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編む贈りもの1

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 赤く染めた紐に交わるのは、脱色した白い紐。
 芯糸である赤に、白をからめて、結んで、引き締める。
 そうしてとお螺旋らせんができたところで芯糸を入れ替えて。
 くるくる、くるくる。
 想いを籠めて編んでゆく。

「精が出るわね、エイミー」

 がらんとした自室に優しげな声が響いた。
 声の主を探して視線をはしらせると、まず目に入ったのは空色の長髪。
 次いで手にされていたお盆が存在を主張し、湯気の向こうに顔を映す。

「あ、ラピス!」

 やわらかな笑みをたたえる女の子。ラピスが、敷居のうえに立っていた。
 そんなところでどうしたんだろう。
 疑問に思うも、問いより彼女の言葉が先んじた。

「ごめんなさい。ノックはしたのだけど、返事がなかったから開けさせてもらったわ。……よほど集中していたのね」

 ラピスの視線は私の手元、編まれゆく紐へと注がれている。
 じっと見つめられるのはなんだか照れくさくて、ベッドに腰かけていた私は、内股に膝をこすりつけた。
 手を止め、膝上におろして口を開く。

「こっちこそごめんね。もしかして紅茶、淹れてくれたの?」

 座っている私にはのぞけないけど、ただよう香りは紅茶のそれだった。
 訊ねるとラピスは、くすりと笑ってから、

「ええ、雨の日は冷えるから。それにいつも淹れてもらってるから……たまには、ね?」

 私のとなりに腰をおろして、湯気が舞うカップを手渡してくれた。
 さらりと揺れた髪からわき立つせっけんの匂いも、カップからただよう紅茶の香りも、体の奥へと染み渡る。
 冷たい空気で満たされていた肺の中身は、彼女によって入れ替えられたのだ。

 私は心地よさを感じながら。
 紐を膝上に置いて受け取り、そのままひとくち。

「……うん。おいしいよ」

 そして短い感想を告げる。
 いつものように甘いばかりじゃない紅茶は、少しの渋さで口を引き締めてくれた。
 鼻を抜ける香りはいつもより高く、けれども手のひらから伝わるあたたかさはいつも通り。
 これがラピスの味なんだなぁ。
 なんてことをしみじみ思いながら、私はふと、窓の外に目を向けた。

「…………」

 闇色の世界を照らす二つの月明り。
 でも、今日のそれは少し頼りなくて。
 細く降り注ぐ冷たい雨を見ていたら、手の内の幸せが温かみを増した気がした。

「――えいっ」

 ぷに。
 向き直ろうとした私の頬が、軽い抵抗にゆがめられる。
 視界の端に映るは細い指。
 ラピスの人差し指は、突き立ったまま離れてくれなかった。

 最近恒例となっているスキンシップに、自然と顔に笑みが浮かぶ。
 そんな私を見つめていた彼女も、すぐに同じように笑い出した。
 声に合わせてベッドが揺れる。
 やがて笑い声も弱まり、外の雨音が近くなったころ。
 彼女は小さく咳払い。
 ほっぺたに伸ばしていた手を引っ込めて、ラピスも紅茶をひとくち飲んだ。

「ね、エイミー」

「なあに?」

 カップから顔をあげた彼女の、紅茶色の声に問い返す。

「それ、ルシルの分だったりする?」

 ラピスが指さすのは私のおひざ。
 その上にのっけた、編み途中のミサンガである。
 赤と白の紐で輪結びに作っているものだ。

「えへへ、わかっちゃった?」

 まだみんなには内緒だよ。
 そう付け加えると、彼女は「はいはい」と、苦笑まじりに返してくれた。

「でも、別に教えておいてもいいんじゃないの?」

「もう……何度も言ったけど、こういうのは突然もらえた方が嬉しいの」

 三日前、おじいちゃんに編み紐をもらったときから繰り返した問答をする。
 そしてその度に彼女は「誰かさんと一緒ね」と、よくわからないことをつぶやくのだ。
 ほら、いまも。

 みんなに日ごろのお礼をしようと思い立ったのも三日前。
 ラピスから虹色のリボンをもらって嬉しかった私は、その喜びをみんなにも味わってほしくて。
 おじいちゃんとラピスに相談したうえで、手作りミサンガを渡すことに決めたのだ。

 ひざにのせたこれが最後の一個。
 最初に作ったルシルのミサンガはへたっぴで、よれよれのくたくただったりする。
 だから私は、一から作り直していたのだった。

「……みんなの分、私だけ先に見てもいいかしら?」

 編みかけのミサンガに視線を落としていた彼女が、小さな声で訊いてきた。
 伏せられたまつ毛。
 その奥の瞳は、少しだけ寂しそうに見える。

「いいけど、どうしたの?」

 どうにも心配になってしまった私は、おしりをひとつ近づけて、肩と肩をくっつけて問いかけた。
 ……でも、そんな心配は必要なかったらしい。

「だって、私だけ先に知ってるなんて、仲間外れみたいで寂しいじゃない。
 ならせめて、その特権を活用しようと思ったの」

 そう言ってラピスは肩をすくめて笑った。
 口元に片手を添えて、いつものように上品に。

 触れた肩から伝わる温もりは、そこに嘘がないことを伝えてくれた。
 私は、ほっと息をついてから立ち上がる。
 そして床板に膝をつき、右手を肩までもぐりこませて、ベッドの下から五つのミサンガを取り出した。

「大したものじゃないけど、どうぞ」

 私はその中から、ラピスにあげる分と失敗作の二つを除いた三つを手渡した。
 紅茶をお盆に戻し、両手で受け取る彼女の表情はとても穏やかで。なんだか前に髪を梳いてもらったときのことを思い出した。

「……素敵、とっても素敵だわ」 

 彼女は受け取ったミサンガを、顔に近づけたり遠ざけたり、いろんな角度から見たりして、それは楽しんでいるようだった。
 私は鼻が高くなるよりも先に恥ずかしくなってしまった。
 宝石みたいにきれいじゃないし、マフラーみたいに手が込んでいるわけでもない。
 子どもでも作ることができる装飾品。……だというのに、ラピスの目は、まるで高価な宝石をながめているかのようにうっとりとしていた。

「エイミーの世界では、みんなこれを付けているの?」

 ひとしきり堪能たんのうしたらしい彼女が、顔をあげて訊ねてきた。
 うるんだ瞳が私を映す。
 恥ずかしさも手伝って、私はやや大ぶりに首を振ってから口を開く。

「みんなってわけじゃないけど、私の周りでは流行ってたんだ」

 クラスメイトのほとんどがつけてたし、授業中に作る子もいたくらい。
 それが問題になって、全校集会で怒られちゃったことを覚えている。

 遠い昔のように感じる近い過去。
 そこにあった想いは消えてしまったけど、作り方は忘れていなくて助かった。
 おかげでみんなに贈りものをできるのだから。

「……あら? 私とエイミーの分は?」

 返答に納得した様子のラピスだったけど、数が合わないことに気がついたらしい。
 彼女は思いついたように問いかけた。

 ラピスのミサンガは薄い青と白。
 それは私の手に握られているのだけど、

「ラピスの分は明日まで秘密だよ。私の分は……えっと、忘れてた」

 自分の分はうっかりしていた。
 せっかくだから私の分も作って、みんなとお揃いにすればよかったのに。
 私ひとりが仲間はずれみたいで、想像すると寂しくなってしまった。ちょっとだけ失敗である。
 明日の夜にでも作ろうかな。そんなことを一瞬だけ考えて、握りしめていたもうひとつに気がついた。

「――でも、失敗作があるから。私はこれでいいよ」

 それは、赤と白の紐で結われた、失敗作のミサンガだった。
 力いっぱい引き絞った箇所と、逆にゆるんでしまった箇所があって、ところどころがゆがんでいる。
 出来の悪い一作目を見せながら言うと、

「ふふ。色合いがルシルとお揃いね」

 彼女はとてもすてきなことを教えてくれた。
 私にとってはただの失敗作。でも、ラピスには違うふうに見えていたんだ。

 ラピスからもらった虹色のリボン。
 そして、ルシルとお揃いのミサンガを身に着けるられるなんて、想像しただけで胸がぽかぽかしてしまう。
 手の中のこれはもう、私にとっても失敗作なんかじゃない。
 大切な、とても大切なものになっていた。

「……そうだね。うん、お揃いだよ!」

 ミサンガは手や足首につけて、自然に切れたときに願いが叶うアクセサリ-。
 似たものはありふれているかもしれない。
 でも、結わえる紐に編み込んだ想いは特別なもの
 私が籠めた、世界にたったひとつだけ。

 みんなのミサンガはしまいこんで、私は、自分のミサンガと虹色のリボンをとりだした。
 赤白を左手首に。リボンは、耳の横に添えるだけ。

「ねぇ、ラピス」

 そうして私は声をかける。
 大人びていて、上品で、とってもきれいな女の子に。

「似合う……かな?」

 トクン、とゆれた心臓が緊張を告げる。
 火照った頬は、きっと赤くなっていることだろう。

 返事はすぐにはかえってこなかった。
 ぽっかりと空いた間は、私の熱をどんどん高めてゆく。

「……エイミー」

 やがて私が、こくんと唾を飲みこむころ。
 ゆっくり、本当にゆっくりと。
 彼女は私の名を呼んだ。

「可愛いわ。とっても……世界で一番、素敵な女の子よ」

 言葉に想いをにじませて。
 瞳のなかに私を映して。
 ラピスのさくら色の唇は、震える言葉を紡ぎだした。

 世界のどこかで同じ音が生まれたとしても。
 この言葉に籠められた想いは、特別なもの。
 ミサンガと同じで他にない、私だけに向けられた……たったひとつだけ。

「えへへ……そっか。そっかぁ」

 真っ直ぐな想いが心に熱を灯す。
 変に籠った熱とは違う、とてもやさしい温もり。
 じん、と染み入る感情を噛みしめていると、肩に肌が触れられた。

「…………」

 視線をとなりへ向けると、ラピスのうるんだ瞳と結ばれた。
 布地を透過して伝えられる体温も。
 ただよう紅茶色の吐息も、今だけは私の一人占め。

 外を降り注ぐ雨音も、冷気も、すべてが遠くなっていて。
 更けてゆく夜のなか。
 私は、そっと目を閉じた。


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