白レースと礼拝堂、三ヶ月だけの仮婚約。 ——独り占めではなく“隣で全部を見る”溺愛。選ぶのは、わたし。

星乃和花

文字の大きさ
3 / 12

第3話 お散歩の約束(わたし)

しおりを挟む
朝の光は、白いカーテンをすり抜けるとき、いつもよりやわらかくなるらしい。
目を開けると、レースの袖口に小さな星みたいな影が並んでいました。指輪は、ちゃんとここにいます。軽くて、でも行方知らずにならないくらいには、わたしの指に馴染んでいます。

扉を開けると、メイドさんが「おはようございます」と微笑んで、白い日傘を手渡してくれました。
「テラスは、噴水のそばが涼しいんですよ」と教えてくれる声もやわらかい。廊下の角を曲がるたびに、ローズマリーの香りが細い糸になってついてきます。

噴水の手前。白い布のかかった小さなテーブルが、朝ごはんを待っていました。
彼はすでに席にいて、立ち上がると、椅子を引いてくれます。その仕草が自然すぎて、“三ヶ月”という言葉の角が、今日だけ丸くなった気がしました。

「よく眠れましたか」

「はい。噴水の音が、子守唄みたいで」

「それはよかった」

短い会話。パンは表面が少しだけ香ばしくて、内側はやさしい。ハーブティーの湯気が、白い布と朝の光を混ぜて、目に見えない薄い虹を作ります。テーブルの端には、ローズマリーの小枝が一本、何気ないふりで置かれていました。香りは強すぎず、でも確か。わたしのための「香りの挨拶」だと思ったら、胸の奥が温かくなりました。

「歩きましょうか」

彼が言って、わたしたちはテラスを離れました。
砂利道の最初の一歩、彼は自分の靴底の音を確かめるように静かに歩きます。わたしも、それに合わせて。昨日みつけた真ん中の歩幅は、今日もちゃんとそこにありました。

アーチの下では、薔薇の季節の名残りが、緑の中に可愛く点々としています。レースの裾がふれると引っかかるかもしれない場所で、彼は何も言わずに、ほんの少しだけ遠回りのほうへ身体を向けました。そのさりげなさが、言葉よりも丁寧です。

「見てください、葉っぱがハートみたい」

指さした先に、ほんとうに小さなハート。
彼は目でそれをなぞってから、ふっと笑いました。笑うと、張りつめたものが一本、背中から解けていくように見えます。

「昨日、書庫で見繕いました。よければ——」

歩きながら差し出されたのは、植物の絵がたくさん載った薄い本でした。
ページをめくると、絵の緑が朝の緑と重なって、少し誇らしい気持ちになります。知らなかった名前を知るのは、友だちの名前を教えてもらうのに似ています。

「これ、覚えられるかな」

「覚える必要はありません。見るだけで十分、だと思います」

「でも、名前で呼べたら、きっと嬉しい」

「なら、君の速度で」

速度。急がなくていい、と言われた気がしました。
石畳の色が、ところどころ違うのを彼が教えてくれます。昔に敷かれた石と、新しく手を入れた石。違いは混じって、道になっていく。歩くたびに、少しずつ、音が変わる。わたしはその変化を、面白がる余裕がある自分に気づきました。ここに来て、たった一晩だけなのに。

「——気をつけて」

露の残る石で、足がすべりました。
すぐに、手首の少し上を支える温度。強くない、でも確かな支え。見上げると、彼は一瞬だけ「俺」と言いかけて、「……私」と言い直しました。わたしはなんだか、それが可愛いと思ってしまって、笑いをこらえきれず、結局笑ってしまいます。

「すみません」

「謝らないで。ありがとうございます、助かりました」

「こちらこそ、すみません。驚かせた」

驚いたのは、わたしよりも、彼の心のほうかもしれません。
手が離れて、空気がほんの少し涼しくなる。だけど、そのあいだに残る“安心”は、まだ消えません。歩幅を戻して、また真ん中を探す。何度でも見つかるのが、不思議で嬉しい。

小さな鳥が芝生に降りて、すぐに駆けていきました。
「この子は——」と本を開いて、それらしい絵を見せると、彼は首をかしげます。

「似ているが、尾の模様が違う。……ここだと思う」

指先が示す絵は、たしかに尾の先の斑点が、さっきの子と同じ。
「わ、ほんとだ。見ていたつもりで、見えていなかった」

「よくあります。私も、何度でも見落とす」

彼の「何度でも」という言葉が、慰めではなく、仲間宣言みたいに聞こえました。
並んで歩くことは、同じものを同じように見ようとすることじゃなくて、違う見え方を持ち寄ることなのかもしれない——そんな気がします。

並木の切れ間から、丘がのぞきました。
白い屋根が小さく光って、わたしの視界に「祈り」の形が現れます。祭典の日、並んで祈ったときの静けさ。あのときのわたしは、祈ることだけに夢中で、隣の気配を丁寧に受け取る余裕がなかった。今は、少しだけ違う気がします。

「……いつか、あそこまで」

気づいたら、口に出していました。
彼は短くうなずいて、「君のタイミングで」と言います。約束になりそうな言葉を、約束にしすぎないための、やさしい距離。わたしはその距離がすきです。さわらない優しさは、触れる優しさと同じくらい、たしかだから。

薔薇園の奥に、小さなベンチがありました。
腰掛けると、白い日傘の影が膝の上に丸い湖をつくります。彼は座らず、ベンチの端に手を置いて、わたしより少し高い位置から庭を見ました。視線の高さの差は、歳の差みたいで、でも嫌な差ではありません。守られているというより、風よけができた、みたいな感じ。

「ここ、好きです」

「よかった」

「三ヶ月のあいだに、庭の好きな場所をたくさん見つけたい。礼拝堂の好きな場所も。……あなたの好きな場所も」

最後のひとことを言ってから、急に恥ずかしくなって、日傘の影に顔を半分隠しました。彼は少しだけ黙って、それから穏やかに言います。

「案内します。押しつけにならない程度に」

「押しつけって、どれくらいからですか?」

「君が息を浅くする前」

「わたし、わかりやすいですか?」

「わかりやすい。そこが、いい」

わたしは笑って、指輪をくるりと回しました。軽い輪が、くるり。
“重くするのは、あとで”って彼は言っていた。重くするって、何だろう。石を増やすことだけじゃない気がする。言葉を、増やすこと。時間を、重ねること。歩幅の“真ん中”を、見失わないこと。そういう重さなら、きっと好きになれる。

戻り道、彼は一冊の薄い図譜をわたしに預けました。
「鳥たちの名前、間違えた数だけ好きになっていけばいい。正しく呼べるより、好きが増えるほうが、君らしい」

「じゃあ、いっぱい間違えます」

「ほどほどに」

笑いながら、テラスに戻ると、朝の光がもう少しだけ濃くなっていました。
メイドさんが水差しを取り替え、家令さんが遠くで庭師さんと何か話しています。屋敷全体が、ゆっくりと朝になる。わたしは日傘を閉じて、白い布の端に指を置きました。

「明日は、薔薇園の向こうの小道へ。午前のうちが歩きやすい」

彼がそう言って、わたしは「はい」と答えます。
「丘のほうへも、いつか」と続けようとして、やめました。“いつか”は、心の中で育てる芽みたいなもの。言葉に出すのは、もう少しだけ先にしよう。

部屋に戻る廊下、レースの袖口が「今日の真ん中、上手に見つけたね」と頷きました。
三ヶ月って、たぶん、歩幅の練習にちょうどいい。祈りの場所までの道を、急がずに覚えるのに、ちょうどいい。明日の朝も、真ん中が見つかりますように——そう思いながら、わたしは指輪のぬくもりを確かめました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。 魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。 ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。 誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

辺境令嬢ですが契約結婚なのに、うっかり溺愛されちゃいました

星井ゆの花
恋愛
「契約結婚しませんか、僕と?」 「はいっ喜んで!」  天然ピンク髪の辺境令嬢マリッサ・アンジュールは、前世の記憶を持つ異世界転生者。ある日マリッサ同様、前世の記憶持ちのイケメン公爵ジュリアス・クラインから契約結婚を持ちかけられちゃいます。  契約に応じてお金をもらえる気楽な結婚と思いきや、公爵様はマリッサに本気で惚れているようで……気がついたら目一杯溺愛されてるんですけどぉ〜!  * この作品は小説家になろうさんにも投稿しています。  * 1話あたりの文字数は、1000文字から1800文字に調整済みです。  * 2020年4月30日、全13話で作品完結です。ありがとうございました!

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~

ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。 彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。 ――死んだはずの彼女が、生きている? 同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。 「今さら、逃げ道があると思うなよ」 瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。 秘された皇子と、選び直した愛。 三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?    * * * 後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

処理中です...