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第十三章 黒曜の命令書と、「必要な犠牲」の誤字
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その日、黒曜塔には、めずらしくラザンの姿があった。
「まちがい後始末課、ねえ」
彼は、塔の新しい木札を見上げて、半分あきれたように笑った。
――黒曜塔 まちがい後始末課。
星と猫と綿あめのイラストつきの看板。
どう見ても、“戦の命令書”とは無縁そうだ。
「怖さが一滴もない看板だな、黒曜宰相」
「怖がらせる部署ではないのでな」
オルガは、湯気の立つ蜂蜜茶を三つ、机に並べた。
「お前が呼んだのか」
ラザンがチラリと視線を向ける先には、ポポがいる。
猫を一匹抱き、もう一匹を頭に乗せ、書類の山を整理していた。
「はい。軍関係の“まちがい案件”は、ラザンさん抜きでは語れませんから」
「勝手に巻き込むな」
口ではそう言いながらも、ラザンは蜂蜜茶を素直に受け取った。
この部屋の空気には、戦時中の司令室にはなかった“甘さ”がある。
それは、綿あめでも子猫でもなく――
“まちがいをまっすぐ見ようとしている人間たち”の、まだ不器用な甘さだった。
* * *
「今日、開いてほしいのは、これです」
ポポが、机の下から、少し古びた箱を取り出した。
厚い封蝋。
黒曜の印章。
側面には、小さく “第三防衛線関連命令書 一括保管” と記されている。
ティラが持ち込んだ戦功名簿の、もとの束。
「……嫌な箱を残していたものだな、過去の私」
オルガは、苦く笑った。
ラザンも、表情を引き締める。
「中身は、見ている」
「ええ。ですが――」
ポポは、二人の顔を見比べた。
「“まちがい後始末課”として、もう一回、“言葉”を見直してほしいんです」
「命令そのものは、もう出してしまった」
ラザンが低く言う。
「死んだ者は戻らん。
今さら書類をいじったところで、慰めにもならんだろう」
「慰めじゃなくて、“呪文の修正”です」
ポポは、箱の上にそっと両手を置いた。
「この命令書の言葉が、そのままになってる限り、
“あれは必要な犠牲だった”って呪文が、ずっと国の中を回り続けます」
オルガとラザンの視線が、わずかに動いた。
――必要な犠牲。
戦時中、何度も口にし、何度も書いた言葉だ。
「私は、その言葉の“まちがい”を、ちゃんと見たいです」
ポポは、静かに言った。
「だって、“必要な犠牲”って便利すぎる。
“本当は避けられたかもしれない犠牲”まで、ぜんぶ一緒くたにしてくれるから」
「……開けろ」
短く言って、オルガは封蝋に指を置いた。
黒曜指輪が、かすかに光る。
ぱきり、と蝋が割れた瞬間、
箱の中からふわりと黒いインクの煙が立ちのぼった。
ポポには、その煙の中に、びっしり文字が詰まっているのが見える。
――必要な犠牲。
――しかたがない。
――今は考えるな。
――あとで後悔するかもしれないが、その時は“戦だから”で済ませろ。
「……呪文、だらけですね」
「戦時の命令書というものは、だいたいそうだ」
オルガは、静かに一枚目の紙を取り出した。
そこには、第三防衛線に関する具体的な指示が記されている。
――『第三防衛線は、敵の呪詛砲撃を引き受ける“楔”として配置する』。
――『前線の損耗は“必要な犠牲”として、後続の突破を優先する』。
その一文、その一文字が、何人の命を左右したのか。
ラザンの喉が、ごくりと鳴る。
「……改めて読むと、たたき割りたくなる文面だな」
「たたき割っても、言った事実は消えませんから」
ポポは、紙に目を凝らした。
彼女の視界には、文章の余白に、小さな文字が滲んでいる。
――本当は、他の案もあった。
――時間が足りなかった。
――あのとき、怖かった。
――“怪物なら決断できるはずだ”と、自分に命じた。
(宰相さまの文字だ……)
表の文章は、整った公文書だ。
けれど、余白に滲んだ“本音の文字”は、きたないほど人間くさい。
「……ラザン」
オルガが、視線を上げた。
「この命令書を出したとき、私は。“必要な犠牲”という言葉で、自分を守っていた」
「わかっている」
ラザンは、短く答えた。
「俺も同じだ。“怪物の決断”のせいにしたほうが楽だった」
ティラたち前線の兵を、“楔”として使ったこと。
それを、“必要な犠牲”と呼び続けたこと。
その言葉に何度も逃げたこと。
「……だからこそだ」
ラザンは、唇を引き結んだ。
「今さら“必要ではなかった”と書き換えるのは、
死んだ連中への冒涜にもなる」
ポポは、少しだけ首を傾げた。
「“必要ではなかった”とは、私は言ってないですよ」
「……?」
「“必要な犠牲”って断言しているところを、
“そう信じるしかなかった犠牲”って書き換えたいだけです」
オルガとラザンの眉が、わずかに動いた。
「何だ、その微妙な言い換えは」
「微妙だからいいんです」
ポポは、さらさらと赤ペンを走らせた。(※魔力入り)
――“必要な犠牲”の“必”の字を、そっとなぞって、ちいさく割る。
“必”が、“心”と“ノ”くらいにばらばらになる。
「“絶対に必要だった”って呪文を、
“当時の自分たちは、それを選ぶしかないと思い込んでいた”まで、弱くします」
「……それは、言い訳ではないか?」
「はい。言い訳です」
ポポは、きっぱり頷いた。
「でも、“必要な犠牲”って、言い訳のくせに“真実”の顔してるからタチ悪いんですよ。
ちゃんと、“言い訳でした”って札つけなおしたいんです」
ラザンの喉から、低い笑いが漏れた。
「……まったく、お前というやつは」
戦後何年も、軍の中で“必要な犠牲”と繰り返してきた自分。
その言葉が、“当時の自分たちの限界の言い訳”だったと認めるのは、確かに怖い。
だが、同時に――どこかホッとする部分もある。
(“絶対に正しかった”なんて顔をしているほうが、よっぽど怪物だ)
ラザンは、心の中で小さく吐き捨てた。
* * *
「宰相さま」
ポポが、命令書の余白を指さす。
「ここに、“本当は他の案もあった”って滲んでます」
「……読まなくていい」
「読みます」
即答だった。
「“第三防衛線を楔にする代わりに、
黒曜塔の防護を捨てて前線に出る案”。
“王都の一部を空にして防衛線を下げる案”。
“戦そのものを長期戦に切り替える案”」
余白には、採用されなかった案がびっしりと書き込まれている。
どれも、別の種類の犠牲と危険を伴うものばかりだ。
「……あのとき、私は、王都を危険に晒す案を取れなかった」
オルガは、低く言った。
「“黒曜の怪物”が、王都を守れませんでした、では済まないと思った。
自分の肩書きのために、前線を選んだんだ」
ラザンの拳が、ぎゅっと握られる。
「それを今、“まちがい”と呼べるのか」
「呼べるようになるまで、たぶん、時間がかかります」
ポポは、静かに言った。
「だから、その間の仮ラベルとして、“そう信じるしかなかった犠牲”って貼っておくんです」
“必要な犠牲”と断言する傲慢さと、
“まったく必要なかった”と否定する無責任さ。
そのどちらでもない、
“あのときの自分には、それしか見えなかった”という中途半端な場所。
「まちがい後始末って、
“あれはまちがいでした!”ってスパーンと割り切ることじゃなくて」
ポポは、インクの煙を指先でつついた。
「“あのときの自分たちは、ここまでしか見えてなかった”って、ちゃんと書いておくことだと思うんです。
そのうえで、“でも今の自分たちは、もう少し先まで見える”って、次の人に渡す」
「次の人、か」
ラザンは、窓の外を見た。
塔の下では、新しい兵士たちが、訓練場で木剣を振っている。
彼らは、実戦を知らない世代だ。
彼らに、“必要な犠牲”という言葉だけを渡したくはなかった。
同時に、“戦争は全部まちがいでした”と、安く総括することも、違う気がした。
「……黒曜宰相」
ラザンは、命令書の束を指で叩いた。
「この“必要な犠牲”の文字。
お前の言う“可愛い置換”で、何かに変えられるか?」
「“憎悪”を綿あめに変えるのとは、わけが違うぞ」
「わかっている。
死んだ者を、キャンディにする気はない」
それでも――、と彼は続けた。
「このまま、“必要な犠牲”のまま国立文書館に保存されるくらいなら、
いっそ、他の言葉に変えてしまったほうがいいかもしれん」
ポポは、少しだけ考えてから、ゆっくり口を開いた。
「“必要な犠牲”そのものは変えられません」
「やはりな」
「でも、“必要だった”って部分にくっついてる、“絶対に間違っていなかった”って呪文は、
“多分まちがっていたところもある”に変えられます」
「長いな」
「長くていいんです」
ポポは、命令書の“必要な犠牲”という四文字の下に、
細かい字で、こう書き足した。
――“(当時の判断で、そう信じるしかなかった犠牲。今後は同じ状況を生まないよう、仕組みを見直すこと)”。
「これが、“まちがい後始末課版・必要な犠牲”です」
「……注釈が長すぎて、もはや別の言葉だな」
ラザンが、苦笑混じりに肩をすくめる。
だが、紙から立ちのぼるインクの煙は、さっきよりも少し薄くなっていた。
――必要な犠牲。
という黒々とした文字の周りに、
“あのときの限界”と“今の決意”が、細かく書き込まれている。
真っ黒だった呪文が、灰色くらいに薄まっている。
* * *
「……宰相さま」
ポポは、黒曜指輪をちらりと見た。
そこには、今までと同じ三行が刻まれている。
――愛されぬことを選べ。
――いなくならなくてもいい。
――ねこが信じてるから、だいじょうぶかもしれない。
そこに、新しい行が、じわりと浮かび上がろうとしていた。
――すべて正しかったわけではないが、すべてまちがいでもなかった。
「……自己弁護のようだな」
オルガがぼそりと言う。
「でも、“全部まちがいでした”って呪文より、ちょっとだけ優しいですよ」
ポポは、微笑んだ。
「宰相さまが“必要な犠牲”って言葉を使ったことも、
その言葉に逃げ続けてきたことも、
それでも今、“書き足そうとしていること”も、全部まとめて、グレーで置いておけます」
白でも、黒でもなく。
綿あめみたいに甘くもなく、石のように固くもない。
“まだ途中”という名前の、灰色の余白。
「……まちがい後始末課というのは、結局、“灰色に名前をつける課”なのかもしれんな」
オルガは、命令書の束をそっと閉じた。
「黒か白か決めろと迫り続けてきた国が、
ようやく“灰色でいる”ことを覚えつつあるわけだ」
「はい。“灰色の怪物さま”です」
「新しい蔑称を作るな」
ラザンが、ふっと笑った。
「だが、“灰色”くらいがちょうどいいのかもしれん。
戦場にいた連中も、英雄でも悪党でもなく、だいたい灰色だったからな」
ティラの顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
逃げたのか、生き残ったのか。
その両方だった彼女。
「……黒曜宰相」
ラザンは、真顔に戻った。
「ひとつだけ、頼みがある」
「何だ」
「この命令書の束。“必要な犠牲”の注釈付きのまま、軍の新兵教育で使え」
オルガとポポが、同時に目を見張る。
「今から刃物を握る連中に、“これが戦の現実だ”と教えるとき、
“必要な犠牲”の隣に、“あのときの自分たちの限界”と“今の後悔”も見せろ」
ラザンの声は、穏やかだが、揺るぎがなかった。
「“怪物が決めたことだから仕方ない”で片づかないように。
“自分たちで、二度と同じまちがいをしないためにはどうするか”を考えさせろ」
「……それは、ずいぶん面倒な教育だな」
「怪物任せよりは、ましだ」
ラザンの目は、戦場ではなく、これからの兵たちを見ている。
オルガは、ゆっくりと頷いた。
「――黒曜塔まちがい後始末課・案件第二号だな」
「第一号は?」
「ティラ・フォルンの名簿だ」
ポポが、指を折って数える。
「じゃあ、宰相さま自身の自己呪詛は、“最終案件”ですね」
「お前が勝手に決めた順位だろう」
「もちろんです」
ポポは、笑った。
「でも、“必要な犠牲”の呪文をここまで薄められたなら、
“自分は愛されない”って呪文も、きっと薄められますよ」
「根拠は」
「猫と子どもと、ラザンさんがいます」
「なぜそこで私も括られる」
ラザンが、少しだけ耳を赤くする。
「ラザンさん、“まちがい後始末課”に協力してくれてますから。
宰相さまの“逃げたいときに盾になってくれる人”として」
「勝手に役割を定めるな」
そう言いつつも、
黒曜塔の一室には、三人と数匹の猫という、不思議な安心感があった。
“必要な犠牲”と呼ばれた命。
“怪物だから”と押しつけられてきた決断。
“自分は愛されない”という呪文。
そのどれも、今すぐキャンディに変わるわけではない。
けれど、“全部まちがい”と切り捨てるのでも、“全部正しい”と居直るのでもない場所に、
少しずつ置き直されていく。
黒曜宰相の指輪に刻まれた文字は、
まだはっきりとは変わらない。
それでも――
“愛されぬことを選べ”の“選べ”の一画は、
今日もまた、誰にも気付かれないくらいの微妙な角度で、
ほんの少しだけ、丸くなっていた。
「まちがい後始末課、ねえ」
彼は、塔の新しい木札を見上げて、半分あきれたように笑った。
――黒曜塔 まちがい後始末課。
星と猫と綿あめのイラストつきの看板。
どう見ても、“戦の命令書”とは無縁そうだ。
「怖さが一滴もない看板だな、黒曜宰相」
「怖がらせる部署ではないのでな」
オルガは、湯気の立つ蜂蜜茶を三つ、机に並べた。
「お前が呼んだのか」
ラザンがチラリと視線を向ける先には、ポポがいる。
猫を一匹抱き、もう一匹を頭に乗せ、書類の山を整理していた。
「はい。軍関係の“まちがい案件”は、ラザンさん抜きでは語れませんから」
「勝手に巻き込むな」
口ではそう言いながらも、ラザンは蜂蜜茶を素直に受け取った。
この部屋の空気には、戦時中の司令室にはなかった“甘さ”がある。
それは、綿あめでも子猫でもなく――
“まちがいをまっすぐ見ようとしている人間たち”の、まだ不器用な甘さだった。
* * *
「今日、開いてほしいのは、これです」
ポポが、机の下から、少し古びた箱を取り出した。
厚い封蝋。
黒曜の印章。
側面には、小さく “第三防衛線関連命令書 一括保管” と記されている。
ティラが持ち込んだ戦功名簿の、もとの束。
「……嫌な箱を残していたものだな、過去の私」
オルガは、苦く笑った。
ラザンも、表情を引き締める。
「中身は、見ている」
「ええ。ですが――」
ポポは、二人の顔を見比べた。
「“まちがい後始末課”として、もう一回、“言葉”を見直してほしいんです」
「命令そのものは、もう出してしまった」
ラザンが低く言う。
「死んだ者は戻らん。
今さら書類をいじったところで、慰めにもならんだろう」
「慰めじゃなくて、“呪文の修正”です」
ポポは、箱の上にそっと両手を置いた。
「この命令書の言葉が、そのままになってる限り、
“あれは必要な犠牲だった”って呪文が、ずっと国の中を回り続けます」
オルガとラザンの視線が、わずかに動いた。
――必要な犠牲。
戦時中、何度も口にし、何度も書いた言葉だ。
「私は、その言葉の“まちがい”を、ちゃんと見たいです」
ポポは、静かに言った。
「だって、“必要な犠牲”って便利すぎる。
“本当は避けられたかもしれない犠牲”まで、ぜんぶ一緒くたにしてくれるから」
「……開けろ」
短く言って、オルガは封蝋に指を置いた。
黒曜指輪が、かすかに光る。
ぱきり、と蝋が割れた瞬間、
箱の中からふわりと黒いインクの煙が立ちのぼった。
ポポには、その煙の中に、びっしり文字が詰まっているのが見える。
――必要な犠牲。
――しかたがない。
――今は考えるな。
――あとで後悔するかもしれないが、その時は“戦だから”で済ませろ。
「……呪文、だらけですね」
「戦時の命令書というものは、だいたいそうだ」
オルガは、静かに一枚目の紙を取り出した。
そこには、第三防衛線に関する具体的な指示が記されている。
――『第三防衛線は、敵の呪詛砲撃を引き受ける“楔”として配置する』。
――『前線の損耗は“必要な犠牲”として、後続の突破を優先する』。
その一文、その一文字が、何人の命を左右したのか。
ラザンの喉が、ごくりと鳴る。
「……改めて読むと、たたき割りたくなる文面だな」
「たたき割っても、言った事実は消えませんから」
ポポは、紙に目を凝らした。
彼女の視界には、文章の余白に、小さな文字が滲んでいる。
――本当は、他の案もあった。
――時間が足りなかった。
――あのとき、怖かった。
――“怪物なら決断できるはずだ”と、自分に命じた。
(宰相さまの文字だ……)
表の文章は、整った公文書だ。
けれど、余白に滲んだ“本音の文字”は、きたないほど人間くさい。
「……ラザン」
オルガが、視線を上げた。
「この命令書を出したとき、私は。“必要な犠牲”という言葉で、自分を守っていた」
「わかっている」
ラザンは、短く答えた。
「俺も同じだ。“怪物の決断”のせいにしたほうが楽だった」
ティラたち前線の兵を、“楔”として使ったこと。
それを、“必要な犠牲”と呼び続けたこと。
その言葉に何度も逃げたこと。
「……だからこそだ」
ラザンは、唇を引き結んだ。
「今さら“必要ではなかった”と書き換えるのは、
死んだ連中への冒涜にもなる」
ポポは、少しだけ首を傾げた。
「“必要ではなかった”とは、私は言ってないですよ」
「……?」
「“必要な犠牲”って断言しているところを、
“そう信じるしかなかった犠牲”って書き換えたいだけです」
オルガとラザンの眉が、わずかに動いた。
「何だ、その微妙な言い換えは」
「微妙だからいいんです」
ポポは、さらさらと赤ペンを走らせた。(※魔力入り)
――“必要な犠牲”の“必”の字を、そっとなぞって、ちいさく割る。
“必”が、“心”と“ノ”くらいにばらばらになる。
「“絶対に必要だった”って呪文を、
“当時の自分たちは、それを選ぶしかないと思い込んでいた”まで、弱くします」
「……それは、言い訳ではないか?」
「はい。言い訳です」
ポポは、きっぱり頷いた。
「でも、“必要な犠牲”って、言い訳のくせに“真実”の顔してるからタチ悪いんですよ。
ちゃんと、“言い訳でした”って札つけなおしたいんです」
ラザンの喉から、低い笑いが漏れた。
「……まったく、お前というやつは」
戦後何年も、軍の中で“必要な犠牲”と繰り返してきた自分。
その言葉が、“当時の自分たちの限界の言い訳”だったと認めるのは、確かに怖い。
だが、同時に――どこかホッとする部分もある。
(“絶対に正しかった”なんて顔をしているほうが、よっぽど怪物だ)
ラザンは、心の中で小さく吐き捨てた。
* * *
「宰相さま」
ポポが、命令書の余白を指さす。
「ここに、“本当は他の案もあった”って滲んでます」
「……読まなくていい」
「読みます」
即答だった。
「“第三防衛線を楔にする代わりに、
黒曜塔の防護を捨てて前線に出る案”。
“王都の一部を空にして防衛線を下げる案”。
“戦そのものを長期戦に切り替える案”」
余白には、採用されなかった案がびっしりと書き込まれている。
どれも、別の種類の犠牲と危険を伴うものばかりだ。
「……あのとき、私は、王都を危険に晒す案を取れなかった」
オルガは、低く言った。
「“黒曜の怪物”が、王都を守れませんでした、では済まないと思った。
自分の肩書きのために、前線を選んだんだ」
ラザンの拳が、ぎゅっと握られる。
「それを今、“まちがい”と呼べるのか」
「呼べるようになるまで、たぶん、時間がかかります」
ポポは、静かに言った。
「だから、その間の仮ラベルとして、“そう信じるしかなかった犠牲”って貼っておくんです」
“必要な犠牲”と断言する傲慢さと、
“まったく必要なかった”と否定する無責任さ。
そのどちらでもない、
“あのときの自分には、それしか見えなかった”という中途半端な場所。
「まちがい後始末って、
“あれはまちがいでした!”ってスパーンと割り切ることじゃなくて」
ポポは、インクの煙を指先でつついた。
「“あのときの自分たちは、ここまでしか見えてなかった”って、ちゃんと書いておくことだと思うんです。
そのうえで、“でも今の自分たちは、もう少し先まで見える”って、次の人に渡す」
「次の人、か」
ラザンは、窓の外を見た。
塔の下では、新しい兵士たちが、訓練場で木剣を振っている。
彼らは、実戦を知らない世代だ。
彼らに、“必要な犠牲”という言葉だけを渡したくはなかった。
同時に、“戦争は全部まちがいでした”と、安く総括することも、違う気がした。
「……黒曜宰相」
ラザンは、命令書の束を指で叩いた。
「この“必要な犠牲”の文字。
お前の言う“可愛い置換”で、何かに変えられるか?」
「“憎悪”を綿あめに変えるのとは、わけが違うぞ」
「わかっている。
死んだ者を、キャンディにする気はない」
それでも――、と彼は続けた。
「このまま、“必要な犠牲”のまま国立文書館に保存されるくらいなら、
いっそ、他の言葉に変えてしまったほうがいいかもしれん」
ポポは、少しだけ考えてから、ゆっくり口を開いた。
「“必要な犠牲”そのものは変えられません」
「やはりな」
「でも、“必要だった”って部分にくっついてる、“絶対に間違っていなかった”って呪文は、
“多分まちがっていたところもある”に変えられます」
「長いな」
「長くていいんです」
ポポは、命令書の“必要な犠牲”という四文字の下に、
細かい字で、こう書き足した。
――“(当時の判断で、そう信じるしかなかった犠牲。今後は同じ状況を生まないよう、仕組みを見直すこと)”。
「これが、“まちがい後始末課版・必要な犠牲”です」
「……注釈が長すぎて、もはや別の言葉だな」
ラザンが、苦笑混じりに肩をすくめる。
だが、紙から立ちのぼるインクの煙は、さっきよりも少し薄くなっていた。
――必要な犠牲。
という黒々とした文字の周りに、
“あのときの限界”と“今の決意”が、細かく書き込まれている。
真っ黒だった呪文が、灰色くらいに薄まっている。
* * *
「……宰相さま」
ポポは、黒曜指輪をちらりと見た。
そこには、今までと同じ三行が刻まれている。
――愛されぬことを選べ。
――いなくならなくてもいい。
――ねこが信じてるから、だいじょうぶかもしれない。
そこに、新しい行が、じわりと浮かび上がろうとしていた。
――すべて正しかったわけではないが、すべてまちがいでもなかった。
「……自己弁護のようだな」
オルガがぼそりと言う。
「でも、“全部まちがいでした”って呪文より、ちょっとだけ優しいですよ」
ポポは、微笑んだ。
「宰相さまが“必要な犠牲”って言葉を使ったことも、
その言葉に逃げ続けてきたことも、
それでも今、“書き足そうとしていること”も、全部まとめて、グレーで置いておけます」
白でも、黒でもなく。
綿あめみたいに甘くもなく、石のように固くもない。
“まだ途中”という名前の、灰色の余白。
「……まちがい後始末課というのは、結局、“灰色に名前をつける課”なのかもしれんな」
オルガは、命令書の束をそっと閉じた。
「黒か白か決めろと迫り続けてきた国が、
ようやく“灰色でいる”ことを覚えつつあるわけだ」
「はい。“灰色の怪物さま”です」
「新しい蔑称を作るな」
ラザンが、ふっと笑った。
「だが、“灰色”くらいがちょうどいいのかもしれん。
戦場にいた連中も、英雄でも悪党でもなく、だいたい灰色だったからな」
ティラの顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
逃げたのか、生き残ったのか。
その両方だった彼女。
「……黒曜宰相」
ラザンは、真顔に戻った。
「ひとつだけ、頼みがある」
「何だ」
「この命令書の束。“必要な犠牲”の注釈付きのまま、軍の新兵教育で使え」
オルガとポポが、同時に目を見張る。
「今から刃物を握る連中に、“これが戦の現実だ”と教えるとき、
“必要な犠牲”の隣に、“あのときの自分たちの限界”と“今の後悔”も見せろ」
ラザンの声は、穏やかだが、揺るぎがなかった。
「“怪物が決めたことだから仕方ない”で片づかないように。
“自分たちで、二度と同じまちがいをしないためにはどうするか”を考えさせろ」
「……それは、ずいぶん面倒な教育だな」
「怪物任せよりは、ましだ」
ラザンの目は、戦場ではなく、これからの兵たちを見ている。
オルガは、ゆっくりと頷いた。
「――黒曜塔まちがい後始末課・案件第二号だな」
「第一号は?」
「ティラ・フォルンの名簿だ」
ポポが、指を折って数える。
「じゃあ、宰相さま自身の自己呪詛は、“最終案件”ですね」
「お前が勝手に決めた順位だろう」
「もちろんです」
ポポは、笑った。
「でも、“必要な犠牲”の呪文をここまで薄められたなら、
“自分は愛されない”って呪文も、きっと薄められますよ」
「根拠は」
「猫と子どもと、ラザンさんがいます」
「なぜそこで私も括られる」
ラザンが、少しだけ耳を赤くする。
「ラザンさん、“まちがい後始末課”に協力してくれてますから。
宰相さまの“逃げたいときに盾になってくれる人”として」
「勝手に役割を定めるな」
そう言いつつも、
黒曜塔の一室には、三人と数匹の猫という、不思議な安心感があった。
“必要な犠牲”と呼ばれた命。
“怪物だから”と押しつけられてきた決断。
“自分は愛されない”という呪文。
そのどれも、今すぐキャンディに変わるわけではない。
けれど、“全部まちがい”と切り捨てるのでも、“全部正しい”と居直るのでもない場所に、
少しずつ置き直されていく。
黒曜宰相の指輪に刻まれた文字は、
まだはっきりとは変わらない。
それでも――
“愛されぬことを選べ”の“選べ”の一画は、
今日もまた、誰にも気付かれないくらいの微妙な角度で、
ほんの少しだけ、丸くなっていた。
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