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第1話 星飴測候庁へようこそ
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星飴調整課の工房は、朝から湯気と甘い匂いでいっぱいだった。
銅鍋の中で、透明だったシロップが、ゆっくりととろんとした光を帯びていく。
外では暴風の前触れなのか、窓ガラスがときどき小さく震えた。
「ここが、きみに預けられた鍋だよ、ミレイユちゃん」
星飴調整課長のふくよかな男性――ポルカ課長が、両手を腰に当ててにこにこと言った。
つやつやした口ひげが、笑うたびにぴくぴく揺れる。
「午前中は、あんまり難しい配合はやらせないから安心して。きょうは“やわらか勇気”タイプの基本配合ね」
「やわらか勇気……」
「そう。“なんとかなる気がしてくるけど、無茶はしない”ぐらいで止まってくれる、いい子の飴さ。暴風の日の定番メニューだよ」
課長は、手元の配合表をとん、と指でたたく。
そこには色とりどりの星マークと共に、レシピがぎっしり書き込まれていた。
「星飴はね、天気と人の心と、材料のご機嫌、この三つのバランスで味が決まるんだ」
「材料の……ご機嫌、ですか?」
「そう。砂糖はほめてあげるときれいに溶けるし、レモン汁は寝起きが悪くてね。機嫌が悪いと酸っぱくなりすぎる。
だから、鍋の前では、なるべく優しいことだけ考えるのがコツさ」
ポルカ課長の冗談まじりの説明に、周りの職人たちが和やかに笑う。
その空気に少し救われて、ミレイユも笑顔になった。
「じゃあ、さっそく優しいこと、考えながら混ぜてみます」
「うんうん、その意気だ。あ、でも“今日の昼ごはん何にしよう”は、わりと味に出るから気をつけて」
「えっ、そんなに……?」
思わず鍋から視線を上げると、窓の向こうを、ちらちらと光の粒が横切っていく。
まだ、星飴の素の名残が空に漂っているのだろう。
ミレイユは、深呼吸をひとつ。
そして、木べらを手に取った。
――きょうの飴で、少しでも誰かが「大丈夫」と思えますように。
――暴風でも、心までぐちゃぐちゃになりませんように。
そう心の中で唱えながら、ゆっくりと円を描く。
シロップの表面に、やわらかな泡が、星のかけらみたいにきらきら浮かんだ。
「うん、いい顔してきた。これなら“やわらか勇気”いけそうだねぇ」
ポルカ課長が鍋をのぞき込み、満足そうに頷く。
ミレイユの胸に、ちいさな誇らしさが灯った。
*
「作業記録、十一時〇五分。やわらか勇気タイプ、第一鍋、配合良好。――と」
工房の隅の長机では、ユリウスが淡々とペンを走らせていた。
調整課の一角に臨時で設けられた広報官席。
彼は、さっきまで庁舎全体の巡回をしていたはずなのに、いつの間にかここに腰を落ち着けている。
「ユリウスさん、さっきからずっと、見て……いえ、記録してくださってるんですね」
「暴風注意報の日ですからね。配合のブレが、街の雰囲気に直結します。
“ちょっと怖い”が“やたらハイテンション”になってしまっても困るので」
さらりと言いながら、彼の視線はちらりと鍋の中へ。
ミレイユは、少しだけ背筋を伸ばした。
「でも、そんなにじっと見られると、緊張して手がすべっちゃいそうで……」
「それは困りますね。星飴が床にぶちまけられたら、そこだけ“転倒注意報”になりそうだ」
くす、とユリウスの口元がゆるむ。
真面目な話の中に、ふっと冗談を差し込む癖があるらしい。
「緊張をほぐすために、ひとつだけアドバイスを」
「アドバイス……」
「はい。鍋を混ぜているときは、“自分のためにも効いてほしいこと”を、ひとつだけ思い浮かべる。
そうすると、不思議と味の方向性が定まりやすい」
「自分の、ため……」
木べらを動かしながら、ミレイユはこっそり考える。
――きょう、わたしが星飴に後押ししてもらいたい望み。
(ええと……暴風でも転ばないように、足元にだけは星飴の素が降りませんように、とか?
それとも、ユリウスさんに迷惑をかけませんように、とか……いや、もうちょっと可愛い望みがいい……)
ぐるぐる考えているうちに、木べらの動きがほんの少しぎこちなくなった。
そんな様子を見て、ユリウスは小さく首を傾げる。
「難しく捉えなくていいんですよ。
――たとえば、“きょう無事に仕事を終えて、おいしいおやつが食べられますように”とか」
「……あ、それ、いいですね」
途端に、ミレイユの表情がぱっと明るくなった。
たしかにそれなら、ほんのり甘くて、誰のことも追い詰めない望みだ。
「じゃあ、きょうのおやつ、ちょっと期待しちゃいます」
「残念ながら、庁内手作りおやつは、暴風の日は中止ですが」
「えっ!? そうなんですか?」
「代わりに、帰り道の商店街で使える“星飴おやつ券”が配られます。
みなさん暴風でも強風でも、律儀に買いに行くので、商店街はいつもより元気ですね」
その説明に、周りの職人たちがわっと湧いた。
「課長、今年もおやつ券出るんですね?」
「そりゃあもちろんさ。星飴様のおかげで商店街の売り上げも上がるんだ。持ちつ持たれつってやつだよ!」
ポルカ課長が胸を張ると、工房の空気が一段と和やかになる。
ミレイユもつられて笑い、鍋の中のシロップも、ぷくぷくと上機嫌に泡立った。
*
午前の仕込みが一段落すると、各鍋から流し板にシロップが流し込まれ、
流れ星の軌跡みたいな筋を描きながら固まっていった。
「じゃあ、あとは型抜き班に任せるとして――」
ポルカ課長が腕組みをしていると、庁内放送のチャイムが鳴った。
やわらかな鈴の音。星飴測候庁の合図だ。
『――星飴測候庁よりお知らせします。本日午後、王都中央広場にて、暴風注意報に伴う“やわらか勇気星飴”の配布を行います』
スピーカーから聞こえる声は、よく通る落ち着いた声だった。
ミレイユは思わず顔を上げる。
「これ、ユリウスさんの……」
「はい、さきほど録音した広報音声ですね」
当の本人は淡々と答えながら、手元の資料を整えている。
『配布時間は、午後一時より日暮れまで。おひとりさま一粒までとさせていただきます。
星飴をなめると、“今日のいちばんの望み”を、すこしだけ後押しします。
――なお、星飴の包み紙には、本音が一行だけ現れます。取り扱いには、どうぞご注意ください』
放送はそこで一度区切れ、最後に柔らかい一言が添えられた。
『暴風の日も、みなさまの心に、少しでも晴れ間がありますように』
すとん、と胸の真ん中に落ちてくるような言い回しだった。
ミレイユは、手元のエプロンをぎゅっと握りしめる。
「……やっぱり、いい声ですね」
ぽろっと漏れた本音に、ポルカ課長がにやりと笑う。
「おやおや、新人ちゃん。うちの広報官のファンかい?」
「ち、ちがっ……! その、声というか、言葉というか……」
必死に弁解しようとするミレイユを、ユリウスが横目でちらりと見る。
ほんの少しだけ、耳の先が赤くなっているような気がしたのは、きっと気のせいだ。
「言葉がうまく届くのは、星飴のおかげですよ。
星飴の“効き方”を説明するうちに、自然とこうなりました」
そう言いつつも、ユリウスはどこか照れを誤魔化すように、書類に視線を落とした。
「さて。午後の配布には、シュガールさんにも同行してもらいます。
自分の作った星飴が、どういうふうに届いていくのか、見ておくといい」
「はいっ、ぜひ」
ミレイユは胸いっぱいにうなずいた。
自分が混ぜた鍋が、だれかの“きょう”を少し楽にするのだと思うと、
暴風よりも胸の高鳴りの方が強くなる。
*
そして、昼休憩を挟んだあと。
星飴の詰められた木箱が、庁舎の玄関前にずらりと並べられた。
ラベルには、可愛らしい雲と風のイラスト付きで「やわらか勇気」と書いてある。
「こちらが広場行きの箱ですね。……数、間違いありませんか?」
ユリウスが調整課の事務官に確認する。
事務官は手元の帳簿を見ながら頷いた。
「はい。やわらか勇気タイプ、二百粒入りの箱が……ええと、一、二、三……十箱。
それから、予備の“おちつくハーブ飴”が一箱」
「了解しました。では、このうち九箱を中央広場へ、一箱は庁舎内配布用に回します。
……“恋が加速する飴”の箱は、別室保管ですよね?」
その名前が出た瞬間、ミレイユはびくっと肩を揺らした。
「あ、あの、ユリウスさん。
“恋が加速する飴”って、そんなに危ないんですか?」
「危ない、というより、扱いが難しい。
片想いの人の背中を押す飴ですが、包み紙に浮かぶ本音が、少々ダイレクトすぎる傾向がありまして」
ユリウスは、少しだけ頭を抱えるような仕草をする。
「以前、試験運用した際には、庁舎前が“告白と土下座の行列”になりました。
あれ以来、庁長判断で一般配布は禁止されています」
「そ、そんなことが……」
「なので、あの箱には絶対触らないように。
ラベルも派手なので、間違えることはないはずですが」
事務官も真面目な顔で頷いた。
「恋加速は北側倉庫の二段目、一番奥です。鍵もかけてありますので、ご安心を」
「念のため、あとで鍵の位置も確認しておきましょう」
ユリウスがメモを取る。
その横で、ミレイユはこっそり胸をなでおろした。
(“恋が加速する飴”……。
配合メモだけ、こっそり読ませてもらったけれど、本当に、強そうだったもんな……)
鍋の温度も、材料の配分も、本音の引き出し方も、ぜんぶ繊細に変えてある。
少しでも間違えれば、たしかに大騒ぎになりそうだ。
――そのとき、工房の奥で、ささやかな物音がした。
がしゃん、と金属の棚がかすかに揺れる音。
誰かが、隣の倉庫のドアを開けたのだろうか。
「……風かな?」
誰かがつぶやく。
外はすでに、時折びゅう、と強い風が吹き抜けていた。
ミレイユは一瞬そちらを振り返ったが、すぐに星飴の箱に視線を戻した。
今は、配布の段取りを覚える方が先だ。
――ほんのすこしだけ、心の端に引っかかりを残したまま。
*
午後一時。
星飴測候庁の旗を掲げた小さな移動屋台が、王都中央広場の隅に設置された。
暴風注意報のせいで、空の色はどこか落ち着かない灰色をしている。
けれど、広場にはいつも通り、パン屋の屋台や花屋のワゴンが並び、
人々は風にコートを押さえながら、足早に行き交っていた。
「本日、暴風注意報につき、“やわらか勇気星飴”を無料配布しております」
「おひとりさま一粒まで。お気軽にどうぞ」
ユリウスの声が、控えめながらもよく通る。
屋台の前には、興味津々といった様子の市民たちが、少しずつ列を作り始めた。
「……わぁ、本当に集まってきましたね」
ミレイユは、屋台の内側からそっと人だかりをのぞいた。
「星飴測候庁の配布は、小さなお祭りみたいなものですからね。
心がざわつきやすい日に“無料のお守り”がもらえるとなれば、みなさん来ますよ」
ユリウスは慣れた調子で答えながら、箱のふたを開ける。
中には、星型の小さな飴が整然と並んでいた。
「では、シュガールさん。市民の皆さんに直接、手渡してみますか?」
「えっ、わたしが?」
「あなたの作った星飴です。どんな顔で受け取ってもらえるのか、見ておくといい」
促されて、ミレイユはおそるおそる一歩前に出た。
列の先頭には、仕事帰りらしき若い女性が立っている。
「あ、あの、おひとつどうぞ。
“やわらか勇気”の、星飴です」
両手で包み紙を添えて差し出すと、女性はふわりと笑った。
「ありがとう。暴風の日の外回り、正直ちょっと憂鬱だったのよね。
これで、もう少し頑張れそう」
「そ、そう言ってもらえると嬉しいです……!」
女性はその場で星飴を口に含み、包み紙を指先でもてあそんだ。
しばらくして、紙片にふわりと文字が浮かび上がる。
「……うわ、出た。本音一行」
くすくす笑いながら、それを胸ポケットにしまう。
「“本当は、帰りにケーキを二個買って帰りたい”。
……うん、これは誰にも見せたくないやつね」
そう言いつつも、その横顔はどこか楽しそうだった。
ミレイユは、胸のあたりがじんわり温かくなる。
(ちゃんと、“きょうだけの勇気”を応援できてるんだ……)
次々と星飴が配られ、
「ちょっと気が楽になった」「なんだか笑えてきた」といった声がちらほら聞こえてくる。
ユリウスは列の様子を見ながら、人の流れと風の向き、雲の形を同時に観察していた。
まるで、街全体の「機嫌の天気図」を頭の中で描いているみたいに。
「どうですか、初めての配布は」
「……すごく、嬉しいです。
わたしの混ぜた鍋が、こんなふうに届いてるんだなぁって」
「その感覚を、忘れないでいてください。
星飴の配合は、数字と規定だけでもできますが――」
ユリウスは、ふと視線を空に向ける。
「人の顔を知っている人が混ぜた飴の方が、だいたい、よく効きます」
その言葉に、ミレイユは目を瞬かせた。
さっき、庁舎の廊下で聞いた“職務上の言いかた”とは違う、本音に近い響き。
「……今の、包み紙に出たら、ちょっと恥ずかしいやつですね」
「そうですね。だから星飴は、私ではなく、街の皆さんに舐めていただきましょう」
軽い冗談めかしてかわすユリウスに、ミレイユもくすりと笑った。
そのときだった。
屋台の後ろから、係の事務官が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ユリウス広報官! たいへんです、箱の数が……!」
「どうしました?」
「庁舎側の倉庫で確認したところ、“やわらか勇気”の箱が一つ足りなくて……代わりに、見慣れないラベルの箱が」
ユリウスの表情が、すっと引き締まる。
「見慣れないラベル?」
「ええ。えっと……ハート型の風と、矢が刺さった星のイラストで――」
事務官は、手元のメモを震える声で読み上げる。
「“恋が加速する飴 試作三号”と……!」
瞬間、ユリウスとミレイユの心臓が、同時にどくんと跳ねた。
屋台の前では、何も知らない市民たちが笑い声をあげ、
風は、さっきよりも少しだけ強くなっている。
――暴風注意報の日。
星飴測候庁の、ほんの少しの手違いが。
やがて、王都じゅうを巻き込む「ときめき渋滞」を起こすことになるとは、
その場にいた誰ひとり、まだ知らなかった。
銅鍋の中で、透明だったシロップが、ゆっくりととろんとした光を帯びていく。
外では暴風の前触れなのか、窓ガラスがときどき小さく震えた。
「ここが、きみに預けられた鍋だよ、ミレイユちゃん」
星飴調整課長のふくよかな男性――ポルカ課長が、両手を腰に当ててにこにこと言った。
つやつやした口ひげが、笑うたびにぴくぴく揺れる。
「午前中は、あんまり難しい配合はやらせないから安心して。きょうは“やわらか勇気”タイプの基本配合ね」
「やわらか勇気……」
「そう。“なんとかなる気がしてくるけど、無茶はしない”ぐらいで止まってくれる、いい子の飴さ。暴風の日の定番メニューだよ」
課長は、手元の配合表をとん、と指でたたく。
そこには色とりどりの星マークと共に、レシピがぎっしり書き込まれていた。
「星飴はね、天気と人の心と、材料のご機嫌、この三つのバランスで味が決まるんだ」
「材料の……ご機嫌、ですか?」
「そう。砂糖はほめてあげるときれいに溶けるし、レモン汁は寝起きが悪くてね。機嫌が悪いと酸っぱくなりすぎる。
だから、鍋の前では、なるべく優しいことだけ考えるのがコツさ」
ポルカ課長の冗談まじりの説明に、周りの職人たちが和やかに笑う。
その空気に少し救われて、ミレイユも笑顔になった。
「じゃあ、さっそく優しいこと、考えながら混ぜてみます」
「うんうん、その意気だ。あ、でも“今日の昼ごはん何にしよう”は、わりと味に出るから気をつけて」
「えっ、そんなに……?」
思わず鍋から視線を上げると、窓の向こうを、ちらちらと光の粒が横切っていく。
まだ、星飴の素の名残が空に漂っているのだろう。
ミレイユは、深呼吸をひとつ。
そして、木べらを手に取った。
――きょうの飴で、少しでも誰かが「大丈夫」と思えますように。
――暴風でも、心までぐちゃぐちゃになりませんように。
そう心の中で唱えながら、ゆっくりと円を描く。
シロップの表面に、やわらかな泡が、星のかけらみたいにきらきら浮かんだ。
「うん、いい顔してきた。これなら“やわらか勇気”いけそうだねぇ」
ポルカ課長が鍋をのぞき込み、満足そうに頷く。
ミレイユの胸に、ちいさな誇らしさが灯った。
*
「作業記録、十一時〇五分。やわらか勇気タイプ、第一鍋、配合良好。――と」
工房の隅の長机では、ユリウスが淡々とペンを走らせていた。
調整課の一角に臨時で設けられた広報官席。
彼は、さっきまで庁舎全体の巡回をしていたはずなのに、いつの間にかここに腰を落ち着けている。
「ユリウスさん、さっきからずっと、見て……いえ、記録してくださってるんですね」
「暴風注意報の日ですからね。配合のブレが、街の雰囲気に直結します。
“ちょっと怖い”が“やたらハイテンション”になってしまっても困るので」
さらりと言いながら、彼の視線はちらりと鍋の中へ。
ミレイユは、少しだけ背筋を伸ばした。
「でも、そんなにじっと見られると、緊張して手がすべっちゃいそうで……」
「それは困りますね。星飴が床にぶちまけられたら、そこだけ“転倒注意報”になりそうだ」
くす、とユリウスの口元がゆるむ。
真面目な話の中に、ふっと冗談を差し込む癖があるらしい。
「緊張をほぐすために、ひとつだけアドバイスを」
「アドバイス……」
「はい。鍋を混ぜているときは、“自分のためにも効いてほしいこと”を、ひとつだけ思い浮かべる。
そうすると、不思議と味の方向性が定まりやすい」
「自分の、ため……」
木べらを動かしながら、ミレイユはこっそり考える。
――きょう、わたしが星飴に後押ししてもらいたい望み。
(ええと……暴風でも転ばないように、足元にだけは星飴の素が降りませんように、とか?
それとも、ユリウスさんに迷惑をかけませんように、とか……いや、もうちょっと可愛い望みがいい……)
ぐるぐる考えているうちに、木べらの動きがほんの少しぎこちなくなった。
そんな様子を見て、ユリウスは小さく首を傾げる。
「難しく捉えなくていいんですよ。
――たとえば、“きょう無事に仕事を終えて、おいしいおやつが食べられますように”とか」
「……あ、それ、いいですね」
途端に、ミレイユの表情がぱっと明るくなった。
たしかにそれなら、ほんのり甘くて、誰のことも追い詰めない望みだ。
「じゃあ、きょうのおやつ、ちょっと期待しちゃいます」
「残念ながら、庁内手作りおやつは、暴風の日は中止ですが」
「えっ!? そうなんですか?」
「代わりに、帰り道の商店街で使える“星飴おやつ券”が配られます。
みなさん暴風でも強風でも、律儀に買いに行くので、商店街はいつもより元気ですね」
その説明に、周りの職人たちがわっと湧いた。
「課長、今年もおやつ券出るんですね?」
「そりゃあもちろんさ。星飴様のおかげで商店街の売り上げも上がるんだ。持ちつ持たれつってやつだよ!」
ポルカ課長が胸を張ると、工房の空気が一段と和やかになる。
ミレイユもつられて笑い、鍋の中のシロップも、ぷくぷくと上機嫌に泡立った。
*
午前の仕込みが一段落すると、各鍋から流し板にシロップが流し込まれ、
流れ星の軌跡みたいな筋を描きながら固まっていった。
「じゃあ、あとは型抜き班に任せるとして――」
ポルカ課長が腕組みをしていると、庁内放送のチャイムが鳴った。
やわらかな鈴の音。星飴測候庁の合図だ。
『――星飴測候庁よりお知らせします。本日午後、王都中央広場にて、暴風注意報に伴う“やわらか勇気星飴”の配布を行います』
スピーカーから聞こえる声は、よく通る落ち着いた声だった。
ミレイユは思わず顔を上げる。
「これ、ユリウスさんの……」
「はい、さきほど録音した広報音声ですね」
当の本人は淡々と答えながら、手元の資料を整えている。
『配布時間は、午後一時より日暮れまで。おひとりさま一粒までとさせていただきます。
星飴をなめると、“今日のいちばんの望み”を、すこしだけ後押しします。
――なお、星飴の包み紙には、本音が一行だけ現れます。取り扱いには、どうぞご注意ください』
放送はそこで一度区切れ、最後に柔らかい一言が添えられた。
『暴風の日も、みなさまの心に、少しでも晴れ間がありますように』
すとん、と胸の真ん中に落ちてくるような言い回しだった。
ミレイユは、手元のエプロンをぎゅっと握りしめる。
「……やっぱり、いい声ですね」
ぽろっと漏れた本音に、ポルカ課長がにやりと笑う。
「おやおや、新人ちゃん。うちの広報官のファンかい?」
「ち、ちがっ……! その、声というか、言葉というか……」
必死に弁解しようとするミレイユを、ユリウスが横目でちらりと見る。
ほんの少しだけ、耳の先が赤くなっているような気がしたのは、きっと気のせいだ。
「言葉がうまく届くのは、星飴のおかげですよ。
星飴の“効き方”を説明するうちに、自然とこうなりました」
そう言いつつも、ユリウスはどこか照れを誤魔化すように、書類に視線を落とした。
「さて。午後の配布には、シュガールさんにも同行してもらいます。
自分の作った星飴が、どういうふうに届いていくのか、見ておくといい」
「はいっ、ぜひ」
ミレイユは胸いっぱいにうなずいた。
自分が混ぜた鍋が、だれかの“きょう”を少し楽にするのだと思うと、
暴風よりも胸の高鳴りの方が強くなる。
*
そして、昼休憩を挟んだあと。
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ラベルには、可愛らしい雲と風のイラスト付きで「やわらか勇気」と書いてある。
「こちらが広場行きの箱ですね。……数、間違いありませんか?」
ユリウスが調整課の事務官に確認する。
事務官は手元の帳簿を見ながら頷いた。
「はい。やわらか勇気タイプ、二百粒入りの箱が……ええと、一、二、三……十箱。
それから、予備の“おちつくハーブ飴”が一箱」
「了解しました。では、このうち九箱を中央広場へ、一箱は庁舎内配布用に回します。
……“恋が加速する飴”の箱は、別室保管ですよね?」
その名前が出た瞬間、ミレイユはびくっと肩を揺らした。
「あ、あの、ユリウスさん。
“恋が加速する飴”って、そんなに危ないんですか?」
「危ない、というより、扱いが難しい。
片想いの人の背中を押す飴ですが、包み紙に浮かぶ本音が、少々ダイレクトすぎる傾向がありまして」
ユリウスは、少しだけ頭を抱えるような仕草をする。
「以前、試験運用した際には、庁舎前が“告白と土下座の行列”になりました。
あれ以来、庁長判断で一般配布は禁止されています」
「そ、そんなことが……」
「なので、あの箱には絶対触らないように。
ラベルも派手なので、間違えることはないはずですが」
事務官も真面目な顔で頷いた。
「恋加速は北側倉庫の二段目、一番奥です。鍵もかけてありますので、ご安心を」
「念のため、あとで鍵の位置も確認しておきましょう」
ユリウスがメモを取る。
その横で、ミレイユはこっそり胸をなでおろした。
(“恋が加速する飴”……。
配合メモだけ、こっそり読ませてもらったけれど、本当に、強そうだったもんな……)
鍋の温度も、材料の配分も、本音の引き出し方も、ぜんぶ繊細に変えてある。
少しでも間違えれば、たしかに大騒ぎになりそうだ。
――そのとき、工房の奥で、ささやかな物音がした。
がしゃん、と金属の棚がかすかに揺れる音。
誰かが、隣の倉庫のドアを開けたのだろうか。
「……風かな?」
誰かがつぶやく。
外はすでに、時折びゅう、と強い風が吹き抜けていた。
ミレイユは一瞬そちらを振り返ったが、すぐに星飴の箱に視線を戻した。
今は、配布の段取りを覚える方が先だ。
――ほんのすこしだけ、心の端に引っかかりを残したまま。
*
午後一時。
星飴測候庁の旗を掲げた小さな移動屋台が、王都中央広場の隅に設置された。
暴風注意報のせいで、空の色はどこか落ち着かない灰色をしている。
けれど、広場にはいつも通り、パン屋の屋台や花屋のワゴンが並び、
人々は風にコートを押さえながら、足早に行き交っていた。
「本日、暴風注意報につき、“やわらか勇気星飴”を無料配布しております」
「おひとりさま一粒まで。お気軽にどうぞ」
ユリウスの声が、控えめながらもよく通る。
屋台の前には、興味津々といった様子の市民たちが、少しずつ列を作り始めた。
「……わぁ、本当に集まってきましたね」
ミレイユは、屋台の内側からそっと人だかりをのぞいた。
「星飴測候庁の配布は、小さなお祭りみたいなものですからね。
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ユリウスは慣れた調子で答えながら、箱のふたを開ける。
中には、星型の小さな飴が整然と並んでいた。
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「えっ、わたしが?」
「あなたの作った星飴です。どんな顔で受け取ってもらえるのか、見ておくといい」
促されて、ミレイユはおそるおそる一歩前に出た。
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しばらくして、紙片にふわりと文字が浮かび上がる。
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……うん、これは誰にも見せたくないやつね」
そう言いつつも、その横顔はどこか楽しそうだった。
ミレイユは、胸のあたりがじんわり温かくなる。
(ちゃんと、“きょうだけの勇気”を応援できてるんだ……)
次々と星飴が配られ、
「ちょっと気が楽になった」「なんだか笑えてきた」といった声がちらほら聞こえてくる。
ユリウスは列の様子を見ながら、人の流れと風の向き、雲の形を同時に観察していた。
まるで、街全体の「機嫌の天気図」を頭の中で描いているみたいに。
「どうですか、初めての配布は」
「……すごく、嬉しいです。
わたしの混ぜた鍋が、こんなふうに届いてるんだなぁって」
「その感覚を、忘れないでいてください。
星飴の配合は、数字と規定だけでもできますが――」
ユリウスは、ふと視線を空に向ける。
「人の顔を知っている人が混ぜた飴の方が、だいたい、よく効きます」
その言葉に、ミレイユは目を瞬かせた。
さっき、庁舎の廊下で聞いた“職務上の言いかた”とは違う、本音に近い響き。
「……今の、包み紙に出たら、ちょっと恥ずかしいやつですね」
「そうですね。だから星飴は、私ではなく、街の皆さんに舐めていただきましょう」
軽い冗談めかしてかわすユリウスに、ミレイユもくすりと笑った。
そのときだった。
屋台の後ろから、係の事務官が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ユリウス広報官! たいへんです、箱の数が……!」
「どうしました?」
「庁舎側の倉庫で確認したところ、“やわらか勇気”の箱が一つ足りなくて……代わりに、見慣れないラベルの箱が」
ユリウスの表情が、すっと引き締まる。
「見慣れないラベル?」
「ええ。えっと……ハート型の風と、矢が刺さった星のイラストで――」
事務官は、手元のメモを震える声で読み上げる。
「“恋が加速する飴 試作三号”と……!」
瞬間、ユリウスとミレイユの心臓が、同時にどくんと跳ねた。
屋台の前では、何も知らない市民たちが笑い声をあげ、
風は、さっきよりも少しだけ強くなっている。
――暴風注意報の日。
星飴測候庁の、ほんの少しの手違いが。
やがて、王都じゅうを巻き込む「ときめき渋滞」を起こすことになるとは、
その場にいた誰ひとり、まだ知らなかった。
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