乙女心が呪い扱いされて検査された結果、診断名が「恋」に変更されました

星乃和花

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第5話 再現実験(最悪)(=恋心耐久テスト)

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 最初に言っておくべきだろう。

 クロードは悪意がない。
そして、悪意がないからこそ、質が悪い。

 リィナは朝の茶会――もとい“解呪茶による安定化”を終えたあと、机に向かって実験記録の整理をしていた。指先には、昨日渡された簡易の安定符がまだ少し温かい。

(大丈夫。今日は作業だけ。検査は終わった。たぶん……)

 その“たぶん”を、隣室からの声があっさり否定する。

「リィナ。追加検査」

 追加。

(追加って……検査って、増えるものなの……?)

 リィナは心臓を落ち着かせるふりをしてノックした。

「失礼します……」

「入って」

 執務室に入ると、クロードは机にノートを開き、すでに準備万端だった。
砂時計。記録用の羽ペン。測定器具。
そして、リィナ用の椅子が――また“隣”にある。

(隣が標準になってる……)

 リィナが座ると、クロードは淡々と告げた。

「今日は再現実験をする」

「……再現、ですか」

「うん。原因刺激の特定を進める。昨日までで“距離”と“声”の相関が強いと分かった」

(分かったんじゃなくて、分かってほしくない……!)

 リィナは平静を装って頷いた。

「……では、距離と声の調整を……」

「それに加えて、今日から“呼び方”を変数に加える」

「……呼び方……?」

 クロードは真顔で頷いた。

「君は普段、僕を“先生”と呼ぶ」

「はい」

「時々、緊張が強いときは“クロード先生”とフルで呼ぶ」

(緊張……バレてる……?)

「逆に、作業に集中しているときは、呼ばない」

 淡々と観察結果を述べられ、リィナは消えたかった。

「だから、呼び方が症状に影響している可能性がある」

 クロードはノートに書き込む。

『変数:呼称(先生/クロード先生/呼ばない)』

 リィナの心臓が嫌な音を立てた。

(やめて……私の乙女心を、研究対象にしないで……)

「では、開始する」

 クロードは砂時計をひっくり返した。

「第一条件。距離:遠。呼称:先生」

 クロードは一歩下がり、いつも通りの声で言った。

「先生」

 リィナが反射で呼び返す。

「はい、先生」

 クロードはリィナの頬を見て頷く。

「反応、軽」

(そりゃ、まだ耐えられる……)

「第二条件。距離:近。呼称:先生」

 クロードが一歩近づく。
その距離だけで、胸が跳ねる。

「先生」

「……はい、先生」

 リィナの返事が少し遅れる。

「反応、増」

(やめて……記録しないで……)

「第三条件。距離:近。呼称:クロード先生」

 リィナは固まった。

「……えっと……」

「呼んで」

 クロードは真顔だ。
研究者の真顔は、逃げ場をくれない。

「……ク、クロード先生……」

 言った瞬間、頬が熱くなる。自分の声が甘く聞こえてしまって、恥ずかしさで耳まで熱い。

 クロードは頷いた。

「反応、大」

(反応、大じゃない……私が限界……!)

 クロードはさらに続ける。

「第四条件。距離:極近。呼称:クロード先生」

「……きょくきん……?」

 リィナの声が震えた。

「近づく」

 クロードが当然のように一歩、さらに近づいた。

 視界がクロードの胸元と眼鏡の縁で埋まる。息が当たる距離。
リィナの脳が真っ白になる。

「……クロード先生……」

 絞り出した声は、もう完全に乙女のそれだった。

 クロードの瞳が僅かに細まる。

「反応、最大」

(最大って言わないで……!)

 リィナは思わず、両手で顔を覆いたくなった。

 そのとき。

 机の上で「にゃ」と短く鳴く声がした。

 モカが、いつものようにノートの上に座っている。
尻尾が、ぴし、と一度だけ揺れた。

 ――やめな。

 セスの声が、廊下から聞こえた。

「先生、追加報告――……あ」

 扉が開き、セスが顔を出す。そして状況を見て固まった。

 クロードはリィナに極近。
リィナは真っ赤。
机上には「変数:呼称」。

 セスは静かに扉を閉め、三秒後にもう一度開けた。現実を受け入れるために二度見したらしい。

「……先生、何してるんですか」

「再現実験」

「恋心の再現実験にしか見えませんけど」

「恋心ではない。呪いだ」

「呪いなら尚更距離と呼び方を詰めるのやめてください!」

 セスは胃を押さえて叫んだ。

 クロードは微動だにしない。

「原因刺激の特定が優先だ」

「原因刺激は先生本人です!」

 セスが叫んだ。
リィナの頬がさらに熱くなった。

 クロードが首を傾げる。

「僕が原因なら、なおさら確認が必要だ」

「確認しなくていいです!」

 セスは本気で頭を抱えた。

「リィナ、大丈夫です? 心臓、止まってません?」

「……止まってないです……」

 止まっていたら楽だったかもしれない。
動きすぎて苦しい。

 クロードはふと、リィナの顔を覗き込んだ。

「……苦しいか」

 その問いかけだけは、いつも正確だ。

 リィナは小さく頷いた。

「……少し、だけ」

 本当は“かなり”。でも言えない。

 クロードは真剣な顔で頷いた。

「分かった。刺激を下げる」

(やっと……!)

 リィナが内心で安堵しかけた瞬間――

 クロードは、別の紙を取り出した。
タイトルが目に入る。

『刺激低減策
・距離を一定に固定(隣席)
・呼称を統一(名前呼び)
・接触は安全確認時のみ(手首・額)』

 リィナの目が点になった。

(刺激低減……? 名前呼び……?)

「先生、それ、低減になってません」

 セスが冷静に言った。胃を押さえたまま。

「低減だ」

「低減じゃないです」

 クロードは淡々と言った。

「呼称を統一すれば、変動が減る」

「変動が減っても心臓は死にます」

 セスのツッコミが鋭すぎて、リィナは咳払いで誤魔化した。

 クロードは真剣な顔のまま、リィナを見た。

「では、呼称を統一する。――リィナ」

 名前。

 呼ばれただけで、胸がぎゅっとなる。

「……はい」

 返事が小さくなる。

 クロードは頷いた。

「反応、増加。だが安定している」

(増加してるのに“安定”って何……!)

 セスが壁に額を当てた。

「……胃が終わる……」

 モカが「にゃ」と鳴いた。
多分、「今さら?」という顔だ。

 クロードは淡々と続ける。

「次は接触の有無で比較する」

「……接触……」

「手首」

 クロードが当然のようにリィナの手首を取った。

 今日のそれは、検査というより――安心させるための握り方に近かった。
しっかり、でも痛くない。逃げないように、ではなく、落ち着くように。

 リィナの胸が、じわっと温かくなる。

(……ずるい……)

 クロードはリィナを見て、少しだけ眉を寄せた。

「……涙?」

「えっ」

 リィナは慌てて瞬きをした。
泣くつもりなんてなかった。
ただ、嬉しくて、苦しくて、甘くて。

「……大丈夫です」

 リィナが言うと、クロードは一瞬だけ、迷うように目を伏せた。

 そして、言った。

「大丈夫にする」

 その言葉と一緒に、クロードの親指が、リィナの手首を一度だけ撫でた。

 ほんの一度。
なのに、世界が静かになった。

 セスが呻いた。

「……それ、検査じゃなくて……」

 クロードは真顔で答える。

「安全確認だ」

「安全確認の顔した溺愛です!」

 セスが叫び、モカが「にゃ」と同意した。

 リィナは笑ってしまいそうになって、泣きそうにもなって、結局、頬を赤くしたまま小さく言った。

「……先生、検査、長いです」

 クロードは頷いた。

「君が耐えられる範囲でやる」

(耐えられる範囲が、先生のせいでどんどん削れてます……)

 言えない。
言えないまま、恋心だけが試されていく。

 そしてリィナは気づいてしまった。

 この“再現実験”が終わったら、きっと次はもっと厄介な段階に進む。

 ――原因刺激を「排除」するのか、「管理」するのか。

 もし管理なら。
この甘さは、制度として固定される。

(……やめて。嬉しいのに、怖い)

 恋する乙女の心臓は、今日も試されていた。
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