ひだまり婚約録 ― 可愛い彼と現実主義令嬢

星乃和花

文字の大きさ
1 / 51

第一話 婚約は晴天、心は観測開始

しおりを挟む
――わたしは、婚約者の前髪の角度に感心していた。

王都でも評判の理想紳士、ローラン・エヴァンス様は、今朝も小さな笑みが反則級に上手い。反則なのに、許せる。いいえ、むしろもっとやってください、という気持ちになる。

「イリス。視線が…あの、少し、熱い」

「失礼しました。今日の前髪、とても可愛いですね」

「か、可愛い……?」

耳がうっすら赤く染まる。はい、ここが“可愛い”の二段活用だ。
外ではわたしたちは“理想の美男美女”。姿勢よく並び、微笑みの角度も、挨拶の間合いも完璧。けれど内側は、研究と実験でできている。

「本日の議題は“婚約者デートレビュー表”の導入です」

「議題……!」

朝のサロン。窓辺の椅子に腰かけ、わたしは鞄から紙束を取り出した。
――デートレビュー表。手書きの表には項目が並ぶ。

・共歩速度/速・中・ゆっくり
・会話の温度/冷・常・温・熱
・紅茶の甘さ/無・控・普・甘
・ひだまり時間の確保/分
・安心メーター/0%~100%
・可愛いの自己申告欄/( )可愛い

「……最後の欄、必要かな?」

「必要です。可愛いの自己認知は、幸福度と相関があるはずですから」

「自己申告、か……勇気がいるね」

ローラン様は前髪をそっと整えた。
その仕草すら可愛い。わたしは“可愛い観測メモ”に小さく丸を足す。

「不確かなものは苦手です。だから、できるだけ測ります。わたし、実験が好きなので」

「うん。君は研究者だ。僕は……」

反則の微笑みが、少しだけ揺れた。
それは“理想の紳士”が理想だけで立っていない証拠の笑顔。
わたしの胸のどこかが、ふっと温かくなる。

「僕は、君の“温度”が知りたい。測れることは協力するよ」

「ありがとうございます。ではまず、共歩速度の基準を――」

ちょうどその時、執事が扉をノックした。「お二人、表門に同盟商会の使いが。今朝の視察の件で」

「行きましょう。レビュー表の実地試験にもなります」

「実地……?」

ローラン様の目がぱちぱちと瞬いた。可愛い。わたしはペンを走らせ、“可愛い:外出前に二回”と記入する。



表に出れば、わたしたちは“理想”の顔をする。
石畳に影が二つ。王都の朝は、香草とパンの匂い。
商会の若者が慌てて帽子を抑えた。「エヴァンス様、ラベンダ様、本日は——」

「お招きありがとう。簡潔に伺おう。新しい香草の輸送箱の件だね?」
ローラン様は公務中の声色に切り替え、自然に「私」に変わる。
(内側の呼び方は“僕”だと知っているけど、外では“私”。この切り替えが上手いのも、彼の長所だ)

わたしは隣で資料を確認する。輸送箱の木材に含まれる精油が、香草の香りと反応して変質する可能性がある。それを避けるための内張り——。

「イリス、意見を——あ、いや、ラベンダ様。ご意見をお聞かせいただけますか」

「内側は麻紙、もしくは蜜蝋でコーティングした布が適切です。通気性の微調整もできます。費用対効果は——」

商会の若者が目を輝かせた。ローラン様は静かに頷き、書記官にメモを促す。
わたしたちは、外向きの“理想”を崩さず、同時に内側の呼吸で会話する。

「歩幅、合わせられてる?」
小声でローラン様が囁いた。

「はい。ぴったりです。評価は“中”」

「“ゆっくり”は、どうだろう」

わたしは少し微笑み、彼の手の甲に触れた。人には見えない角度で、ほんの一瞬。

「レビュー表に“手の甲タッチ時の心拍”を追加します」

「追加、早いね」

「変化は、逃さない主義です」

彼の喉が小さく鳴る。
わたしは、心の中でだけ“可愛い”と三回唱えた。



午前の視察が終わると、王立庭園への近道を選んだ。
光が葉の上で跳ね、砂利がさらさら鳴る。わたしは日向のベンチを見つけると、ローラン様の袖をつまむ。

「ここ、座りませんか。ひだまり時間、記録したいので」

「うん。僕も、君と日向を共有したい」

並んで腰かける。
外では“理想の美男美女”。内側では、ただの人間として呼吸をそろえる。

「……イリス」

「はい?」

「君が、僕の前でよく笑ってくれるから、たぶん僕は、君に可愛いと言われるのが怖くなくなった」

「怖かったのですか?」

「少し。僕は——」

彼は言いよどみ、視線を落とす。
陽だまりが彼の睫毛を透かして、金色のほこりみたいに光る。

「僕は、きれいにしていたい。君の隣にいるなら、なおさらね。けど、きれいにしている自分って、時々、薄っぺらく見えないかなって」

わたしは首を振った。

「ローラン様。あなたがこだわるのは、誰かに見せるためだけじゃないでしょう。あなた自身が、あなたを好きでいるためでしょう。わたしは、それがとても好きです」

「……イリス」

今度の笑みは、反則というより反則の向こう側だった。
わたしは“会話の温度:温”に丸をつける。
そして、迷った末に、最後の欄を指さした。

「自己申告、どうぞ」

「えっ、今……?」

「ええ。今、です」

ローラン様は少しだけ肩をすくめ、片手で前髪を軽く押さえてから、真剣に紙を見つめる。
そして、恥ずかしそうに、けれど逃げずに、ペンを取った。

( )可愛い → ( ちょっと可愛い )

「控えめですね」

「最大値は……いつか、君に書いてほしいから」

胸の奥が、かすかに痛んで、すぐに温かさに変わった。
“わたしが選んだ人”という事実が、ひだまりの匂いを連れてくる。

「では、次の測定です。紅茶の甘さ」

「ここで?」

「はい。実験は熱いうちに」

わたしは小さな砂糖壺を取り出し、紙包みを一つ、彼の掌に置いた。
彼は笑って、砂糖を割る。ぱき、と音がして、鳥が飛び立つ。
甘さは半分ずつ。たぶん、これくらいがちょうどいい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

魔法務省の過労令嬢と残業嫌いな冷徹監査官の契約からはじまる溺愛改革

YY
恋愛
土日は5話投稿(7:00、8:00、12:00、19:00、20:00)。 平日は2話投稿(7:00、19:00)。 全100話、既に予約投稿設定済みなので、エタる事はありません。 「君はもう用済みだ」 過労の果てに婚約者から価値ゼロの烙印を押され、全てを失った令嬢アリア。 倒れた彼女を拾ったのは、「氷の悪魔」と恐れられる冷徹な監査官カインだった。 「君は興味深いサンプルだ。本日より、君の幸福度を24時間管理する」 追放先で始まったのは、人生初の定時退勤、栄養管理された(まずい)食事、そして「休むことは権利だ」と教え込まれる奇妙な日々。 冷徹なはずの彼の管理は、次第に不器用で過保護な「溺愛」へと変わっていく。 やがてアリアの血に眠る「失われた癒やしの力」と、この国を蝕む「システムの真実」が明らかになり、二人の個人的な関係は、国を揺るがす巨大な陰謀との戦いへと発展していく――! 絶望の淵から始まる、じれ甘ハッピーエンド!

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

淫紋付きランジェリーパーティーへようこそ~麗人辺境伯、婿殿の逆襲の罠にハメられる

柿崎まつる
恋愛
ローテ辺境伯領から最重要機密を盗んだ男が潜んだ先は、ある紳士社交倶楽部の夜会会場。女辺境伯とその夫は夜会に潜入するが、なんとそこはランジェリーパーティーだった! ※辺境伯は女です ムーンライトノベルズに掲載済みです。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

処理中です...