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第5話 翌朝、ときめき後遺症レポート
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翌朝の王都は、嘘みたいに静かだった。
暴風は夜のうちに抜け、空にはうっすらとした雲の切れ間から、柔らかな光がのぞいている。
石畳の道には、落ち葉と一緒に、ところどころ色あせた包み紙が張りついていた。
「……あ、まだ残ってる」
星飴測候庁へ向かう道すがら、ミレイユは、足もとに視線を落とした。
拾い上げた包み紙には、もう文字は残っていない。ただ、風と小さなハートの模様だけが、昨夜の名残のように瞬いている。
(半日たったから、本音は消えちゃったんだ……)
ほんの少し、さみしい。
でも同時に、「ちゃんと終わったんだ」とわかる合図のようでもあった。
通りの角では、パン屋の若主人と、隣のスープ屋の娘が一緒に店先を掃除している。
目が合うと、ふたりとも気まずそうに笑って、でも、すぐ楽しそうに何かを話し始めた。
(……よかった)
ミレイユは、そっと胸をなでおろす。
暴風の日の告白も、本音の一行も、
ちゃんと“その後”につながっている。
それがわかるだけで、足取りがずいぶん軽くなった。
*
星飴測候庁の玄関をくぐると、受付フロアに、見慣れない掲示が増えていた。
『【本日の観測テーマ】
暴風注意報に伴う「ときめき後遺症」について
――恥ずかしさ、じたばた、ニヤニヤ等の症状が出た場合は、星飴相談窓口まで。』
「……誰が書いたんだろう、これ」
首をかしげていると、横から受付の女性がひょいと顔を出した。
「おはよう、ミレイユさん。
それ、ユリウスさんが、今朝一番に貼っていかれたのよ」
「ユリウスさんが……」
「“真面目に謝るだけじゃ、かえって皆さんが来づらいでしょう”って。
ふふ、“ニヤニヤ”って単語を公式掲示に入れたの、きっと庁史上初よ」
受付が愉快そうに笑う。
ミレイユは、思わず掲示をじっと見つめてしまった。
きちんとした字体で書かれているのに、ところどころ丸い星マークが添えられている。
ふざけてはいないのに、どこか可笑しい。
(……こういうところ、本当に広報官さんだなぁ)
感心していると、背後の廊下から、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「おはようございます、シュガールさん。
今日も無事に、庁舎までたどり着きましたね」
「おはようございます、ユリウスさん」
振り向くと、いつも通りきちんとした制服姿のユリウスが立っていた。
ただ、いつもよりわずかに、目の下に薄い影がある。
「昨日は遅くまで、レポートでしたか?」
「ええ。暴風注意報に伴う“恋の観測記録”は、庁長が楽しみにしていますから」
さらっと言いながらも、どこか疲れの色が混ざっている。
「その、わたしのせいで……」
「また“せいで”と言いましたね」
ユリウスは、少しだけ視線を細めた。
「言葉は、観測記録にも残りますよ。
“自分のせいで”というフレーズは、なるべく“自分のおかげで”に変換してもらえませんか」
「お、おかげで……?」
「“自分のおかげで、昨日の王都は、少しだけ恋が進んだ”とか」
真顔で言われて、ミレイユは変な声を飲み込んだ。
「そ、そんな言い方、恥ずかしすぎます……!」
「暴風証明書、発行してあげましょうか。
“恥ずかしい自己評価を口にした件、気圧の影響につき不問”と」
「そんな証明書、欲しいような欲しくないような……」
わたわたするミレイユを見て、ユリウスはほんの少しだけ口元を緩めた。
「冗談はさておき。
今朝、庁長から“反省会”の招集がかかりました。
星飴調整課・関連職員も出席とのことで、シュガールさんも一緒に来ていただきます」
「……反省会」
その単語に、ミレイユの背筋がぴんと伸びた。
(ついに、来てしまった……)
「大丈夫ですよ。庁長は、怒鳴るより、お菓子を焼くタイプですから」
「それはそれで、こわい気もします……」
*
会議室に入ると、すでに何人かが席についていた。
丸いテーブルの上には、昨日の星飴の包み紙が、色とりどりに並べられている。
まるで、花びらを広げた標本みたいだった。
星飴調整課のポルカ課長が、頭をかきながら小さく手を振る。
「ミレイユちゃん、おはよう。いやぁ、やらかしたねぇ、うちの倉庫」
「か、課長こそ……」
「倉庫担当には、みっちり“箱ラベルの見分け方講座”やり直してもらうとして。
飴そのものはね、ほんと、いい仕事してたよ」
ポルカ課長は、目の前の包み紙に視線を落とす。
「“本当は、仕事より家族との朝ごはんが好き”
“本当は、もう一度信じてみたい人がいる”
……こういうの、なかなか他の道具には引き出せないからねぇ」
「か、課長の、包み紙も……?」
「もちろん出たよ。“本当は、もっと工房のみんなに甘くしたい”ってね」
「……!」
ミレイユは、思わず課長の顔を見た。
陽気で、でも仕事には厳しい上司の、そんな本音。
「でも、甘くしすぎるとねぇ、飴がゆるくなるからね。そこは職人として、ぐっと堪えないと」
冗談めかしながらも、その目は優しかった。
やがて、庁長が入室してきた。
小柄な体に、星柄のストールを巻いた年配の女性。
柔らかな笑顔の奥に、ぴんと張った糸のような鋭さを宿した人だ。
「昨日は、お騒がせしましたねぇ」
入るなり、庁長はぺこりと頭を下げた。
「庁長が謝る前に、倉庫のラベルが謝るべきかと存じますが」
ユリウスが静かに言うと、庁長はくすりと笑う。
「そうねぇ。ラベルにも反省してもらわないと。
――さて、本題に入りましょうか」
庁長の合図で、会議が始まる。
ユリウスが用意した「暴風日恋愛観測報告書」が、テーブルの上に配られた。
表紙には、几帳面な字でこう書かれている。
『暴風注意報下における、星飴“恋加速”の影響について
――ときめき渋滞の発生と、その後日談の可能性』
「タイトルからして楽しそうですね、広報官どの」
「庁長のご趣味に合わせた結果です」
乾いたやりとりに、会議室の空気がほんの少しほぐれる。
ユリウスは、淡々と報告を読み上げていった。
「昨日、王都中央広場および庁内にて観測された“恋が加速した行動”は、
記録上、計五十三件。そのうち――」
・その場での告白、三十二件
・家族・友人への本音表明、十一件
・自己への宣言(“今日の自分を大事にしたい”等)、十件
「重大なトラブルや暴力事案はなし。
泣きながら走り去るケースが四件、
そのうち二件は、その後“暴風証明書”を申請しに来庁。
うち一件は、“でも言えてよかった”との自己評価を表明」
会議室の何人かが、ほっと息をつく。
「全体として、“一時的なときめき渋滞”は発生したものの、
翌朝までに大半は“照れと笑いの余韻”に移行。
――被害というより、“濃度の高い一日”として記録すべきと判断します」
「ふむふむ」
庁長は顎に手を当てながら、ちらりと資料の末尾に目を走らせた。
「“今後の提言”のところ、読み上げてくださる?」
「はい」
ユリウスは、一拍おいてから最後のページを開いた。
「一、倉庫管理体制の強化。ラベルの図案を“ひと目でわかるレベル”まで差別化。
二、“恋が加速する飴”の一般配布は、原則庁主催イベント時に限定。
三、その際は必ず“説明つき・選択制”での配布とする。
四、星飴相談窓口の常設化を検討すること」
「最後のやつ、“常設”ねぇ……」
庁長は、面白そうに目を細めた。
「そんなに恋が渋滞するのが見たいの?」
「渋滞そのものより、“安全な歩き方”を提案する窓口をつくる必要性を感じました。
――昨日、シュガールさんと一緒に対応してみて、なおさら」
名を呼ばれて、ミレイユはびくりと背筋を伸ばした。
「し、シュガール・ミレイユです……!」
「彼女は、市民の本音を、丁寧に、そして“引き受けすぎず”に聞くことができていました。
これは、星飴相談窓口に必要な資質です」
「……」
自分のことがそんなふうに言われるなんて思ってもみなくて、
ミレイユは、耳まで真っ赤になった。
(引き受けすぎず、なんて、そんな……
半分くらい、“うまく返せなかったなぁ”って反省してたのに)
庁長は、そんな彼女の様子を、楽しそうに眺める。
「いいわねぇ、若い人がちゃんと星飴と向き合ってくれて。
――常設窓口の件、前向きに検討しましょう。
ただし、現時点では“試験運用”。名前も、もう少し柔らかくしたいわね」
「柔らかく……」
「“本音ティーサロン”とか、“星飴おしゃべり席”とか」
「庁長、ネーミングの方向性が思いっきり趣味です」
「だって、真面目くさった窓口名より、入りやすいでしょう?」
にっこり笑う庁長に、誰も反論できなかった。
こうして、「星飴相談窓口・恋と本音の席(仮)」は、
庁内で正式に“検討対象”となったのだった。
*
会議が終わり、資料を抱えて廊下を歩いていると、予報課の職員たちがヒソヒソと話しているのが聞こえた。
「昨日さー、庁内配布の星飴で、うちの課長がさぁ」
「“本当は、もう少し部下を褒めたい”って出たやつ?」
「そう、それ。今朝からやたら“よくやってるよ”って声かけしてきてさ。気持ち悪いくらい優しいんだけど」
「暴風後遺症だねぇ」
ミレイユは、思わず笑ってしまう。
庁内のあちこちで、“ときめき後遺症”がじわじわ進行中らしい。
「……良い方の後遺症なら、歓迎すべきですね」
隣を歩くユリウスがぽつりと言った。
「ユリウスさんは、庁内の星飴、舐めなかったんですか?」
「ええ。昨日は、業務優先でしたから。
――個人分は、こちらに」
そう言って、制服の内ポケットを軽く叩く。
そこには、あのピンクがかった星飴が、まだ静かに眠っているのだろう。
ミレイユも、反射的に自分のエプロンのポケットを押さえた。
(わたしの“恋が加速する飴”も、まだ、ここに……)
暴風が過ぎた今、
あとは自分のタイミングで舐めればいい。
そう言われたけれど――。
(……まだ、勇気、足りないかも)
包み紙にどんな一行が浮かぶのか。
想像しただけで、胃がきゅっと縮こまるような、
でも、少しだけ楽しみなような、不思議な感覚。
「焦る必要はありませんよ」
ふいに、ユリウスが言った。
まるで心を読まれたみたいで、ミレイユはびくっとする。
「星飴の本音一行は、“今日いちばんの望み”ですから。
――まだ知りたいと思っていないなら、その日ではないのでしょう」
「……そういう、ものですか」
「はい。仕事柄、何度も見てきましたからね。
“準備ができていない人”が、本音を覗いてしまうと、
だいたい、包み紙を丸めて遠投してしまいます」
想像できすぎて、ミレイユは笑ってしまった。
「わたし、多分、窓の外まで投げちゃいます……」
「庁舎の窓は高いので、やめてください。
――投げたくなったときは、星飴相談窓口に持ってきてください」
冗談めかした言い方なのに、そこには確かな安心も混ざっていた。
(あ、こういうところも、“分けてもらえる”みたいで、ほっとするんだ)
*
その日の午後は、昨日ほどではないにせよ、
ぽつぽつと“ときめき後遺症”の相談が続いた。
「昨日の包み紙を、やっぱり誰かに見せたくなった」と持ってくる人。
「勢いで告白した相手からも、似たような本音が出ていた」と、嬉しそうに報告しに来る人。
ミレイユは、そのたびに、きちんと言葉を返した。
「暴風のせいにしながら、少しずつ自分のペースで進んでいけばいいと思います」
「星飴は、背中を押すだけですから。
その先の一歩は、ご自身の足で踏み出したんですよ」
そんなやりとりを繰り返すうちに、
自分の中にも、少しずつ“星飴相談窓口の声”が育っていくのを感じる。
(……もしかして、これが、わたしの“今日いちばんの望み”だったのかな)
“誰かの望みや本音に、優しく寄り添える人でありたい”。
包み紙に浮かべる勇気は、まだないけれど――
そう願っている自分の気持ちに、少しだけ気づいてしまった。
*
日が傾き始めたころ、ようやく相談窓口の椅子から立ち上がることができた。
「ふぅ……今日も、よくしゃべりました……」
「お疲れさまです。
“可愛い癒し系コメディ”の仕事としては、上々の滑り出しですね」
「ジャンルで励まさないでください……」
ぐったりしながら笑うミレイユに、ユリウスは時間を確認するように壁の時計を見やった。
「そろそろ、暴風証明書の受付も締め切りです。
――締め切りついでに、ひとつ提案があるのですが」
「提案……?」
「今日の帰りに、庁舎のすぐそばの角で、
“ときめき後遺症観測・最終確認”をしていきませんか」
「最終確認……?」
「ええ。昨日星飴を配った広場から流れてくる、人の顔。
“怒り”が残っていないか、“後悔”が色濃くないか。
それを見届けてから帰った方が、きっとよく眠れます」
たしかに、とミレイユは思った。
まだどこかで、「本当は怒っている人がいるかもしれない」と不安だったのだ。
「……行きたいです」
「では、仕事が一段落したら、庁舎の前で」
ユリウスは、それだけ言って、いったん自分のデスクへ戻っていった。
ミレイユは、その背中を見送りながら、
エプロンのポケットの中の星飴に視線を落とす。
(今日の“ときめき後遺症”が、ちゃんと良い方に落ち着いたってわかったら――)
――そのとき、
自分の本音も、ほんの少し、知ってみたくなるだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、
彼女は、相談窓口の木札をそっと「本日終了」の面にひっくり返した。
暴風の日から一日が経ち、
星飴測候庁には、静かな余韻と、
まだ溶けきらない、ときめきの熱だけが、
ふわりと漂っていた。
暴風は夜のうちに抜け、空にはうっすらとした雲の切れ間から、柔らかな光がのぞいている。
石畳の道には、落ち葉と一緒に、ところどころ色あせた包み紙が張りついていた。
「……あ、まだ残ってる」
星飴測候庁へ向かう道すがら、ミレイユは、足もとに視線を落とした。
拾い上げた包み紙には、もう文字は残っていない。ただ、風と小さなハートの模様だけが、昨夜の名残のように瞬いている。
(半日たったから、本音は消えちゃったんだ……)
ほんの少し、さみしい。
でも同時に、「ちゃんと終わったんだ」とわかる合図のようでもあった。
通りの角では、パン屋の若主人と、隣のスープ屋の娘が一緒に店先を掃除している。
目が合うと、ふたりとも気まずそうに笑って、でも、すぐ楽しそうに何かを話し始めた。
(……よかった)
ミレイユは、そっと胸をなでおろす。
暴風の日の告白も、本音の一行も、
ちゃんと“その後”につながっている。
それがわかるだけで、足取りがずいぶん軽くなった。
*
星飴測候庁の玄関をくぐると、受付フロアに、見慣れない掲示が増えていた。
『【本日の観測テーマ】
暴風注意報に伴う「ときめき後遺症」について
――恥ずかしさ、じたばた、ニヤニヤ等の症状が出た場合は、星飴相談窓口まで。』
「……誰が書いたんだろう、これ」
首をかしげていると、横から受付の女性がひょいと顔を出した。
「おはよう、ミレイユさん。
それ、ユリウスさんが、今朝一番に貼っていかれたのよ」
「ユリウスさんが……」
「“真面目に謝るだけじゃ、かえって皆さんが来づらいでしょう”って。
ふふ、“ニヤニヤ”って単語を公式掲示に入れたの、きっと庁史上初よ」
受付が愉快そうに笑う。
ミレイユは、思わず掲示をじっと見つめてしまった。
きちんとした字体で書かれているのに、ところどころ丸い星マークが添えられている。
ふざけてはいないのに、どこか可笑しい。
(……こういうところ、本当に広報官さんだなぁ)
感心していると、背後の廊下から、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「おはようございます、シュガールさん。
今日も無事に、庁舎までたどり着きましたね」
「おはようございます、ユリウスさん」
振り向くと、いつも通りきちんとした制服姿のユリウスが立っていた。
ただ、いつもよりわずかに、目の下に薄い影がある。
「昨日は遅くまで、レポートでしたか?」
「ええ。暴風注意報に伴う“恋の観測記録”は、庁長が楽しみにしていますから」
さらっと言いながらも、どこか疲れの色が混ざっている。
「その、わたしのせいで……」
「また“せいで”と言いましたね」
ユリウスは、少しだけ視線を細めた。
「言葉は、観測記録にも残りますよ。
“自分のせいで”というフレーズは、なるべく“自分のおかげで”に変換してもらえませんか」
「お、おかげで……?」
「“自分のおかげで、昨日の王都は、少しだけ恋が進んだ”とか」
真顔で言われて、ミレイユは変な声を飲み込んだ。
「そ、そんな言い方、恥ずかしすぎます……!」
「暴風証明書、発行してあげましょうか。
“恥ずかしい自己評価を口にした件、気圧の影響につき不問”と」
「そんな証明書、欲しいような欲しくないような……」
わたわたするミレイユを見て、ユリウスはほんの少しだけ口元を緩めた。
「冗談はさておき。
今朝、庁長から“反省会”の招集がかかりました。
星飴調整課・関連職員も出席とのことで、シュガールさんも一緒に来ていただきます」
「……反省会」
その単語に、ミレイユの背筋がぴんと伸びた。
(ついに、来てしまった……)
「大丈夫ですよ。庁長は、怒鳴るより、お菓子を焼くタイプですから」
「それはそれで、こわい気もします……」
*
会議室に入ると、すでに何人かが席についていた。
丸いテーブルの上には、昨日の星飴の包み紙が、色とりどりに並べられている。
まるで、花びらを広げた標本みたいだった。
星飴調整課のポルカ課長が、頭をかきながら小さく手を振る。
「ミレイユちゃん、おはよう。いやぁ、やらかしたねぇ、うちの倉庫」
「か、課長こそ……」
「倉庫担当には、みっちり“箱ラベルの見分け方講座”やり直してもらうとして。
飴そのものはね、ほんと、いい仕事してたよ」
ポルカ課長は、目の前の包み紙に視線を落とす。
「“本当は、仕事より家族との朝ごはんが好き”
“本当は、もう一度信じてみたい人がいる”
……こういうの、なかなか他の道具には引き出せないからねぇ」
「か、課長の、包み紙も……?」
「もちろん出たよ。“本当は、もっと工房のみんなに甘くしたい”ってね」
「……!」
ミレイユは、思わず課長の顔を見た。
陽気で、でも仕事には厳しい上司の、そんな本音。
「でも、甘くしすぎるとねぇ、飴がゆるくなるからね。そこは職人として、ぐっと堪えないと」
冗談めかしながらも、その目は優しかった。
やがて、庁長が入室してきた。
小柄な体に、星柄のストールを巻いた年配の女性。
柔らかな笑顔の奥に、ぴんと張った糸のような鋭さを宿した人だ。
「昨日は、お騒がせしましたねぇ」
入るなり、庁長はぺこりと頭を下げた。
「庁長が謝る前に、倉庫のラベルが謝るべきかと存じますが」
ユリウスが静かに言うと、庁長はくすりと笑う。
「そうねぇ。ラベルにも反省してもらわないと。
――さて、本題に入りましょうか」
庁長の合図で、会議が始まる。
ユリウスが用意した「暴風日恋愛観測報告書」が、テーブルの上に配られた。
表紙には、几帳面な字でこう書かれている。
『暴風注意報下における、星飴“恋加速”の影響について
――ときめき渋滞の発生と、その後日談の可能性』
「タイトルからして楽しそうですね、広報官どの」
「庁長のご趣味に合わせた結果です」
乾いたやりとりに、会議室の空気がほんの少しほぐれる。
ユリウスは、淡々と報告を読み上げていった。
「昨日、王都中央広場および庁内にて観測された“恋が加速した行動”は、
記録上、計五十三件。そのうち――」
・その場での告白、三十二件
・家族・友人への本音表明、十一件
・自己への宣言(“今日の自分を大事にしたい”等)、十件
「重大なトラブルや暴力事案はなし。
泣きながら走り去るケースが四件、
そのうち二件は、その後“暴風証明書”を申請しに来庁。
うち一件は、“でも言えてよかった”との自己評価を表明」
会議室の何人かが、ほっと息をつく。
「全体として、“一時的なときめき渋滞”は発生したものの、
翌朝までに大半は“照れと笑いの余韻”に移行。
――被害というより、“濃度の高い一日”として記録すべきと判断します」
「ふむふむ」
庁長は顎に手を当てながら、ちらりと資料の末尾に目を走らせた。
「“今後の提言”のところ、読み上げてくださる?」
「はい」
ユリウスは、一拍おいてから最後のページを開いた。
「一、倉庫管理体制の強化。ラベルの図案を“ひと目でわかるレベル”まで差別化。
二、“恋が加速する飴”の一般配布は、原則庁主催イベント時に限定。
三、その際は必ず“説明つき・選択制”での配布とする。
四、星飴相談窓口の常設化を検討すること」
「最後のやつ、“常設”ねぇ……」
庁長は、面白そうに目を細めた。
「そんなに恋が渋滞するのが見たいの?」
「渋滞そのものより、“安全な歩き方”を提案する窓口をつくる必要性を感じました。
――昨日、シュガールさんと一緒に対応してみて、なおさら」
名を呼ばれて、ミレイユはびくりと背筋を伸ばした。
「し、シュガール・ミレイユです……!」
「彼女は、市民の本音を、丁寧に、そして“引き受けすぎず”に聞くことができていました。
これは、星飴相談窓口に必要な資質です」
「……」
自分のことがそんなふうに言われるなんて思ってもみなくて、
ミレイユは、耳まで真っ赤になった。
(引き受けすぎず、なんて、そんな……
半分くらい、“うまく返せなかったなぁ”って反省してたのに)
庁長は、そんな彼女の様子を、楽しそうに眺める。
「いいわねぇ、若い人がちゃんと星飴と向き合ってくれて。
――常設窓口の件、前向きに検討しましょう。
ただし、現時点では“試験運用”。名前も、もう少し柔らかくしたいわね」
「柔らかく……」
「“本音ティーサロン”とか、“星飴おしゃべり席”とか」
「庁長、ネーミングの方向性が思いっきり趣味です」
「だって、真面目くさった窓口名より、入りやすいでしょう?」
にっこり笑う庁長に、誰も反論できなかった。
こうして、「星飴相談窓口・恋と本音の席(仮)」は、
庁内で正式に“検討対象”となったのだった。
*
会議が終わり、資料を抱えて廊下を歩いていると、予報課の職員たちがヒソヒソと話しているのが聞こえた。
「昨日さー、庁内配布の星飴で、うちの課長がさぁ」
「“本当は、もう少し部下を褒めたい”って出たやつ?」
「そう、それ。今朝からやたら“よくやってるよ”って声かけしてきてさ。気持ち悪いくらい優しいんだけど」
「暴風後遺症だねぇ」
ミレイユは、思わず笑ってしまう。
庁内のあちこちで、“ときめき後遺症”がじわじわ進行中らしい。
「……良い方の後遺症なら、歓迎すべきですね」
隣を歩くユリウスがぽつりと言った。
「ユリウスさんは、庁内の星飴、舐めなかったんですか?」
「ええ。昨日は、業務優先でしたから。
――個人分は、こちらに」
そう言って、制服の内ポケットを軽く叩く。
そこには、あのピンクがかった星飴が、まだ静かに眠っているのだろう。
ミレイユも、反射的に自分のエプロンのポケットを押さえた。
(わたしの“恋が加速する飴”も、まだ、ここに……)
暴風が過ぎた今、
あとは自分のタイミングで舐めればいい。
そう言われたけれど――。
(……まだ、勇気、足りないかも)
包み紙にどんな一行が浮かぶのか。
想像しただけで、胃がきゅっと縮こまるような、
でも、少しだけ楽しみなような、不思議な感覚。
「焦る必要はありませんよ」
ふいに、ユリウスが言った。
まるで心を読まれたみたいで、ミレイユはびくっとする。
「星飴の本音一行は、“今日いちばんの望み”ですから。
――まだ知りたいと思っていないなら、その日ではないのでしょう」
「……そういう、ものですか」
「はい。仕事柄、何度も見てきましたからね。
“準備ができていない人”が、本音を覗いてしまうと、
だいたい、包み紙を丸めて遠投してしまいます」
想像できすぎて、ミレイユは笑ってしまった。
「わたし、多分、窓の外まで投げちゃいます……」
「庁舎の窓は高いので、やめてください。
――投げたくなったときは、星飴相談窓口に持ってきてください」
冗談めかした言い方なのに、そこには確かな安心も混ざっていた。
(あ、こういうところも、“分けてもらえる”みたいで、ほっとするんだ)
*
その日の午後は、昨日ほどではないにせよ、
ぽつぽつと“ときめき後遺症”の相談が続いた。
「昨日の包み紙を、やっぱり誰かに見せたくなった」と持ってくる人。
「勢いで告白した相手からも、似たような本音が出ていた」と、嬉しそうに報告しに来る人。
ミレイユは、そのたびに、きちんと言葉を返した。
「暴風のせいにしながら、少しずつ自分のペースで進んでいけばいいと思います」
「星飴は、背中を押すだけですから。
その先の一歩は、ご自身の足で踏み出したんですよ」
そんなやりとりを繰り返すうちに、
自分の中にも、少しずつ“星飴相談窓口の声”が育っていくのを感じる。
(……もしかして、これが、わたしの“今日いちばんの望み”だったのかな)
“誰かの望みや本音に、優しく寄り添える人でありたい”。
包み紙に浮かべる勇気は、まだないけれど――
そう願っている自分の気持ちに、少しだけ気づいてしまった。
*
日が傾き始めたころ、ようやく相談窓口の椅子から立ち上がることができた。
「ふぅ……今日も、よくしゃべりました……」
「お疲れさまです。
“可愛い癒し系コメディ”の仕事としては、上々の滑り出しですね」
「ジャンルで励まさないでください……」
ぐったりしながら笑うミレイユに、ユリウスは時間を確認するように壁の時計を見やった。
「そろそろ、暴風証明書の受付も締め切りです。
――締め切りついでに、ひとつ提案があるのですが」
「提案……?」
「今日の帰りに、庁舎のすぐそばの角で、
“ときめき後遺症観測・最終確認”をしていきませんか」
「最終確認……?」
「ええ。昨日星飴を配った広場から流れてくる、人の顔。
“怒り”が残っていないか、“後悔”が色濃くないか。
それを見届けてから帰った方が、きっとよく眠れます」
たしかに、とミレイユは思った。
まだどこかで、「本当は怒っている人がいるかもしれない」と不安だったのだ。
「……行きたいです」
「では、仕事が一段落したら、庁舎の前で」
ユリウスは、それだけ言って、いったん自分のデスクへ戻っていった。
ミレイユは、その背中を見送りながら、
エプロンのポケットの中の星飴に視線を落とす。
(今日の“ときめき後遺症”が、ちゃんと良い方に落ち着いたってわかったら――)
――そのとき、
自分の本音も、ほんの少し、知ってみたくなるだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、
彼女は、相談窓口の木札をそっと「本日終了」の面にひっくり返した。
暴風の日から一日が経ち、
星飴測候庁には、静かな余韻と、
まだ溶けきらない、ときめきの熱だけが、
ふわりと漂っていた。
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跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
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エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
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