、なんて絵空事は必要ない。
 地を這うのが人なのだから。

「だから私には、自分の周りで起こったことしかわからなかった」

 言葉を区切り、おなかに手をあててみる。
 たくさんの汚いものが詰まった私の体。
 でも、そこには確かな感触があった。

 ……もう瞳は閉じてしまおう。
 まぶたの裏の心的外傷トラウマ。それと向き合った方が、きっと想いを伝えられる。
 暗い部屋。閉じた世界の悪夢を。


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