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3章
63 話 字を書く
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リュクスは、暇ができるたびに紙に字を書いた。
おじさんにもらった、あの紙だ。
紙は、なかなか手に入らない。
義理の父に見つかって捨てられたら困るから、店の中の、誰も見ない場所に隠していた。
リュクスを拾ったのは、”母”だった。
冬の寒い日、帝都中央広場の光の像の下に捨てられていた赤ん坊を、母は家に連れ帰った。
病弱で子を持てなかった母は、いつもそれを理由に、役立たずと義理の父に虐げられていた。
リュクスが来たことで、義理の父の罵倒はさらに増えた。
「血も繋がらねぇガキを拾ってきやがって」
「余計な口が増えた」
それでも母は、リュクスを手放さなかった。
義理の父はアルコールがやめられず、暇さえあれば酒を飲んでいる。
気分次第で、一月や二月かかりきりで荷運びの仕事をやることもある。
仕事が終われば、またしばらく家でごろごろし、稼いだ金もすぐに酒に変わる。
それでも義理の父は、月の薪代とギリギリのパン代ぐらいは家に入れるのだ。
母が折檻を受けそうになると、リュクスは間に入った。
小さな体で、義理の父の拳を受け止める。
ボロ家は、母の母が住んでいた家らしい。
あちこちが壊れていて、冬には隙間風が入り込む。
直す金はない。
母はいつも、申し訳なさそうな顔でリュクスを見た。
リュクスに、幸せな記憶はあまりない。
だけど生きていることには、感謝していた。
寒さで死にかけていたらしい自分を拾ってもらったこと。
それだけで、十分だと思っていた。
誕生日がわからないリュクスのために、母は建国記念日をリュクスの誕生日にしてくれた。
ある年の建国記念日の日のこと。
母は、新しいシャツを着せてやれないと嘆いていた。
だが、どこからか薬剤を手に入れてきて、リュクスの古いシャツを真っ白に洗ってくれた。
そして特別に、飴を一袋買ってきてくれたのだ。
綺麗な真っ白な服を着て、飴を口に入れて、リュクスは家を出た。
ところが運が悪く、ちょうど義理の父が帰ってきた。
酒が切れて腹が立っていた父は、リュクスの真っ白な服を見た。
言葉より早く、拳が飛んできた。
リュクスは地面に倒れ込んだ。
口の中で飴が割れ、尖った破片が頬の内側を傷つけ、血の味が広がる。
「金がねぇのに、新しいもんをこいつなんかに――」
父はリュクスからシャツを脱がせると、それを握りしめた。
「売ってくる」
踵を返し、父は去っていった。
リュクスは悲しみを感じなかった。
ただ、血の味がする飴を、最後まで舐めた。
リュクスは、そんなことでは落ち込まない。
近くには同じような境遇の子供がたくさんいたからだ。
――それでも皆、自分の本当の親だった。
もしも義理の父が自分の本当の親だったなら、殴られても、許せる気がした。
でもそうじゃないから、リュクスは期待しない。
リュクスは店主に手紙を書いてみた。
――俺は、パンのみみが食べたい。
店主は、その紙を手に取る。
「おお。リュクス、字が書けるようになったのか」
そう言いながら、パンの耳を差し出し、代わりに一枚の紙を渡した。
酒場のメニューだ。
「これは俺が書いたが、汚いだろう。お前が上手くなったら、書いてくれ。千リュートルやる」
――千リュートル。
この宿屋で、チップに千リュートルを置いていく客など、滅多にいない。
リュクスは頭の中で、千リュートルで買えるものを考えた。
飴だ……!
いや、母に新しい服を買いたい。
でも……毛布のほうがいいかな。
千リュートルじゃ、無理だぁ。
千リュートルを稼ぐのは、リュクスにとって大変なことだった。
その日、リュクスはまた手紙を書いた。
――いらっしゃいませ
――今日もワインはおいしい ですか?
――字を上手く書くには どうしたらいい?
それを、あの男に渡す。
男は目を通すと、微笑んで、リュクスの頭を撫でた。
「上手くなりたいのか?」
「うん。この店のメニュー、綺麗に書いたらおこづかいくれるって、店主が言ったんだ」
「ほう」
「俺、十回書いて、一万リュートル貯めたいな」
「何を買いたいんだ?」
「んー。ないしょ」
「はは。……まあ、書いてみろよ」
リュクスが書いた字を、男はしばらく眺める。
「ふむ。店主より、うまいぞ」
「んー。おじさん、書いてみてよ」
「あぁ……」
男が紙に筆を走らせた瞬間、リュクスは息を呑んだ。
――なんだこれ。
本の字よりも、美しい。
均整が取れていて、迷いがなく、まるで看板の文字みたいだ。
「すごい……きれいだね。おじさんの字」
「ははは。字が綺麗だといいぞ」
男は軽く言う。
「性根が悪い人間でも、清く正しい人間だと思われるからな」
「なるほど」
「字が綺麗だと、育ちまで良いと思われる」
「……」
「金も稼げるしな」
その日から、リュクスは男の字を真似て練習した。
線の長さ、角度、間隔。
そして、あるとき気づく。
――あ。
字を綺麗に書くって、字を書くんじゃない。
形を書くんだ。
「精進あるのみだ」
男は、それ以上何も言わなかった。
ある日、店主がリュクスに尋ねた。
「なあ。あのお客さんだが……お前と話してるところ以外で、喋ってるのを見たことがない。何を話してるんだ?」
「本くれるから、読んだり?」
「ああ。それで字を覚えたのか」
「そう。メニューの字、練習してるからな! 千リュートルのこと、忘れないでね?」
「もちろんだ」
リュクスは、また紙を隠し場所に戻した。
おじさんにもらった、あの紙だ。
紙は、なかなか手に入らない。
義理の父に見つかって捨てられたら困るから、店の中の、誰も見ない場所に隠していた。
リュクスを拾ったのは、”母”だった。
冬の寒い日、帝都中央広場の光の像の下に捨てられていた赤ん坊を、母は家に連れ帰った。
病弱で子を持てなかった母は、いつもそれを理由に、役立たずと義理の父に虐げられていた。
リュクスが来たことで、義理の父の罵倒はさらに増えた。
「血も繋がらねぇガキを拾ってきやがって」
「余計な口が増えた」
それでも母は、リュクスを手放さなかった。
義理の父はアルコールがやめられず、暇さえあれば酒を飲んでいる。
気分次第で、一月や二月かかりきりで荷運びの仕事をやることもある。
仕事が終われば、またしばらく家でごろごろし、稼いだ金もすぐに酒に変わる。
それでも義理の父は、月の薪代とギリギリのパン代ぐらいは家に入れるのだ。
母が折檻を受けそうになると、リュクスは間に入った。
小さな体で、義理の父の拳を受け止める。
ボロ家は、母の母が住んでいた家らしい。
あちこちが壊れていて、冬には隙間風が入り込む。
直す金はない。
母はいつも、申し訳なさそうな顔でリュクスを見た。
リュクスに、幸せな記憶はあまりない。
だけど生きていることには、感謝していた。
寒さで死にかけていたらしい自分を拾ってもらったこと。
それだけで、十分だと思っていた。
誕生日がわからないリュクスのために、母は建国記念日をリュクスの誕生日にしてくれた。
ある年の建国記念日の日のこと。
母は、新しいシャツを着せてやれないと嘆いていた。
だが、どこからか薬剤を手に入れてきて、リュクスの古いシャツを真っ白に洗ってくれた。
そして特別に、飴を一袋買ってきてくれたのだ。
綺麗な真っ白な服を着て、飴を口に入れて、リュクスは家を出た。
ところが運が悪く、ちょうど義理の父が帰ってきた。
酒が切れて腹が立っていた父は、リュクスの真っ白な服を見た。
言葉より早く、拳が飛んできた。
リュクスは地面に倒れ込んだ。
口の中で飴が割れ、尖った破片が頬の内側を傷つけ、血の味が広がる。
「金がねぇのに、新しいもんをこいつなんかに――」
父はリュクスからシャツを脱がせると、それを握りしめた。
「売ってくる」
踵を返し、父は去っていった。
リュクスは悲しみを感じなかった。
ただ、血の味がする飴を、最後まで舐めた。
リュクスは、そんなことでは落ち込まない。
近くには同じような境遇の子供がたくさんいたからだ。
――それでも皆、自分の本当の親だった。
もしも義理の父が自分の本当の親だったなら、殴られても、許せる気がした。
でもそうじゃないから、リュクスは期待しない。
リュクスは店主に手紙を書いてみた。
――俺は、パンのみみが食べたい。
店主は、その紙を手に取る。
「おお。リュクス、字が書けるようになったのか」
そう言いながら、パンの耳を差し出し、代わりに一枚の紙を渡した。
酒場のメニューだ。
「これは俺が書いたが、汚いだろう。お前が上手くなったら、書いてくれ。千リュートルやる」
――千リュートル。
この宿屋で、チップに千リュートルを置いていく客など、滅多にいない。
リュクスは頭の中で、千リュートルで買えるものを考えた。
飴だ……!
いや、母に新しい服を買いたい。
でも……毛布のほうがいいかな。
千リュートルじゃ、無理だぁ。
千リュートルを稼ぐのは、リュクスにとって大変なことだった。
その日、リュクスはまた手紙を書いた。
――いらっしゃいませ
――今日もワインはおいしい ですか?
――字を上手く書くには どうしたらいい?
それを、あの男に渡す。
男は目を通すと、微笑んで、リュクスの頭を撫でた。
「上手くなりたいのか?」
「うん。この店のメニュー、綺麗に書いたらおこづかいくれるって、店主が言ったんだ」
「ほう」
「俺、十回書いて、一万リュートル貯めたいな」
「何を買いたいんだ?」
「んー。ないしょ」
「はは。……まあ、書いてみろよ」
リュクスが書いた字を、男はしばらく眺める。
「ふむ。店主より、うまいぞ」
「んー。おじさん、書いてみてよ」
「あぁ……」
男が紙に筆を走らせた瞬間、リュクスは息を呑んだ。
――なんだこれ。
本の字よりも、美しい。
均整が取れていて、迷いがなく、まるで看板の文字みたいだ。
「すごい……きれいだね。おじさんの字」
「ははは。字が綺麗だといいぞ」
男は軽く言う。
「性根が悪い人間でも、清く正しい人間だと思われるからな」
「なるほど」
「字が綺麗だと、育ちまで良いと思われる」
「……」
「金も稼げるしな」
その日から、リュクスは男の字を真似て練習した。
線の長さ、角度、間隔。
そして、あるとき気づく。
――あ。
字を綺麗に書くって、字を書くんじゃない。
形を書くんだ。
「精進あるのみだ」
男は、それ以上何も言わなかった。
ある日、店主がリュクスに尋ねた。
「なあ。あのお客さんだが……お前と話してるところ以外で、喋ってるのを見たことがない。何を話してるんだ?」
「本くれるから、読んだり?」
「ああ。それで字を覚えたのか」
「そう。メニューの字、練習してるからな! 千リュートルのこと、忘れないでね?」
「もちろんだ」
リュクスは、また紙を隠し場所に戻した。
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