『星飴測候庁 — ときめき渋滞、ただいま観測中。—』

星乃和花

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序章 星飴注意報、発令中。

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 その朝、王都の空は、いつもより少しだけ低く見えた。
 雲と屋根のあいだから、しゃらしゃらと細い光がこぼれ落ちている。よく見ると、それは雨ではなく、ほんのり甘い匂いのする、小さな光の粒だった。

 ――星飴の素が降っている。

 王都の中心、時計塔の影に寄り添うように建つ一棟の庁舎。
 入口の上には、丸い字でこう掲げられている。

 星飴測候庁(ほしあめそっこうちょう)

 天気と、人々の「今日」をおだやかに調律するための、ちょっと不思議な役所だ。

 その玄関前で、ひとりの少女が深呼吸をした。
 栗色の髪をひとつに結び、淡い飴色のエプロンドレスの上から、庁指定の薄い紺色コートを羽織っている。

「……よし。きょうから、星飴測候庁の飴職人さん。がんばります、わたし」

 小さく拳を握って空を見上げると、光の粒がふわりとひとつ、肩に落ちてはじけた。
 ほのかにバニラとレモンの匂いがする。どうやら、きょうの星飴は「少しだけ勇気が出る」配合らしい。

 少女――ミレイユ・シュガールは、かすかに頬を緩めてから、重たい扉を押し開けた。

 *

 中に入ると、ひんやりとした空気と、紙と砂糖とインクの混ざった匂いが出迎えてくれる。
 右側は気象予報課。無数の気圧図や雲図が壁一面に貼られ、予報士たちが忙しそうに数字を追っている。
 左側は星飴調整課。ガラス張りの工房で、白いコック帽の職人たちが、鍋をかき混ぜたり瓶を並べたりしていた。

「ええと、新人の……シュガール・ミレイユさん、かな?」

 受付の女性が笑顔で顔を上げる。
 ミレイユは慌ててコートのポケットから紹介状を取り出した。

「は、はいっ。きょうから星飴の製造で、お世話になります」
「ようこそ。星飴調整課の方に案内するわね。あ、それと――」

 受付の女性は、引き出しから小さな缶を取り出した。
 缶のふたには、星型の飴が一粒だけ描かれている。

「これ、新人さんへのご挨拶用。ようこそ星飴測候庁へ、の星飴。なめると、少しだけ、ここの空気に慣れやすくなるのよ」
「えっ、庁舎専用……そんな飴もあるんですね」
「ええ。うち、なんでも飴で解決しようとするから」

 受付の冗談に、周りの職員がくすくす笑う。
 星飴測候庁はいつだって、少しだけゆるくて、甘くて、忙しい。

 ミレイユは、差し出された小さな星飴を、そっと指先でつまんだ。
 透き通る薄い琥珀色。ごくりと喉が鳴る。

「……いただきます」

 口に含むと、じんわりと舌の上でほどけていく。
 はじめは緊張で固くなった心を、やわらかくほぐすミントの味。
 あとから追いかけてくるのは、懐かしいミルクキャラメル。

 胸の奥に、ささやかな「だいじょうぶ」の火が灯るのを感じながら、ミレイユはふう、と息を吐いた。

「どう? 少し落ち着いた顔になったわね」
「……はい。さすが、星飴測候庁の飴です」

 受付は満足そうに頷き、奥へと続く廊下を指さす。

「じゃあ、星飴調整課の責任者に引き渡すから、ついてきてね。
 ――あ、そうそう。今日の担当広報官が、あなたの案内も兼ねてるらしいから」
「広報官さんが……?」

 ミレイユが首をかしげたところで、その人は現れた。

 *

 廊下の奥から、一定の足音がゆっくりと近づいてくる。
 規則正しく、まるでメトロノームの秒針みたいに。

「おはようございます。午前の定時巡回と、星飴配布計画の確認が――」

 角を曲がって現れたのは、長身の男性だった。
 淡い銀色の髪を後ろでまとめ、整った紺の制服の胸元には、金色のペンと徽章が控えめに光っている。
 眼差しは静かだが、よく見ると、瞳の奥で常に何かを計算していそうな鋭さがある。

「ユリウス広報官、おはようございます。新人の飴職人さん、到着しました」

 受付が声をかけると、男性は足を止め、穏やかな笑みを浮かべた。

「星飴測候庁・広報官の、ユリウス・フェーンです。
 きょうから君が、シュガール飴舗からの出向という――」

 視線が、まっすぐミレイユに向けられる。
 それだけで、胸の奥が少し跳ねた。

「あ、あのっ、ミレイユ・シュガールです! きょうからお世話になります!」

 緊張で、少し声が裏返る。
 ユリウスは、ほんの一瞬だけ目を細め、それから微笑を深めた。

「元気がいい。庁内では、そんなに肩肘張らなくて構いませんよ。
 ――ここは、空と人の機嫌が、両方とも少しだけ甘くなる場所ですから」

 さらりとした言い回しが、さすが広報官、という感じだった。
 受付が、こっそりミレイユの耳元でささやく。

「ね、文章だけじゃなくて、実物もなかなかでしょ?」

 ミレイユは思わず頬を熱くしながら、こくりと頷いた。

 本人にはもちろん、聞こえていない……はずだ。

 *

 ひととおり自己紹介を済ませると、ユリウスは庁舎の案内を始めた。
 窓の外には、まだ星飴の素がちらちらと降り続けている。

「まずは基本の説明から。星飴の効能は、ご存じですね?」

「はい。
 星飴をなめると、その人の“今日の一番の望み”を、ちょっとだけ後押ししてくれる……」

 ミレイユが答えると、ユリウスは満足げに頷いた。

「その通りです。“ちょっとだけ”が、重要なところですね。
 奇跡ではなく、あくまで背中押し。結果を保証するものではありません」

「はい。うちのお店でも、そう教わってきました」

「それと――」

 ユリウスは足を止めると、廊下の壁に貼られた注意書きを指さした。
 そこには大きく、かわいらしい星のイラストとともに、太字でこう書かれている。

『星飴の包み紙に、本音が一行だけ現れます。取り扱いにご注意ください。』

 ミレイユは、その文言を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

「これが、星飴の“代償”です。
 包み紙に浮かぶのは、その人が“今日、本当は一番強く思っていること”。
 誰が見るかは、運と状況次第。半日経てば、自然に文字は消えますが――」

 ユリウスは少しだけ声音を柔らかくした。

「ここから先は、広報というより個人的な意見ですが。
 他人の包み紙を覗き込むのは、おすすめしません」

「……やっぱり、そう、ですよね」

 ミレイユは、視線を落とした。
 あのとき、自分の包み紙に浮かんだ一行を思い出す。

 ――本当は、ひとりで頑張るのがこわい。

 誰にも見られなかったけれど、自分で読んだだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
 それ以来、ミレイユは星飴の包み紙を、そっと胸にしまうようにしている。

「星飴は、優しい道具ですが、刃の部分もある。
 だからこそ、わたしたちは、配り方と伝え方を慎重に考えなければならない――それが、測候庁のスタイルです」

 ユリウスの声は、静かで真面目で、それでいてどこかあたたかい。
 ただの「注意事項」を読んでいるだけではないのだと、すぐにわかった。

「……ユリウスさんは、星飴、好きですか?」

 気がつくと、ミレイユはそんなことを口にしていた。
 自分でも、少し驚くほど素直な質問だった。

 ユリウスは目を瞬き、ふっと小さな笑いをこぼす。

「職務上は、“扱い慣れた道具”という認識ですが……そうですね」

 一秒ほど考えてから、ほんの少しだけ表情を崩した。

「人の本音を、たった一行で、あそこまで可愛く暴くものは、他に知りません。
 その意味では、嫌いではないですよ」

 その返事が、なぜだかくすぐったくて、ミレイユは笑ってしまう。

「よかった。
 わたしも、星飴が好きです。
 だれかの“きょうだけの勇気”を、こっそり応援してくれるところが」

「……それなら、ここはきっと、あなたに合っています」

 ユリウスはそう言って、手元の書類をぱらりとめくった。
 そこには本日の作業予定が綺麗な字で並んでいる。

「さて。きょうの予定ですが――午前は庁内での星飴仕込み、午後は市民向け配布の試食会。
 ついでに、暴風注意報が出ていましてね」

「ぼ、暴風……?」

「ええ。“風が強くて、人の心もざわつきやすい”日だと、昔から言われています。
 そういう日は、星飴の出番が増えるんですよ」

 ユリウスは、いつものことだと言わんばかりに淡々と説明する。

「街のみなさんの緊張をほぐすために、『勇気が出る系』の星飴を増産する予定です。
 あなたの腕も、さっそく貸していただきますよ、シュガールさん」

「……はいっ。きょうの飴、やさしく効きますように」

 ミレイユは両手をぎゅっと握りしめて答える。
 胸の奥には、さっきの星飴が残した「だいじょうぶ」が、まだ温かく灯っていた。

 その灯りは、まだ知らない。
 きょうという一日が、この街にとって、そしてふたりにとって、
 “ときめき渋滞”のはじまりになることを。

 庁舎の屋上では、星飴の素が、いつもより少しだけ多めに降り注いでいた。
 まるで、これから起こる騒がしい恋の予報を、甘く告げているみたいに。
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