執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第11話『お見合い話:執事は理詰めで断るが、理由が全部“ティータイムの安定運用”で周囲がざわつく』

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 その日、屋敷の花は――いつもより“社交”の顔をしていた。
 背筋を伸ばし、香りを控えめに、でも存在感は失わない。

 エマ(お嬢様)は鏡の前で、優雅な笑顔を仕上げていた。
 頬の角度。目元の柔らかさ。声の温度。

(大丈夫。今日は、受け流すだけ。
 私は、上品に、穏やかに、――何も傷つかない)

 そう思うほど、胸の奥がぐらつくのが分かった。

 “お見合い候補が来る”。
 それは噂ではなく、確定事項として準備されている。
 銀器の磨きがいつもより念入りなのも、花の並びがいつもより整っているのも、そのためだ。

 背後でレオン(執事)が淡々と告げる。

「来客は二名。親族の方々も同席されます。応接は――」

「わかってるわ」

 エマは微笑む。
 “優雅な笑顔”を貼る。
 そのまま、心の中で小さく言った。

(……私、いなくならないよ。ここにいる。
 でも、もし“ここにいなくなる未来”を皆が当然みたいに言うなら……)

 怖い。
 誰にも言えない。
 言ったら、猫被りが溶けてしまう。

 レオンはいつも通りに近くにいた。
 近いのに、触れない距離。
 それが今日は、少しだけ遠く感じる。

 ・♢ー♢ー♢・

 応接間。

 親族の方々が座り、上品な笑い声が響く。
 そこへ“お見合い候補”が現れた。
 整った服装、整った挨拶、整った家柄。
 整いすぎて、息が詰まりそうだ。

 そして、もう一人。
 同席する“ライバル令嬢”がいた。親族筋で、噂好きで、空気を小さく切り裂くのが上手な人。

「まあ、エマ様。相変わらずお美しい。
 ――本当に、長くお一人でいらっしゃいましたのね」

 やわらかい言葉に、棘が混じっている。

 エマは微笑みを崩さない。
 崩したら負けだ。
 でも胸の奥は、ぐらっと揺れた。

(“お一人”って言い方が……)

 レオンが背後に立っている。
 真顔。
 でも今日は、彼がいつもより“静か”に見えた。
 静かすぎて、怖い。

 親族の一人が、良い声で言った。

「エマ。あなたもそろそろ将来を考えなさい。
 この方は申し分ない。お家同士の釣り合いも、あなたの立場も守られる」

 “将来のため”。
 その言葉は正しい。
 正しいから、逃げ場がない。

 エマは微笑み、上品に頷き、上品に茶を飲んだ。
 いつも通りの動作。

 ――なのに、紅茶が今日は少し苦い。

(私の気持ち、どこに置けばいいの)

 ライバル令嬢が、さらりと追い打ちをかけた。

「でも、エマ様。執事が近すぎますわ。
 お見合いの場では、少々……誤解を招きますもの」

 視線がレオンに向く。
 親族の空気が、わずかにざわめいた。

 エマは、笑顔のまま心臓が跳ねた。
 レオンが何かを言う前に、エマが言うべき?
 でも、言えない。
 ここで“素”が出たら終わる。

 そのとき。

 レオンが、一歩前へ出た。

「失礼いたします」

 声は低く、平坦で、しかし揺れない。
 “執事の公式発話”の声。

 親族が眉を上げる。

「レオン。あなたは下がっていなさい。これは家の話――」

「家の話ですので、申し上げます」

 レオンが淡々と言った。

「本件――お見合いの実施は、推奨いたしません」

 空気が止まった。

 お見合い候補が目を丸くし、ライバル令嬢が口元を隠して笑う。
 親族は顔を強張らせる。

「……何を言っているの。執事が口を挟むな」

 レオンは一切怯まない。
 むしろ、手帳を開いた。

(やめて)

 エマは内心で叫んだが、声には出せない。

 レオンは淡々と続ける。

「第一に、候補者の来訪時間が十五時と重なっております」

 親族が一瞬、理解できない顔をした。

「……十五時?」

「はい。ティータイムです」

(出た)

「第二に、今後の社交日程は増加します。
 それにより生活リズムが乱れ、十五時の安定運用が困難になります」

 親族が眉間に皺を寄せる。

「待ちなさい。あなたは何を基準に――」

「第三に、お嬢様の安定に影響します」

 レオンは言い切った。

「お嬢様は十五時を軸に日々を整えておられます。
 そこが崩れることは精神衛生上、看過できません」

 応接間に、ざわ……と波紋が広がった。

 親族の一人が、信じられないという顔で言う。

「……執事。あなたは……何を守っているの?」

 ライバル令嬢が、目を細めて笑った。

「まあ。お嬢様の“将来”ではなく、十五時を守っていらっしゃるのね」

 エマの顔が熱くなる。
 恥ずかしい。
 でも――胸の奥が、ぎゅっとする。

(レオン……それ、言い方は変だけど……)

 候補者が困ったように咳払いした。

「……あの。私としては、時間の調整は――」

「調整は不可です」

 レオンが即答。

「十五時は固定です」

(固定って言い切った)

 親族がついに声を荒げる。

「あなたは執事だ! お嬢様の結婚は家の決定事項だ!」

 レオンは、真顔のまま一歩も引かない。

「家の決定が、お嬢様の安定を損なうなら――見直されるべきです」

 その瞬間、エマの胸が小さく痛んだ。
 誰も言ってくれなかった言葉を、彼は“理屈”の形で言った。

 でも、理屈の軸が全部ティータイムなのが、どうしようもなく彼で――
 そして、どうしようもなく“エマのため”だった。

 応接間は、混乱と沈黙の中で終わった。
 候補は気まずく帰り、親族は「後で話がある」と言い残し、ライバル令嬢は意味ありげに微笑んだ。

 エマは最後まで優雅な顔を崩さなかった。
 崩せなかった。

 ただ、心の中だけが嵐だった。

 ・♢ー♢ー♢・

 十五時。

 ティールーム。
 いつも通りの香り。
 いつも通りの温度。

 でも、今日は“いつも通り”が、少しだけ苦しい。

 エマはカップを持ち上げた。
 紅茶の湯気が、目にしみる。

 レオンが向かいに座る――今日は座っている。
 いつもより近い。
 でも、言葉がない。

 エマは、先に言った。
 声は静かで、猫被りが少しだけ薄い。

「……私、いなくなるって思った?」

 レオンの指が止まった。
 彼はすぐには答えない。
 珍しい沈黙。

 そして、ようやく。

「その可能性は……排除したい」

 淡々とした声なのに、言葉の中身だけが熱かった。

 エマの胸が、ぎゅっと縮む。

(排除したい、って……)

 エマは笑おうとして、笑えなかった。
 目が潤む。
 でも、泣かない。泣いたら“優雅”が壊れる。

 だから、強がりの形で言う。

「……あなた、変ね。
 結婚話の断り方が、全部ティータイム」

 レオンは真顔で頷く。

「ティータイムは、お嬢様の安定です」

「私の安定って、そんなに大事?」

 レオンは一拍置いてから、短く言った。

「はい」

 即答。
 統計でも手順でもなく、ただの肯定。

 エマの内心の乙女が、叫んだ。

(それ、恋じゃないの!?)

 でも言わない。
 言ったら世界が曲がる。
 今日のところは、まだ怖い。

 エマはカップを置き、目を伏せたまま小さく言った。

「……ありがとう。守ってくれて」

 レオンは、ほんの少しだけ声を落とした。

「……守りたいのです。
 十五時も。――お嬢様も」

 エマの胸が、またきゅっとして、そして少しだけほどけた。

 ティータイムは、今日も死守された。
 ただ今日の十五時は――“安定運用”という言葉では収まらない、別の名前を持ち始めていた。
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