『借景の婚約者 ― 学院長代理の計算違い』

星乃和花

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第5話 学院祭と“借景”の微笑み

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 王立レーヴァンス学院の一年で、一番きらびやかな日。

 それが、学院祭の日だ。

 中庭には色とりどりのテントが並び、各学科が趣向を凝らした展示や屋台を出している。
 音楽学科の生演奏が風に乗り、魔道具学科の実験ショーからは歓声が上がる。

 家政学科は今年も例にもれず、お茶会形式のカフェを開いた。

 テーマは「寄付者を迎える午後のお茶会」。
 学院のイメージそのままに、上品で、それでいて温かい空間を目指して――。

「リラ、そのリボン、やっぱり似合うね!」

「ほんと、看板娘って感じ」

「か、看板って……そんな」

 控室でエプロンドレスの裾を整えていると、同級生たちが嬉しそうに声をかけてくる。

 今日の私は、家政学科の制服に、特別に用意された淡い水色のエプロンドレスを重ねていた。
 胸元には、シルバーグレーのリボン。
 髪も、いつもの三つ編みではなく、先生――セドリック様から「もう少し華やかに」と助言をもらって、ハーフアップに結い直してある。

(……自分じゃないみたい)

 鏡に映る姿を見ながら、胸のあたりが少しそわそわした。

「じゃあ、リラ。そろそろ行こっか。最初の席、もうすぐ埋まるって」

「うん!」

 家政学科の教室を改装したお茶会会場に入ると、すでに何組かの招待客が来ていた。

 長机には白いクロスがかけられ、花瓶には季節の花。
 焼き上がったばかりのクッキーやケーキが、銀のトレイの上に整列している。

(ここまで来たら、あとはやるだけ……!)

 私は気合を入れ直し、笑顔をつくってお客様を迎えた。

     ◇

「本日のレモンクッキーはこちらになります。紅茶は、こちらのブレンドがおすすめです」

「まあ、爽やかで美味しいわ」「このレモンの香り、上品ね」

 寄付者の奥様方が、嬉しそうにクッキーを口にしてくれるたび、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 あの日、ルークやセドリック様に味を見てもらって調整した配合が、ちゃんと届いている。

「リラ、次のテーブル、お皿の交換お願い」

「はーい!」

 忙しさと楽しさで、時間の感覚があっという間に溶けていった頃――

「――そろそろですね」

 家政学科の先生が、私の耳元でそっと囁いた。

「例のお茶席、準備できてる?」

「あ……はい!」

 今日、学院祭の中でもひときわ注目されている特別企画。

 ――「学院長代理と、その婚約者がお迎えする特別お茶席」。

 寄付者たちとの距離を縮めるために、セドリック様が提案したものだ。

 学院長室では堅苦しくなりがちな話を、少し砕けた雰囲気でできるように、という配慮らしい。

 その“婚約者役”として、私も一緒に座ることになっている。

(いよいよ、借景の婚約者として、お披露目……)

 想像しただけで、ひざのあたりがふるっと震えた。

「大丈夫よ、リラ」

 先生が、私の背中をぽん、と軽く叩く。

「いつも通りのお茶会だと思って。あなたなら大丈夫」

「……はい!」

 深呼吸をひとつ。

 私はトレイを持ち直し、特別席へと向かった。

     ◇

 特別お茶席は、お茶会会場の一角――大きな窓のそばに設けられていた。

 丸テーブルがひとつ。
 その向かい合う席に、すでにセドリック様が座っている。

 今日の彼は、いつもの三つ揃えではなく、少しだけカジュアルダウンしたスーツ姿だった。
 それでも十分にきちんとしていて、胸元のチーフがさりげなく学院の色を差している。

(……やっぱり、絵になるなあ)

 ぼんやり見とれそうになったところで、自分で自分を止める。

(だめだめ。今日は“婚約者として”隣に座るんだから、しっかりしないと)

「お待たせしました」

 そっと声をかけると、セドリック様が顔を上げた。

 私の姿を見て、一瞬だけ目を瞬く。

「……よく似合っていますね、そのエプロンドレス」

「えっ」

 思わず足が止まってしまう。

「い、いえ、その。家政学科のみんなと同じものですし……」

「色もデザインも同じはずなのに、なぜか君のものが一番目立って見えるのは、私の目の錯覚でしょうか」

「さ、錯覚……だと思います」

(錯覚であってほしい……!)

 顔から火が出そうになりながらも、なんとかテーブルの横までたどり着く。

「では、そろそろ始めましょうか」

 先生はすっと立ち上がり、私のほうへ手を差し出した。

「どうぞ、こちらへ。――婚約者席です」

「き、緊張します……」

「緊張するのは、悪いことではありません。雑な対応をしないためのブレーキにもなりますから」

 いつものように理屈で返される。
 でも、その目元は、いつもより少し柔らかかった。

 差し出された手に、自分の手を重ねる。

 指先に触れた瞬間、胸の奥で何かがかちりと鳴った気がした。

 ふたりで席に着くと、すぐに最初の招待客が案内されてきた。

「こんにちは。ようこそ、お越しくださいました」

 セドリック様が穏やかな笑みで迎える。

 私はその隣で、笑顔を作りながら、ティーポットに手を伸ばした。

「本日は、レモンと蜂蜜を使ったクッキーをご用意しております。
 こちらの紅茶と合わせますと、より香りが引き立ちますので、よろしければご一緒にどうぞ」

 いつも練習していた台詞を、なんとか噛まずに言い切る。

 招待された夫婦が、柔らかく笑い返してくれた。

「まあ、素敵なお嬢さんね」

「学院長代理殿のご婚約者は、家政学科の方でしたか」

 その言葉に、胸がきゅっとなる。

(あ、今、完全に“婚約者”として見られてる……)

 “仮”なのに。
 借景なのに。

 でも――

「ええ。家政学科はこの学院の誇りですから」

 セドリック様が、当たり前のように言った。

「彼女はその中でも、特に努力家で優秀な学生です。
 学院が大切に育てている人材のひとりを、私もまた、大切にお預かりしているというわけです」

「まぁ……」

「それはそれは」

 夫婦の視線が、私に向けられる。

 恥ずかしくて、でも、嬉しくて。
 胸の中が、よくわからない温度でいっぱいになった。

(“大切にお預かりしている”って……)

 その言葉だけが、頭の中で何度も反芻される。

「ねぇ、学院長代理殿。将来的には、ご自身のお宅でも、こんな素敵なお茶会を?」

「そうですね。――彼女さえよければ」

 さらりと私に話を振ってくる。

「リラ」

「は、はいっ」

「どうですか。将来、自宅でも今日のようなお茶会を開くのは」

「えっと、その……」

 急に振られて、頭が真っ白になる。

 だけど、テーブルの上に並んだクッキーたちと、お客さまの笑顔を見ていると、自然と言葉が出てきた。

「嬉しいと思います。
 今日みたいに、誰かが嬉しそうにお茶を飲んでくれるのを見るの、好きなので。
 自宅でも、それができたら……きっと、とっても幸せだなって」

 言ってから、自分で自分の言葉に驚いた。

(“自宅”って、誰の……?)

 思考がそこまでたどり着く前に、セドリック様が静かに笑う。

「――そういうことです」

 招待客たちは、目を細めてうなずいた。

「素敵なご計画ですわね」

「学院も、お二人も、安泰というわけだ」

 そんな会話の断片が耳に入るたび、胸の奥が少しずつ重ね塗りされていく気がする。

(“借景”のはずなのに……)

 ふと窓の外を見ると、学院の庭が見えた。

 青々とした芝生、色とりどりの花、学生たちの笑い声。

 あの日、私はここを「お借りしている景色」だと思った。

 でも今は――。

     ◇

 特別お茶席は、予想以上に盛況だった。

 入れ替わり立ち替わり招待客が訪れ、セドリック様と私に声をかけていく。

 そのたびに、私はお茶を注ぎ、お菓子を勧め、笑顔を返した。

「ふぅ……」

 最後の組を見送ったあと、思わず肩の力が抜ける。

「お疲れさまです」

 すぐ横で、セドリック様が声をかけてくれた。

「もう少しで、家政学科のお茶会も閉会ですね」

「はい。……なんとかやり切れた気がします」

「十分以上の働きでしたよ」

 そう言ってもらえると、心の中で小さくガッツポーズをしたくなる。

 そのとき、家政学科の先生が近づいてきた。

「アーデン先生、お茶会の片付けはこちらでやりますので、リラは少し外の空気を吸ってきてください」

「えっ」

「だいぶ頑張ってくれてたからね。顔が少し赤いわよ?」

「たぶん、さっきの奥様の『素敵なお二人ね』って言葉のせいです……」

 つい本音が漏れてしまう。

 先生はくすっと笑い、セドリック様のほうを向いた。

「よかったら、お連れになってください。大切な婚約者さんが倒れでもしたら、大変でしょう?」

「……仰る通りですね」

 ほんの少しだけ真顔になって、彼は頷いた。

「では、少し中庭を歩きましょうか。リラ」

「はい」
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