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違える心1
しおりを挟む「ラピス、本当によかったの?」
二人で眠るには少しだけ狭いベッドのうえ。
胸元まで毛布をかけた私は、肩を寄せる彼女に問いかける。
私の耳元で髪を結える虹色のリボン。
それはトトナとの友達のあかしであり、いつもラピスがつけていた宝物だ。
「……ええ。形あるものはなくていいのよ。あの子は、とても近くにいるのだから」
そう言ってラピスは自分のおなかをさすった。
きっとそこにあるのだろう。彼女の、本当に大切なものが。
「それにね、」
小さな水音をたて、再びさくら色の唇が開かれる。
「虹色が……エイミーには似合うと思ったの」
彼女のうるんだ瞳が映すのは、私の黒と虹色だ。
小さく震える肌が悲しさと愛情を伝え、熱の籠った吐息が身体を撫で上げる。
「私なんかに似合う、かな」
「もちろん。世界で一番、素敵よ」
リボンを撫でながら問いかけると、ラピスは言葉を噛んで口移すように伝えてくれた。
世界で一番すてきな笑みを添えて。
「ありがとう。……大切にするね」
形のないものが大切なのはわかる。
だけど、目に見えるものがいらなくなるはずがない。
結わえるリボンを見つめる瞳が、想いを物語っている。
ラピスが嘘をついたのは、それでも私にもらってほしかったからだ。
“どうして”なんてわからない。
けれど、それを言葉で問いかける必要はないだろう。
「大好きよ。エイミー」
「……大好きだよ。ラピス」
一番大切な想いはもう、私のなかにあるのだから。
そして、それは彼女のなかにも。
やがて作られた光が消えると、世界を照らすのは淡い月明かりだけになった。
耳が拾うのは規則正しい吐息と鼓動。
どこか甘酸っぱいラピスの香りに満たされながら。
私の意識は、ゆっくりと手元を離れていった。
◆
どれくらい眠っていただろう。
扉の向こうで響いた、小さな軋みで目が覚めた。
かたわらのラピスからはだけて、私ばかりにかかっていた毛布を整えてから耳を澄ます。
キシキシという床板を踏み行く音はやがて、遠くの方で止まった。
(誰だろう……)
物音はそれ以降きこえてこない。
扉が開く音はしなかったから、きっとまだ廊下にいるのだろう。
そっと部屋の扉をあけて、廊下を静かに行く。
音を鳴らさないように注意しつつ、目をこらして先の様子をうかがった。
――と、白い頭髪が薄明かりになびいて見えた。
「ルシル?」
後ろ姿に声をかける。
小さなつぶやきは、けれども彼女を大きく驚かせたようで。
びくっと肩を震わせて、それきり動きを止めてしまう。
ルシルが明け方におじいちゃんの部屋を訪れるのは、残念ながらよくあることだった。
だけど、こんな夜更けに廊下を出歩くことなんてなかったはずだ。
心配になって歩み寄ると、
「……来ないで、エイミー」
正面へと回り込むより先。血色に染まった指先が目にとまった。
声は消え入りそうなほどにか細く、弱く、切なさに満ちている。
ルシルは私が近づくのを望んでいないのだろう。
それでも私は、このまま部屋へと引き返すなんてできなかった。
「怖くない。大丈夫だよ」
できるだけ負担をかけない言葉を選んで、優しく語りかける。
そしてゆっくり、ゆっくりと足を進めた。
血塗れの両手を握るため。
彼女の痛みに、寄り添うために。
「…………」
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
小さな背中を抱きしめながら、耳元で同じ言葉をささやきかける。
心にしるしを刻むように。
呪文のように、何度も、何度も繰り返す。
きっと、またなのだろう。
私と眠ったあの日のように、自分を傷つけてしまったに違いない。
流れる血は涙だ。
表情を変えられないルシルが流す、痛みをともなった涙。
ラピスの言うことに従っていたなら。
私を探してくれていたルシルの元に駆けつけていたなら、涙を流すことはなかったのかもしれない。
――そんな後悔は後にしよう
今の私には力がある。
傷を癒す魔術があるのだ。
心の傷を治すことはできないけれど、それでも前の私とは違うから。
今するべきは振り返ることじゃない。
……しばらくして。彼女は迷うようにうつむいたあと、小さな声で私の名前を呼んだ。
なあに、と私が問い返すより先。ルシルはこちらへと体を向ける。
「――――っ!」
私は息を呑んだ。
白と赤と赤。
真っ白な前髪に見え隠れする赤い瞳。
危うい光をギラギラと輝かせるそれは、まるで砕ける寸前のガラスのよう。
ひび割れのように幾重にもはしった血管が、赤い虹彩の周りをのたくっていた。
瞳に次いで目を釘付けたのは滴る血だ。
頬肉を大きく抉る爪痕からは赤色が垂れ、チュニックの襟元までを染め上げていた。
傷の深さは薄明かりのここではわからないけれど、浅くはないことだけはわかる。
「大丈夫……大丈夫だから――」
湧き立つ恐怖を振り払って、私は呪文を繰り返す。
そっと肩に手を乗せて、抱き寄せようとしたとき、
「……そのリボン、一体どうしたの?」
短い問いが耳を刺した。
硬直するほどに冷たくて、鋭い声。
どうしてそんな声を出すのか。
責めるように問うのか、私にはわからない。
「えっと、ね。ラピスがくれたんだ」
けれど、隠すようなことでもないだろう。
私は少しだけ気おくれしながら答え、彼女の体を抱き寄せた。
小さな、とても小さな体を。
「……ふぅん、そっか」
声も、体も冷えてゆくばかり。
まるでルシルがルシルでなくなってしまうような。
そんな言い知れない恐怖を感じた私は、慌てて《しるし》を刻み出した。
「いま、傷を治すからね……っ!」
魔術は秘密にするように言われていたけれど、そんなことはもう頭から抜け落ちていた。
ただ目の前の友達を救いたくて、苦しみから連れ出したくて。
私は《水の加護》を発動させた。
――パキ、ン
魔術が発動すると同時。
強烈な静電気に指先が弾かれた。
「え……?」
描いた《しるし》は掻き消える。
集っていたマナも散り散りになり、後に残るのはジンジンとした痺れだけ。
ラピスと練習したときはこんなふうにはならなかった。
自分のなかの何かが注がれていくような。
心と心が繋がったような、そんな温かい気持ちで満ちていたのに。
いまは何も感じない。
「……すごいね。すごい、すごい」
凍りついた空気のなか、ルシルは声を張り上げた。
「すごいね」繰り返されるその言葉が、私の胸をぎちぎちと締めつける。
「……エイミーはすごい。とってもすごいよ」
不安になるくらい高い声で。
けれど凍りつくような冷たい声で。
混乱する私を馬鹿にするようにルシルは続け――
「…………ッ!!」
振り上げた血塗れの手で、私の頬を叩いた。
鋭い、乾いた音が鼓膜を殴る。
私の意思に反して曲がった首が、彼女の姿を視界から消し去った。
「ルシル、どうして……?」
震える問いがこぼれ落ちる。
痛みよりも熱よりも、混乱ばかりが心を占めていた。
何も分からない。本当に何もわからない。
みんなを守ると誓った指先はいま、守るべき少女を求めてさまよい、
「……大っ嫌い」
一閃。
血塗れの手に叩き落とされた。
◆
廊下の奥。
闇の向こうへと消えたルシルを追わなければいけないのに。
駆け寄って、傷を治さなければいけないのに。
……私の足は、体の重さを支えてはくれなかった。
「痛い、痛いよ。どうして? ルシル……」
口端から漏れ続けるは、対象の失せた問いの言葉。
手についた赤色を唇に塗りながら。
私は、彼女が消えた闇を見つめ続けた。
――加護は別名、信頼の魔術と呼ばれているの
――かたちのないものをかたちにできる魔術だから、信頼の魔術っていうんだね
暗闇に浮かぶは書庫での思い出。
傷を治す魔術を教わりたいとねだった私と、ラピスの会話だった。
加護は普通の魔術とは違う。
相手が受け入れることで初めて成立する魔術だった。
指先を襲った静電気はきっと、拒絶の意思。
私のことが嫌いな……ルシルの想い。
それでも立たなきゃ。
嫌われても、守るんだ。
私を助けてくれたルシルがいま、苦しんでいるのだから。
私のせいで。
私の、せいで。
「……あっ!?」
壁に手を突いて立ち上がったあと、前に出そうとした足が言うことを聞いてくれなかった。
付け根が錆びてしまったように動かない。
バランスを崩した体に再び床が迫る。
暗い色の、かたい床が。
――でも、私の体がそこに触れることはなかった。
抱きとめてくれたのは骨ばったしわしわの手。
おこうの匂いがただよう、やさしい温もり。
「おじいちゃん……」
「無理をするでない。もう、大丈夫じゃ」
おじいちゃんは私の体を引き寄せると、苦しいほどに強く抱きしめた。
こわばった体が軋みをあげる。
そうされてようやく、私の心臓は再び動き出した。
息が、たくさんの哀しみとともに吐き出される。
代わりに体を満たすのは冷たい空気。
浅い呼吸が、荒ぶる感情のままに繰り返される。
涙腺がゆるまっているのかもしれない。
唇に塗られた鉄錆の味に混じって、涙の味わいが舌を撫でた。
「――ねぇ、おじいちゃん」
押しつぶされた肺で言葉を紡ぐ。
絶え絶えの、不格好な声で。
「ルシルが怪我をしてるの」
抱きしめる彼から体を引き剥がして。
胸元に添えた手を外へと送り出して、
「お願い、助けて……!!」
私は涙ながらに叫んだ。
……ああ、もしかしたらラピスこんな気持ちだったのかもしれない。
言うとおりに追いかけてほしい。自分じゃなくて、大切な誰かを優先してほしい。
けれど、自分も放っておいてほしくない。
ルシルを助けたい私と、自分を助けてほしい私。
二人の自分に板ばさみにされて心が揺れる。
私はあのとき、選択を間違えたのだろうか。
「……わかった」
おじいちゃんは短く告げた。
抱きしめていた腕を緩め、するりと衣擦れの音を残して温もりが消える。
失われることによる胸の痛みを感じながら。
すがりたくなる指先を留め、その姿を見送ろうとして、
「――偉いな、エイミー」
去り際に彼は、私の頭を粗雑に撫でた。
いつものゆったりとした様子じゃない。
力強い指先にぐりぐりと髪が引っ張られて、結わえたリボンが視界の端ではためく。
「そのリボン、似合っているよ」
おじいちゃんはそう付け加えると、今度こそ闇の向こうへと消えた。
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