執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第7話『「今日は私が守る番ですの」宣言に、執事が“お嬢様の護衛計画”を提出してくる(守りたいのはそこじゃない)』

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 その日の朝、エマ(お嬢様)は――なぜか、少しだけ強かった。

 理由は単純だ。
 昨日、レオンが隣に“座った”。

 執事が、座った。
 それは屋敷の秩序が一ミリ揺れた瞬間であり、乙女心の世界が一センチ広がった瞬間でもある。

(……私、昨日、嬉しかったのよ。ちゃんと言えなかったけど)

 だから今日は、ひとつだけやりたいことがあった。

 ――レオンを、少しだけ“休ませる”。

 完璧な執事は休むのが下手だ。
 休むという概念が、手帳の項目に存在しない。
 なら、こちらから作るしかない。

 エマは鏡の前で、優雅な微笑みを整えたあと、ふと自分の頬が少し柔らかいことに気づいた。

(……よし)

 ドレスの裾を整え、扉を開ける。

 廊下に出ると、すでにレオンが“そこにいた”。
 いつも通り背筋を伸ばし、いつも通り温度一定。
 でも――今日は、わずかに“疲れ”が見えた気がした。見えた気がしただけだが、乙女の直感はこういう時に当たる。

「お嬢様。おはようございます。本日の予定を――」

「レオン」

 エマは、先に言った。
 優雅に、でも少しだけ凛として。

「今日は、私が守る番ですの」

 レオンのまばたきが、一つ増えた。

「……何をでしょうか」

「あなたを」

 言ってしまった。
 言ってしまった瞬間、心臓がひゅっと鳴る。
 恥ずかしい。
 でも今日は引かない。

 レオンは一拍置いて、真顔で答える。

「不要です」

(即否定!)

 エマは笑顔を崩さないまま、内心でズサッと転んだ。

「不要って……」

「お嬢様が守る必要はありません。お嬢様は守られる側です」

「それ、決めつけよ」

「事実です」

(事実の言い方が強い)

 エマは一度、息を吸って、吐いた。
 優雅に。
 そして、矛盾を矛盾のまま差し出す。

「でも今日は、私がそうしたいの」

 レオンの視線が、ほんの少しだけ止まった。
 “解析中”の気配。
 そして――最悪の方向へ動く気配。

「承知しました」

(承知した! よかった!)

 ……と思った次の瞬間。

「では、“お嬢様が執事を守る”ための護衛計画を提示します」

 彼は手帳を開いた。

(やめて)

 ・♢ー♢ー♢・

 十分後、ティールーム隣のサロン。

 テーブルの上に、白い紙が一枚置かれていた。
 タイトルは、強い。

『お嬢様による執事保護計画(暫定)』

 マリア(メイド長)が横で腕を組んでいる。
 顔がもう笑いを堪えるのに失敗している。

「……レオン。あなた、“乙女心の告白”を受けて書類を出すのやめなさいって何回言えば」

「必要です」

「必要じゃない!」

 エマは紙を見つめて、喉の奥が熱くなった。

(私はただ、休ませたいだけなのに……どうして計画書が出るの……)

 レオンは淡々と読み上げる。

「第一条。お嬢様は執事の業務量を把握し、過剰負荷を検出した場合は“休息命令”を発令できる。
 第二条。休息命令が出された場合、執事は十五分の着席を許可される。
 第三条。着席中、執事は“見守り”対象であり、来客・報告・トラブル対応は禁止――」

「禁止!?」

 エマが思わず声を出すと、レオンは頷いた。

「はい。守るために必要です」

 マリアがすかさず突っ込む。

「ねえ、お嬢様が“守る”って言ったのは、心の話よ? 労務規定じゃないのよ?」

「心は不可視です。よって、可視化が必要です」

「可視化しないで!」

 エマは赤くなって、でも少しだけ笑ってしまった。
 悔しい。
 なのに胸が温かいのは、彼が“受け取ろう”としているからだ。

 エマは紙の端をそっと押さえ、勇気を出す。

「レオン。私が言いたかったのはね」

「はい」

「……あなたが、疲れてるように見えたの。昨日、すごく大変だったでしょう」

「はい」

 即答。
 昨日に続き、認めた。
 それだけで少し嬉しい。

「だから今日は、あなたの“頑張り”を……私が少しだけ、減らしたい」

 言い終えると、胸がきゅっとなる。
 甘い言葉ではない。
 でもこれは、エマが精一杯、強がりを外して出した本音だった。

 レオンは沈黙した。
 手帳を閉じるでもなく、開き直すでもなく――ただ、静かに見ている。

 そして、彼は言った。

「承知しました。では――計画を簡略化します」

「簡略化じゃなくて!」

 エマは笑ってしまい、すぐに口元を押さえた。
 マリアが肩を震わせる。

「お嬢様、もう“守る”って言葉がトリガーになってるわ」

「じゃあ別の言い方にする……」

 エマは一度考え、言い直した。

「今日は……あなたに、甘いものを食べさせる日ですの」

 マリアが「それよそれ!」という顔をした。
 レオンは首を傾げる。

「甘味は日常的に摂取可能です」

「そうじゃないの。……私が、用意するの」

 エマは視線を逸らして言った。
 恥ずかしい。
 でも言う。
 今日は強い日だから。

 レオンは一拍置いて、静かに答えた。

「……承知しました」

(今の“承知”は、計画書の承知じゃない気がする)

 ・♢ー♢ー♢・

 午後二時五十分。

 ティールームの扉を、エマが開けた。
 いつもならレオンが先に開ける。
 今日は、違う。

 テーブルの上には、エマが選んだ焼き菓子が並んでいた。
 厨房に頼んだのではなく、昨日マリアにこっそり相談して、エマが“決めた”もの。

 小さなフィナンシェ。
 薄いレモンの香り。
 そして、ひとつだけ――ハート型の砂糖菓子。

(かわいすぎる? でも、今日はいいの)

 レオンが入ってくる。
 いつも通り、準備された世界に目を走らせ――少しだけ止まった。

「……お嬢様。こちらは」

「私が選びましたの」

 エマは胸を張った。
 優雅に。
 でも、ちょっとだけ子どもみたいに。

「あなた、毎日私の十五時を守るでしょう?
 だから今日は、私があなたの十五時を……守るの」

 言い終えた瞬間、喉が熱くなる。
 言えた。
 言えたけど、恥ずかしい。

 レオンはしばらく黙り――そして、珍しく短く言った。

「……合理的です」

「そこ、合理でまとめないで」

「しかし、嬉しい、に近いです」

 エマの心臓が跳ねた。

「……近いって何よ」

「“嬉しい”は、表現として確定していません」

「確定してなくていい。今の、十分」

 エマはそう言って、椅子を引いた。
 ――隣の椅子を。

「座って」

 レオンが固まる。
 内規が抵抗している顔。
 でも、昨日一度座った。
 今日は“守られる側”を少しだけ緩める日なのかもしれない。

 レオンはゆっくり椅子に座った。
 隣に。

 エマの胸の穴が、ふっと軽くなる。

「……よし。第一条、成立」

 エマがつい言うと、マリアが扉の外で吹き出した気配がした。
 レオンは真顔で言う。

「条文化しないでください」

「あなたがしたのよ」

 エマは笑って、紅茶を注ぐ。
 注ぐ手が少し震えているのは、熱いからということにする。

 カップを差し出す。
 レオンが受け取る。

「レオン」

「はい」

「今日は、“ここにおります”じゃなくていいわ」

「……?」

「あなたが言う番じゃない。私が言う番」

 エマは、ほんの少しだけ背伸びをして、言った。

「……ここにいるわ。だから、ちゃんと休んで」

 レオンの目が、ほんの少しだけ揺れた。
 情緒の温度が、一度だけ上がる気配。

 彼はカップを持ち上げ、静かに言う。

「……承知しました。休みます。十五分」

「十五分じゃ少ない」

「では、二十分」

「急に増えた」

「お嬢様の“守る”に、適切に応じます」

(適切に、って言い方がもう彼だわ)

 エマはフィナンシェを一つ取り、レオンの皿に置いた。
 ハート型の砂糖菓子も、そっと添える。

 レオンはそれを見て、わずかに息を止めたように見えた。

「……これは」

「かわいいでしょう」

「……はい」

 たったそれだけ。
 でも、それで十分だった。

 十五時。
 今日は執事が世界を回さない。
 お嬢様が、ほんの少しだけ世界を回す。

 そして、紅茶の香りの中で、エマは思った。

(守るって、要塞にすることじゃなくて――隣で息をすることかもしれない)

 レオンがフィナンシェを一口食べ、真顔のまま言った。

「お嬢様」

「なあに」

「本日の十五時は、安定しています」

「それ、感想?」

「報告です」

「じゃあ私も報告。……私も、安定してる」

 エマがそう言うと、レオンは一拍置いてから、ほんの少しだけ声を落とした。

「……良かったです」

 エマは微笑んだ。
 今日は猫被りじゃない微笑みが、少しだけ混ざっていた。

 十五時。
 ティータイムは死守された。
 そしてその隣で、執事の“休む”が――たぶん、ほんの少しだけ始まった。
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