帝は傾国の元帥を寵愛する

tii

文字の大きさ
14 / 104
1章

14話 会えないけれど

しおりを挟む
 翌日も、いつもと同じようにヴァルターは正午きっかりに執務室へ向かった。
 だが扉の前で彼を待っていたのは、侍女だった。大切そうに抱えられた白封筒が、どこか不釣り合いに重たく見える。

「殿下からのお預かりものです」

 それだけを告げ、彼女は深く頭を下げて去っていった。
 結局その週、ヴァルターとユリウスが顔を合わせることは一度もなかった。
 金貨は届く。だが、声を聞くことはない。
 まだ――顔を見て、おめでとうすら言えていない。
 誰よりもそばにいたはずなのに、その距離が、いまはひどく遠く感じられた。
 執務室の椅子に腰かけてはみるものの、たいして用事もない。
 机の上には、きっちりと一週間分の金貨が積まれていた。
 ヴァルターはそれを一つの袋に丁寧にまとめ、静かに外套を羽織る。

 行き先は、先日訪れた料理店だった。
 帝都でも屈指の繁華街の一角。昼時の通りには、香ばしい煙が風に乗って漂い、どこか懐かしい肉の匂いが鼻をくすぐる。
 木製の重厚な看板には〈帝都牧場直送〉の文字。金の縁取りが陽光を反射し、通りを歩く人々の視線を惹いていた。
 扉の向こうからは、炭火のはぜる音と、上等な酒の甘い香気が混ざり合って流れてくる。

 ――数日前、ひとりでこの店を訪れた。
 フードを深く被り、誰にも気づかれぬようにして。
 通された奥の個室で口にした「帝国産仔牛のロースト」は、今も鮮明に記憶に残っている。
 焦がしの香ばしさ、ほどけるような肉の柔らかさ、そして控えめな塩気。
 まるで彼の好みに合わせて仕立てられたような、上品な味だった。
 
 店主は、再び姿を見せた名誉元帥を見て息を呑んだが、ヴァルターの穏やかな声を聞くと、すぐに理解したように深く頭を下げた。

「東翼の会議室へ届けてほしい。殿下、宰相閣下や諸侯たちが、きっとお疲れだろう」

 そう言って袋ごと金貨を渡すと、店主の顔が見る間に輝いた。
 本当の目的は、もちろん別にある。

 ――殿下に、おれは大丈夫だと伝えたかった。
 それだけの、ささやかな報せだった。

 この帝都の喧騒のどこかで、彼もまた忙しく息をしている。
 せめてその日々に、少しでも温かな香りを添えられるのなら――
 それで十分だと信じていた。





 その日も東翼では夜まで政務が続いていた。
 机の上には積み上がる文書と、冷めきった茶。
何度入れ直しても冷えてしまうので、飲みたい者から指示がなければ入れ直さないことになったのだ。

 そこへ突然、侍女たちが香ばしい匂いを運び入れる。

「……誰の指示だ」
「名誉元帥閣下から皆様方への差し入れでございます」

 最初は一様に眉がひそめられた。

「会議の最中に肉など、軽率だ」

 そう言った老侯爵が、何気なく箸を伸ばしたのはほんの出来心に過ぎなかった。
 一口、噛み締めた瞬間、室内の空気が変わる。

「……これは、旨い」

 皿が瞬く間に空き、諸侯たちは次々に食べ始めた。

「こういう配下がいると本人の格がわかる。殿下は恵まれている」

 やがて誰かがそう呟くと、険しかった空気がふっと緩んだ。
 会話は弾み、笑いが生まれ、重かった議場の温度がわずかに上がる。
 その評価は、いつの間にかユリウス自身の手柄となっていた。

 レオンが「ヴァルター閣下から東翼のへ差し入れが届いているようです」と耳打ちしたとき、ユリウスはペンを止めた。

 ヴァルターが肉を――。
 皮肉屋のあいつのことだ、“あなたがいなくても肉くらい食べている”と、そんな風に言いたいのだろう。
 そう思うと、どうしても口元が緩んだ。

 窓の外では陽が傾き、帝都の屋根が黄金に染まり始めている。
 遠くの街路を鳥の影が横切り、光と影が静かに揺れた。
 机の端に置かれた包み紙からは、まだわずかに香ばしい匂いが残っている。
 焦がし肉の香りとともに、懐かしい笑みの面影が胸に浮かんだ。

「……美味しい」

 独り言のように呟く。
開け放たれた窓から頬を撫でる風が、少しだけ柔らかい。
 その風の向こうに、きっと彼がいる。
 まだ会えぬまま、それでも確かに繋がっている。
 そう信じて、彼は静かに目を閉じた。



 結局ヴァルターとユリウスが顔を合わせられたのは、二週間後のことだった。
 この日は以前から予定されていた舞踏会の夜。
昼には時間を取れなかったが、開宴直前、二人はようやく再会を果たしたのだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~

春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』 アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。 唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。 美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。 だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。 母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。 そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。 ——カイエンが下す「最後の選択」とは。 ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。

まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎
BL
百年前に現れた魔王によって侵攻が行われたアルキドセ王国。 国土の半分を魔物の支配下とされてしまったアルキドセ王国の国王はやむなく、国土を分断した。 ------------- 百年後、魔王の座は孫へと譲られていた。 「あー、だる……座り心地悪すぎだろ、」 しかし、譲られた孫であるセーレに魔王の素質はなく、百年間城にも攻めに来ない勇者に驕りきっていた。 ------------- その日、魔王城に戦慄が走った。 勇者が魔王城まで攻め入ったのだ。 「ひ、ひっ……!、よ、よくきたなぁ、っゆうしゃ!」 血の滴る剣を持ち、近づく勇者に恐怖で震えるセーレに与えられたのは痛みではなく、獣の皮の温かな感触だった。 「っかわいい……俺のものにする、っ」 「ぁ、ぇひ!やだやだやだっ、ひ、ぃい……」 理解できない勇者の言葉は死に怯えるセーレを混乱させ、失神させた。 ___________________ 魔王に一目惚れで掻っ攫う溺愛勇者       × 言動が理解できない勇者が怖い卑屈な名ばかり魔王 愛をまっすぐ伝える勇者に怯える魔王のすれ違い、らぶらぶストーリー。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

のろまの矜持 恋人に蔑ろにされすぎて逃げた男の子のお話

月夜の晩に
BL
イケメンエリートの恋人からは、雑な扱いばかり。良い加減嫌気がさして逃げた受けくん。ようやくやばいと青ざめた攻めくん。間に立ち塞がる恋のライバルたち。そんな男の子たちの嫉妬にまみれた4角関係物語です。

うちの魔王様が過保護すぎる

秋山龍央
BL
主人公・折本修司(オリモトシュウジ)は転生恩恵女神様ガチャにはずれて異世界に転生して早々、つんでいた。 「異世界で言葉が分かるようにしてくれ」と頼んだところ、相手の言葉は分かるが自分は異世界の言葉は喋れない状態となり、 「平和な国に転生したい」と頼んだところ、平和で治安のいい国に転生をすることはできたものの、そこは人間のいない魔族だけの国だったのである。 困っていた主人公の元に、異世界の"魔王"である紅の髪と角を持つ男があらわれて―― 「まさか――そっくりだとは思ってたけれど、お前、本当にシュウなのか?」 異世界転生魔王様×異世界転生主人公 幼馴染年下攻めだけど年上攻めです

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

処理中です...