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4話:花火が文字を描いて告白みたいになる
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その夜の王都は、昼間よりも“祭り”だった。
提灯が通りを金色に染め、屋台の明かりが人の頬をあたたかく照らす。昼の事故が嘘みたいに、街は上機嫌で、音楽と笑い声が浮かんでいた。
そして――
花火の匂いがする。
火薬の匂いって、本来は少し怖いはずなのに、王都では「今から良いことが起こる」の合図になっている。風に乗ってその匂いが届くと、みんな勝手に空を見上げる。
レオンも、つい見上げてしまった。
……見上げたくて見上げたわけではない。監査官として、花火の安全距離と規模と、事前申請の確認をする必要があるからだ。必要だからだ。
広場の端、にこにこ企画堂の臨時ステージ前。
今日もそこに、ミアがいた。
白い手袋をはめ、髪をまとめ、いつもより少しだけ“ちゃんとしている”格好。胸の前で書類を抱えて、レオンの前に立つ。
「監査官さん! 本日の“文字花火”、申請通りにやります!」
“文字花火”。
空に文字を描く花火。王都の人は空を掲示板か何かだと思っている節がある。
レオンは申請書を受け取り、内容を確認した。
規模:小
発射数:十発
文字:店名のみ
安全距離:確保
風向き:確認
補助員:配置
……珍しく、ちゃんと書けている。
「……今日はまともだな」
「はい! だって、監査官さんに“守らないと壊れる”って言われたので」
ミアが、少し照れたように笑う。照れがあると、彼女の無自覚な危険度が一段下がる。監査官としてありがたい。
レオンは頷き、最後の欄を指した。
「ただし、風が強くなったら中止。合図は俺が出す。分かったな」
「はい!」
そして、レオンは赤い印を押した。
臨時許可の朱印。
押した瞬間、ミアの目がきらきらした。
「わあ……監査官さんの印、かっこいい……」
「印に惚れるな」
「惚れてないです! 尊いだけです!」
意味が分からないが、とにかく時間だ。
周囲には人だかりができていた。屋台の串を持った人、甘い飲み物を抱えた子ども、肩を寄せ合う恋人たち。みんな、空を見上げる準備ができている。
オーナーがステージに上がり、拡声貝で叫んだ。
「皆さーん! 本日は、にこにこ企画堂による“文字花火”! 王都の空に、夢と宣伝を打ち上げるぞ!」
レオンが即座に突っ込む。
「宣伝を混ぜるな」
「祭りは大きいほどい――」
「大きくするな」
オーナーはにやにやしながら、ミアの背中を押した。
ミアは深呼吸をして、点火棒を持ち、発射台の前に立つ。
「えっと……みなさん、危なくない距離で見てくださいね! 空が掲示板みたいになるので!」
掲示板みたいになるので、って何だ。
レオンは群衆の前に一歩出て、仕事の声で言った。
「安全線より前に出ないでください。走らない。押さない。……恋人と手をつなぐのは好きにしろ」
最後だけ、同僚に「今のいります?」みたいな顔をされる。いらない。たぶん。
ミアが点火する。
しゅっ。
小さな火花。
そして――
一発目が夜空へ、すっと上がった。
ぱん、と開く。
花火が散るのではなく、光の粒が整列し、一本の線になる。線が曲がって、角ができて、丸が描かれて、空に――
文字が浮かび上がった。
『に』
歓声が上がる。
「わあ!」
「文字だ!」
「かわいい!」
二発目。
『こ』
三発目。
『に』
四発目。
『こ』
『にこにこ』
おお、ちゃんと店名だ。今日は平和だ。レオンは胸の内でそう判断し、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
しかし。
五発目が上がった瞬間、風が吹いた。
王都の風は、自由だ。
自由な風は、花火の光の粒にも、遠慮がない。
ぱん。
光が広がり、次の文字になるはずの粒が――なぜか、妙に滑らかに形を変えた。
ひらがなではなく、急に“きれいな漢字”が浮かぶ。
そして、空に出たのは。
『監』
一瞬、広場が静かになった。
次。
『査』
次。
『官』
……監査官?
レオンの背筋が、ぴん、と伸びた。
いや、店名の続きだろ? にこにこ企画堂、の“企”とか“画”とか――
しかし七発目。
空に、はっきりと出た。
『レ』
八発目。
『オ』
九発目。
『ン』
――いやいやいや。
群衆がざわついた。
「えっ……?」
「監査官レオン……?」
「誰……?」
「っていうか、名指し……?」
最後の十発目。
ぱん、と大きく開いた光が、花の形に散り――その中心に、文字が浮かび上がった。
『すき』
……ひらがなで、すき。
やさしい光で、すき。
空いっぱいに、すき。
王都が、一拍遅れて爆発した。
「きゃーー!!」
「告白!? 告白!?」
「空に告白って何それ最高!!」
「監査官さん、モテる!!」
「えっ、監査官さん照れてる!?」
照れてない。
レオンは、照れてない。
監査官は公務中に照れない。
……照れてないはずなのに、耳が熱い。頬も熱い。喉が乾く。呼吸が変になる。
そして何より。
“自分宛てに見えた”のが悔しい。
いや、見えたも何も、名指しだ。監査官レオン、と書いてある。そこからの、すき。どう解釈しろというんだ。
レオンは反射で振り返った。
ミアは、発射台の前で固まっていた。
目が丸い。口が半開き。魂が一歩遅れている顔。
つまり――
本気で知らない。
この顔は演技じゃない。彼女は今、自分の花火に裏切られている。
隣のオーナーが、すごく良い顔で拍手していた。
「おおお! 最高だ! 祭りは大きいほど――」
「黙れ」
レオンの声が低すぎて、オーナーが一瞬だけ黙った。王都でそれができるのは監査官だけだ。
広場のざわつきは止まらない。
「付き合ってるの!?」
「結婚!?」
「いつから!?」
「監査官さん、今日の報告書“恋”って書くんじゃない!?」
書かない。
絶対に書かない。
レオンは深く息を吸って、仕事の声を作った。
「……中止」
短く言って、ミアの腕を掴み、発射台から引き離した。
「風が強い。危険だ。撤収する」
言い訳が雑だが、王都の人々は“危険”という言葉には妙に従順だ。なぜなら監査官が言うからだ。
衛兵が動き、補助員が動き、発射台が片付けられていく。その間も、人々の視線はレオンとミアに刺さっている。
刺さり方が、祝福。
祝福の刺さり方って、こんなに痛いのか。
レオンはミアを、ステージ裏の暗がりへ連れて行った。提灯の光が届かないところ。ようやく、音が少し遠くなる。
ミアが、ようやく息をした。
「……監査官さん、ごめんなさい……!」
「……何をした」
「わたし、店名のはずだったんです! 『にこにこ企画堂』って! 最後は『ご来店ありがとう』って――」
「最後が“すき”なのは、どういうつもりだ」
「違います! “すき”じゃないんです! たぶん、“好きな祭りを、好きなだけ”みたいな宣伝文句にしようと……」
言いながら、ミアは自分の言葉に自分で赤くなった。
「……いや、それもそれで、だいぶ……」
レオンが言いかけたところで、ミアがハッとした。
「待って。なんで“監査官レオン”って出たの……?」
ミアは、ポケットから申請書の控えを取り出し、朱印を見た。
真っ赤な印。
そこに刻まれているのは、役職と氏名。
ミアの顔が、だんだん青くなる。
「……あ……」
そして、ぱっとレオンを見る。
「これ、です」
「何がだ」
ミアは泣きそうな顔で言った。
「文字花火って、許可の“印”を目印にするんです。空の文字を崩さないように、魔法が“責任者の情報”を最初に表示してから、宣伝に移る……仕様で……」
仕様で。
レオンは目を閉じた。
つまり。
自分が押した印が、花火の最初の文字を決めた。
それで“監査官レオン”。
ここまでは、まだ――まだ、仕方ない。
問題は、その後だ。
「……じゃあ、“すき”は?」
「……」
「……ミア」
ミアは、視線を泳がせながら、小さく言った。
「……朱印の近くに書く言葉って、強く出るんです……」
「……」
「だから、いちばん強い言葉を……その……」
レオンの胸が、嫌な方向に跳ねた。
「……何を書いた」
ミアは両手で顔を隠し、指の隙間から言った。
「『すき』って……書いちゃいました……。宣伝のつもりで……勢いで……」
勢いで、すき。
空に、すき。
名指しの後に、すき。
街がざわつくのも当然だ。
レオンは、しばらく黙った。
怒るべきだ。条例違反だ。公務の信用を損なう可能性もある。改善指導だ。
全部、正しい。
でも。
“自分宛てに見えた”のが悔しい。
そして、悔しいと思ってしまう自分が、もっと悔しい。
レオンは咳払いをして、なるべく平坦に言った。
「……次から、俺の名前を空に出すな」
「はい……」
「“すき”も出すな」
「はい……」
ミアはしゅん、と肩を落とした。
その姿が、静かな場所だと妙に小さく見えて、レオンは言葉を足したくなる。
足したくなるのが危険だ。
監査官は、危険を避ける。
……避ける、はずなのに。
レオンは、ほんの少しだけ声を落とした。
「……宣伝文句なら、別の言葉にしろ。“すき”は強すぎる」
ミアが顔を上げた。
「じゃあ、何がいいですか?」
「……」
真面目な目で聞くな。
レオンは視線を逸らし、苦し紛れに答えた。
「……“ご安全に”とか」
「かわいくない!」
「監査官の最適解だ」
ミアは、ぷっと笑った。まだ赤いまま。
「じゃあ、次は『ご安全に、にこにこ企画堂』って花火にします」
「やめろ。今すぐその発想を捨てろ」
ミアは頷き――頷きながら、にこっと笑う。
「でも、監査官さん」
「何だ」
「今日の花火、ちょっときれいでしたね」
レオンは反射で「きれいじゃない」と言いかけた。
言いかけて、やめた。
空に浮かんだ“すき”は、確かにきれいだった。
あまりにきれいで、悔しいくらいに。
レオンは、仕事の顔で言った。
「……報告書には“風向き不適合による表示逸脱”と書く」
「“すき”って書かない?」
「書かない」
「よかった……」
ミアがほっと息を吐いた。
その息の白さが、提灯の明かりに少しだけ光って見えて、レオンはまた悔しくなる。
遠くで、王都の人々の声が聞こえた。
「監査官さん、告白された!」
「空に告白、ロマンチック!」
「次はいつ!?」
次はない。
絶対にない。
レオンは心の中でそう言い切りながら、ミアの横顔をちらりと見た。
彼女はまだ赤い。
その赤さが、夜の提灯よりも、花火よりも――
なぜだか、目に残った。
提灯が通りを金色に染め、屋台の明かりが人の頬をあたたかく照らす。昼の事故が嘘みたいに、街は上機嫌で、音楽と笑い声が浮かんでいた。
そして――
花火の匂いがする。
火薬の匂いって、本来は少し怖いはずなのに、王都では「今から良いことが起こる」の合図になっている。風に乗ってその匂いが届くと、みんな勝手に空を見上げる。
レオンも、つい見上げてしまった。
……見上げたくて見上げたわけではない。監査官として、花火の安全距離と規模と、事前申請の確認をする必要があるからだ。必要だからだ。
広場の端、にこにこ企画堂の臨時ステージ前。
今日もそこに、ミアがいた。
白い手袋をはめ、髪をまとめ、いつもより少しだけ“ちゃんとしている”格好。胸の前で書類を抱えて、レオンの前に立つ。
「監査官さん! 本日の“文字花火”、申請通りにやります!」
“文字花火”。
空に文字を描く花火。王都の人は空を掲示板か何かだと思っている節がある。
レオンは申請書を受け取り、内容を確認した。
規模:小
発射数:十発
文字:店名のみ
安全距離:確保
風向き:確認
補助員:配置
……珍しく、ちゃんと書けている。
「……今日はまともだな」
「はい! だって、監査官さんに“守らないと壊れる”って言われたので」
ミアが、少し照れたように笑う。照れがあると、彼女の無自覚な危険度が一段下がる。監査官としてありがたい。
レオンは頷き、最後の欄を指した。
「ただし、風が強くなったら中止。合図は俺が出す。分かったな」
「はい!」
そして、レオンは赤い印を押した。
臨時許可の朱印。
押した瞬間、ミアの目がきらきらした。
「わあ……監査官さんの印、かっこいい……」
「印に惚れるな」
「惚れてないです! 尊いだけです!」
意味が分からないが、とにかく時間だ。
周囲には人だかりができていた。屋台の串を持った人、甘い飲み物を抱えた子ども、肩を寄せ合う恋人たち。みんな、空を見上げる準備ができている。
オーナーがステージに上がり、拡声貝で叫んだ。
「皆さーん! 本日は、にこにこ企画堂による“文字花火”! 王都の空に、夢と宣伝を打ち上げるぞ!」
レオンが即座に突っ込む。
「宣伝を混ぜるな」
「祭りは大きいほどい――」
「大きくするな」
オーナーはにやにやしながら、ミアの背中を押した。
ミアは深呼吸をして、点火棒を持ち、発射台の前に立つ。
「えっと……みなさん、危なくない距離で見てくださいね! 空が掲示板みたいになるので!」
掲示板みたいになるので、って何だ。
レオンは群衆の前に一歩出て、仕事の声で言った。
「安全線より前に出ないでください。走らない。押さない。……恋人と手をつなぐのは好きにしろ」
最後だけ、同僚に「今のいります?」みたいな顔をされる。いらない。たぶん。
ミアが点火する。
しゅっ。
小さな火花。
そして――
一発目が夜空へ、すっと上がった。
ぱん、と開く。
花火が散るのではなく、光の粒が整列し、一本の線になる。線が曲がって、角ができて、丸が描かれて、空に――
文字が浮かび上がった。
『に』
歓声が上がる。
「わあ!」
「文字だ!」
「かわいい!」
二発目。
『こ』
三発目。
『に』
四発目。
『こ』
『にこにこ』
おお、ちゃんと店名だ。今日は平和だ。レオンは胸の内でそう判断し、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
しかし。
五発目が上がった瞬間、風が吹いた。
王都の風は、自由だ。
自由な風は、花火の光の粒にも、遠慮がない。
ぱん。
光が広がり、次の文字になるはずの粒が――なぜか、妙に滑らかに形を変えた。
ひらがなではなく、急に“きれいな漢字”が浮かぶ。
そして、空に出たのは。
『監』
一瞬、広場が静かになった。
次。
『査』
次。
『官』
……監査官?
レオンの背筋が、ぴん、と伸びた。
いや、店名の続きだろ? にこにこ企画堂、の“企”とか“画”とか――
しかし七発目。
空に、はっきりと出た。
『レ』
八発目。
『オ』
九発目。
『ン』
――いやいやいや。
群衆がざわついた。
「えっ……?」
「監査官レオン……?」
「誰……?」
「っていうか、名指し……?」
最後の十発目。
ぱん、と大きく開いた光が、花の形に散り――その中心に、文字が浮かび上がった。
『すき』
……ひらがなで、すき。
やさしい光で、すき。
空いっぱいに、すき。
王都が、一拍遅れて爆発した。
「きゃーー!!」
「告白!? 告白!?」
「空に告白って何それ最高!!」
「監査官さん、モテる!!」
「えっ、監査官さん照れてる!?」
照れてない。
レオンは、照れてない。
監査官は公務中に照れない。
……照れてないはずなのに、耳が熱い。頬も熱い。喉が乾く。呼吸が変になる。
そして何より。
“自分宛てに見えた”のが悔しい。
いや、見えたも何も、名指しだ。監査官レオン、と書いてある。そこからの、すき。どう解釈しろというんだ。
レオンは反射で振り返った。
ミアは、発射台の前で固まっていた。
目が丸い。口が半開き。魂が一歩遅れている顔。
つまり――
本気で知らない。
この顔は演技じゃない。彼女は今、自分の花火に裏切られている。
隣のオーナーが、すごく良い顔で拍手していた。
「おおお! 最高だ! 祭りは大きいほど――」
「黙れ」
レオンの声が低すぎて、オーナーが一瞬だけ黙った。王都でそれができるのは監査官だけだ。
広場のざわつきは止まらない。
「付き合ってるの!?」
「結婚!?」
「いつから!?」
「監査官さん、今日の報告書“恋”って書くんじゃない!?」
書かない。
絶対に書かない。
レオンは深く息を吸って、仕事の声を作った。
「……中止」
短く言って、ミアの腕を掴み、発射台から引き離した。
「風が強い。危険だ。撤収する」
言い訳が雑だが、王都の人々は“危険”という言葉には妙に従順だ。なぜなら監査官が言うからだ。
衛兵が動き、補助員が動き、発射台が片付けられていく。その間も、人々の視線はレオンとミアに刺さっている。
刺さり方が、祝福。
祝福の刺さり方って、こんなに痛いのか。
レオンはミアを、ステージ裏の暗がりへ連れて行った。提灯の光が届かないところ。ようやく、音が少し遠くなる。
ミアが、ようやく息をした。
「……監査官さん、ごめんなさい……!」
「……何をした」
「わたし、店名のはずだったんです! 『にこにこ企画堂』って! 最後は『ご来店ありがとう』って――」
「最後が“すき”なのは、どういうつもりだ」
「違います! “すき”じゃないんです! たぶん、“好きな祭りを、好きなだけ”みたいな宣伝文句にしようと……」
言いながら、ミアは自分の言葉に自分で赤くなった。
「……いや、それもそれで、だいぶ……」
レオンが言いかけたところで、ミアがハッとした。
「待って。なんで“監査官レオン”って出たの……?」
ミアは、ポケットから申請書の控えを取り出し、朱印を見た。
真っ赤な印。
そこに刻まれているのは、役職と氏名。
ミアの顔が、だんだん青くなる。
「……あ……」
そして、ぱっとレオンを見る。
「これ、です」
「何がだ」
ミアは泣きそうな顔で言った。
「文字花火って、許可の“印”を目印にするんです。空の文字を崩さないように、魔法が“責任者の情報”を最初に表示してから、宣伝に移る……仕様で……」
仕様で。
レオンは目を閉じた。
つまり。
自分が押した印が、花火の最初の文字を決めた。
それで“監査官レオン”。
ここまでは、まだ――まだ、仕方ない。
問題は、その後だ。
「……じゃあ、“すき”は?」
「……」
「……ミア」
ミアは、視線を泳がせながら、小さく言った。
「……朱印の近くに書く言葉って、強く出るんです……」
「……」
「だから、いちばん強い言葉を……その……」
レオンの胸が、嫌な方向に跳ねた。
「……何を書いた」
ミアは両手で顔を隠し、指の隙間から言った。
「『すき』って……書いちゃいました……。宣伝のつもりで……勢いで……」
勢いで、すき。
空に、すき。
名指しの後に、すき。
街がざわつくのも当然だ。
レオンは、しばらく黙った。
怒るべきだ。条例違反だ。公務の信用を損なう可能性もある。改善指導だ。
全部、正しい。
でも。
“自分宛てに見えた”のが悔しい。
そして、悔しいと思ってしまう自分が、もっと悔しい。
レオンは咳払いをして、なるべく平坦に言った。
「……次から、俺の名前を空に出すな」
「はい……」
「“すき”も出すな」
「はい……」
ミアはしゅん、と肩を落とした。
その姿が、静かな場所だと妙に小さく見えて、レオンは言葉を足したくなる。
足したくなるのが危険だ。
監査官は、危険を避ける。
……避ける、はずなのに。
レオンは、ほんの少しだけ声を落とした。
「……宣伝文句なら、別の言葉にしろ。“すき”は強すぎる」
ミアが顔を上げた。
「じゃあ、何がいいですか?」
「……」
真面目な目で聞くな。
レオンは視線を逸らし、苦し紛れに答えた。
「……“ご安全に”とか」
「かわいくない!」
「監査官の最適解だ」
ミアは、ぷっと笑った。まだ赤いまま。
「じゃあ、次は『ご安全に、にこにこ企画堂』って花火にします」
「やめろ。今すぐその発想を捨てろ」
ミアは頷き――頷きながら、にこっと笑う。
「でも、監査官さん」
「何だ」
「今日の花火、ちょっときれいでしたね」
レオンは反射で「きれいじゃない」と言いかけた。
言いかけて、やめた。
空に浮かんだ“すき”は、確かにきれいだった。
あまりにきれいで、悔しいくらいに。
レオンは、仕事の顔で言った。
「……報告書には“風向き不適合による表示逸脱”と書く」
「“すき”って書かない?」
「書かない」
「よかった……」
ミアがほっと息を吐いた。
その息の白さが、提灯の明かりに少しだけ光って見えて、レオンはまた悔しくなる。
遠くで、王都の人々の声が聞こえた。
「監査官さん、告白された!」
「空に告白、ロマンチック!」
「次はいつ!?」
次はない。
絶対にない。
レオンは心の中でそう言い切りながら、ミアの横顔をちらりと見た。
彼女はまだ赤い。
その赤さが、夜の提灯よりも、花火よりも――
なぜだか、目に残った。
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