白レースと礼拝堂、三ヶ月だけの仮婚約。 ——独り占めではなく“隣で全部を見る”溺愛。選ぶのは、わたし。

星乃和花

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第6話 独占欲の手前で止まる(私)

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予告していた客人は、昼過ぎに来た。
青年——と呼ぶのが似合う年頃だ。軽い外套、よく通る声。庭を抜けてテラスに上がると、白いレースの襟に目をとめ、社交的な微笑をそのまま彼女へ向けた。

「なんて似合うんだ。白が、いちばん」

言葉は礼儀の域を出ない。だが、言い方ひとつで、砂利の上の小石は転ぶ。
私の胸の内側で、小石が一つ、ころん、と鳴った。

「お忙しいところをありがとうございます」
私は先に会釈し、客人の視線をこちらへ戻す。
「書類は執務室で。……庭は風が強い。長居すると冷える」

柔らかく促すと、彼は一拍遅れて「失礼」と笑った。
その笑いは悪意ではない。だが、無邪気さが一歩、近い。私は屋敷の人間として、距離を整えるほかない。

メイドが温かい茶を運ぶ。
「彼女はここで」と、私は視線でテラスの席を示す。
「日傘の影がいちばん落ち着く。——頼む、紙束は私の机へ」

客人と執務室へ移る。扉が閉まる瞬間、白い日傘の影の丸さが視界に残った。
ここは、彼女の場所だ。 そこに私が境界を引くのは、独占ではない。安心のためだ。そう自分に言い聞かせる。

書類の確認は十五分で片づくはずだった。
だが彼は話題を一つ戻し、二つ広げ、三つ目に冗談を差し込んだ。若さの余白だと思う。私は笑わない。笑わないことが不機嫌に見えぬよう、声の温度だけを保つ。

「ところで」
窓外に目をやった彼が言う。
「さっきのお嬢さん、散策はお好きなんですか」

「好きだ。だが、歩幅は小さくない」

「へえ。——よろしければ、あとで庭を案内して差し上げましょうか。鳥の声に詳しいので」

「案内は、家の者がする」

言葉は短く、角を落として。
私の喉の奥に、“俺が”という音が立ち上がり、すぐ沈む。
この屋敷で誰が道を案内するかは、屋敷が決める。私ではなく、彼女でもなく。家が持つ均衡に、私情を混ぜない。それが礼節だ。

書類を閉じ、席を立つ。
「テラスへ」

扉を開けると、白い影が振り向いた。レースの袖、指輪の光。彼女は立ち上がり、軽く会釈する。
客人がまた微笑む。
「やっぱり白が似合う。風に映えますね」

私は家令に視線を送る。
「奥の歩廊を通して、南の花壇をご案内して差し上げて」

家令は一歩前に出て、客人に道を示す。
「鳥の声でしたら、南が多うございます。お時間が許せば、どうぞ」

客人の靴音が遠ざかる。彼は去り際、もう一度だけ彼女に礼をした。彼女は丁寧に微笑みを返す。そのやりとりは、美しかった。
——美しいからこそ、私の胸の小石は、もう一つ、ころんと鳴った。

「冷えませんか」

客人の背が並木に消えたのを確かめてから、私は彼女に近づく。
「大丈夫です」
彼女は日傘を少し傾け、影の円をわたしの方へ広げた。
「お仕事、思ったより長引いたんですね」

「少しだけ。君のハーブティーは温いままだ」

私はメイドに頷き、湯気の立つ茶を新しく置かせる。
彼女がカップを持ち上げる。その指に落ちた光は、朝よりも淡い。午後の風の色だ。

「さっきの方、鳥に詳しいそうです」

「そう聞いた」

「鳥、間違えても好きが増えるって、教えてくれました」

彼女の言葉に、私の口元が自然にほどける。
「それは、いいことを言う人だ」

それでも、君の案内役は私でいたい。
胸の内側でだけ、言葉が生まれる。
口に出さない。声にすれば、君の余白を削る。私は、その手前で止まる。

「午後の影のほうが好きだと言っていたね」

「はい。風がやさしくなるから。——あなたは朝が好きでしたね」

「朝の君が、よく笑うから」

言ってから、私は息を整える。
客人の笑顔が、私の言葉を薄く揺らす。嫉妬は、正直であることと、礼節であることの綱の上に現れる。落ちないためには、足の裏の圧を感じ続ければいい。私は足元を見る。

「明日、午后に少しだけ——礼拝堂の手前まで」
彼女がそっと言う。
「“かもしれない”が、“たぶん”になってきました」

「たぶん、で十分だ」

それ以上、強く誘わない。
彼女が「行きたい」と言えば、私は隣に立つ。「今日はやめたい」と言えば、私は背中で風を遮る。どちらでも、私がやることは変わらない。君の呼吸を守る。 それだけだ。

メイドがそっと近づき、薄いショールを差し出す。
「肩に」

「ありがとうございます」
彼女はショールを受け、私を見る。
「結び目、お願いできますか」

喉が少し鳴る。
「……いいのか」

「はい。安心の重さで」

午前に覚えた言葉だ。心臓が、静かに強く打つ。
私は位置を図り、指で布の端を摘む。引きすぎない。浮かせすぎない。結び目は“ほどけても結び直せる”くらいの甘さで。
「きつくないか」

「ちょうどいいです」

言葉が落ち着く前に、並木の向こうから笑い声が返ってきた。客人だ。
私は手を離し、半歩下がる。
ここで手を伸ばせば、独占になる。
ここで何もしなければ、無関心になる。
私が選ぶのは、その手前。礼節の位置だ。

客人が戻り、簡単な別れの挨拶を交わす。
「またいつか鳥の話を——」

「機会があれば」
私は短く受ける。家令が玄関まで先導し、扉が閉まる音が、庭に静けさを戻した。

しばらく、噴水の音だけを聴く。
彼女はカップの縁に指を置き、私の顔をのぞき込んだ。

「怒っていませんか」

「私は怒っていない」

「……拗ねていませんか」

「拗ねてはいない」

「じゃあ、どうして黙るのですか」

私は少し考え、言う。
「俺は嫉妬した。だから、黙って鎮めた。——君の前で荒れないために」

彼女は目を丸くし、それから小さく笑った。
「言ってくれて、ありがとうございます。わたし、知らないままより、好きです」

風が、白いレースをさらう。
嫉妬を正直に置いたのは、私の都合かもしれない。だが、嘘よりはましだ。彼女の余白の上に、私の感情の重さを落とさないために、私は私を言葉で持つ。

「明日、午后」
私は言う。
「礼拝堂の手前で、風を見るだけにしよう。扉は、風が開けるときがいちばんいい」

「はい」

彼女の返事は軽い。けれど、軽いものは飛び去らない。指輪がある。結び目がある。真ん中の歩幅を知っている。

夕刻、彼女が部屋へ戻ったあと、私は書斎で手帳を開いた。
——嫉妬:言葉にする。行動にしない。
——独占の前で止まることは、無力ではない。礼節は、守る形のひとつ。

書いてから、線を一本引いた。
明日は“たぶん”の丘だ。
私は窓を少し開け、冷えた風を吸う。胸の小石は、まだ二つ、そこにある。
それでいい。転がる音を聞けるなら、私は足元を誤らない。
——どうか、君が笑う方へ。
私は静かに窓を閉じ、灯を落とした。
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