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第十二章 怪物さまと、ひらがなのファンレター
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黒曜塔・まちがい後始末課ができてから、まだ数日しか経っていないのに――。
「……何だ、この量は」
オルガは、机の上に積みあがった紙の山を見て、眉をひそめた。
戦功名簿の見直し、行政文書のトゲトゲ文言の修正、
「前から気になってた役所の貼り紙」の苦情まで、ありとあらゆる“まちがい”案件が届いている。
「人気部署ですね~」
ポポは、書類の上で丸くなっている猫をそっとどかしながら、嬉しそうに言った。
「“人気”というより、“ここに投げておけば何とかなるだろう課”になりつつあるな」
「それでいいんです。“なんとかなるかどうか”は、来てから決めればいいので」
「投げるほうは気楽だ」
そうぼやきつつも、オルガの手は止まっていなかった。
彼の仕事は、“誰の責任か”をはっきりさせることではない。
“どこがどうまちがいだったのか”を見極め、二度と同じトゲを生まない文言や仕組みに書き換えていくことだ。
――恐怖で押さえつける代わりに、“まちがいを認めてもやり直せる”道筋を作る。
それは、今までの黒曜宰相の仕事とは、似ているようで決定的に違う。
* * *
「宰相さま、今日はこっちもあります」
ポポが、別の束を抱えて近づいてきた。
「戦時や行政の案件とは別で、“市民からのご意見箱”です」
「……そんなものまで設置した覚えはないが」
「昨夜、勝手に塔の玄関に置いておきました」
「勝手に、やめろと言っても無駄なのだな」
「はい」
返事が即答である。
ポポが机の上に広げたのは、色とりどりの紙の束だった。
子どもの丸い字、大人のきっちりした字、絵だけの紙……。
「“まちがい後始末課って何してるところ?”っていう質問が多いですね」
「それはこちらも聞きたいところだ」
「“怪物さまは本当に怖いんですか”」
ポポが、一枚の紙を声に出して読んだ。
「……誰がそんなことを聞いている」
「“八つになりました。黒曜宰相さまは本当に怪物ですか。怪物だったらどんな牙が生えているのか知りたいです。牙をみせてください。こわいけど、ちょっと好きです”」
ひらがなだらけの文章。
紙の端には、牙のはえた棒人間みたいな絵が描かれている。
オルガは、一瞬固まった。
「……誰だ、その不穏なファンは」
「投稿者名、“くろいねこがすきな ラル”ちゃん」
「黒い猫を巻き込むな」
ポポは、その紙をオルガのほうに差し出した。
「“こわいけど、ちょっと好き”だそうです」
「……」
黒曜宰相は、無言で紙を受け取った。
“こわいけど、ちょっと好き”。
その、“ちょっと”という一言が、妙に胸に刺さる。
――愛されることを求めるな。
――怖がられればそれでいい。
指輪の古い呪文が、かすかにざわめいた。
(“こわいけど、ちょっと好き”……)
それは、“怖がられている”ことを前提にした言葉だ。
なのに、“完全に拒絶されている”わけでもない。
恐怖と好意が、ちぐはぐのまま並んでいる。
「宰相さま」
ポポが、少しだけ真面目な声で言った。
「これ、多分、“自己呪詛”に効くお薬です」
「子どもの落書きがか?」
「“完全に嫌われている”って呪文を、“そうでもないかも”ってぐらぐらさせる薬です」
ポポは、机の端から鉛筆を取り、紙の空いているところにそっと書き足した。
――牙はありません。
――でも、猫に好かれるのは得意です。
「勝手に公式回答を書くな」
「じゃあ、宰相さま自身の字で、一言お願いします」
「断る」
即答だった。
だが、その拒絶には、昨夜までのような固さはない。
「ラルちゃん、今日、塔の見学に来るみたいですよ?」
ポポが、別の紙を取り出した。
「“まちがい後始末課を見に行ってもいいですか”って」
「誰が許可した」
「さっき玄関ですれ違って、“午後なら大丈夫です”って言いました」
「……」
黒曜宰相の顔に、「聞いていない」という文字がくっきり浮かぶ。
「まちがい後始末課、“公開相談会”です」
「そんなイベントを開催した覚えはない」
「今日から始まりました」
ポポは、きっぱりと言い切った。
* * *
午後。
黒曜塔の玄関に、小さな足音が近づいてきた。
「失礼しまーす!」
扉から元気よく顔を出したのは、ポポの読んだ手紙どおりの女の子だった。
茶色いおさげ、膝までのスカート。
腕には、黒い猫のぬいぐるみを抱えている。
「くろいねこがすきなラルです! こんにちは!」
「いらっしゃいませ、まちがい後始末課へ」
ポポは、満面の笑みで出迎えた。
「そっちは“まだ途中の怪物さま”です」
「正式名称を歪めるな」
オルガは肩をすくめつつも、ラルに目線を合わせるように少し腰を落とした。
「黒曜宰相だ」
「……うわぁ」
ラルは、じーーっとオルガを見上げた。
その視線は、恐れよりも好奇心の色が濃い。
「ほんものだ……。
もっと角とか生えてると思ったのに……」
「残念だったな。角はない」
「牙は?」
「ない」
「ないの?」
ラルは、がっかりしたような、ほっとしたような顔をした。
「じゃあ、“こわいところ”どこですか」
真正面から来る質問。
ポポが、横で「おお」と心の中で拍手する。
(ラルちゃん、いいところ聞く……!)
オルガは、一瞬言葉に詰まった。
かつてなら、“恐怖の象徴”としての演出をいくらでも挙げられただろう。
冷徹な判断、黒曜指輪の魔力、戦場での立ち姿――。
だが今、そのどれも、“まちがい後始末課の看板の下で誇るもの”には思えなかった。
「……昔は、戦の命令を出していたことだ」
オルガは、正直に言った。
「今も、その記録は残っている。
怖いのは、その命令で人が死んだことだ」
ラルの目が、少しだけ丸くなる。
「それ、こわいです」
「ああ、こわい」
「じゃあ、今は?」
「今は――」
オルガは、机の上の書類の山をちらりと見た。
「“まちがいだったことを、まちがいだったと認めようとしているところ”だ」
「それも、ちょっとこわいです」
「……だろうな」
まちがいを認めるのは、大人でも怖い。
国の規模ならなおさらだ。
「でも」
ラルは、黒い猫のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「“こわいけど、ちょっと好き”って手紙に書いたのは、
昔、黒曜宰相さまが、雨の夜に猫を拾ってるところ見たからです」
「……?」
オルガとポポが同時に固まる。
「塔の裏の路地で、びしょびしょの黒い猫を抱き上げて、
“こんなところに捨てるな”って、誰もいないのに怒ってました」
「……見られていたのか」
オルガの頬に、ほんのり赤いものが差した。
「こわい顔で怒ってたけど、猫はぜんぜんこわがってなくて、
喉ごろごろいわせてたから――
“怪物なのに猫に好かれてる、へんな人だな”って思いました」
ポポが、机の端でにやりと笑う。
「ラルちゃん、いい観察眼してますね」
「……褒めているのか」
「褒めてます。
“こわいだけの人”じゃないって、ちゃんと見てくれてる」
オルガは、ラルの言葉を反芻するように口の中で転がした。
(“怪物なのに猫に好かれてる、へんな人”……)
それは、今まで言われてきた「黒曜の怪物」「恐怖の象徴」とは、全然違う輪郭の言葉だ。
――愛されぬことを選べ。
という呪文の横に、
――猫には好かれている。
という小さな注釈が、こっそり書き込まれていく感じ。
「ラルちゃん」
ポポが、机の引き出しから何かを取り出した。
「これ、“まちがい後始末課”の仮バッジです。
よかったら、今日一日、特別隊員になりませんか?」
「いいの?」
「はい。“こわいけどちょっと好き”って書いてくれた功績により」
「やった!」
ラルは、胸に小さなバッジをつけてもらい、誇らしげに胸を張った。
「じゃあ、特別隊員さん。
宰相さまの“自己呪詛”を探すお手伝い、してもらえますか?」
「じこ……?」
「“自分にかけちゃってる悪い呪文”です」
ポポが、ラルの耳元でこっそりささやく。
「宰相さま、ずっと“自分は愛されない”って呪文を持ち歩いてるんですよ」
「えっ」
ラルは、信じられないものを見るような顔をした。
「猫に好かれてるのに?」
「そうなんです。矛盾してますよね」
オルガは、こめかみを押さえた。
「勝手に私の心情を子どもに解説するな」
「だって、子どものほうが“まちがい”見つけるのうまいですから」
ポポは、ラルにそっとペンを渡した。
「ラルちゃん。
宰相さまに、“こわいけどちょっと好き”以外の言葉、ひとつだけあげるとしたら、何て書きます?」
「……」
ラルは、ペンを握りしめ、しばらく考えた。
そして、ひらがなだらけの字で、紙の隅に一行を書き足した。
――「ねこがしんじてるから、だいじょうぶ」。
それを読んだ瞬間、
黒曜指輪の文字が、かすかにビクリと震えた。
――愛されぬことを選べ。
という呪文のすぐ横で、
――猫が信じてる。
という、どうしようもなくくだらなくて、どうしようもなく温かい言葉が、勝手に座り込む。
「……何だ、その理屈は」
オルガは、声を低くした。
「猫が信じているから、何だと言うのだ」
「だって」
ラルは、ぷくっと頬を膨らませた。
「猫は、こわい人のところには行かないもん。
おなか見せてゴロゴロするのは、“ここ、安全”って知ってるからです」
塔の猫たちを見る。
黒曜塔に出入りする猫は、皆、オルガの足元や膝の上で平然と寝転がる。
――こわいけど、ここは安全。
――この人の隣は、あったかい。
彼らの本能は、ずっと前からそう言っていたのかもしれない。
「だから、“自分は愛されない”って呪文、
“猫には愛されてる”ってところから、ちょっとずつほぐしていけばいいと思います」
ラルの言うことは、理屈としては雑だ。
けれど、その雑さゆえに、まっすぐだ。
ポポは、横でこっそりガッツポーズをした。
(ラルちゃん、いい……!)
「……まったく」
オルガは、小さくため息をついた。
「人間の評価より先に、猫の評価を基準にされるとはな」
「でも、人間は“こわいって思っても、ちょっと好き”って書けますから」
ポポが笑う。
「宰相さま、“愛されない”って決めつけるには、
“ちょっと好き”と“猫に好かれてる”が、けっこう邪魔じゃないですか?」
指輪の文字が、ぐにゃりと居心地悪そうに身じろぎする。
――愛されぬことを選べ。
“選べ”の一画が、ほんの少しだけ薄くなったように見えた。
* * *
その日の終わり。
ラルは、“まちがい後始末課・特別隊員一日体験証”を首から下げて、満足げに塔を後にした。
「宰相さま、ばいばーい!
こんど、牙はえてたら見せてください!」
「生えない」
背中に向かってそう返しながらも、オルガの顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
部屋に戻ると、机の上には、ラルの書いた紙が一枚残されている。
――「ねこがしんじてるから、だいじょうぶ」。
ポポは、その紙を透明なカバーに入れて、黒曜指輪のかかるスタンドの下にそっと差し込んだ。
「ちょっとした“まちがい除け”です」
「……これは、文書の格としてはどう扱えばいい?」
「“最上級自己呪詛対抗文”です」
ポポは、真顔で言った。
「“自分をまちがい扱いする呪文”が来たら、
“ねこがしんじてるから、だいじょうぶ”って返してくれるやつ」
「そんなに効力があるようには思えんが」
「でも、宰相さま、さっきから指輪の文字、落ち着きなく動いてますよ」
オルガは、視線を黒曜指輪に落とした。
――愛されぬことを選べ。
――いなくならなくてもいい。
――ねこが信じてるから、大丈夫かもしれない。
整った呪文の文面の中に、明らかに浮いた文言が混ざっている。
統一感はない。
だが、妙に目を引く。
「……猫一匹と子ども一人に、呪文をぐらつかされるとはな」
「そこに、まちがい解呪屋が一人加わりますけどね」
ポポは、にこりと笑った。
「“自分は愛されない”って呪文、
きっと、“ぜんぜん愛されてない”と“ちょっとは好かれてる”の間違いだと思うので」
「雑な訂正をするな」
そう言いつつ、
オルガは、机の上の紙をそっと指で撫でた。
――こわいけど、ちょっと好き。
――ねこが信じてるから、だいじょうぶ。
その二行は、彼の中で、
“まちがいのままにしておけない言葉”として、静かに居座りはじめていた。
黒曜塔の夜は、今日もまた少しだけ甘く、
そして、昨夜よりほんの少しだけ、“怪物さま”の呪文が揺れているのだった。
「……何だ、この量は」
オルガは、机の上に積みあがった紙の山を見て、眉をひそめた。
戦功名簿の見直し、行政文書のトゲトゲ文言の修正、
「前から気になってた役所の貼り紙」の苦情まで、ありとあらゆる“まちがい”案件が届いている。
「人気部署ですね~」
ポポは、書類の上で丸くなっている猫をそっとどかしながら、嬉しそうに言った。
「“人気”というより、“ここに投げておけば何とかなるだろう課”になりつつあるな」
「それでいいんです。“なんとかなるかどうか”は、来てから決めればいいので」
「投げるほうは気楽だ」
そうぼやきつつも、オルガの手は止まっていなかった。
彼の仕事は、“誰の責任か”をはっきりさせることではない。
“どこがどうまちがいだったのか”を見極め、二度と同じトゲを生まない文言や仕組みに書き換えていくことだ。
――恐怖で押さえつける代わりに、“まちがいを認めてもやり直せる”道筋を作る。
それは、今までの黒曜宰相の仕事とは、似ているようで決定的に違う。
* * *
「宰相さま、今日はこっちもあります」
ポポが、別の束を抱えて近づいてきた。
「戦時や行政の案件とは別で、“市民からのご意見箱”です」
「……そんなものまで設置した覚えはないが」
「昨夜、勝手に塔の玄関に置いておきました」
「勝手に、やめろと言っても無駄なのだな」
「はい」
返事が即答である。
ポポが机の上に広げたのは、色とりどりの紙の束だった。
子どもの丸い字、大人のきっちりした字、絵だけの紙……。
「“まちがい後始末課って何してるところ?”っていう質問が多いですね」
「それはこちらも聞きたいところだ」
「“怪物さまは本当に怖いんですか”」
ポポが、一枚の紙を声に出して読んだ。
「……誰がそんなことを聞いている」
「“八つになりました。黒曜宰相さまは本当に怪物ですか。怪物だったらどんな牙が生えているのか知りたいです。牙をみせてください。こわいけど、ちょっと好きです”」
ひらがなだらけの文章。
紙の端には、牙のはえた棒人間みたいな絵が描かれている。
オルガは、一瞬固まった。
「……誰だ、その不穏なファンは」
「投稿者名、“くろいねこがすきな ラル”ちゃん」
「黒い猫を巻き込むな」
ポポは、その紙をオルガのほうに差し出した。
「“こわいけど、ちょっと好き”だそうです」
「……」
黒曜宰相は、無言で紙を受け取った。
“こわいけど、ちょっと好き”。
その、“ちょっと”という一言が、妙に胸に刺さる。
――愛されることを求めるな。
――怖がられればそれでいい。
指輪の古い呪文が、かすかにざわめいた。
(“こわいけど、ちょっと好き”……)
それは、“怖がられている”ことを前提にした言葉だ。
なのに、“完全に拒絶されている”わけでもない。
恐怖と好意が、ちぐはぐのまま並んでいる。
「宰相さま」
ポポが、少しだけ真面目な声で言った。
「これ、多分、“自己呪詛”に効くお薬です」
「子どもの落書きがか?」
「“完全に嫌われている”って呪文を、“そうでもないかも”ってぐらぐらさせる薬です」
ポポは、机の端から鉛筆を取り、紙の空いているところにそっと書き足した。
――牙はありません。
――でも、猫に好かれるのは得意です。
「勝手に公式回答を書くな」
「じゃあ、宰相さま自身の字で、一言お願いします」
「断る」
即答だった。
だが、その拒絶には、昨夜までのような固さはない。
「ラルちゃん、今日、塔の見学に来るみたいですよ?」
ポポが、別の紙を取り出した。
「“まちがい後始末課を見に行ってもいいですか”って」
「誰が許可した」
「さっき玄関ですれ違って、“午後なら大丈夫です”って言いました」
「……」
黒曜宰相の顔に、「聞いていない」という文字がくっきり浮かぶ。
「まちがい後始末課、“公開相談会”です」
「そんなイベントを開催した覚えはない」
「今日から始まりました」
ポポは、きっぱりと言い切った。
* * *
午後。
黒曜塔の玄関に、小さな足音が近づいてきた。
「失礼しまーす!」
扉から元気よく顔を出したのは、ポポの読んだ手紙どおりの女の子だった。
茶色いおさげ、膝までのスカート。
腕には、黒い猫のぬいぐるみを抱えている。
「くろいねこがすきなラルです! こんにちは!」
「いらっしゃいませ、まちがい後始末課へ」
ポポは、満面の笑みで出迎えた。
「そっちは“まだ途中の怪物さま”です」
「正式名称を歪めるな」
オルガは肩をすくめつつも、ラルに目線を合わせるように少し腰を落とした。
「黒曜宰相だ」
「……うわぁ」
ラルは、じーーっとオルガを見上げた。
その視線は、恐れよりも好奇心の色が濃い。
「ほんものだ……。
もっと角とか生えてると思ったのに……」
「残念だったな。角はない」
「牙は?」
「ない」
「ないの?」
ラルは、がっかりしたような、ほっとしたような顔をした。
「じゃあ、“こわいところ”どこですか」
真正面から来る質問。
ポポが、横で「おお」と心の中で拍手する。
(ラルちゃん、いいところ聞く……!)
オルガは、一瞬言葉に詰まった。
かつてなら、“恐怖の象徴”としての演出をいくらでも挙げられただろう。
冷徹な判断、黒曜指輪の魔力、戦場での立ち姿――。
だが今、そのどれも、“まちがい後始末課の看板の下で誇るもの”には思えなかった。
「……昔は、戦の命令を出していたことだ」
オルガは、正直に言った。
「今も、その記録は残っている。
怖いのは、その命令で人が死んだことだ」
ラルの目が、少しだけ丸くなる。
「それ、こわいです」
「ああ、こわい」
「じゃあ、今は?」
「今は――」
オルガは、机の上の書類の山をちらりと見た。
「“まちがいだったことを、まちがいだったと認めようとしているところ”だ」
「それも、ちょっとこわいです」
「……だろうな」
まちがいを認めるのは、大人でも怖い。
国の規模ならなおさらだ。
「でも」
ラルは、黒い猫のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「“こわいけど、ちょっと好き”って手紙に書いたのは、
昔、黒曜宰相さまが、雨の夜に猫を拾ってるところ見たからです」
「……?」
オルガとポポが同時に固まる。
「塔の裏の路地で、びしょびしょの黒い猫を抱き上げて、
“こんなところに捨てるな”って、誰もいないのに怒ってました」
「……見られていたのか」
オルガの頬に、ほんのり赤いものが差した。
「こわい顔で怒ってたけど、猫はぜんぜんこわがってなくて、
喉ごろごろいわせてたから――
“怪物なのに猫に好かれてる、へんな人だな”って思いました」
ポポが、机の端でにやりと笑う。
「ラルちゃん、いい観察眼してますね」
「……褒めているのか」
「褒めてます。
“こわいだけの人”じゃないって、ちゃんと見てくれてる」
オルガは、ラルの言葉を反芻するように口の中で転がした。
(“怪物なのに猫に好かれてる、へんな人”……)
それは、今まで言われてきた「黒曜の怪物」「恐怖の象徴」とは、全然違う輪郭の言葉だ。
――愛されぬことを選べ。
という呪文の横に、
――猫には好かれている。
という小さな注釈が、こっそり書き込まれていく感じ。
「ラルちゃん」
ポポが、机の引き出しから何かを取り出した。
「これ、“まちがい後始末課”の仮バッジです。
よかったら、今日一日、特別隊員になりませんか?」
「いいの?」
「はい。“こわいけどちょっと好き”って書いてくれた功績により」
「やった!」
ラルは、胸に小さなバッジをつけてもらい、誇らしげに胸を張った。
「じゃあ、特別隊員さん。
宰相さまの“自己呪詛”を探すお手伝い、してもらえますか?」
「じこ……?」
「“自分にかけちゃってる悪い呪文”です」
ポポが、ラルの耳元でこっそりささやく。
「宰相さま、ずっと“自分は愛されない”って呪文を持ち歩いてるんですよ」
「えっ」
ラルは、信じられないものを見るような顔をした。
「猫に好かれてるのに?」
「そうなんです。矛盾してますよね」
オルガは、こめかみを押さえた。
「勝手に私の心情を子どもに解説するな」
「だって、子どものほうが“まちがい”見つけるのうまいですから」
ポポは、ラルにそっとペンを渡した。
「ラルちゃん。
宰相さまに、“こわいけどちょっと好き”以外の言葉、ひとつだけあげるとしたら、何て書きます?」
「……」
ラルは、ペンを握りしめ、しばらく考えた。
そして、ひらがなだらけの字で、紙の隅に一行を書き足した。
――「ねこがしんじてるから、だいじょうぶ」。
それを読んだ瞬間、
黒曜指輪の文字が、かすかにビクリと震えた。
――愛されぬことを選べ。
という呪文のすぐ横で、
――猫が信じてる。
という、どうしようもなくくだらなくて、どうしようもなく温かい言葉が、勝手に座り込む。
「……何だ、その理屈は」
オルガは、声を低くした。
「猫が信じているから、何だと言うのだ」
「だって」
ラルは、ぷくっと頬を膨らませた。
「猫は、こわい人のところには行かないもん。
おなか見せてゴロゴロするのは、“ここ、安全”って知ってるからです」
塔の猫たちを見る。
黒曜塔に出入りする猫は、皆、オルガの足元や膝の上で平然と寝転がる。
――こわいけど、ここは安全。
――この人の隣は、あったかい。
彼らの本能は、ずっと前からそう言っていたのかもしれない。
「だから、“自分は愛されない”って呪文、
“猫には愛されてる”ってところから、ちょっとずつほぐしていけばいいと思います」
ラルの言うことは、理屈としては雑だ。
けれど、その雑さゆえに、まっすぐだ。
ポポは、横でこっそりガッツポーズをした。
(ラルちゃん、いい……!)
「……まったく」
オルガは、小さくため息をついた。
「人間の評価より先に、猫の評価を基準にされるとはな」
「でも、人間は“こわいって思っても、ちょっと好き”って書けますから」
ポポが笑う。
「宰相さま、“愛されない”って決めつけるには、
“ちょっと好き”と“猫に好かれてる”が、けっこう邪魔じゃないですか?」
指輪の文字が、ぐにゃりと居心地悪そうに身じろぎする。
――愛されぬことを選べ。
“選べ”の一画が、ほんの少しだけ薄くなったように見えた。
* * *
その日の終わり。
ラルは、“まちがい後始末課・特別隊員一日体験証”を首から下げて、満足げに塔を後にした。
「宰相さま、ばいばーい!
こんど、牙はえてたら見せてください!」
「生えない」
背中に向かってそう返しながらも、オルガの顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
部屋に戻ると、机の上には、ラルの書いた紙が一枚残されている。
――「ねこがしんじてるから、だいじょうぶ」。
ポポは、その紙を透明なカバーに入れて、黒曜指輪のかかるスタンドの下にそっと差し込んだ。
「ちょっとした“まちがい除け”です」
「……これは、文書の格としてはどう扱えばいい?」
「“最上級自己呪詛対抗文”です」
ポポは、真顔で言った。
「“自分をまちがい扱いする呪文”が来たら、
“ねこがしんじてるから、だいじょうぶ”って返してくれるやつ」
「そんなに効力があるようには思えんが」
「でも、宰相さま、さっきから指輪の文字、落ち着きなく動いてますよ」
オルガは、視線を黒曜指輪に落とした。
――愛されぬことを選べ。
――いなくならなくてもいい。
――ねこが信じてるから、大丈夫かもしれない。
整った呪文の文面の中に、明らかに浮いた文言が混ざっている。
統一感はない。
だが、妙に目を引く。
「……猫一匹と子ども一人に、呪文をぐらつかされるとはな」
「そこに、まちがい解呪屋が一人加わりますけどね」
ポポは、にこりと笑った。
「“自分は愛されない”って呪文、
きっと、“ぜんぜん愛されてない”と“ちょっとは好かれてる”の間違いだと思うので」
「雑な訂正をするな」
そう言いつつ、
オルガは、机の上の紙をそっと指で撫でた。
――こわいけど、ちょっと好き。
――ねこが信じてるから、だいじょうぶ。
その二行は、彼の中で、
“まちがいのままにしておけない言葉”として、静かに居座りはじめていた。
黒曜塔の夜は、今日もまた少しだけ甘く、
そして、昨夜よりほんの少しだけ、“怪物さま”の呪文が揺れているのだった。
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藤谷 要
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