下っ端公務員の俺は派遣のαに恋してる【完結済】

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深夜の訪問

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 ロータリーで目が合ったのは、ほんの数秒だった。
 その一瞬で、自分の格好の貧相さに気づいてしまったのが、運の尽きだ。
 せめて社会人の矜持だけは――そう思って、小さく会釈してその場を抜ける。
 

 そのあとは実家でごろごろし、母を迎えに行き、家で親父と弁当を食べた。
 どこにでもある休日のはずだった。

 ……なのに、夜は違った。

 自転車でアパートに戻る途中、ポケットの中のスマホが震えた。
 実家に忘れ物でもしたかと慌てて取り出す。
 けれど、画面に表示された名前を見た瞬間、手が止まった。
 ――朝比奈。
 着信履歴には、何度も同じ名前が並んでいた。
 まだ既読もつけていないのに。
 明日も職場で会うのに、どうして今――。
 シャワーを浴びながら、頭の中で「かけ直す」「かけ直さない」を百回くらい往復した。
 湯気が消えるころ、ようやく決心をつけてスマホを手に取る。

 既読。発信。三度のコール。
 ――出た。

「……あ、こんばんは」

「こんばんは」

「折り返してくれて、ありがとうございます」

「いえ、どうしました?」

「あの、今から行ってもいいですか?」

「へ? いや、もうお風呂入っちゃったし」

「お風呂入ったの、何がいけないんです?」

 電話の向こうで、くすっと笑う声。
 くぐもったその響きに、喉がからからになった。

「だ、だめですって……」

 理性が湯気ごと蒸発していく。

「……今、通話しながら住所を送ってください」

 世界が、一瞬止まった。
 指が勝手に動く。
 送信音が鳴った瞬間、胸の奥で何かが崩れた気がした。

 もう、戻れない。

 外は深く静かで、髪の先が冷たくなっていた。
 時計の針が進む音が、やけに大きい。

 三十分後、再びスマホが震える。

〈すぐ近くです〉

 その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
 外灯の下、足音が近づく。
 インターホンは鳴らなかった。けれど、そこに“彼”がいた。
 玄関を開けると、いつもの穏やかな笑み。
 手にはコンビニの袋。中には見慣れた缶――ストゼロ。

「来ちゃいました」

「お、お酒買ってきてくれたんですか?」

「ああ、ストゼロってこれで合ってます? 野々宮さん、好きって言ってましたよね」

(好きなわけではない。断じて。安く酔えるだけだ!)

 心の中で叫ぶ俺をよそに、彼はまっすぐ笑った。
 その笑顔が眩しすぎて、視界のピントが狂う。

「あ、僕もお風呂入ってきました」

(な、なぜ!?)

 風呂上がりの髪がまだ湿っていて、首筋に沿って雫が落ちていく。
 光を反射して、まるで“見せている”ようにさえ思える。

……いや、違う。天然だ。いや、たぶん計算だ。いや、計算天然か?
とりあえず上がってもらうと、(さきほど慌ててコロコロをかけたのだ)彼はラグの上に座り、袋を開ける。
缶を二つ、スナック、あたりめ、チーズケーキ。
チーズケーキ。しかもフォークが二つ。

……可愛い。

もうだめだ。俺の理性、チーズケーキで溶けた。
いや、待て。

俺の理性が解けたところで、どうしようもない。
ただ見とれるだけが関の山だ。

これまで童貞として生きてきた自分を、初めて誇らしく思えた。

世の中には、踏み込まない勇気というものもあるのだ。……たぶん。
自分から何かをする度胸なんて、寸分もない。

でも、それでいい。

だから――大丈夫だ、朝比奈さん。
年長者の誇りにかけて、僕は君を守る……。


 (間)


……などと、言ってる時点でダメだと思う。
守るどころか、すでに陥落寸前ではないか。

朝比奈さんは、そんな俺の混乱を知ってか知らずか、
穏やかに笑ってチーズケーキを取り分けてくれた。

「野々宮さん、フォーク」

 その何気ない仕草一つで、また世界が傾く。

 ……だめだ、俺の理性、フォークより脆い。

(考えろ!考えろ野々宮譲!)

俺はβだ。βでいなければならない。

今日を何事もなく完遂すること――それが俺のミッション・インポッシブルだ。

朝比奈さんはストゼロを差し出した。

「乾杯、ですかね」
「乾杯っ!!!」

缶が小さく触れ合う。


しかし、こんな夜に男の部屋に来て、ゴールデンタイムのバラエティを肴に飲むなんて。
……健全交際? そんなはずがない。

焦らしている。絶対にそうだ。
あんな堂々とキスして、手まで繋いできたのに。

これは――αによる高度な焦らし戦術。

朝比奈さんはごくごくとジュースのようにストゼロと飲んでいた。

「お酒、強いの? 結構それ、度数高いけど」

「うーん。弱いです」

その笑顔の破壊力――度数より高い。

やがて朝比奈さんは、“人をダメにするソファ(類似品)”にもたれ、頬をほんのり赤くしていた。
スマホをいじりながら、緩やかに時間を溶かしていく。

 ……まるで、俺の理性を巻き添えにして。

俺は酔いからかふと呟いた。

「なんかでも、こういうの、久しぶりだな」

「こういうの?」

「学生時代に戻ったみたいで」

「僕は……こういう時間を過ごしたことはないですね」

予想外の返答に俺は困惑した。


朝比奈さんがこちらを見た。
目の奥が、どこか霞んで見える。
酔っているのは、どちらだろう。

「野々宮さん」

「……はい」

一呼吸。

唇が、何かを言おうとして――やめた。

息が近い。体温が混ざる。
この距離は、もう、理性の領分ではない。


「……酔ったみたいです」




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