白レースと礼拝堂、三ヶ月だけの仮婚約。 ——独り占めではなく“隣で全部を見る”溺愛。選ぶのは、わたし。

星乃和花

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第11話 三ヶ月の答え(わたし)

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朝の風は、やさしい速さでした。
窓を開けると、白すぎない白のレースが光をすくって、指先で小さな波を作ります。鏡の前で結び目を確かめて、生成りのリボンを“ほどけても結び直せる”緩さで結びました。指輪は、相変わらず軽い。けれど、今日のわたしは、その軽さの意味を、昨日までよりもよく知っている気がしました。

「先に、少しだけ歩いてきます」
メイドさんにそう告げると、彼女は微笑んで廊下の窓を開け、風の向きを確かめてくれました。
「丘のほう、いい風です」

庭は、雨上がりの緑の匂いを少しだけ残して、噴水の音は朝の形に戻っていました。
一歩、小さく。次に一歩、少し長く。——ひとりでも、真ん中は見つかるのだと、ゆっくり確かめながら歩きます。彼が隣にいなくても、呼吸は浅くならない。けれど、隣に彼がいる時の呼吸の深さを思い出すと、胸があたたかくなりました。

並木の切れ間から、白い屋根。
冬の前の空みたいな、白すぎない白。扉の前の階段は乾いていて、取っ手はひかりすぎず、木の手触りだけを持っています。
「おはようございます」
管理人さんが影から現れて、静かに会釈しました。「中は少しひんやりしています。——扉は、風のぶんだけ開いています」

扉はほんの指一本ぶん、呼吸をするように開いていました。
わたしはうなずいて、階段の三段目で一度だけ立ち止まり、胸の前で指を重ねます。
(風と、身体。——“いいよ”)
心の内側で、ゆっくりと合図を聞き、扉の隙間を通りました。

木と蝋燭と、石の匂い。
窓から差す光は細くて、祭壇の上の布——新しく掛けられた白が、静かに光を受けていました。雪が一度だけ雨に触れたみたいな白。わたしは最前列ではなく、少し後ろの席に腰掛け、レースの裾を整えます。指輪が、ひと呼吸ぶんだけ冷たくなって、すぐに馴染みました。

(“ありがとう”と“どうか”を数えない。)
約束どおり、言葉を用意しませんでした。
代わりに、今日までの朝と午後と雨と、結び目と、歩幅と、支える距離の温度を、静かに並べていきます。
——仮の指輪は軽かった。でも、軽いから、わたしは“自分の好き”を見つけられた。
——“あなたの好きにしてください?”と言ったわたしに、「君の好きが聞きたい」と返してくれた。
——嫉妬を黙らせて、言葉で置いてくれた。「俺が怖いのは、君を怖がらせること」。
——雨の朝、抱き寄せた腕は“支える”の手前で止まり、離し方まで丁寧だった。
——「隣にいます」を先に言ってくれた。わたしの「ここにいます」に合わせて。

(わたしは、あなたの隣の真ん中を、選べます)
胸の中で、はっきり言いました。声にしないけれど、言葉は音になって、指輪の下で小さく鳴りました。
三ヶ月って、長いのか短いのか。——わたしには、ちょうどよかった。選ぶ練習をするのに、祈りの姿を覚えるのに。
(“重くするのは、あとで”。……“あとで”を、わたしは、欲しい。)

祭壇の白をもう一度だけ見て、わたしは席を立ちました。
振り返ると、扉の向こうに、細い影。
扉が、音を立てないまま、わずかに広がります。

「——君」

彼の声。
“私”の声で、静かに。
わたしは微笑んで、頷きました。「来てくれて、ありがとうございます」

彼は中にはすぐに入らず、扉のところで一度だけ呼吸を整え、それから、礼拝堂の空気に足を滑り込ませるように入ってきました。距離のとり方が、やっぱり丁寧です。わたしの隣ではなく、斜め後ろ。影を重ねない位置。

「寒くないか」

「だいじょうぶ。……白が、きれいです」

彼は祭壇の布を見て、短くうなずきました。
「白すぎない白だ。君のレースみたいに」

胸が、静かに熱くなります。
言わなきゃ、と思いました。わたしの番。ここは、風に預けられないところ。

「——あの」
わたしは祭壇に向き直り、指輪にそっと触れました。
「三ヶ月って、わたしには“ちょうどよかった”です。……“とりあえず”じゃなくて、“選ぶため”の三ヶ月でした」

彼は返事を急ぎません。
礼拝堂の静けさに、彼の呼吸がゆっくり重なって、わたしはその速さに合わせて息をします。

「わたし、答えを持ってきました」
声が少し震いましたが、浅くはありません。
「あなたが、“わたしの好き”を増やすのを手伝ってくれたから。……“支える”の距離で、待ってくれたから。……“ 隣にいます”って、言ってくれたから」

そこで一度、目を閉じます。
(“重くするのは、あとで”。だから、いまは——言葉で。)

目を開け、彼のほうを見ました。
彼は驚かせないように、ほんの少しだけ近づくだけ。目の奥に、焦りと嬉しさが細く並んでいて、それを彼はきちんと整えようとしていました。
“俺”が出かけて、ちゃんと“私”に戻る、その瞬間の気配。

「——わたしの答えは、」
言いかけて、胸の中で風がひとつ通り抜けます。
(ここで言うのか。庭で言うのか。丘で言うのか。……どこでも、同じ。)
でも、ここは祈りの場所。誰のものでもない白の中で、わたしの言葉は、いちばん静かに置ける気がしました。

「“はい”を、持ってきました」

彼の睫毛が、わずかに震えます。
扉の向こうで風が薄く鳴り、祭壇の白が光を受けなおしました。

「ただ——」
わたしは続けます。
「“ 隣にいます”って、あなたが言ってくれたみたいに、わたしも“あなたの隣で”を選びたい。……だから、“お願いします”は、ここじゃなくて、庭でもう一度言わせてください。歩きながら、歩幅の真ん中で」

彼は、ゆっくりとうなずきました。
「……いい選択だ」

その声の端で、俺が小さく生まれて、すぐに私に戻ります。
焦らない。けれど、焦りを隠さない。その正直さごと、わたしは“はい”に包みたい。

礼拝堂を出ると、庭の緑がやわらかく迎えてくれました。
並木の影は短く、噴水の音は少し明るい。
わたしたちは並んで歩き出します。彼は先に立たない。わたしも急がない。
一歩、小さく。次に一歩、少し長く。
朝の風が「よくできました」と言うみたいに頬を撫で、白いレースが「今日の真ん中、ここだよ」と揺れます。

テラスの手前で、わたしは彼のほうを向きました。
「このあと、庭で——ちゃんと、言います」

「待っている。君の“はい”は、君のものだ」

短い言葉が、指輪の下でやさしく鳴りました。
三ヶ月の答えは、いま、胸の中で形になっている。
重くするのは、あとで。
でも、言葉は、今日。
歩幅の真ん中で、白すぎない白の朝に。
わたしは指輪を一度だけくるりと回し、彼と肩を並べて、庭の光へ歩いていきました。
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