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6話:迷子対策が完璧すぎて(?)親が迷子になる
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朝のにこにこ企画堂には、珍しく“真面目な静けさ”があった。
机の上に並ぶ紙束。小さな札の試作品。インクの匂い。ミアはいつもの粉を頬につける暇もなく、ペンを走らせている。
レオンは“監査官席”で腕を組み、企画書を見下ろした。
タイトル。
《ゆるかわ迷子札・改 ――子どもが迷子にならない王都計画――》
嫌な予感が、最初から丁寧に字になっている。
「“王都計画”って言葉を企画書に入れるな」
「でも、迷子って悲しいじゃないですか! だからゼロにしたいです!」
「“ゼロ”は禁止に近いって昨日言った」
「……じゃあ、限りなくゼロにします!」
「言い換えが危ない」
ミアはむう、と唇を尖らせたが、すぐに札を一枚掲げた。
丸い札。子どもの胸にぶら下げるタイプ。表には、にこにこ顔の小鳥の絵と、矢印。
裏には、集合場所の地図と、保護者の名前欄。
そして小さく、こう書かれている。
《迷子になったら、この札が帰る場所を教えます》
「魔法は?」
レオンが問う。
ミアは胸を張った。
「ちいさな誘導魔法です! 迷子の子を“迷子センター”に導く、やさしい引力! 怖くないやつ!」
「引力って言うな」
「やさしい引力です!」
レオンはため息をつき、朱印を押す手を止めたまま、釘を刺す。
「対象は子どもだけだな?」
「はい! 子どもだけです!」
「大人には反応しない?」
「しません! だって、迷子って子どもがなるもの――」
「王都は大人の方が迷子になる」
ミアはきょとんとした。
「え? 大人が? そんなこと……」
レオンは何も言わなかった。昨日までの流れで、十分証明されている。
それでも、企画書はよく出来ていた。安全距離、運用スタッフ、解除札、予備の紐、全部そろっている。ミアがちゃんと学んでいることが分かるのが、少し悔しい。
「……よし。臨時許可。ただし、問題が出たら即停止」
「やった!」
ミアがぴょんと跳ねた。跳ねるな。床が揺れる。
オーナーが奥から顔を出し、にやにやする。
「よしよし! 監査官がいると企画がまともになる! つまり、監査官はうちの――」
「常駐を喜ぶな」
「喜ぶとも!」
その“喜び”が、数時間後に王都をひっくり返すとも知らずに。
*ーーー*
王都の広場に設置された“迷子センター”は、ゆるかわだった。
屋根には小鳥の飾り。受付にはふわふわのクッション椅子。壁には「泣いてもいいよ」の文字。魔法のランプが、子どもの心拍を優しく落ち着かせる。
ミアはそこで、札を子どもたちに配っていた。
「はーい、これをつけてね! 迷子になったら、札が“帰り道”を教えてくれるよ!」
子どもたちは喜んで胸に札を下げ、走り出す。保護者たちは安心して笑い合う。
レオンは少し離れたところで、腕を組み、観察していた。
……今日は平和だ。
平和すぎて、逆に怖い。
そんな監査官の直感は、だいたい当たる。
最初の異変は、静かに起きた。
「……あれ?」
迷子センターの前で、母親が立ち止まった。次の瞬間、その母親が“すっ”と前に引かれた。
「え? え? ちょっと待って、足が勝手に――」
母親は抗おうとしたが、足取りはやさしいのに確実だった。まるで、見えない手が袖を引くように。
母親は、迷子センターの受付へ一直線に吸い寄せられた。
「……え、私、迷子扱い?」
周囲がざわつく。
「迷子の子じゃなくて、お母さんが来た」
「お父さんも引っ張られてる」
「えっ、こっちも!?」
次々に“大人”が、迷子センターに集まり始めた。しかも、みんな困っているのに、なぜか顔が少し穏やかだ。
引力が、やさしいからだ。やさしい引力は、油断すると怖い。
レオンの眉間が即座に寄った。
「ミア」
「はい! ……え?」
ミアもようやく気づき、目を丸くした。
「えええ!? なんでお母さんたちが来てるの!?」
「だから言っただろ。王都は大人の方が迷子になるって」
「違います! 迷子になってない! ただ、屋台が多いだけで――」
「つまり迷子だ」
ミアは「そんな……」と呟きながら、札の束を確認する。
「子ども札しか配ってないのに……」
「なら原因は別だ。親が“子どもの札”に反応してる」
レオンが言った瞬間、ミアの肩がびくっと跳ねた。
「……え、まさか」
「お前、“家族”を一つの単位として認識させる仕様を入れてないか」
「だって、子どもが迷子になったら、親のところに戻るのが一番――」
言いかけて、ミアは自分で気づいた。
「……親も、“子どもに戻る”のが一番になっちゃう……?」
「そういうことだ」
迷子センターは今、子どもを集める場所ではなく――
親を吸う場所になっている。
結果、子どもが「親がいない!」と騒ぎ始める。
最悪の循環だ。
「止めろ」
レオンが短く言う。
「解除札! 配って! 大人の胸に貼れるように!」
「はい!」
ミアが走る。走るなと言う暇がない。
だが解除札を配るより早く、事態は“王都らしく”広がった。
迷子センターに集められた大人たちが、なぜか落ち着いてしまい、ここを“休憩所”だと勘違いし始めたのだ。
「ここ、居心地いいわね……」
「静か……」
「ちょっとだけ、座っててもいいかしら……」
ちょっとだけ、が一番危険だ。
その間に、子どもたちは屋台へ散り、散り、散り――
「お母さーん!」
「お父さーん!」
広場が、にぎやかな悲鳴で満ちた。
レオンは額を押さえた。
「……回収だ」
ミアが解除札の束を抱えて戻ってくる。
「回収って、子どもを?」
「違う。大人をだ」
「大人を!?」
「大人を元の位置へ戻さないと、子どもが迷子になる」
ミアは、ぱちぱちと瞬きをしてから、なぜか真剣な顔で頷いた。
「……なるほど。王都って、難しいですね」
「今気づいたか」
レオンは群衆へ目を走らせた。
迷子センターに吸われている大人たち。泣きそうな子どもたち。屋台の陰。人の流れ。風向き。
監査官の目が“現場”に切り替わる。
「ミア、解除札は大人に貼れ。まずは迷子センターの周辺を解放する」
「はい!」
「俺は散った子どもを拾う……いや、拾うのはお前の領分か」
「拾うのは企画屋です!」
「じゃあ俺は交通導線を作る。……同時にやるぞ」
二人は顔を見合わせて、短く頷いた。
そして走り出す。
*ーーー*
王都の広場は、迷路みたいだった。
屋台の匂い、声、提灯、音。子どもは視界が低い分、すぐに消える。親は視界が高い分、安心して油断する。油断すると吸われる。
「そこのお父さん! 胸に札貼ります! 抵抗しないでください!」
「え、わ、私、迷子じゃ――」
「迷子です!」
ミアの断言が強すぎる。だが効く。大人は意外と素直だ。
レオンは人波の端を歩きながら、子どもを見つけてはしゃがみ込む。
「君、名前は」
「……ミ、ミル」
「ミル。お母さんは」
「さっき、いたのに……」
泣きかけの顔。レオンはポケットから、監査課で使う小さな笛を出した。
「耳塞ぐなよ。大きい音じゃない」
短く吹く。ぴっ、と澄んだ音。
その音に反応して、衛兵がこちらを見る。レオンは指示を飛ばした。
「迷子センターの前、混んでる。ここに子ども誘導して。親は解除札貼って戻す」
「了解!」
ミルが不安そうにレオンの袖を掴む。小さい手。
レオンは一瞬迷って、でも仕事として、手を握り返した。
「大丈夫。戻る」
その言葉は子どもに向けたのに、なぜか自分にも効いた。
――戻る。
そんなふうに、現場を切り分けていくはずだった。
だが、王都は切り分けさせてくれない。
「監査官さーん! こっち、引っ張られてます!」
「監査官さん! 子ども、屋台の裏に!」
「監査官さん! あっ、監査官さんも引っ張られて――」
最後の声に、レオンは眉をひそめた。
引っ張られてる? 俺が?
その瞬間、足が、すっ、と動いた。
迷子センターの方向へ。やさしい引力に吸われる。
――まさか。
レオンは自分の胸元を見た。
いつの間にか、子ども札が“ぺたり”と貼られている。
しかも、にこにこ小鳥。
「……誰だ」
レオンが低く言った。
ミアが、遠くでひゅっと息を飲む顔をした。
「……さっき、ミルちゃんが……監査官さんに“安全”って貼ったみたいで……」
「安全札にしろ! 迷子札を貼るな!」
レオンの足が勝手に動く。迷子センターへ。監査官が迷子扱いで連行されるなど、恥だ。役所の歴史に残る。
レオンは足を止めようとしたが、引力はやさしいのに強い。やさしいって最悪だ。
そのとき。
横から、ミアが飛び込んできた。
「監査官さん!」
彼女は迷わず、レオンの手首を掴んだ。
掴んだ瞬間、引力に逆らう方向へ、ぐっと引く。
レオンの身体が止まった。
――止まった、けど。
ミアの手が、ちゃんと温かい。
意識がそこに一瞬集中してしまい、レオンは自分で自分に苛立った。
「……助かった」
「はい! 監査官さん、迷子はだめです!」
「言うな」
ミアはすぐに札を剥がそうとして――剥がれない。
「えっ、剥がれない……! なんで!?」
「子どもが貼ったからだ。強い」
「強い……!」
ミアは焦りつつ、レオンの手を離さないまま、解除札を取り出した。
その解除札を、レオンの胸にぺたり。
ふっ、と引力が消える。
レオンの足が自分のものに戻った。
「……戻った」
「戻りました!」
ミアがほっと息を吐いた、その瞬間。
二人の手が、まだつながっていることに、同時に気づいた。
ミアの指がレオンの手首から、自然に滑って――
そのまま、手のひらへ。
握ってしまった。
事故だ。
レオンは反射で離そうとした。だが、周囲は混乱している。子どもが走る。親が振り向く。衛兵が叫ぶ。今ここで手を振り払う方が不自然だ。
だから、ほんの数秒だけ――
そのままになった。
ミアが小さく言う。
「……監査官さん、手、あったかい」
「仕事中だ」
「仕事中って、あったかいんですね」
意味が分からないのに、笑ってしまいそうになるのが悔しい。
レオンは視線を逸らし、手をつないだまま、歩き出した。
「……行くぞ。回収を続ける」
「はい!」
ミアは素直に並び、つないだ手をほどかない。
レオンは一度だけ、横目で彼女を見た。
ミアは真剣な顔で、目の前の混乱を見ている。さっきの照れも、今は引っ込めている。
その横顔が、妙に頼もしくて。
手のつながりが、ただの事故以上に思えてしまうのが――
悔しい。
*ーーー*
夕方、迷子センターはようやく“本来の役割”に戻った。
吸われていた大人は解放され、子どもは親の元へ戻り、広場には「よかったね」の空気が流れる。
ミアは札の束を抱え、ぐったりしていた。
「……大人の回収って、大変ですね」
「だから言っただろ。王都は大人の方が迷子になる」
「うん……次は、大人用の札も作ります」
「作るな」
「作ります」
「作るな」
「作ります!」
ミアが笑う。
レオンは、ため息をつきながらも、どこか安心している自分に気づいてしまう。
そして、ふと。
自分の手を見る。
もうつないでいないのに、手のひらに“温かさの形”だけが残っている。
報告書には書けない。
でも、心のどこかが、こっそり記録してしまった。
『本日、迷子対策は完璧すぎて事故った。
なお、手をつなぐ事故が発生した。』
――いや、これは絶対に公文書にしてはいけない。
レオンはペンを握り直し、仕事の文字で、こう書いた。
『是正:家族単位誘導の解除。大人反応遮断。』
その横で、ミアがぼそっと言った。
「監査官さん」
「何だ」
「今日の事故……ちょっとだけ、嬉しかったです」
「……言うな」
ミアは、にこっとする。
「はい。じゃあ、次の事故も、ほどほどにします」
「事故を予定するな」
王都の夕暮れは、今日も祭りみたいに明るかった。
机の上に並ぶ紙束。小さな札の試作品。インクの匂い。ミアはいつもの粉を頬につける暇もなく、ペンを走らせている。
レオンは“監査官席”で腕を組み、企画書を見下ろした。
タイトル。
《ゆるかわ迷子札・改 ――子どもが迷子にならない王都計画――》
嫌な予感が、最初から丁寧に字になっている。
「“王都計画”って言葉を企画書に入れるな」
「でも、迷子って悲しいじゃないですか! だからゼロにしたいです!」
「“ゼロ”は禁止に近いって昨日言った」
「……じゃあ、限りなくゼロにします!」
「言い換えが危ない」
ミアはむう、と唇を尖らせたが、すぐに札を一枚掲げた。
丸い札。子どもの胸にぶら下げるタイプ。表には、にこにこ顔の小鳥の絵と、矢印。
裏には、集合場所の地図と、保護者の名前欄。
そして小さく、こう書かれている。
《迷子になったら、この札が帰る場所を教えます》
「魔法は?」
レオンが問う。
ミアは胸を張った。
「ちいさな誘導魔法です! 迷子の子を“迷子センター”に導く、やさしい引力! 怖くないやつ!」
「引力って言うな」
「やさしい引力です!」
レオンはため息をつき、朱印を押す手を止めたまま、釘を刺す。
「対象は子どもだけだな?」
「はい! 子どもだけです!」
「大人には反応しない?」
「しません! だって、迷子って子どもがなるもの――」
「王都は大人の方が迷子になる」
ミアはきょとんとした。
「え? 大人が? そんなこと……」
レオンは何も言わなかった。昨日までの流れで、十分証明されている。
それでも、企画書はよく出来ていた。安全距離、運用スタッフ、解除札、予備の紐、全部そろっている。ミアがちゃんと学んでいることが分かるのが、少し悔しい。
「……よし。臨時許可。ただし、問題が出たら即停止」
「やった!」
ミアがぴょんと跳ねた。跳ねるな。床が揺れる。
オーナーが奥から顔を出し、にやにやする。
「よしよし! 監査官がいると企画がまともになる! つまり、監査官はうちの――」
「常駐を喜ぶな」
「喜ぶとも!」
その“喜び”が、数時間後に王都をひっくり返すとも知らずに。
*ーーー*
王都の広場に設置された“迷子センター”は、ゆるかわだった。
屋根には小鳥の飾り。受付にはふわふわのクッション椅子。壁には「泣いてもいいよ」の文字。魔法のランプが、子どもの心拍を優しく落ち着かせる。
ミアはそこで、札を子どもたちに配っていた。
「はーい、これをつけてね! 迷子になったら、札が“帰り道”を教えてくれるよ!」
子どもたちは喜んで胸に札を下げ、走り出す。保護者たちは安心して笑い合う。
レオンは少し離れたところで、腕を組み、観察していた。
……今日は平和だ。
平和すぎて、逆に怖い。
そんな監査官の直感は、だいたい当たる。
最初の異変は、静かに起きた。
「……あれ?」
迷子センターの前で、母親が立ち止まった。次の瞬間、その母親が“すっ”と前に引かれた。
「え? え? ちょっと待って、足が勝手に――」
母親は抗おうとしたが、足取りはやさしいのに確実だった。まるで、見えない手が袖を引くように。
母親は、迷子センターの受付へ一直線に吸い寄せられた。
「……え、私、迷子扱い?」
周囲がざわつく。
「迷子の子じゃなくて、お母さんが来た」
「お父さんも引っ張られてる」
「えっ、こっちも!?」
次々に“大人”が、迷子センターに集まり始めた。しかも、みんな困っているのに、なぜか顔が少し穏やかだ。
引力が、やさしいからだ。やさしい引力は、油断すると怖い。
レオンの眉間が即座に寄った。
「ミア」
「はい! ……え?」
ミアもようやく気づき、目を丸くした。
「えええ!? なんでお母さんたちが来てるの!?」
「だから言っただろ。王都は大人の方が迷子になるって」
「違います! 迷子になってない! ただ、屋台が多いだけで――」
「つまり迷子だ」
ミアは「そんな……」と呟きながら、札の束を確認する。
「子ども札しか配ってないのに……」
「なら原因は別だ。親が“子どもの札”に反応してる」
レオンが言った瞬間、ミアの肩がびくっと跳ねた。
「……え、まさか」
「お前、“家族”を一つの単位として認識させる仕様を入れてないか」
「だって、子どもが迷子になったら、親のところに戻るのが一番――」
言いかけて、ミアは自分で気づいた。
「……親も、“子どもに戻る”のが一番になっちゃう……?」
「そういうことだ」
迷子センターは今、子どもを集める場所ではなく――
親を吸う場所になっている。
結果、子どもが「親がいない!」と騒ぎ始める。
最悪の循環だ。
「止めろ」
レオンが短く言う。
「解除札! 配って! 大人の胸に貼れるように!」
「はい!」
ミアが走る。走るなと言う暇がない。
だが解除札を配るより早く、事態は“王都らしく”広がった。
迷子センターに集められた大人たちが、なぜか落ち着いてしまい、ここを“休憩所”だと勘違いし始めたのだ。
「ここ、居心地いいわね……」
「静か……」
「ちょっとだけ、座っててもいいかしら……」
ちょっとだけ、が一番危険だ。
その間に、子どもたちは屋台へ散り、散り、散り――
「お母さーん!」
「お父さーん!」
広場が、にぎやかな悲鳴で満ちた。
レオンは額を押さえた。
「……回収だ」
ミアが解除札の束を抱えて戻ってくる。
「回収って、子どもを?」
「違う。大人をだ」
「大人を!?」
「大人を元の位置へ戻さないと、子どもが迷子になる」
ミアは、ぱちぱちと瞬きをしてから、なぜか真剣な顔で頷いた。
「……なるほど。王都って、難しいですね」
「今気づいたか」
レオンは群衆へ目を走らせた。
迷子センターに吸われている大人たち。泣きそうな子どもたち。屋台の陰。人の流れ。風向き。
監査官の目が“現場”に切り替わる。
「ミア、解除札は大人に貼れ。まずは迷子センターの周辺を解放する」
「はい!」
「俺は散った子どもを拾う……いや、拾うのはお前の領分か」
「拾うのは企画屋です!」
「じゃあ俺は交通導線を作る。……同時にやるぞ」
二人は顔を見合わせて、短く頷いた。
そして走り出す。
*ーーー*
王都の広場は、迷路みたいだった。
屋台の匂い、声、提灯、音。子どもは視界が低い分、すぐに消える。親は視界が高い分、安心して油断する。油断すると吸われる。
「そこのお父さん! 胸に札貼ります! 抵抗しないでください!」
「え、わ、私、迷子じゃ――」
「迷子です!」
ミアの断言が強すぎる。だが効く。大人は意外と素直だ。
レオンは人波の端を歩きながら、子どもを見つけてはしゃがみ込む。
「君、名前は」
「……ミ、ミル」
「ミル。お母さんは」
「さっき、いたのに……」
泣きかけの顔。レオンはポケットから、監査課で使う小さな笛を出した。
「耳塞ぐなよ。大きい音じゃない」
短く吹く。ぴっ、と澄んだ音。
その音に反応して、衛兵がこちらを見る。レオンは指示を飛ばした。
「迷子センターの前、混んでる。ここに子ども誘導して。親は解除札貼って戻す」
「了解!」
ミルが不安そうにレオンの袖を掴む。小さい手。
レオンは一瞬迷って、でも仕事として、手を握り返した。
「大丈夫。戻る」
その言葉は子どもに向けたのに、なぜか自分にも効いた。
――戻る。
そんなふうに、現場を切り分けていくはずだった。
だが、王都は切り分けさせてくれない。
「監査官さーん! こっち、引っ張られてます!」
「監査官さん! 子ども、屋台の裏に!」
「監査官さん! あっ、監査官さんも引っ張られて――」
最後の声に、レオンは眉をひそめた。
引っ張られてる? 俺が?
その瞬間、足が、すっ、と動いた。
迷子センターの方向へ。やさしい引力に吸われる。
――まさか。
レオンは自分の胸元を見た。
いつの間にか、子ども札が“ぺたり”と貼られている。
しかも、にこにこ小鳥。
「……誰だ」
レオンが低く言った。
ミアが、遠くでひゅっと息を飲む顔をした。
「……さっき、ミルちゃんが……監査官さんに“安全”って貼ったみたいで……」
「安全札にしろ! 迷子札を貼るな!」
レオンの足が勝手に動く。迷子センターへ。監査官が迷子扱いで連行されるなど、恥だ。役所の歴史に残る。
レオンは足を止めようとしたが、引力はやさしいのに強い。やさしいって最悪だ。
そのとき。
横から、ミアが飛び込んできた。
「監査官さん!」
彼女は迷わず、レオンの手首を掴んだ。
掴んだ瞬間、引力に逆らう方向へ、ぐっと引く。
レオンの身体が止まった。
――止まった、けど。
ミアの手が、ちゃんと温かい。
意識がそこに一瞬集中してしまい、レオンは自分で自分に苛立った。
「……助かった」
「はい! 監査官さん、迷子はだめです!」
「言うな」
ミアはすぐに札を剥がそうとして――剥がれない。
「えっ、剥がれない……! なんで!?」
「子どもが貼ったからだ。強い」
「強い……!」
ミアは焦りつつ、レオンの手を離さないまま、解除札を取り出した。
その解除札を、レオンの胸にぺたり。
ふっ、と引力が消える。
レオンの足が自分のものに戻った。
「……戻った」
「戻りました!」
ミアがほっと息を吐いた、その瞬間。
二人の手が、まだつながっていることに、同時に気づいた。
ミアの指がレオンの手首から、自然に滑って――
そのまま、手のひらへ。
握ってしまった。
事故だ。
レオンは反射で離そうとした。だが、周囲は混乱している。子どもが走る。親が振り向く。衛兵が叫ぶ。今ここで手を振り払う方が不自然だ。
だから、ほんの数秒だけ――
そのままになった。
ミアが小さく言う。
「……監査官さん、手、あったかい」
「仕事中だ」
「仕事中って、あったかいんですね」
意味が分からないのに、笑ってしまいそうになるのが悔しい。
レオンは視線を逸らし、手をつないだまま、歩き出した。
「……行くぞ。回収を続ける」
「はい!」
ミアは素直に並び、つないだ手をほどかない。
レオンは一度だけ、横目で彼女を見た。
ミアは真剣な顔で、目の前の混乱を見ている。さっきの照れも、今は引っ込めている。
その横顔が、妙に頼もしくて。
手のつながりが、ただの事故以上に思えてしまうのが――
悔しい。
*ーーー*
夕方、迷子センターはようやく“本来の役割”に戻った。
吸われていた大人は解放され、子どもは親の元へ戻り、広場には「よかったね」の空気が流れる。
ミアは札の束を抱え、ぐったりしていた。
「……大人の回収って、大変ですね」
「だから言っただろ。王都は大人の方が迷子になる」
「うん……次は、大人用の札も作ります」
「作るな」
「作ります」
「作るな」
「作ります!」
ミアが笑う。
レオンは、ため息をつきながらも、どこか安心している自分に気づいてしまう。
そして、ふと。
自分の手を見る。
もうつないでいないのに、手のひらに“温かさの形”だけが残っている。
報告書には書けない。
でも、心のどこかが、こっそり記録してしまった。
『本日、迷子対策は完璧すぎて事故った。
なお、手をつなぐ事故が発生した。』
――いや、これは絶対に公文書にしてはいけない。
レオンはペンを握り直し、仕事の文字で、こう書いた。
『是正:家族単位誘導の解除。大人反応遮断。』
その横で、ミアがぼそっと言った。
「監査官さん」
「何だ」
「今日の事故……ちょっとだけ、嬉しかったです」
「……言うな」
ミアは、にこっとする。
「はい。じゃあ、次の事故も、ほどほどにします」
「事故を予定するな」
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