帝は傾国の元帥を寵愛する

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3章

61話 リュミエール

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安く、古い酒場だ。

壁に染みついた酒と煙の匂いは、もう何年も前から落ちていない。
床板は踏めば軋み、柱には無数の引っかき傷が残っている。
喧嘩の名残か、酔客の癖か――誰も気にしない。

ここに来るのは、この土地の馴染みだけだ。
荒っぽい者も、無口な者も、日雇いも、くたびれた職人もいる。
ただ一つ、共通していることがある。
金持ちは、ここには来ない。

昼時。

夜の喧騒が嘘のように静まり返った店内に、まだ十歳にも満たないリュクスがいた。
昨夜の客が皿に残していった、湿気たナッツを口に放り込む。
カウンターの端に転がっていたシガリロを拾い上げ、慣れた手つきで火をつけた。
短く吸い込むと、幼い喉が焼けつくようにひりつく。
まるで自分の体をいじめるようなその刺激は、嫌いではなかった。

店主に命じられた通り、古い木のテーブルにやすりをかける。
長年使い込まれた木材はあちこちが逆立ち、油断すれば鋭いささくれが皮膚を深く裂く。
「がり、がり」と、乾いた音が静寂に響く。
客が怪我をして騒ぎ出すのは面倒だ。

リュクスがこの店、『リュミエール』に居座るようになったのは、いつからだったか。

店主は岩のように厳つい顔立ちで、地を這うような低い声の持ち主だ。
勿論、腕っぷしも強い。
だがその胸の奥には不器用な情けが残っている。
適当に店を手伝っていれば、ここにいるのを許してくれる。

「……お前も、外で友達と遊んできたらどうだ」

帳簿をめくっていた店主が、顔を上げずに言った。

「んー。楽しくないし」

「表じゃ、みんなコマ回しに夢中だろうが」

「コマなんて持ってないもん」

「……買ってやろうか、一つくらい」

「いらない。それより、パンの耳ちょうだい」

リュクスは差し出されたパンの耳を素早く受け取ると、暖炉の前へ陣取った。

トングで挟み、揺れる火に翳す。

橙色の炎を見つめているうちに、ふと意識がどこかへ飛んだ。

気がついた時には、香ばしいはずの香りは鼻を突く焦げ臭さに変わっている。

「あ! やりすぎて炭になっちゃった」

「おい、食い物を無駄にするな」

「あはははははは」

リュクスの笑い声だけが、昼下がりの静かな店内に、頼りなく浮かんでいた。

やがて、開店の時間。

リュクスはテーブルを丁寧に拭き、ぼろ切れのような卓にカバーを広げる。
どうせすぐに酔っ払いにずらされるし、正直言って邪魔なだけだ。
それでも、この布一枚があるだけで、この掃き溜めが少しだけ「まともな場所」に見える。

本当は、真ん中に花瓶を置いて花でも飾りたい。
けれど、ここは酒場だ。
花を愛でに来るものはいないし、すぐに倒されて水浸しになるだろう。

そんな無意味なことはしない。

リュクスは、最初の客を待つ。
丸まった背筋を伸ばし、顔や身なりが汚れすぎていないか鏡の前で身だしなみを整えた。

自分は可愛い。
それは自惚れではなく、客たちの反応から導き出された客観的な事実だ。

そしてその可愛らしさは、容易く食べ物や小銭に化けることも理解していた。

店主が子供であるリュクスをこの場に置いているのは、その複雑な境遇を知っているのもあるが、他の理由もあるのだろう。

だがリュクスは、店主が思うよりずっと世の中の理を見極めていた。

していいこと、いけないこと。
許される甘えと、踏み越えてはいけない一線。

表の子供たちのように、遠慮なく欲しいとねだったり、地べたを這い回ってうるさく喚いて我儘を言ったりはしない。

空いた皿を下げ、テーブルを磨き、そのついでに、そっと客の視界に入る。
偶然、目が合ったふりをして、微笑むのだ。

「かわいいね。店主の息子かい?」

「違うよ。近所で、ちょっと手伝ってるだけ」

「偉いね」という称賛の後に続く台詞は、いつも決まっている。

「何か食べるか?」

客の思考は、手に取るようにわかった。

期待、同情、善意、そして「施しをした」という自己満足。

リュクスには彼らが何を求めているか、どう振る舞えば自分の腹が満たされるか計算できた。

一番理解できないのは、血の繋がらないあの父親だけ。

 ――俺に嫌われるより、
 ――上手く使えばいいのに。

そんな歪んだ思考を抱えながら、リュクスはまた一人、獲物を見定めて微笑んだ。

その瞳の奥には、子供らしい輝きなど、最初から一欠片も残っていなかった。

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