執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第16話『また縁談が来た日、執事が“ティータイム以外の理由”を言えなくて言葉を探し始め、お嬢様の強がりが一瞬だけ溶ける』

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 縁談の話は、いつも“正しい顔”をしてやってくる。

 上品な封筒。
 丁寧な言葉。
 家のため。将来のため。世間体のため。

 ――そして最後に、エマのため、と。

 応接室の空気は、紅茶の香りがしても重い。
 親族たちの視線が、エマを端正に測っている。

 エマは微笑む。
 完璧令嬢の微笑みで。

「ありがとうございます。ご心配いただいて光栄ですわ」

 声は柔らかい。
 姿勢は正しい。
 指先まで優雅。

 その内側で、心は小さく揺れていた。

(また、来た)
(また、“私の人生”が、私のものじゃないみたいに扱われる)

 隣には誰もいない。
 ここは社交の場所。
 執事は後方に控える距離。
 エマが恋しくても、隣席は封じられる。

 それでも、エマは崩れない。
 崩れないのが、エマの仕事だ。

「ですが――」

 親族のひとりが言葉を続けた。

「最近、屋敷での“習慣”が噂になっている」

 エマの胸が、ひゅっと縮んだ。

「習慣……?」

「執事が、あなたの隣に座るそうだな」

 空気が硬くなる。
 エマは微笑みを保つ。

「ええ。ティータイムの――」

「不適切だ」

 別の親族が、穏やかな声で断言した。
 穏やかな声ほど、逃げ道がない。

「執事が隣に座るなど、世間がどう見る」

「……」

 エマの微笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

 そこへ、やけに澄んだ声が刺さった。

「まあ。噂というより、“儀式”だとか?」

 ライバル令嬢――セレナが、扇子を口元に当てて笑っていた。
 笑い方は優雅なのに、言葉は鋭い。

「執事の“15:00”って便利な言い訳ですわね」

 エマの指先が冷える。

 セレナは首を傾げるふりをして続けた。

「……本当は、何を守りたいの?」

 その問いが、エマの胸に刺さった。

(守りたい……?)

 守られている。
 確かに守られている。
 でも、その守り方が――世間には“言い訳”に見える。

 エマは、微笑みを固くした。
 猫被りを、さらに厚くする。

「……守っているのは、規律と習慣ですわ」

 自分の声が、少し冷たいのがわかった。

(言わない。
 ここで“寂しい”なんて、言わない)

 エマは視線を上げ、セレナへ微笑んだ。

「私は、心配されるほど幼くありません」

 完璧な返し。
 完璧すぎて、胸が痛い。

 背後にいるレオンが、微かに動いた気配がした。
 視線が鋭くなる。
 ――守る番の顔。

 親族がさらに押す。

「結婚は家の決定だ。
 あなた一人の気分で揺らすものではない」

 エマの背筋が、強張る。

 その時、レオンが前へ出た。
 規律を守った距離で。
 それでも、会話の輪へ“介入”する距離で。

 真顔。
 いつものように冷静。
 だけど、今日は少しだけ違う。

「失礼いたします」

 礼をし、淡々と言った。

「縁談は、現時点で不適切です」

 親族の眉が上がる。

「理由は?」

 レオンは、迷いなく言う――はずだった。

「……」

 ――言葉が、詰まった。

 エマは息を止めた。
 レオンが、詰まる?
 あのレオンが?

 レオンの視線が一瞬だけ宙を彷徨い、手帳に触れかけて止まる。

(ティータイムで押し切れないって、わかってるんだ)

 親族が畳みかける。

「どうした。いつも得意だろう、理屈が」

 セレナが、楽しそうに微笑む。

「言い訳が尽きましたの?」

 エマの胸の奥が、きゅっと縮んだ。
 レオンが傷つくのが嫌だった。
 自分が“言い訳扱い”されるのも嫌だった。

 だから――出てしまった。

「……レオン、いい」

 小さな声だった。
 自分でも驚くほど、弱い声。

 完璧令嬢の声じゃない。
 猫被りの声じゃない。

 レオンの肩が、ほんの少しだけ揺れた。
 まるで、見えないところを打たれたみたいに。

 レオンが振り返る。
 エマを見る。

 目が合ってしまう。
 外の世界で、こんなふうに目が合うのは危険だ。

 エマは、笑わなかった。
 強がりもしなかった。

(もう、いいって言ったのに)
(本当は、よくない)

 レオンが一瞬だけ息を吸う。
 そして――

「……失礼いたします」

 それだけ言って、親族へもう一度礼をした。

 いつものように“完璧に締める”ことができないまま。
 レオンは下がった。

 エマの胸が、ざわざわする。

(レオンが、言えなかった)
(言えない理由を、持ってしまった)

 親族の会話は続いたが、エマの耳にはもう半分しか入ってこなかった。
 セレナの扇子の影が揺れるのだけが、やけに鮮明だった。

 ・♢ー♢ー♢・

 その日の15:00。

 エマはティールームに入る前から、胸がざわついていた。
 外の世界の言葉が、まだ体に残っている。

 椅子が引かれる音。
 隣の席。
 いつもと同じはずなのに、今日は少し怖い。

 レオンが隣の椅子を引いた。

「お嬢様。こちらへ」

 いつも通りの声。
 でも、目がいつもより真剣だ。

 エマは座る。
 レオンも座る。

 距離が近い。
 近いのに、心は少し遠い。

 レオンは紅茶を注ぎ、しばらく沈黙した。
 “沈黙”を運用する執事を、エマは初めて見た。

 エマが先に口を開いた。

「……さっき、言ってしまった」

「はい」

「『いい』って」

「はい」

 レオンの返事は短い。
 いつもなら、補足があるのに。

 エマはカップを見つめた。
 湯気が揺れている。

「私、あなたが……言えなくなったの、嫌だった」

 言った瞬間、喉が詰まった。
 こんなふうに言うつもりじゃなかったのに。

 エマは深呼吸し、強がりを拾い直そうとした。
 けれど拾えなかった。

 代わりに、素直が落ちてくる。

「……私、あなたの“守り方”が好き」

 レオンの指が、ほんの少し止まる。

 エマは続けた。
 ここで言わないと、また猫被りが戻ってしまうから。

「でも……私は物じゃない」

 言った瞬間、胸が痛くなる。
 親族の言葉がよぎる。

(家の決定)
(世間体)
(不適切)

 エマの声が小さくなる。

「あなたが守ろうとしてくれるのは、嬉しい。
 でも、私が……私のままでいられない守り方は、嫌」

 沈黙が落ちる。
 紅茶の香りだけが、二人の間を満たす。

 レオンが、ゆっくりと言った。

「……理解しています」

 エマの胸が少しだけほどける。

 レオンは続けた。
 いつものように淡々と――でも今日は、慎重に。

「今日、私は“ティータイム以外の理由”を提示できませんでした」

 エマは小さく頷いた。

 レオンは、視線を落とし、手帳に触れそうになって、触れなかった。
 代わりに、机の上に手を置く。
 その手が、少しだけ固い。

「私は――」

 言葉が止まる。
 レオンの喉が、ほんの少し動く。

 そして、やっと出た言葉は、いつもの“完璧な結論”ではなく。

「……言葉を探します」

 エマは息を止めた。

 探す。
 それは、初めての“心の宣言”に近い。

 レオンは、真顔のまま続ける。

「運用でも、物でもない理由を。
 お嬢様が“お嬢様のまま”でいられる理由を」

 エマの目が熱くなる。
 泣きそうだ。
 でも、泣いたら可愛い顔になってしまうから、紅茶を飲む。

「……うん」

 エマは小さく頷いた。
 そして、強がりが一瞬だけ溶けた声で言った。

「急がなくていい。
 ……でも、探してくれるの、嬉しい」

 レオンは、一拍置いた。
 いつもの“承知しました”が出そうで出ない。

 代わりに、ほんの少しだけ声を落として言った。

「……はい」

 短い返事。
 でも、温度がある。

 外の世界は遠い。
 縁談の言葉も、噂も、世間体も。

 ここでは、隣の席がある。
 そして、“言葉を探す”という約束が残る。

 告白はまだ。
 でも、探し始めた。

 その事実だけで、エマは今日を耐えられる気がした。
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