乙女心が呪い扱いされて検査された結果、診断名が「恋」に変更されました

星乃和花

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第7話 解呪は失敗(当然)(=先生が静かに落ち込む日)

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 偽の呪い事件は、研究所中の結界を強化させ、警備を増やし、セスの胃薬を増やした。

 そして何より――クロードの「保護」は正式に正当化された。

 研究所の廊下には、いつの間にか掲示が貼られている。

『注意:呪い疑い案件発生につき、関係者の行動は監督責任者の指示に従うこと
対象:助手 リィナ(監督責任者:クロード)』

 ――名前が、堂々と。

(やめて……恥ずかしい……嬉しい……やめて……)

 リィナは隔離室(小部屋)に逃げ込むように戻り、机に突っ伏した。

 そこへ、ノック。

「リィナ」

 声がしただけで、胸が跳ねる。

「……はい」

 扉を開けると、クロードが立っていた。いつも通り整った白衣。いつも通りの落ち着いた顔――のはずが、今日はほんの少しだけ違った。

 目の下が、わずかに影になっている。
眉間の皺が、いつもより深い。

(……先生、寝てない……?)

「検査をする」

 いつもの言葉。
けれど、声にほんの少し疲れが混ざっている。

「……はい。先生、昨夜――」

「寝た」

 即答。
でも嘘だと分かる。クロードは嘘が下手だ。恋も嘘も知らない。

 リィナはそれ以上言わず、薬棚から解呪茶(ただの薬草茶)を用意した。

 その間、クロードは机に座り、ノートを開いたまま動かない。
視線が紙面にあるのに、文字が読めていない顔をしている。

(……落ち込んでる)

 クロードが落ち込むのは珍しい。
自分の失敗を認めないタイプではないが、感情を表に出すタイプでもない。

 リィナは湯を注ぎ、香りを整え、そっとカップを差し出した。

「……先生。お茶です」

 クロードは受け取り、一口飲んだ。

 いつもなら「良い」と言う。
けれど今日は、言わない。

 代わりに、ぽつりと呟いた。

「……解けない」

 リィナは一瞬、何のことか分からず固まった。

「……え?」

 クロードはカップを机に置き、眼鏡の奥で遠くを見るように言った。

「君の呪いが、解けない」

 リィナの胸がきゅっと痛む。

(呪いじゃない……恋だよ……)

 言えない。
でも、クロードが「解けない」と落ち込む理由は分かってしまう。

 彼は本気で、リィナを危険から救おうとしているのだ。
そして救えない自分を、許せない。

 クロードは淡々と言った。

「原因刺激の特定は進んだ。対処も整えた。環境も固定した。……それでも反応が残る」

 リィナはカップを握りしめた。

 残る。
それは恋が残るってこと。

「……先生」

「君が苦しいのに、僕は根本を取り除けない」

 クロードの言葉は淡々としているのに、そこに責めが混ざっていた。
自分を責めている。

 リィナは胸の奥がじんと熱くなった。

(先生……そんなに……)

 リィナは一歩踏み出しかけて、止まった。

(慰めたい。触れたい。近づきたい。……でも、近づいたら、また“症状”が出る)

 恋心が試される。

 そのとき、机の上で「にゃ」と声がした。

 モカが、今日もノートの上に座っている。
ただし今日は、いつもの“ツッコミ顔”じゃなくて、少しだけ静かな顔だった。

 ――行け。

 そんな顔。

 リィナは、息を吐いて、決めた。

 今日は、助手じゃなく――人として。

「先生。……解けないのは、先生のせいじゃありません」

 クロードの視線が、ゆっくりリィナに向く。

「僕のせいだ」

「違います」

 リィナは首を振った。

「先生は、私を守ってくれています。……私は、怖かったけど、先生が来てくれて……安心しました」

 クロードの眉間の皺が、ほんの少し緩んだ。

「安心……」

 リィナは頷く。

「はい。……先生の“すぐ来る”は、ちゃんと来るから」

 クロードはしばらく黙った。
彼は今、言葉を探している。いつもなら理屈で埋めるところを、理屈が足りない顔で。

 その沈黙が、リィナには苦しくて、でも嬉しかった。

(先生が、言葉を探してる……)

 リィナはそっと一歩近づいた。
それだけで、胸がどきんとする。
でも今日は、逃げたくなかった。

「先生」

 呼ぶと、クロードの瞳がわずかに揺れた。

「……何だ」

 リィナは、勇気を出して言った。

「……落ち込まないでください」

 クロードは、静かに言った。

「落ち込んでいない」

「落ち込んでます」

「……」

 言い返せない沈黙。

 リィナは笑いそうになって、でも笑うと軽くなる気がして、優しく続けた。

「先生が頑張ってくれるの、嬉しいです。でも……先生が苦しそうだと、私はもっと苦しいです」

 クロードの瞳が、少し大きくなる。

「僕が……?」

 リィナは頷いた。

「はい」

 その瞬間、クロードの表情がほんのわずかに崩れた。
“困った”みたいな顔。
“どうすればいい”みたいな顔。

 そして、彼は小さく息を吐いた。

「……君は、優しい」

 それは、研究者の評価ではなかった。
ただの、人の言葉だった。

 リィナの胸が、きゅっと詰まる。

(だめ……好きが増える……)

 増えるけれど、止めたくない。

 リィナはそっと、机の端に置かれた簡易の安定符を見た。
先日、クロードがくれたもの。

「先生。……それ、私には効きました」

「……本当に?」

「はい。先生がくれたから」

 クロードは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 そして、まるで意を決したように、リィナの手を取った。

 いつもの“検査”の握り方ではない。
いつもの“安全確認”の包み方でもない。

 ――迷いが混ざった、丁寧な握り方。

「……手が冷たい」

 理屈の言葉。
でも、指先は温かい。

 リィナは小さく笑った。

「先生、またそれ言いますね」

「事実だ」

「……はい。事実です」

 クロードの親指が、リィナの手の甲を一度だけ撫でた。
それだけで、胸が熱くなる。

 クロードは、静かに言った。

「君が苦しいのが嫌だ」

 淡々としているのに、強い。

 リィナは喉が詰まりそうになって、ゆっくり頷いた。

「……私もです」

「……何が」

(先生……そこ……)

 リィナは視線を落として、小さく言った。

「先生が苦しいのが、嫌です」

 クロードは黙った。
そして、まるで初めて気づいたみたいに、目を細めた。

「……そうか」

 その短い返事が、やけに優しかった。

 机の上でモカが「にゃ」と鳴いた。
いつものツッコミじゃなく、少しだけ満足そうに。

 ――よし。

 リィナは胸の奥が温かくなって、つい口が滑りそうになる。

(先生、それ、呪いじゃなくて恋です)

 でも言わない。

 言えない。

 言えないから、リィナは代わりにカップを差し出した。

「……お茶、もう一口どうぞ」

 クロードは頷いて飲んだ。
そして今度は、ちゃんと言った。

「……良い」

 昨日よりも、少し柔らかい声で。

 リィナは、胸の奥がじんと熱くなるのを、もう隠しきれなかった。

 頬が赤くなる。
心臓が跳ねる。

 クロードがそれを見て、真剣な顔で言った。

「……やはり解けない」

 リィナは、思わず笑ってしまった。

「……そうですね。解けませんね」

 その笑いの意味を、クロードはまだ知らない。

 でも、彼の手は離れなかった。
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