『階段対策会議(※恋愛)――年上騎士団長の健康管理が過剰です』

星乃和花

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第2話『初回対策会議:原因は階段、対策は手をつなぐ(なぜ)』

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 医務室は、清潔で、明るく、そして逃げ場がなかった。

 ベッドの端に座らされたクラリスは、膝の上で手を握りしめる。
 向かいでは騎士団長グラントが腕を組み、医官が困ったように咳払いをしていた。

 「……結論から申し上げますと、問題ありません」

 医官の声は、慎重に慎重を重ねた音だった。
 クラリスは胸の奥で(よし!)と拳を握る。

 「血圧、脈拍、呼吸、どれも正常範囲。過労も見られません」

 「正常……」

 グラントが復唱した。
 復唱の仕方が、検収である。

 「はい。ですので――」

 医官が「お帰りください」と言いかけたところで。

 「ならば、原因は階段だ」

 グラントが、真顔で言った。

 医官「……え?」

 クラリス(やめて)

 医官はクラリスの顔を見て、クラリスは床を見た。
 床は、よく磨かれている。

 「本人が申告した。階段で息が乱れる」

 「い、いえ、それは……」

 クラリスが慌てて口を開くと、グラントが即座に遮った。

 「申告は重要だ。否定するな」

 (申告が重要って……恋心を申告した覚えはありません……!)

 医官は、微笑みで場を整えようとした。
 だが相手はグラントである。微笑みは装飾として処理され、状況は動かない。

 「団長。階段で息が乱れる、というのは――」

 「転倒の予兆の可能性がある」

 医官「……はい?」

 クラリス(違うんですけど!!)

 医官は数秒固まり、やがて諦めたように頷いた。

 「……分かりました。では、まずは無理をしないこと。休息を――」

 「休息は義務として組み込む」

 「……はい。温かい飲み物と――」

 「用意する」

 医官は、もう笑うしかない顔になった。

 「……では、あの、恋――いえ、緊張などもありますので、周囲が温かく見守ると良いでしょう」

 クラリスは(今、恋って言いかけた!?)と顔が熱くなる。
 グラントは全く動じず、淡々と頷いた。

 「見守りは私が担当する」

 医官「……はい」

 (違う、違う、違う……!担当って……!)

 医務室を出るとき、医官はクラリスにだけ小声で言った。

 「……頑張ってくださいね」

 クラリスは、頑張る方向が分からなかった。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 その夜。

 騎士団長室の扉の前で、クラリスは深呼吸を三回した。
 仕事終わりの疲労。書類整理の疲労。
 そして何より――「毎晩会議」という未知の疲労。

 (会議。会議よ。対策会議。恋ではない。恋ではない――)

 ノックをすると、すぐに「入れ」と低い声が返ってきた。

 扉の向こうは、グラントの部屋らしく無駄がなかった。
 机、地図、報告書、整列された筆記具。
 椅子が二脚、向かい合うように置かれている。

 (……二脚。つまり、二人。)

 クラリスの心臓が、さっそく不穏に跳ねた。

 「座れ」

 グラントが椅子を引いた。クラリスのために。

 (やめて……そういうさりげないの……そういうのが……)

 クラリスは礼儀正しく座り、背筋を伸ばした。
 その正面に、グラントが座る。

 距離が、近い。

 机の上には、白い紙が一枚。
 その上に、グラントの几帳面な字でこう書かれていた。

 ――【階段対策会議 議題】

 クラリスは安心した。
 (よかった。ちゃんと階段。)

 グラントは、紙の端を指で揃え、淡々と口を開いた。

 「議題は三つだ。今日言った通りだが、詳細を詰める」

 詳細。
 恋心を詰めないでほしい。詳細にしないでほしい。

 「まず、“階段の利用頻度”の把握。クラリス、業務動線を説明しろ」

 「は、はい」

 クラリスは、騎士団本部の構造を頭に描きながら話し始めた。
 経理室、倉庫、食堂、団長室、訓練場――移動は多い。

 「……それで、書類を届ける時に階段を……」

 「何段だ」

 「え?」

 「何段上り下りする」

 クラリスは数えたことなどない。

 「……た、多分、六十段くらい……?」

 グラントが紙に書き込む。
 まるで危険物の管理表である。

 「頻度は」

 「えっと……一日に……往復で……三回……」

 「一日に階段を六回。書類の重量も加味すると――」

 グラントが視線を上げた。

 「過剰だ」

 (過剰……? 私の恋心が……?)

 クラリスが口を開くより早く、グラントは結論を出した。

 「以後、階段は避ける。代替動線を確保する」

 「で、でも、団長室は二階で……」

 「私が降りる」

 「……え?」

 「君が上がる必要はない」

 クラリスは一瞬、言葉を失った。

 (団長が……降りる……?私のために……?)

 その「ために」を、口に出せないから苦しい。

 「次。補助」

 グラントは議題を容赦なく進める。
 クラリスの心臓の動揺が置き去りにされるスピードだ。

 「荷物は私が持つ。段差は私が先に確認する」

 「団長、それは……」

 「反論の根拠は」

 根拠。
 “恥ずかしいから”は根拠にならない。
 “私がときめくから”は死んでも言えない。

 クラリスは、最も無難なカードを切った。

 「……周りの目が……」

 「周りの目は、危険ではない」

 (危険です。私の心に危険です……!)

 グラントは一拍置いて、まるで思いついたように言う。

 「ならば、人目の少ない動線を使う」

 (解決の方向が……!)

 そして、紙にさらさらと書き足す。

 「“人目の少ない動線”は、夜間巡回ルートと兼用できる。効率がいい」

 クラリスは机に突っ伏したくなった。

 (つまり……夜に……二人で……人目の少ない廊下を……歩く……?)

 「最後。再発時の即時対応」

 グラントがクラリスを見た。
 視線がまっすぐすぎて、逃げられない。

 「呼吸が乱れたら報告しろ。隠すな」

 「……はい」

 「口頭で」

 「……はい」

 「その場で」

 「……はい」

 返事を重ねるほど、クラリスは自分が小さくなっていく気がした。
 そしてそれを、グラントは“遵守”と解釈する。

 「よし。実地確認に移る」

 「……実地?」

 「動線の確認をする。今すぐ」

 クラリスの心臓が、また跳ねた。

 (今すぐ!? ここから!? 夜の本部!?)

 グラントは立ち上がり、当然のように外套を羽織った。
 クラリスも慌てて立ち上がる。

 団長室を出ると、夜の廊下は静かだった。
 昼とは違う空気。足音が大きく聞こえる。

 「……団長、本当に今から……」

 「危険は先延ばしにしない」

 (恋を危険にしないでください……!)

 廊下を曲がった先に、例の階段が見える。
 クラリスは反射的に息を飲んだ。

 「……乱れた」

 即、グラントの声。

 クラリスは慌てて口元を押さえる。

 「ち、違っ……今のは……」

 「報告しろ」

 「……え?」

 「再発だ。報告」

 クラリスの喉がきゅっとなる。
 (言えない。言えない。『団長を見ると』なんて――)

 クラリスは、苦し紛れに言った。

 「……階段、が……」

 「よし。対策を実施する」

 グラントは一歩前に出て、階段の手すりを確かめた。
 そして、クラリスに手を差し出した。

 「手を取れ」

 クラリスの脳が一瞬、停止した。

 「え……」

 「転倒防止。手」

 (転倒防止の手じゃない……これは……手……!)

 クラリスは一秒だけ抵抗しようとした。
 だが相手はグラントである。

 「拒否の理由は」

 理由。
 乙女心です。
 ――言えない。

 クラリスは、震える指先で、そっとその手に触れた。

 大きい。熱い。
 冷たい人だと思っていたのに、手はちゃんと人間の温度だった。

 「……握る」

 グラントが言い、クラリスの手を包み込むように握った。

 クラリスは、心臓が暴れ出すのを感じた。

 (だめ、だめ、だめ、これは階段じゃない、これは……!)

 「心拍が上がった」

 グラントが淡々と言う。

 「……階段です」

 「まだ階段を上っていない」

 (やめて、正論で殴らないで……!)

 グラントはしばらく黙った。
 そして、困ったように眉をほんの少しだけ寄せる。

 その表情の変化は微小で、でもクラリスには眩しかった。

 「……原因の再検討が必要か」

 (再検討しなくていいです!しないでください!)

 だが、グラントはクラリスの手を離さないまま、階段を一段上がった。

 「一段」

 「……はい」

 「二段」

 「……はい」

 グラントは、数を数えながら上がる。
 それはまるで、クラリスの心拍を落ち着かせるための呪文みたいだった。

 「十段」

 クラリスは、なぜか泣きそうになった。

 (こんなふうに大事にされるの、慣れてない……)

 だが泣きそうな顔など見せられない。
 乙女心は隠蔽しなければならない。

 クラリスは、笑顔の代わりに、硬い声を出した。

 「……団長、数えなくても大丈夫です」

 「大丈夫の根拠は」

 「……」

 クラリスは負けた。
 負けたまま、手を握られて階段を上がった。

 踊り場に着くと、グラントはようやく足を止めた。

 「転倒はしなかった」

 「……はい」

 「よし。次は“人目の少ない動線”の確認だ」

 (まだ続くの!?)

 そのとき、廊下の向こうから足音がした。

 「団長? まだお仕事ですか――」

 副団長ローレンが曲がり角から現れ、二人を見て止まった。
 視線が、手元に落ちる。

 クラリスは、反射的に手を離そうとした。
 だが――

 「離すな」

 グラントが低い声で言った。

 クラリスは固まった。

 ローレンは、ゆっくり深呼吸を一つしてから、穏やかな声を出した。

 「……会議、ですね」

 「そうだ」

 グラントは即答した。
 ローレンの目が、遠くなる。

 「……議題は?」

 「階段だ」

 「……階段、ですね」

 ローレンは笑ってはいけない場面で、笑いそうな口元を押さえた。
 そしてクラリスにだけ、目で言う。

 ――胃薬、要る?

 クラリスは目で返した。

 ――要ります。

 その短いやり取りを、グラントは見逃さない。

 「副団長。君も同行しろ。第三者の観察が必要だ」

 ローレンの顔から色が抜けた。

 「……はい」

 (やめて……これ以上、目撃者を増やさないで……!)

 こうして、夜の騎士団本部に――
 「階段対策会議(実地)」という名の、奇妙に甘い地獄が誕生した。

 クラリスの手は、まだグラントの手の中にあった。

 そしてクラリスは、気づいてしまった。

 (……私、もう、隠せないかもしれない)

 隠蔽の壁に、小さなヒビが入る音がした。

(つづく)
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