帝は傾国の元帥を寵愛する

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2章

50話 帰還

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10日ほど後だった。

執務室での仕事を終えて軍食で夕飯を食べていると、久しぶりに賑やかな声が聞こえてきた。

「リュクス、ただいま!」

声と同時に椅子が引かれ、どさどさと兵たちが腰を下ろしてきた。
土と鉄の匂いが流れ込む。

災害支援に出ていた連中が、戻ったのだ。
用意されていた食事の量で察しはついていたが、ぬか喜びしたくなくて、リュクスはそれ以上考えないようにしていた。

「おかえり。お疲れさま」

返す声は軽く、いつもと同じ調子だ。

「なあリュクス、隣国行ったことあるか? 今回さ、半日だけ自由時間があったんだよ」

杯を口に運びながら、曖昧に相槌を打つ。

「ほんでサンキールってやつがな……」
「誰だっけ」
「ほら、腕が太い! 眉毛の濃いあいつ!」
「あー、あいつか」

名前は曖昧でも、顔はすぐに思い浮かぶ。

「あいつ花街が好きでな。夜にそういう店に行ったんだと。そしたら三時間で七回だってよ」
「あはは」

自分の声が、やけに遠く聞こえた。
周りはわははは、と笑い声が弾ける。
下世話で、悪気のない、いつもの笑いだ。

「宿に戻ったらさ、干からびた顔で寝てたよ」
「そりゃそうだろ」

また笑いが起きる。

リュクスは、ふと考える。

市井の酒場も、軍の食堂も、話す内容なんて大して変わらない。

「ルーカスも、そういうところ……行くのかな?」

ぽつりと落ちた一言に、空気が止まった。

……。

一瞬、誰もが言葉を失い。
次の瞬間、あははは! と一際大きな笑い声が弾けた。

「そーか、リュクスは知らないか」
「な、なに?」

肩をすくめた誰かが、面白がるように身を乗り出してくる。

「ルーカスは夜の店なんか行く必要がないんだよ」
「……どゆこと?」

「あの若さで少将だぞ。背もあって、服着てたら華奢でさ、軍人には見えない色男だろ。しかも名門貴族の三男坊だ」

「逸物(イチモツ)も、まあ……相当でかいらしいぜ?」

下世話な言葉に、また卑猥な笑いが起きる。

「令嬢が列を作ってるよ。毎月、婚約だの逢瀬だのの手紙が山ほど来てるって話だ」

「……そーなのか」

リュクスは、曖昧に笑った。
そして、ルーカスの部屋のゴミ箱が、いつも紙屑で一杯だったことを思い出す。

「羨ましいことだ」

それ以上の言葉は、喉の奥で形にならなかった。

リュクスは、元は大衆演劇の役者だ。
それなりに人目を引く立場でもあった。

誘われたこともある。
深く考えずに、流れで関係を持ったことも、なくはない。

だが、長く続いた試しはなかった。

気を遣い、期待を読んで、順序を踏む。
そうした一連が、演じてるみたいで面倒だった。

そこで、不意にルーカスの顔が浮かぶ。

(……俺はルーカスの前では、気を遣わなくていい)

そこまで考えて、リュクスは思いなおす。
理由を言葉にするのが、ひどく怖いことに思えた。

――だから、なんだというのだ。

リュクスはそっと辺りを見回した。
しかしやはり、ルーカスの姿は見当たらなかった。

他の奴らは帰ってきているのに、肝心のあいつがいない。

(どこにいるんだよ……)

喉まで出かかった問いを、飲み込んだ。
周りの皆に、あいつはどこだと聞く気には、どうしてもなれなかった。

必死に探しているように思われるのが、癪だ。
自分だけが帰りを待ち侘びていたようで、恥ずかしい。

リュクスの胸に、投げやりな感情が跳ねた。

――あっそ、という言葉が、喉の手前で止まる。

モテればいい。
勝手にどこかで、手紙の返事でも書いていればいい。
一番に――好きな相手にでも、会いに行けばいい。

そう思った瞬間、胸の奥で、悲しみが苛立ちへと裏返った。

周りの話題は流れ、夕食の時間は終わる。

寮食を終えると、リュクスはそのまま部屋へ戻った。
廊下は静かで、足音だけがやけに響く。
一人で水浴びを済ませるか。

ルーカスも帰っていれば湯にありつけるだろうが、確かめに行く気にもならなかった。

――何日も心配して。
正直、少し疲れていた。

結局、リュクスは寝台へ転がり込み、もぞもぞと身を丸めた。

ルーカスがいなかったあいだ。
ずっと、自分の寝台で一人で眠ってきた。

今日も、たぶん眠れる。
……眠れるはずだ。

ただ、リュクスは夜が怖い。

突然、扉が開いたこと。
殴られ、引きずられ。
抗う間もなく、身体を使われたこと。

夜には、恐ろしいことがいくらでも起こる。

けれど、ここには鍵がある。
守衛もいる。
叫べば、誰かが来てくれる。
理屈では、分かっている。

リュクスは布団を頭からかぶり、身を縮めた。

――風呂は、もういいや。

そう思って、目を閉じる。

「……おい」

扉越しに、声がした。

「開けるぞ」

「……っ」

ガチャリ、と鍵が回る音。

この部屋の予備鍵を持っているのは、鍵の交換をしているルーカスだけだ。


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