ひだまり婚約録 ― 可愛い彼と現実主義令嬢

星乃和花

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(イリス視点)

日向ベンチ、第二ラウンド。
わたしたちは中断した砂時計をまた反転し、Hの式をもう一度眺めた。

「N(ノイズ)には、可愛いと信頼でクッションを」

「君が作った式に、もう一項、追加していい?」

「提案をどうぞ」

「R(選び直す)。日々、君をもう一度選ぶ。僕が僕をもう一度選ぶ。Nに引かれた分、Rで戻す」

わたしは、息をのんだ。
黒板の式に、丁寧に“+ R”を書き足す自分の手が、少し震えているのが分かる。

「Rを、採用します」

「ありがとう」

「では、Rの操作をします。——ローラン様、手を」

差し出された手に、自分の手を重ねる。
十秒。二十秒。
それから、わたしは小さく言った。

「わたしは今日、あなたの隣を選び直します」

言ってしまって、胸の奥がけぶる。
不確かが顔を出す。
(コントロールできないものは、怖い。けれど、選んだのは、わたし)

「僕も、今日、君の隣を選び直す」

彼の声は、やさしく落ちてきて、式のどの項目よりも、まっすぐにHを押し上げた気がした。

(※観測:R、強い)

「では、自己申告欄を」

「うん」

彼はゆっくり、紙に書いた。

( ひだまり可愛い )

「新語ですね」

「日向の力を借りた、可愛い。最大値はまだ空けておく」

「最大値は——」

「君がいつか、書くと思っていたけど」
彼はそこで少し首を振って、笑った。
「やっぱり、僕が僕に許す日に、現れるんだろうね」

(ああ、それはそうだ)と心のどこかで頷きながら、ほんの少しだけ、寂しさが通り過ぎる。
(あなたの“最大値”を、わたしが書けない——のではなく、書かない。それは正しい。でも、ほんの少しだけ、寂しい)

ビーズを二つ、瓶に落とす。
ちり、と鳴って、わたしの寂しさは小さく形になり、記録に変わる。



まとめを書いた。

・A:可愛いと信頼により上昇
・C:自己申告“ひだまり可愛い”を新設
・S:パン共有・視線共有・手温共有で増
・Y:雲で一時低下→待機で回復
・M:蜂蜜(控えめ)
・N:会議前倒し→Rで相殺
・R:選び直す宣言、効能大。副作用:わたしの胸が少し痛い(良性)

「良い実験でした」

「うん。式も、僕たちの会話も、生活に使える」

彼が黒板の隅に、星印を一つ描く。
その線は、ちょっと不器用で、でも迷いがない。

「ローラン様」

「うん?」

「さっきの“戻ると決めて待つ”……それ、時々わたしに言ってください。多分、わたしに効きます」

「分かった。——戻ると決めて、待とう。日向のそばで」

胸が温かくなる。
蜂蜜の甘さよりも、長く残る甘さ。
わたしは彼の前髪に目を落とし、つい口が動く。

「今日の前髪、可愛いですね」

「……っ。イリス、それは急所だって」

「知ってます。生活に使える急所です」

二人で笑い、ビーズが瓶の中で転がる。
夕焼けが始まる前のやわらかな時間。
幸福は、数字にはならなかったけれど——選び直す儀式として、確かに積もった。

ベンチから立ち上がると、彼が自然に、わたしの手を取った。
式のどれにも当てはまらないのに、式のすべてを押し上げる手の温度。

(Hは、きっとこういうもので上がる)

心の中の黒板に、+Rをもう一度書き足して、今日の観測を閉じた。

(つづく)
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