帝は傾国の元帥を寵愛する

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2章

49話 天幕で

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 あの背中。あの腕。あの、迷いのない佇まい。

 新兵は深く息を吐き、身を整えるために、静かに焚き火の輪を離れた。

   新兵の胸は、まだ高鳴ったままだった。

 焚き火の向こうへ消えたルーカスの背中を、名残惜しそうに見送って。 
 夜回りを終え、いそいそと天幕を開ける。

「お、来たな」

 がさり、と影が立つ。 
 振り向いた瞬間、新兵は凍りついた。

 そこに立っていたのは――。  鎧を着ていなくとも岩の塊のような男だった。

 首は太く、肩幅は扉二枚分。  焚き火の明かりに照らされる腕は、丸太のように太い。

「隣国の作法なんだろ?」

 低く、嗄れた声が笑う。

「ありがてぇよな。こういうの」 
「……え?」

 新兵の喉から、情けない音が漏れる。

「隊長の代わりに、俺が引き受けるからな」

 ごきごき、と首を鳴らす音。

「はは、残念だが隊長は想い人がいるんだ」

 ――ちがう。ちがう、ちがう、ちがう。

「ひっ……!」

 新兵は一歩、後ずさる。

 昼間、焼かれるような視線で追っていたのは、あの、静かで、厳格で、色気のある――セレスティアの騎士だったはずだ。

 目の前にいるのは、夜を越えるための物理的脅威である。

「大丈夫大丈夫」

 厳つい兵は肩を叩く。

「俺は男も好きだ^^」

(ひっ……!)

 咄嗟に後ずさりをした。

「ん? おい、待て! 逃げるなよ!」

 背後で、あの岩のような兵士がガハガハと笑う声が響く。

「いい身体してんじゃねぇか。ほら、そんなに震えるなって!」 
「あ、いや、あの……急用を思い出しまして……!」

 新兵は、もはや接待どころではなかった。

 憧れていたのは、あの洗練された、静かな強さ。  
 決して、自分を丸呑みにしそうな「物理的な塊」ではない。

 逃げるようにその場を離れ、闇の中を無我夢中で進む。
 背中に冷や汗を流しながら、ふと、少し高い丘の上で足を止めた。

 そこには、焚き火の喧騒から離れ、独り夜風に吹かれる後ろ姿があった。

 ――ルーカス少将だ。

 月明かりの下、シャツ一枚の背中は、昼間見た時よりもどこか寂しげだった。 
 それでいて触れることをためらわせるような、神聖さがある。

 新兵は思わず息を呑む。  声をかけることすら、今の自分には許されない。

 あんな厳つい部下を平然と従え、自分はただ独り、遠い空を見つめている。  
その横顔には、昼間の厳格な指揮官としての顔ではなく。

 一人の男としての、深い、深い慕情が滲んでいた。

「……会いたい」

 風に乗って届いた、微かな呟き。

 それは、新兵が抱いていた淡い恋心など一瞬で吹き飛ばしてしまうほど。  重く、切実な響きだった。

(……ああ)

 新兵は、その場に崩れ落ちそうになる。

 彼が想っているのは、自分のような名もなき兵ではない。
この夜の静寂さえも味方にするような、特別な誰か。

 自分とは住む世界が違うのだと、その一言で突きつけられた気がした。

 ルーカスは一度も振り返ることなく、静かに歩き出す。

 その背中は、どんな瓦礫よりも重く、どんな剣よりも鋭く。 
新兵の心に、深く刻まれた。


   翌朝。
新兵は誰よりも早く起きて、がむしゃらに瓦礫を運び始めた。

 ただ、あの背中に一歩でも近づきたくて。
たとえその視線の先に、自分が映ることはないのだとしても。

 遠くで、ルーカスの低い指示が飛ぶ。
新兵は唇を噛み締め、泥にまみれた手で重い石を、高く持ち上げた。

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