乙女心が呪い扱いされて検査された結果、診断名が「恋」に変更されました

星乃和花

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第8話 診断名の変更(=恋を“規定”にする男)

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 朝の研究所は、いつも通りに見えた。

 結界の点検、報告書の束、薬草の香り。
ただ一つ違うのは――廊下の掲示板に貼られた、例の紙だ。

『対象:助手 リィナ(監督責任者:クロード)』

 リィナはその前を通るたびに、心臓がきゅっと縮む。

(これ、いつまで……)

 解呪が終われば、隔離は解除される。
「規定」は終わる。
朝の茶会も、隣の椅子も、手首を取られることも――全部。

 そう考えると、胸が痛んだ。

 痛いのに、嬉しくて。
嬉しいのに、怖い。

 恋心が試されるとは、こういうことだ。

 リィナが隔離室に戻ると、扉の向こうからノックがした。

「リィナ」

 いつも通りの声。
だけど今日は――少しだけ、躊躇が混ざっている気がした。

 リィナは胸を押さえてから扉を開けた。

「おはようございます、先生」

「おはよう」

 クロードは執務室の前に立っていた。
いつも通り整った白衣。眼鏡。真面目な顔。
それなのに、どこか落ち着かない。

 彼はリィナをまっすぐ見て言った。

「今日、検査はしない」

 リィナは固まった。

「……え?」

「検査項目では、これ以上の有意差が出ない」

 クロードは淡々と言った。
つまり――研究者として“結論”に達した、ということだ。

 リィナの胸がどきんとする。

(結論……解呪……解除……?)

 不安が一気に押し寄せた。

 クロードは扉を開け、リィナを執務室へ招き入れた。
椅子は二つ、相変わらず隣に並んでいる。

 リィナが座ると、クロードはノートを閉じた。
その動作が、妙に重い。

「……リィナ」

 名前で呼ばれた瞬間、胸が締まる。

「はい」

 クロードは一度だけ息を吸って、言った。

「診断名を変更する」

 リィナは目を瞬いた。

「……診断名?」

「好意系呪い――ではない」

 その言葉が、リィナの耳に落ちた瞬間、胸の奥が熱くなった。

(……気づいた……?)

 クロードは続ける。

「君の反応は、外部からの干渉では説明がつかない。
 感染性もない。
 偽装事件の際、君は冷静に対処できた。呪いならもっと乱れるはずだ」

 淡々と、理屈で積み上げていく。

「つまりこれは――君の内側から起こっている」

 リィナは喉が詰まった。

(言わないで……でも……言って……)

 クロードは一瞬だけ言葉を探し、眉を寄せた。

 そして、はっきり言った。

「恋だ」

 世界が一瞬、止まった。

 リィナの胸が、すとんと落ちた。
落ちたはずなのに、すぐに跳ねた。
心臓が、信じられない速度で跳ねる。

「……」

 リィナは言葉を失った。

 クロードは、真面目な顔のまま続ける。

「……僕は、恋を病理として扱っていた」

(病理……!)

 笑いそうなのに、泣きそうで、リィナの視界が揺れた。

 クロードは小さく息を吐いた。

「君の反応は、僕に向いている可能性が高い」

 リィナの頬が一気に熱くなる。

(やめて……それ……言われたら……)

 言葉が出ない。
隠してきた恋が、研究者に証明されてしまった。

 クロードは淡々と、しかし妙に慎重に言った。

「……君は、僕を好きか」

 それは質問の形をしているのに、逃げ道がない。

 リィナは震える息を整えた。
恋心が試される。

 ここで否定したら、全部終わる。
肯定したら、全部変わる。

 リィナは、小さく頷いた。

「……はい」

 声が、消えそうだった。

 クロードは、驚いた顔をしなかった。
ただ、目を細めた。

 ――安心したみたいに。

「……そうか」

 短い言葉。
その短さが、胸に甘く刺さる。

 次の瞬間、執務室の扉がノックもなく開いた。

「先生! 朝の報告――」

 セスが顔を出し、部屋の空気を感じ取った瞬間、固まった。

 椅子は隣。
リィナは真っ赤。
クロードはノートを閉じたまま、妙に静か。

 セスはゆっくり扉を閉めた。
三秒後に、もう一度開けた。現実確認の二度見。

「……今、何が起きました?」

 クロードは淡々と答えた。

「診断名の変更」

「何の診断名ですか」

「呪い」

 セスは胃を押さえた。

「……やっとですか」

 クロードは頷いた。

「呪いではなかった」

「でしょうね!!」

 セスが叫び、すぐに声を落とした。

「で……先生。今度は何に変更したんです」

 クロードは真面目に言った。

「恋」

 セスの顔が崩れた。
胃と一緒に魂も抜けたような顔。

「……やっと……やっと……」

 セスは天井を仰いだ。

「……これで隔離解除ですね……」

 リィナの胸が、きゅっと痛む。
解除――。

 クロードが即答した。

「解除しない」

 セスが反射で叫んだ。

「解除してください!!」

「必要だ」

「何が必要なんですか!!」

 クロードは、真剣な顔で言った。

「対処だ」

「対処!? 恋の対処!?」

 クロードは頷いた。

「君が苦しくないようにする必要がある」

 セスは半笑いと半泣きの顔になった。

「先生、恋は呪いじゃないので、隔離で対処しないでください」

「隔離ではない。保護だ」

「言い換えても同じです!!」

 そのとき、机の上から「にゃ」と声がした。

 モカだ。今日も察している。
猫はノートの上に座り、尻尾を揺らす。

 ――はいはい、また規定にする気だね。

 クロードは猫を見て眉を寄せたが、すぐにリィナへ視線を戻した。

「リィナ」

 名前。
心臓が跳ねる。

「……はい」

「僕は恋の扱い方を知らない」

 その告白が、妙に真剣で、リィナの胸が甘くなる。

「だが、君を苦しませたくない」

 クロードは淡々と、しかし確かに言った。

「だから手順を作る」

(手順……!)

 セスが呻いた。

「やめて……」

 クロードは机の引き出しから、新しい紙を取り出した。
タイトルが書かれている。

『恋(リィナ)の対処手順(暫定)』

 セスが膝から崩れ落ちた。

「ほら来た……」

 クロードは淡々と読み上げる。

「一、朝の茶は継続(安定化)
 二、呼称は統一(リィナ)
 三、刺激が強い場合、接触で落ち着かせる(手首・額)
 四、落ち着かない場合――」

 クロードは一瞬だけ言葉を止めた。
そして、真面目に結論を出す。

「抱きしめる」

 セスが叫んだ。

「規定にするな!!」

 リィナの頬が爆発した。

「……!」

 クロードは首を傾げる。

「規定がないと、判断を迷う」

「迷ってください! 迷いながら学んでください!」

 セスのツッコミが切実すぎて、リィナは口元を押さえた。笑いそうで、泣きそうで、息が苦しい。

 クロードはリィナを見て、真剣に問う。

「……抱きしめるのは、嫌か」

 その質問だけは、ちゃんと“乙女心”に触れていた。

 リィナは震える息を整え、首を振った。

「……嫌じゃ、ないです」

 声が小さすぎた。
それでもクロードは聞き取ったらしく、静かに頷いた。

「分かった」

 そして彼は――本当に、手順通りに動いた。

 椅子から立ち上がり、リィナの前に回り、迷いのない動作で腕を伸ばす。

「……」

 リィナは息を止めた。

 クロードの腕が、リィナの肩を包んだ。
強くない。痛くない。
でも逃げ場がないくらい、確かに守られている。

 リィナの胸が、じわっと温かくなる。
怖かった“解除”の言葉が、遠ざかっていく。

 クロードが低い声で言った。

「……落ち着くか」

 リィナは、小さく頷いた。

「……はい」

 抱きしめられながら、リィナは思った。

(先生、乙女心は分からないのに……こういうことだけ、上手いのずるい……)

 セスが胃を押さえたまま、力なく言った。

「……もういいです。規定、貼っときます。
 『恋の対処:抱きしめる(毎日)』って」

 クロードは抱きしめたまま、真面目に言った。

「毎日は過剰では?」

 セスが即答する。

「過剰です」

 クロードは少し考えて、結論を出した。

「なら、必要なときに」

 セスが虚無の目で呟く。

「先生の“必要なとき”って、毎日ですよね」

 クロードは迷いなく答えた。

「そうだ」

「ほら!!」

 モカが「にゃ」と鳴いた。
――はいはい、毎日だね。

 リィナはクロードの腕の中で、小さく笑った。

 隠していた恋は、呪いじゃなかった。
診断名は変わった。
でも、状況は――もっと甘く、もっと逃げられなくなった。

 研究者は恋を知らない。
だから今日も、恋を“手順”にして守る。

 それは少し可笑しくて、少しずるくて、たまらなく幸せだった。

 ――恋心が試されるギャグ展開は、今日で終わったように見えて。

 たぶん、ここからが本番なのだ。

(毎日、抱きしめる……って規定……どうするの……私……)

 リィナは答えを出せないまま、ただクロードの胸に額を預けた。

 そして、胸の中で小さく呟く。

(……解呪なんて、失敗でよかった)

 恋は、解けない。
解けない方が――いい。
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