帝は傾国の元帥を寵愛する

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2章

43話 おやすみ

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 ルーカスは、ふと机の上の時計に目をやった。
 針はすでに二十二時半を回っている。
 ——この時間からの外出は、さすがに無理だろう。
 ルーカスは外出を妨げる、という目的を一応達成したのだ。

「……リュクス」
 名を呼ぶと、寝台の縁に腰を下ろしていたリュクスが、顔だけこちらに向けた。

「どこで寝る」
「なんで聞くの?」

 即座に返され、ルーカスは一瞬、言葉を失った。確かに最初、勝手に寝るから嫌だと言ったのは自分だった。矛盾している……。
 結局何も言えず、卓上の水差しから杯に水を注ぎ、一息に飲み干す。

「……まだ酒飲むの」
「飲まない」

 短い応答。

「ここで寝るの」
「うん」
「眠いの」
「……お前にくっついてたら、眠くなると思う」
「……そ」

 それ以上、言葉は続かなかった。
 ルーカスは立ち上がり、寝支度を始める。
 リュクスを軽く促し、洗面台の前に立たせて歯を磨かせる。
 その間に、寝台の上を整え、軽くはたき、予備の枕を一つ取り出した。
 余計なことはしない。
 ただ、眠る場所を整えるだけだ。

「……いいよ」

 短く声をかけると、リュクスは素直に布団へ潜り込んだ。
 机の上のランプだけが灯りを残し、部屋は静かに落ち着いていく。
 ルーカスは、その様子を見下ろしながら、しばらく動かなかった。
 念のためだ。
 眠るまで、見ていようと思っただけだ。

(……両手で、ぎゅっと抱いておいた方がいいのか)
 ふと、そんな考えがよぎる。
 いや、違う。
 それは必要ない。必要なはずがない。

 ——やはり自分は少し、酔っているのか。
 自覚はあった。
 だが、これだけで酔うほど、酒は飲んでいない。
 ランプの橙色の光の下、リュクスの呼吸はすでにゆっくりになり始めていた。

 その規則正しさを確かめるように、ルーカスも隣に腰を下ろす。

 触れない。
 触れないが、離れもしない。

 ただそこにいるだけで、守っているつもりになる自分を、ルーカスは少しだけ苦く思いながら、目を伏せた。

「リュクス」
「……ん」
 名を呼ぶと、リュクスは少しだけ顎を上げた。
 その仕草だけで、距離が消える。

 近い。
 眠気を含んだ瞳がこちらを映し、湿り気を帯びた光が揺れる。
 頬にはまだ熱が残り、触れずとも分かるほど柔らかい。

 ——まずい。
 そう判断するより早く、視線が奪われた。
 静かな呼吸やわずかな体温が、理性の置き場を失わせる。

 ——可愛い。
 結論に落ちた瞬間、もう抗えなかった。

 ルーカスは身をかがめ、そっと口づけた。
 温度だけを残しすぐに離れる。

「……おやすみ」

 それ以上はしない。
 それが、自分に課した唯一の自制だった。

 だがリュクスは、驚いた様子も、嫌がる素振りも見せない。
 言葉の代わりに、静かにルーカスの背へ腕を回し——
 自分から、もう一度口づけた。
 深いキスだった。
 眠る前の力の抜けた身体に、緊張のない呼吸。
 まるで恋人同士のように、ただ心地よさだけを確かめ合う口づけ。
 唇が離れては、また角度を変え、
 互いの温度を味わうように、何度も重ねる。
 気づけばルーカスの手も、リュクスの背に回っていた。
 止まらない。止めない。
 それでも、一線を越えることはない。

 ルーカスは、自分の身体に確かな変化が起きているのを感じていた。
 ——そして、それが自分だけのものではないことも。
 互いに気づいている。
 互いに主張している。
 それでも、それ以上には進まない。

 やがて、唇が離れる。
 リュクスは息を少し荒らし頬を染めたまま、そのままルーカスの胸に顔を埋め、ぎゅっと抱きついた。

「……寝る」
 小さく、そう言って。
 ルーカスは何も言わず、ただその重みを受け止める。
 ランプの淡い灯りの下、呼吸は次第に整い、
 リュクスはすぐに眠りへ落ちていった。
 腕の中の温もりを確かめながら、
 ルーカスは目を閉じる。

 自分の中で何かが芽生え始めていることを、早鐘を打つ鼓動の中で、はっきりと自覚しながら。

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