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第十一章 まちがい後始末課・第一号案件
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黒曜塔の一室に、「新しい役目」の匂いが満ちていた。
窓辺には、昨日取り付けたばかりの木札が揺れている。
――黒曜塔 まちがい後始末課。
手書きの看板の端には、ポポの描いた小さなイラスト。
星、猫、綿あめ。
そして、よく見ると、その綿あめの中に、「ごめんね」と「だいじょうぶ」の文字が、ふわふわ混ざっている。
「……どう見ても、おやつ屋の看板だな」
オルガは、半眼でそれを見上げた。
「“心のおやつ”を配る部署なので、間違ってません」
ポポは、胸を張る。
「“怒られる場所”だと思われたら、人、来にくいですし」
「ここは行政機関だ」
「行政のおやつ課です」
「やめろ」
そんな調子で、まちがい後始末課は、本日正式に“開店”した。
* * *
「で、初日から揃いも揃ってこれは何だ」
オルガの机の上には、すでに数件の「案件」が積み上がっていた。
一枚目:商人組合からの相談書。
――“去年の値上げ告知の文面が、今読むとだいぶトゲトゲして見えるので、どうにかしたい”。
二枚目:市役所文書課からの持ち込み。
――“祝辞の定型文に『不幸中の幸い』を入れてしまった過去テンプレを、今すぐ全回収したい”。
三枚目:恋文相談。
――“名前を間違えたまま出してしまった”。
(これは担当外として、そっと“個人の恋愛部門”に回された)
「宰相さま。
“国のまちがい”って、だいたいこういうところから始まるんですよ?」
ポポは、真剣な顔で頷いた。
「ちょっとしたトゲトゲが、そのまま習慣になって、そのうち誰も気にしなくなって、
最後には『そんな言い方しかできない国』になります」
「……妙に説得力があるのが腹立たしい」
黒曜宰相は、一枚目の文書を手に取った。
値上げ告知の文面。
――“諸般の事情により、やむなく値上げせざるを得ません。ご了承ください”。
ポポの目には、その行間に小さく滲んだ文字が見えている。
――言いたいことは山ほどあるが、怖くて言えない。
――どうせ責められるから、先に防御だけしておく。
「“やむなく”って、便利だけど、ちょっと卑怯な言葉ですよね」
ポポは、さらさらと赤ペン(※魔力入り)を走らせた。
――“諸般の事情により”を、“ちゃんと説明すると長くなるのですが”に置換。
――“ご了承ください”の横に、“質問はいつでもどうぞ”を添える。
文面のトゲトゲした部分が、少しだけ丸くなる。
「こういう“まちがい直し”は、私の担当でいいです」
「“可愛い置換”の実務応用だな」
「はい。宰相さまは、もっと根の深いやつお願いします」
「初日から重い仕事を押しつけるな」
言いながらも、オルガの目は、書類の山の一番下――
戦時中の、古い命令書の束に向いていた。
(……あれが、本来なら真っ先に着手すべき“国のまちがい”だ)
だが、初日からいきなりそこに手を付けたら、部屋の空気が持たない。
オルガは、一度視線をそらし、机の上の蜂蜜茶をひと口飲んだ。
そのときだった。
――コン。
控えめなノックの音。
「黒曜塔・まちがい後始末課です。どうぞー」
ポポが明るい声を出すと、扉が少しだけ開いた。
そこから覗いたのは、軍服を改造したような上衣を着た若い女性だった。
日焼けした肌。
肩までの髪を無造作に束ね、背筋の伸びた立ち方。
だが、その瞳には、どこか影が宿っている。
「……ここで、戦時中の“まちがい”も受け付けると聞いた」
彼女は、硬い声で言った。
「はい。順番は早い者勝ちなので、どうぞどうぞ」
ポポが招き入れると、女性は部屋の中をさっと見回し、
オルガの姿を認めるやいなや、表情を固くした。
「黒曜宰相……」
敬礼しようとして、途中でやめる。
戦場で覚えた礼と、今の立場とのあいだで、体が一瞬迷ったのだ。
「名は?」
「元・第三防衛線第三小隊、副隊長、ティラ・フォルンです」
ティラ。
オルガの記憶にも、その名前はかすかに残っていた。
――第三防衛線。
敵の呪詛砲撃を受けた、あの戦場の。
「今は?」
「除隊し、今は城下の荷運びをしています」
ティラは、胸のポケットから一枚の紙を取り出した。
それは、軍からの公式文書だった。
――“第三防衛線戦功者名簿”。
彼女の名前には、“武勲顕著につき特別恩給対象”と書かれている。
「この名簿から、私の名前を削除してほしい」
静かな声。
ポポの目には、ティラの周りに渦巻く文字が見えていた。
――生き残ったのは、まちがい。
――本当は、私が死ぬ順番だった。
――恩給なんて、もらってはいけない。
(……自己呪詛だ)
ポポは、そっと息を吸い込んだ。
「理由を聞いてもいいですか?」
「第三防衛線の、あの戦いで――」
ティラは、目を閉じた。
「私は、隊の半分を失いました。
敵の呪詛砲撃を正面から受け、部下の多くが空に散った」
ポポの胸が、きゅっと締めつけられる。
(あの場所で……)
「なのに私は、生き残った」
ティラは、低く続けた。
「隊の中で、わたしが一番、“逃げ腰”だったからだ。
いつも、“怪物の宰相がどうにかしてくれる”と思っていた。
“どうせ黒曜の塔が、最後は守ってくれる”と」
その文字が、彼女の周りをぐるぐると回っている。
――逃げた。
――守られてしまった。
――だから、罰が当たるべきだ。
「……だから、私の名前を、戦功者名簿から外してほしい」
ティラは、まっすぐオルガを見た。
「その恩給を、隊を失った家族に回してほしい。
そうすれば、少しは“まちがい”が、ましになるかもしれない」
まちがい。
その言葉に、ポポとオルガは同時に、胸のどこかが反応するのを感じた。
* * *
「……宰相さま」
ポポは、オルガのほうを見た。
(これは、“まちがい後始末課・第一号案件”だ)
“国のまちがい”でもあり、“個人の自己呪詛”でもある案件。
オルガは、しばらく黙っていた。
ティラの言葉を、そのまま飲み込んだように。
やがて、静かに口を開いた。
「ティラ・フォルン」
「はい」
「まず、ひとつ確認しておく」
オルガは、戦功者名簿の紙に目を落とした。
「この名簿は、誰が作成したものだ?」
「軍務局です。あの戦いのあと、上層部の決裁を経て……」
「違う」
オルガは、首を横に振った。
「“名簿を作る”と決めたのは、誰だ?」
ティラは、一瞬言葉に詰まる。
「それは……」
「黒曜宰相の名のもとに、だろう」
自分で自分を指差す。
「つまり、その“まちがい”の責任者は、まずこの私だ」
ティラの瞳がわずかに揺れる。
「名簿の作り方を決めたのも、恩給の配り方の指針を許可したのも、
“戦功”という言葉でどこまで救われると判断したのも――全部、私だ」
オルガは、目を伏せた。
「それを、“自分の名前を削れば少しはましになる”という形で、
お前一人の罪にするのは、まちがっている」
「……でも」
「もちろん、名簿の修正は検討しよう」
オルガは言葉を続けた。
「戦功の評価が実態に合っているかどうか。
恩給の配分が適切かどうか。
それは、“まちがい後始末課”と軍務局で、もう一度見直す必要がある」
ティラの肩が、わずかに強張る。
「だが、“お前だけが名簿から消える”という形での訂正は、しない」
「なぜですか」
感情を抑えた声。
「私は――」
「それは、“お前が生き残ったことがまちがいだ”という呪文を、国が正式に承認するのと同じになるからだ」
オルガの声は、静かだった。
「“生き残りは間違いだった”という言葉を、国の文書に刻むことは、
お前だけでなく、他の生き残り全員に、その呪文を配ることになる」
ティラの周りに、渦巻いていた文字が、はっとしたように凍りつく。
――生き残ったのは、間違い。
――本当は自分が死ぬべきだった。
彼女だけの自己呪詛だったそれが、もし公文書に刻まれれば、“公式見解”になる。
それは、まちがい後始末課が目指す方向とは真逆だ。
「……じゃあ、私はどうすればいい」
ティラは、絞り出すように言った。
「“あのとき逃げた自分”を、この先ずっと抱えたまま、生きろと?」
「“逃げた”のか、“生き残った”のか――」
ポポが、そっと口を挟んだ。
「そこ、ちょっとだけ、誤字が混ざってる気がします」
ティラとオルガの視線が、いっせいにポポに向く。
ポポは、ティラの周りをぐるりと一周した。
目を凝らすと、彼女の背中に大きく刻まれた文字が見える。
――逃げたから、生き残った。
――生き残ったから、逃げたことになる。
(……無限ループだ)
ポポは、小さくうなずいた。
「ティラさん。
あのとき、“怪物の宰相がどうにかしてくれる”って思ってたって言いましたよね」
「……ああ」
「その“どうにかしてくれる”の中に、“自分をここから引きずり出してくれる”って意味、入ってませんでした?」
ティラの瞳が揺れる。
「“逃げたい”って気持ちと、“生きたい”って気持ちと、“皆を守りたい”って気持ちと。
その全部をごちゃごちゃにしたまま、“黒曜の怪物”って言葉に押しつけてなかったかな、って」
「……」
ティラは、唇を噛んだ。
ポポには、その沈黙の中で、小さな文字が書き加えられていくのが見えている。
――本当は、誰かに助けてほしかった。
――自分だけ逃げたわけじゃない。
――でも、そう思った瞬間、自分が卑怯に見える。
「私の魔法で、“逃げた”って言葉を綿あめに変えることもできます」
ポポは、冗談めかして笑った。
「でも、それだと、“逃げたか逃げてないか”の話は、何も終わらないままになっちゃう」
「……じゃあ、どうする」
「“逃げた”かどうかじゃなくて、“今、何をするか”に書き換えるのはどうでしょう」
ポポは、ティラの足元を見る。
そこには、荷運び仕事で擦り切れた靴の文字があった。
――荷物を運ぶ。
――人の生活を支える。
――戦場とは違う場所で、誰かの役に立つ。
「ティラさんの“生き残った”は、まだ途中です」
ポポは、真剣な顔で言った。
「だから、“生き残ったのはまちがいだ”って文を、“生き残ったぶんの余白がある”に書き換えませんか」
「余白……」
「はい。“書き損じ”じゃなくて、“まだ書いてない部分”。
そこに何を書くかは、ティラさんが決めていい。
それを手伝うのが、たぶん宰相さまの“まちがい後始末”の仕事です」
唐突に振られて、オルガは少しだけ咳払いした。
「……勝手に私の職務内容を増やすな」
「すでに決議されましたから」
「言い方をやめろ」
そう言いながらも、オルガの目はティラを見ていた。
「ティラ・フォルン」
「……はい」
「お前が望むなら、戦功者名簿と恩給の基準は見直す。
だが、“名前を消す”形ではなく、“記述を増やす”形でだ」
「記述を、増やす?」
「第三防衛線の欄に、“戦後も城下の生活を支えている者たちがいる”という一文を追加する」
オルガは、机から別の用紙を取った。
「そして、“戦後のまちがい後始末”に協力した者たちを、別枠で記録する名簿を作る」
「そんな名簿、聞いたことがない」
「今、作ると言っている」
黒曜宰相の威光を、“恐怖”ではなく、“まちがい後始末”に使う――
評議会で決まったばかりの方針だ。
「お前の“生き残った余白”を、国のほうでも一緒に見守る形にする。
それが、私なりの責任の取り方だ」
ティラは、しばらく何も言わなかった。
その沈黙の中で、ポポには、彼女の背中の文字が、
“逃げたから生き残った”から、“生き残ったから、まだできることがある”へと、
少しずつ形を変えていくのが見えていた。
「……そんなふうに、まちがいを扱う宰相は、見たことがない」
ようやく出た言葉は、呆れとも、戸惑いともつかない響きだった。
「怪物らしくないか?」
オルガが、わざと軽く言う。
ティラは、ふっと笑った。
「……“まだ途中の怪物”ってやつですね」
ポポが、にやりと頷く。
「そうなんです。“いい怪物さま”なんで」
「その表現はやめろと言っている」
黒曜宰相の抗議は、もはやルーティンになりつつあった。
* * *
ティラが部屋を出ていったあと。
ポポは、ふう、と息を吐いた。
「……第一号案件、無事、受付完了ですね」
「まだ完了していない」
オルガは、机の上の命令書の束に目を落とした。
「“まちがいだった”と認めるべき命令は、山ほどある。
ティラの名簿の見直しも、その一部にすぎない」
「はい。でも、“まちがいを消さない”って決められたのは、大きな一歩だと思います」
ポポは、窓の外を見た。
ティラが塔を出ていく姿が、遠くに見える。
荷運びの仲間たちが彼女を迎え、何かを尋ねている。
ティラは、一瞬言葉に詰まり、それから短く、こう言った。
――「まちがいを、いっしょに直すんだってさ」。
その一言が、風に乗って、黒曜塔の窓辺まで届いた気がした。
「……宰相さま」
ポポは、黒曜指輪に目をやった。
刻まれている文字は、まだ変わっていない。
――愛されぬことを選べ。
だが、そのすぐ隣に刻まれた“いなくならなくてもいい”の一画が、
さっきよりほんの少しだけ、濃くなっているように見えた。
「今日も、ちょっとだけ“愛されてもいい”のほうに近づきましたね」
「勝手に測るな」
「測ります」
ポポは、にっこり笑った。
「だって、“宰相さまの自己呪詛解除”は、まちがい後始末課・最終案件ですから」
「自分の上司を勝手に最終ボス扱いするな」
そう言いつつも。
オルガの声音には、昨夜までなかった種類の“照れ”が、かすかに混ざっていた。
黒曜塔の窓の外には、また一匹、猫が増えている。
新しくやってきたその猫は、ティラが抱いていた荷袋の中から、こっそりついてきた子らしい。
“戦場帰り”の猫と、“まちがい解呪屋”と、“まだ途中の怪物さま”。
彼らの物語は、今日ようやく、
“まちがい後始末課第一号案件完了(※途中)”という、最初の印を手に入れたのだった。
窓辺には、昨日取り付けたばかりの木札が揺れている。
――黒曜塔 まちがい後始末課。
手書きの看板の端には、ポポの描いた小さなイラスト。
星、猫、綿あめ。
そして、よく見ると、その綿あめの中に、「ごめんね」と「だいじょうぶ」の文字が、ふわふわ混ざっている。
「……どう見ても、おやつ屋の看板だな」
オルガは、半眼でそれを見上げた。
「“心のおやつ”を配る部署なので、間違ってません」
ポポは、胸を張る。
「“怒られる場所”だと思われたら、人、来にくいですし」
「ここは行政機関だ」
「行政のおやつ課です」
「やめろ」
そんな調子で、まちがい後始末課は、本日正式に“開店”した。
* * *
「で、初日から揃いも揃ってこれは何だ」
オルガの机の上には、すでに数件の「案件」が積み上がっていた。
一枚目:商人組合からの相談書。
――“去年の値上げ告知の文面が、今読むとだいぶトゲトゲして見えるので、どうにかしたい”。
二枚目:市役所文書課からの持ち込み。
――“祝辞の定型文に『不幸中の幸い』を入れてしまった過去テンプレを、今すぐ全回収したい”。
三枚目:恋文相談。
――“名前を間違えたまま出してしまった”。
(これは担当外として、そっと“個人の恋愛部門”に回された)
「宰相さま。
“国のまちがい”って、だいたいこういうところから始まるんですよ?」
ポポは、真剣な顔で頷いた。
「ちょっとしたトゲトゲが、そのまま習慣になって、そのうち誰も気にしなくなって、
最後には『そんな言い方しかできない国』になります」
「……妙に説得力があるのが腹立たしい」
黒曜宰相は、一枚目の文書を手に取った。
値上げ告知の文面。
――“諸般の事情により、やむなく値上げせざるを得ません。ご了承ください”。
ポポの目には、その行間に小さく滲んだ文字が見えている。
――言いたいことは山ほどあるが、怖くて言えない。
――どうせ責められるから、先に防御だけしておく。
「“やむなく”って、便利だけど、ちょっと卑怯な言葉ですよね」
ポポは、さらさらと赤ペン(※魔力入り)を走らせた。
――“諸般の事情により”を、“ちゃんと説明すると長くなるのですが”に置換。
――“ご了承ください”の横に、“質問はいつでもどうぞ”を添える。
文面のトゲトゲした部分が、少しだけ丸くなる。
「こういう“まちがい直し”は、私の担当でいいです」
「“可愛い置換”の実務応用だな」
「はい。宰相さまは、もっと根の深いやつお願いします」
「初日から重い仕事を押しつけるな」
言いながらも、オルガの目は、書類の山の一番下――
戦時中の、古い命令書の束に向いていた。
(……あれが、本来なら真っ先に着手すべき“国のまちがい”だ)
だが、初日からいきなりそこに手を付けたら、部屋の空気が持たない。
オルガは、一度視線をそらし、机の上の蜂蜜茶をひと口飲んだ。
そのときだった。
――コン。
控えめなノックの音。
「黒曜塔・まちがい後始末課です。どうぞー」
ポポが明るい声を出すと、扉が少しだけ開いた。
そこから覗いたのは、軍服を改造したような上衣を着た若い女性だった。
日焼けした肌。
肩までの髪を無造作に束ね、背筋の伸びた立ち方。
だが、その瞳には、どこか影が宿っている。
「……ここで、戦時中の“まちがい”も受け付けると聞いた」
彼女は、硬い声で言った。
「はい。順番は早い者勝ちなので、どうぞどうぞ」
ポポが招き入れると、女性は部屋の中をさっと見回し、
オルガの姿を認めるやいなや、表情を固くした。
「黒曜宰相……」
敬礼しようとして、途中でやめる。
戦場で覚えた礼と、今の立場とのあいだで、体が一瞬迷ったのだ。
「名は?」
「元・第三防衛線第三小隊、副隊長、ティラ・フォルンです」
ティラ。
オルガの記憶にも、その名前はかすかに残っていた。
――第三防衛線。
敵の呪詛砲撃を受けた、あの戦場の。
「今は?」
「除隊し、今は城下の荷運びをしています」
ティラは、胸のポケットから一枚の紙を取り出した。
それは、軍からの公式文書だった。
――“第三防衛線戦功者名簿”。
彼女の名前には、“武勲顕著につき特別恩給対象”と書かれている。
「この名簿から、私の名前を削除してほしい」
静かな声。
ポポの目には、ティラの周りに渦巻く文字が見えていた。
――生き残ったのは、まちがい。
――本当は、私が死ぬ順番だった。
――恩給なんて、もらってはいけない。
(……自己呪詛だ)
ポポは、そっと息を吸い込んだ。
「理由を聞いてもいいですか?」
「第三防衛線の、あの戦いで――」
ティラは、目を閉じた。
「私は、隊の半分を失いました。
敵の呪詛砲撃を正面から受け、部下の多くが空に散った」
ポポの胸が、きゅっと締めつけられる。
(あの場所で……)
「なのに私は、生き残った」
ティラは、低く続けた。
「隊の中で、わたしが一番、“逃げ腰”だったからだ。
いつも、“怪物の宰相がどうにかしてくれる”と思っていた。
“どうせ黒曜の塔が、最後は守ってくれる”と」
その文字が、彼女の周りをぐるぐると回っている。
――逃げた。
――守られてしまった。
――だから、罰が当たるべきだ。
「……だから、私の名前を、戦功者名簿から外してほしい」
ティラは、まっすぐオルガを見た。
「その恩給を、隊を失った家族に回してほしい。
そうすれば、少しは“まちがい”が、ましになるかもしれない」
まちがい。
その言葉に、ポポとオルガは同時に、胸のどこかが反応するのを感じた。
* * *
「……宰相さま」
ポポは、オルガのほうを見た。
(これは、“まちがい後始末課・第一号案件”だ)
“国のまちがい”でもあり、“個人の自己呪詛”でもある案件。
オルガは、しばらく黙っていた。
ティラの言葉を、そのまま飲み込んだように。
やがて、静かに口を開いた。
「ティラ・フォルン」
「はい」
「まず、ひとつ確認しておく」
オルガは、戦功者名簿の紙に目を落とした。
「この名簿は、誰が作成したものだ?」
「軍務局です。あの戦いのあと、上層部の決裁を経て……」
「違う」
オルガは、首を横に振った。
「“名簿を作る”と決めたのは、誰だ?」
ティラは、一瞬言葉に詰まる。
「それは……」
「黒曜宰相の名のもとに、だろう」
自分で自分を指差す。
「つまり、その“まちがい”の責任者は、まずこの私だ」
ティラの瞳がわずかに揺れる。
「名簿の作り方を決めたのも、恩給の配り方の指針を許可したのも、
“戦功”という言葉でどこまで救われると判断したのも――全部、私だ」
オルガは、目を伏せた。
「それを、“自分の名前を削れば少しはましになる”という形で、
お前一人の罪にするのは、まちがっている」
「……でも」
「もちろん、名簿の修正は検討しよう」
オルガは言葉を続けた。
「戦功の評価が実態に合っているかどうか。
恩給の配分が適切かどうか。
それは、“まちがい後始末課”と軍務局で、もう一度見直す必要がある」
ティラの肩が、わずかに強張る。
「だが、“お前だけが名簿から消える”という形での訂正は、しない」
「なぜですか」
感情を抑えた声。
「私は――」
「それは、“お前が生き残ったことがまちがいだ”という呪文を、国が正式に承認するのと同じになるからだ」
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「“生き残りは間違いだった”という言葉を、国の文書に刻むことは、
お前だけでなく、他の生き残り全員に、その呪文を配ることになる」
ティラの周りに、渦巻いていた文字が、はっとしたように凍りつく。
――生き残ったのは、間違い。
――本当は自分が死ぬべきだった。
彼女だけの自己呪詛だったそれが、もし公文書に刻まれれば、“公式見解”になる。
それは、まちがい後始末課が目指す方向とは真逆だ。
「……じゃあ、私はどうすればいい」
ティラは、絞り出すように言った。
「“あのとき逃げた自分”を、この先ずっと抱えたまま、生きろと?」
「“逃げた”のか、“生き残った”のか――」
ポポが、そっと口を挟んだ。
「そこ、ちょっとだけ、誤字が混ざってる気がします」
ティラとオルガの視線が、いっせいにポポに向く。
ポポは、ティラの周りをぐるりと一周した。
目を凝らすと、彼女の背中に大きく刻まれた文字が見える。
――逃げたから、生き残った。
――生き残ったから、逃げたことになる。
(……無限ループだ)
ポポは、小さくうなずいた。
「ティラさん。
あのとき、“怪物の宰相がどうにかしてくれる”って思ってたって言いましたよね」
「……ああ」
「その“どうにかしてくれる”の中に、“自分をここから引きずり出してくれる”って意味、入ってませんでした?」
ティラの瞳が揺れる。
「“逃げたい”って気持ちと、“生きたい”って気持ちと、“皆を守りたい”って気持ちと。
その全部をごちゃごちゃにしたまま、“黒曜の怪物”って言葉に押しつけてなかったかな、って」
「……」
ティラは、唇を噛んだ。
ポポには、その沈黙の中で、小さな文字が書き加えられていくのが見えている。
――本当は、誰かに助けてほしかった。
――自分だけ逃げたわけじゃない。
――でも、そう思った瞬間、自分が卑怯に見える。
「私の魔法で、“逃げた”って言葉を綿あめに変えることもできます」
ポポは、冗談めかして笑った。
「でも、それだと、“逃げたか逃げてないか”の話は、何も終わらないままになっちゃう」
「……じゃあ、どうする」
「“逃げた”かどうかじゃなくて、“今、何をするか”に書き換えるのはどうでしょう」
ポポは、ティラの足元を見る。
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――荷物を運ぶ。
――人の生活を支える。
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ポポは、真剣な顔で言った。
「だから、“生き残ったのはまちがいだ”って文を、“生き残ったぶんの余白がある”に書き換えませんか」
「余白……」
「はい。“書き損じ”じゃなくて、“まだ書いてない部分”。
そこに何を書くかは、ティラさんが決めていい。
それを手伝うのが、たぶん宰相さまの“まちがい後始末”の仕事です」
唐突に振られて、オルガは少しだけ咳払いした。
「……勝手に私の職務内容を増やすな」
「すでに決議されましたから」
「言い方をやめろ」
そう言いながらも、オルガの目はティラを見ていた。
「ティラ・フォルン」
「……はい」
「お前が望むなら、戦功者名簿と恩給の基準は見直す。
だが、“名前を消す”形ではなく、“記述を増やす”形でだ」
「記述を、増やす?」
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「そして、“戦後のまちがい後始末”に協力した者たちを、別枠で記録する名簿を作る」
「そんな名簿、聞いたことがない」
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評議会で決まったばかりの方針だ。
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それが、私なりの責任の取り方だ」
ティラは、しばらく何も言わなかった。
その沈黙の中で、ポポには、彼女の背中の文字が、
“逃げたから生き残った”から、“生き残ったから、まだできることがある”へと、
少しずつ形を変えていくのが見えていた。
「……そんなふうに、まちがいを扱う宰相は、見たことがない」
ようやく出た言葉は、呆れとも、戸惑いともつかない響きだった。
「怪物らしくないか?」
オルガが、わざと軽く言う。
ティラは、ふっと笑った。
「……“まだ途中の怪物”ってやつですね」
ポポが、にやりと頷く。
「そうなんです。“いい怪物さま”なんで」
「その表現はやめろと言っている」
黒曜宰相の抗議は、もはやルーティンになりつつあった。
* * *
ティラが部屋を出ていったあと。
ポポは、ふう、と息を吐いた。
「……第一号案件、無事、受付完了ですね」
「まだ完了していない」
オルガは、机の上の命令書の束に目を落とした。
「“まちがいだった”と認めるべき命令は、山ほどある。
ティラの名簿の見直しも、その一部にすぎない」
「はい。でも、“まちがいを消さない”って決められたのは、大きな一歩だと思います」
ポポは、窓の外を見た。
ティラが塔を出ていく姿が、遠くに見える。
荷運びの仲間たちが彼女を迎え、何かを尋ねている。
ティラは、一瞬言葉に詰まり、それから短く、こう言った。
――「まちがいを、いっしょに直すんだってさ」。
その一言が、風に乗って、黒曜塔の窓辺まで届いた気がした。
「……宰相さま」
ポポは、黒曜指輪に目をやった。
刻まれている文字は、まだ変わっていない。
――愛されぬことを選べ。
だが、そのすぐ隣に刻まれた“いなくならなくてもいい”の一画が、
さっきよりほんの少しだけ、濃くなっているように見えた。
「今日も、ちょっとだけ“愛されてもいい”のほうに近づきましたね」
「勝手に測るな」
「測ります」
ポポは、にっこり笑った。
「だって、“宰相さまの自己呪詛解除”は、まちがい後始末課・最終案件ですから」
「自分の上司を勝手に最終ボス扱いするな」
そう言いつつも。
オルガの声音には、昨夜までなかった種類の“照れ”が、かすかに混ざっていた。
黒曜塔の窓の外には、また一匹、猫が増えている。
新しくやってきたその猫は、ティラが抱いていた荷袋の中から、こっそりついてきた子らしい。
“戦場帰り”の猫と、“まちがい解呪屋”と、“まだ途中の怪物さま”。
彼らの物語は、今日ようやく、
“まちがい後始末課第一号案件完了(※途中)”という、最初の印を手に入れたのだった。
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