異世界の孤児院より~やがて少女は旅に出る~

山なき鳥

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幸せのあと

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 ――誰かの声がする

 近くて遠い過去。毎日聞いていた両親の声が、知らない名前を呼んでいる。
 頭のうえから響くそれを追いかけて、視線を空へ。

(ああ、そっか……)

 頭上にかざした手が透けて、ぽっかりと闇が開いた明るい空が告げる。
 ここは夢のなか。おいてけぼりになってしまった記憶の世界だって。
 前へと手をおろせば、冷たい感触が迎えてくれた。
 丹塗りのはげた鳥居……見慣れた神社の入り口だ。

 ため息をはくと、自然と顔が下向いた。
 薄く緑が彩る石畳を瞳が映して。その端では、黒蟻がエサを運んでいた。
 かつがれているのは蝶。はねが片方もげて、動かなくなってしまった白い蝶だ。
 細い針のような足も何本かは千切れていて、左右の数が合致しない。

「…………」

 死骸はゆっくり、ゆっくりと石畳の外へと運ばれてゆく。
 きっと巣穴に持ち帰って食べるのだろう。
 私はそれを、残酷だなんて思わない。
 蝶も蟻も同じ命なのだから。それぞれに生きる意思があって、意味があるのだから。
 でも、どうしてか……涙が染み出て止まらなかった。

 拭っても拭ってもこぼれる涙。
 ごしごしと擦っているうちに、蟻も蝶も、どこかへ消えてしまったようだ。
 あとに残されたのは私だけ。
 雫のあとも石畳には残らなくて。ただ、冷たい風が涙の筋を撫でる。

(……帰ろっか)

 視界の端。乾いた風に揺らめいた虹色のリボンが。
 手首にゆるく巻かれた、ルシルとおそろいのミサンガが。
 胸元で光る真珠色のペンダントが。

 帰るべき場所を……教えてくれた。


 私は鳥居をくぐることもなく、夢の世界をあとにする。
 帰るべき世界はここじゃないから。
 過去の幸せでも、もっと昔の消え去った過去でもなくて。
 未来の絶望でも、もっと先にぼやけてる未知でもなくて。

(ルシル、いま帰るからね)

 私が帰るべきは、壊れてしまいそうな少女のもとだ。
 苦しめられたっていいから。
 殺されかけても、殺されてしまったとしてもかまわないから。
 変えられない表情の裏で泣き叫ぶ、たった一人の家族に寄り添いたい。


『――さあ、もう一度始めよう』


 声は唐突に響いた。
 親しみのある穏やかな、けれど悲しい声が私の名前を呼んでいる。

『君は、どんな顔をしていただろう? どんな瞳を、どんな髪をしていたか』

 頭のうえから響くそれを追いかけて、もう一度視線を空へ――

『あせらないで、ゆっくり思い出せばいい』

 そこに声の主はいなかったけど、手のひらに熱が灯った。
 視線を這わせても何もない。……それでも、わかる。
 伝わる強い想いが知らしめる。
 誰かが、私の手を握ってくれていることを。

 あなたは誰? 訊ねたくても、夢の世界は言葉を許してくれなくて。
 私は何も言わず、手を引かれるままに歩き続ける。


 やがて石畳が消え、

 薄茶色の土が消え、

 目に映る全てが消え去って――



 ◆



 意識は、淡い光に導かれてよりもどされた。
 それは胸元で輝くペンダント。
 ルシルが私に渡してくれた……すてきなプレゼントだった。

 剣と竜の透かし彫りは、とても繊細で。
 中央にはめられた真珠色の魔石は、宝石よりもきれいで。
 首に触れる紐は、優しい力強さに満ちていて。
 生活のじゃまにならないデザインが、ひっそりと気遣いを語る。

 ……そんなたくさんの想いが詰まったこれは、本当は、みんなからのプレゼントなんだと思う。
 ルシルは嘘をついたんだ。
 みんなを思い出さないように気を遣ってくれたのか、他の意図があるのかはわからないけれど。

 嘘をついてしまうことは、とても辛いことだと知っている。
 それが重要なことならば尚のこと。心を苛む、強い痛みとなってしまう。
 知っているのに知らないふりをすることが正解か。
 思う事実を突きつけて、嘘を除けてあげるのが正解かはわからない。
 おバカな私には、そんなことすらわからない。

 でも、でもね。
 正解なんかどうでもいいんだ。
 きっとルシルは、変化を与えたら壊れてしまうから。
 彼女の心は、カップをあふれて、お盆までなみなみと注がれた紅茶のように不安定で。
 少しの変化でこぼれ落ちてしまう。

 だから、私も嘘をつく。
 知っていることを知らないと、嘘をつく。

「……おはよう、ルシル」

 彼女の心を守るため。
 水面みなもに波紋をたてないために。

 ――けれども今、
 ――嘘はもう正されないことを知った



 ◆



 どこにも、誰もいなかった。
 取り乱さなかったのはきっと、なんとなく想像していたからだと思う。
 ルシルがここを出て行ってしまう未来を。
 こぼした紅茶で満ちた盆が、ひっくり返ってしまった世界のことを。

 首を抉る痛みも、おなかの重い痛みも、足を鈍らせていた痺れも。
 ぜんぶ、ぜんぶ無くなって。

 かたわらの温もりも、可愛らしい声も、思い出だけを置き去りに。
 ぜんぶ、ぜんぶ無くなって。

 味も匂いも、死の記憶も戻ってきたけれど、一番欲しかったものは戻ってこなかった。

 ――外に出ていけば、楽になれるのかな?

 窓の外。降りつづける雪を見ていると、そう思わずにはいられない。
 でも、私はまだ踏み出せないでいた。
 視界の端で揺れるリボンが、手首に巻かれたミサンガが、胸元の光が。
 ……置き去りにされた全ての思い出が希望となって、私の“死”を拒むのだ。

「寒い、寒いよ……」

 それはとても残酷なことで。
 それはとても哀しいことで。
 どうしようもなく酷いと、心から思った。

 眠ると必ず夢を見る。
 幸せな夢を見て、目が覚めると涙する。

 気がつくと頬が裂けている。
 血にまみれた手と、爪の間に挟まった皮を見るたびに涙する。

 目をつむると聞こえてくる。
 楽しかった日々の声が、みんなの話し声が耳を埋めて……涙する。

「おうち……かえりたい……」

 ――無意識のつぶやきが、口を伝って涙する。

 夢のなかの神社はもう、私のいるべき場所じゃない。
 でも、誰もいなくなったここもきっと違う。私の家じゃない。

 帰るべき場所を失った私は、それを探して視線を巡らせる。
 窓の外……雪と闇だけが寄り添う、何の温度も、色もない世界へと。
 もう、誰も帰ることがない世界へと。

「――え?」

 そんな世界で。

 そんな世界で、ふたつの色が瞳に飛び込んできた。
 とても小さな、けれど私が焦れた明るい色が。

 残っていた最後の希望が、心の闇を吹き払う。
 まだ生きていたい意思があった。
 まだ生きることに意味があった。

「待っててね。私が、守るから……!」

 希望が指先に満ち、空を裂いて先を求める。
 それは魔術。
 遥か彼方へ遠ざかっていたマナが近づいて、鮮烈な感情が未来を描く。

「はやく……はやく、はやく!!」

 あふれる希望を、刻む《しるし》に押しこめて。
 私が教わった四つの加護のひとつ――《風の加護》は発動された。
 哀しみも、後悔も、絶望も。
 全てを置き去りにして、風をまとって早駆ける。

 軽い。
 室内に巻き起こされた突風は、私の体を前へ前へと送り出す。
 踏みしめる床板の感触、反動、壁となる空気の層すら含めた全てが軽い。

「はやく……もっとはやくッ!!」   

 マナを喰らって空をむ。
 窓の外、私が見つけた色は、もうほとんどが塗りつぶされていて。時間が無いことは明白だった。
 だから早く、誰よりもはやく!!!

 扉を開ける時間すら煩わしい。
 全速力の突進で打ち破り、こぼれるうめきは置いてゆく。
 裏口から飛び出た私は、跳ね上がって体制をひるがえし、再び風をまとって走り出す。
 一瞬間のうちに最高速まで駆け上がり、湧き立つ心の求める先へと手を伸ばす。

 先へ、
 未来へ、
 私の生きる理由へと……!!


「――あ」

 
 ――あった

 雪に埋もれた赤と白。
 それは私が、帰ってきたルシルだと思っていたもの。

 ……千切られたお揃いのミサンガだけが、あった。

「ああ……あああああぁぁ……」

 高く、歪な声が吐き出されて。
 心を湧き立たせていた想いが、生きる意思が、理由が、感情が。
 全ての希望が反転して塗り替えられる。

 過去が未来を吐き出して。
 未来が過去を飲み込んで。
 噛んで、ねぶって、味わって……腐った毒が身体を満たす。


 ああ、そうか。

 もうどこにも、私の居場所なんてなかったんだ。



 ――理解すると同時、心を絶望が満たした



 ◆






















「ふふっ。逢いたかったわぁ……」












 完全に塗りつぶされた世界で、少女に歩み寄る影がひとつ。
 光を失った世界でなお際立つ黒い影。
 その主は紫苑色しおんいろが引かれた唇を大きく開き、弾んだ息を吐き出した。

「終わりにはまだ早いわ。甘い夢を手放し現実を選んだあなたを――」

 声の主は、雪に埋もれた少女を探り、掻き出し、抱き起こす。
 閉ざされた眼。
 凍り付いた頬。
 色を奪われた小さな唇――そこに白い指先が滑り込んだ。

「私様が愛してアゲル」

 遠く、喉の奥へと消えようとしていた舌を掴み、温める。
 やがてそれが退くと、紫苑が塗りこめられた唇があとを追った。

「んっ……ん……」

 無色と有色は重なり合い、一方的にむさぼられる。
 奏でられるはひと時の水音。
 腹の底から湧き出た何かが口移され、少女の身体に溶け――


「……いったぁい。ふふ、素敵」


 唇を噛み潰された紫苑の主が、艶やかな声をあげた。
 恍惚の相で赤色を舐めとり、自身の一部を吐き捨てた少女に向き直る。
 未知の恋に焦れる乙女のように。
 背徳の愛を溺れる夫人マダムのように。
 幼い体躯に不釣り合いな熱を孕んだ視線がいま、

「…………」

 絶望に染め抜かれた瞳と、結ばれた。


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