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7話:祭りのマスコットが増殖する
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朝のにこにこ企画堂には、今日も“嫌な予感”がいた。
しかも、その嫌な予感は――ふわふわしていた。
店の中央、監査官席の隣に、巨大な着ぐるみの頭が鎮座している。
丸い。白い。頬がピンク。目がきらきら。小鳥なのかうさぎなのかよく分からない、王都らしい“ゆるかわ混血生物”。
胸の札には、丸文字でこう書いてあった。
《王都祭マスコット:ふわぽん》
レオンは無言でそれを見て、無言で目を閉じた。
「……ミア」
「はい!」
ミアは今日も元気だ。元気なのが怖い。
「これは何だ」
「マスコットです! 祭りって、マスコットがいると安心するんです!」
「安心のために増やすな」
「増やしてません! まだ一体です!」
“まだ”と言った。
レオンは手帳を開き、企画書の表紙を指先で叩く。
《ふわぽん、街を歩いて写真撮影会》
《子どもと握手》《迷子防止》《呼び込み》
一見、無害。無害そうなのが一番危険だ。
「仕様を言え。魔法はどこだ」
「えっと、暑いので、内部に“涼しさ”の魔法を入れました! あと、子どもが怖がらないように、“やわらかさ”も!」
「……やわらかさは普通の綿でいい」
「でも、やわらかい魔法のほうが、やわらかいです!」
「意味が分からない」
オーナーが奥からにやにやしながら出てくる。
「監査官、安心したまえ! 今回の魔法は小さい! 着ぐるみが“可愛く”なるだけだ!」
「“だけ”が信用できない」
「ははは!」
レオンは企画書をめくる。安全距離、誘導スタッフ、撤収ルート。よし。最低限は守っている。
……だが、嫌な予感が消えない。
「ミア。増殖はないな?」
「ないです! ふわぽんは、ひとりです!」
「ひとり?」
「一体です!」
レオンは朱印を押した。
押してしまった。
その瞬間、ふわぽんの頭が、ぽよん、と揺れた気がした。
気のせいだと思いたい。
*ーーー*
昼の王都は、いつもよりさらに賑わっていた。
ふわぽんが街に出たからだ。
マスコットの効果は凄まじい。子どもは追う。大人は写真を撮る。屋台の呼び込みは「ふわぽんの隣」というだけで列が伸びる。
ふわぽんの中に入っているのは、企画屋のスタッフ――のはずだが、動きが妙に上手い。キレがある。ゆるかわなのに、キレがある。怖い。
レオンとミアは、少し離れたところで監視していた。
「……今日は平和だな」
レオンが呟くと、ミアがきらきらして頷く。
「はい! ふわぽん、みんなに愛されてます!」
「愛されるのはいい。だが、信頼しすぎるな」
その直後だった。
ふわぽんが、子どもに手を振った。
ふわふわの手。大きな手。
振った瞬間、手の先が――ぷるん、と揺れた。
揺れた、ではない。
“ちぎれた”。
「……は?」
レオンの声が、喉の奥で凍った。
ちぎれた手が、地面に落ちるのではなく、ふわっ、と浮いた。
そして、手だけじゃない。
頭の頬のピンクが、ぽん、と外れ、丸い何かになって飛んだ。
背中の小さなしっぽが、ぴょん、と跳ねた。
次の瞬間。
ふわぽんの体から、ぷるぷると小さな“ふわぽん”が、分裂するように生まれた。
一体が、二体に。
二体が、四体に。
四体が、八体に。
……増えてる。
増殖してる。
小さなふわぽんが、街へ散った。
「きゃーー! かわいい!」
「ふわぽんの赤ちゃん!?」
「増えた!? 増えた!?」
歓声が上がる。王都は、異常事態をまず喜ぶ。
レオンは額を押さえた。
「ミア」
「……はい……」
「増殖はないと言ったな」
「……言いました……」
「これは?」
「……やわらかい魔法、入れたから……」
「やわらかさが分裂するな!」
ミアは顔を真っ青にして叫んだ。
「ごめんなさい! でも、分裂って可愛くないですか!?」
「可愛いが危険だ!」
危険な可愛さが、今まさに街に散っている。
小さいふわぽんたちは、楽しそうに走り回る。路地に入る。屋台の下に潜る。人の足元をすり抜ける。可愛いから、誰も捕まえようとしない。
いや、捕まえようとすると逆に増える可能性がある。やわらかい魔法だ。分裂しそうだ。触ったら増えるタイプのやつだ。
レオンは即座に指示を出した。
「ミア、解除札はあるか」
「あります!」
「オーナーに拡声貝。衛兵呼べ。導線確保。市民に“追わない”と伝えろ」
「追わない!? みんな追ってます!」
「だから止める」
ミアが走り出す。レオンも動く。
そして――
ここからが、地獄だった。
*ーーー*
小さなふわぽんは、意外と速い。
ゆるかわの見た目に反して、機動力がある。転がるように走り、時々ぴょんと跳ねる。尻尾で方向転換する。何なのその生態。
レオンとミアは、視線と合図だけで動き始めた。
「左! 路地入った!」
「了解、右から回り込みます!」
ミアがすっと裏道へ滑り込み、レオンが表通りで速度を落とし、逃げ場を塞ぐ。
ふわぽんが角を曲がった瞬間、ミアが解除札を“ぺたり”。
小さなふわぽんは、ふにゃ、と力を失い、ただのふわふわぬいぐるみになる。
「よし、1捕獲!」
「次、あそこ! 屋台の下!」
レオンがしゃがみ、屋台の下へ手を伸ばす。だが、触れそうになった瞬間、ふわぽんはぴょんと跳ねて逃げる。
「……ちょこまか」
「監査官さん、言葉がかわいいです!」
「かわいくない!」
ミアが笑いながら、レオンの背後へ回り、ふわぽんの進路を誘導する。
誘導――というより、自然に“追い込み漁”になっている。
レオンが道の中央に立つ。ミアが横へ。ふわぽんが逃げる方向は、二人が作った“空間”だけになる。
そこへ、解除札。
ぺたり。
ふにゃ。
「2捕獲!」
「次、屋根! 屋根の上!!」
小さなふわぽんが、なぜか壁をよじ登り、屋根へ跳ねた。ゆるかわが壁を登るな。
レオンは一瞬ためらったが、ミアがすでに梯子をどこからか持ってきていた。
「監査官さん、こっち!」
「どこから持ってきた」
「屋台の裏です! 借りました!」
「借りたじゃない、盗――いや、後で返せ」
二人はほとんど言葉なしで動く。
レオンが梯子を支え、ミアが登る。ミアが解除札を貼る。落ちてきたぬいぐるみをレオンが受け取る。
リズムが良すぎる。
息が合いすぎる。
そして――周囲の視線が、変わってきた。
「えっ、あの二人……」
「監査官さんと、企画屋の看板娘でしょ?」
「めっちゃ息合う」
「夫婦みたい」
「夫婦!?」
「え、空に“すき”って出た人たちだよね?」
「やっぱり……」
やめろ。
レオンは心の中で叫んだ。だが、叫んでいる暇がない。ふわぽんが増殖中だ。
増殖は、まだ止まっていない。
大きなふわぽん(本体)が、広場の中央でぷるぷるしている。そこからまだ小さいのが出てきている。まるで綿あめ機が暴走している。
オーナーが拡声貝で叫ぶ。
「皆さーん! ふわぽんの赤ちゃんは追わないでくださーい! 追うと増え――」
「増えるって言うな!」
レオンが横から怒鳴る。
「――追うと、もっと可愛くなりまーす!」
「嘘をつくな!」
ミアが、息を切らしながら戻ってくる。
「監査官さん、今のは……」
「後で怒る」
「はい!」
そう言いながら、ミアがレオンの隣に並ぶ。並ぶのが自然すぎる。
レオンは本体を見た。
「本体を止めないと終わらない」
「本体って……ふわぽんですよね」
「そうだ」
ミアは小さく頷き、解除札の束を握り直した。
「じゃあ、監査官さん。作戦、いつものやつで」
「……いつものやつって言うな」
いつものやつ。
追い込み。導線。解除札。安全確保。
王都の平和を守るための、夫婦みたいな連携――
違う。
仕事だ。
レオンは一息で指示を出す。
「俺が正面に出る。お前は右から回り込め。本体の背中に解除札。触れるな、貼れ。分裂の引き金になる」
「了解!」
二人は走った。
レオンが本体の前に立つ。ふわぽんは大きく手を振り、子どもたちが喜ぶ。喜んでいる場合じゃない。
「ふわぽん、停止」
レオンが言うと、もちろん止まらない。
だから、レオンは一歩踏み込み――
足元に散った小さなふわぽんを、踏まないように避けながら――
本体の注意を引くために、監査官席の鈴(なぜか持ってきていた)を鳴らした。
ちりん。
不思議なことに、本体がぴたりと止まった。
「……効くのかよ」
ミアが遠くで笑いそうになる顔をしている。
その隙に、ミアが背後へ回り込み、札を――
ぺたり。
本体が、ふにゃぁ……と崩れた。
大きな着ぐるみが、ただの“着ぐるみ”に戻る。分裂も止まる。小さなふわぽんたちも、ふわっと力を失い、ぬいぐるみに変わる。
広場が、一拍遅れて拍手した。
「わああ! すごい!」
「救った!」
「かわいい平和!」
「夫婦……!」
「夫婦!?」
「夫婦だよね!?」
「違う!!」
レオンの「違う」が、歓声に飲まれた。
ミアが、息を切らしながらレオンの横に戻ってくる。
「……終わりましたね」
「ああ」
「監査官さん、息ぴったりでした」
「仕事だ」
ミアはにこっと笑う。
「仕事って、夫婦みたいですね」
「言うな」
言うな、と言いながら、レオンは彼女の額に汗が光っているのを見て、なぜか胸の奥が少しだけ柔らかくなる。
周囲はまだざわざわしている。
「夫婦?」「夫婦!」と、勝手に祭りの噂が増殖している。
……マスコットより増殖が厄介だ。
オーナーが満足そうに言う。
「いやあ、ふわぽんは増えたが、噂も増えたな! 祭りは大きいほど――」
「黙れ」
「――黙ります!」
レオンは手帳を開き、震えない字で報告書の下書きを書いた。
『マスコット着ぐるみ、分裂事案。原因:やわらかさ魔法の不適切適用。対策:魔法成分の制限。解除札貼付による収束。』
ここまでは、公文書。
その下に、書きかけてやめる。
『追跡中、息が合いすぎたため、市民より“夫婦”と誤認され――』
書けない。
絶対に書けない。
レオンはペンを置き、横にいるミアを見た。
ミアはまだ、ふわっと笑っている。
その笑いが、増殖したふわぽんよりも、ずっと胸に残るのが――
悔しかった。
しかも、その嫌な予感は――ふわふわしていた。
店の中央、監査官席の隣に、巨大な着ぐるみの頭が鎮座している。
丸い。白い。頬がピンク。目がきらきら。小鳥なのかうさぎなのかよく分からない、王都らしい“ゆるかわ混血生物”。
胸の札には、丸文字でこう書いてあった。
《王都祭マスコット:ふわぽん》
レオンは無言でそれを見て、無言で目を閉じた。
「……ミア」
「はい!」
ミアは今日も元気だ。元気なのが怖い。
「これは何だ」
「マスコットです! 祭りって、マスコットがいると安心するんです!」
「安心のために増やすな」
「増やしてません! まだ一体です!」
“まだ”と言った。
レオンは手帳を開き、企画書の表紙を指先で叩く。
《ふわぽん、街を歩いて写真撮影会》
《子どもと握手》《迷子防止》《呼び込み》
一見、無害。無害そうなのが一番危険だ。
「仕様を言え。魔法はどこだ」
「えっと、暑いので、内部に“涼しさ”の魔法を入れました! あと、子どもが怖がらないように、“やわらかさ”も!」
「……やわらかさは普通の綿でいい」
「でも、やわらかい魔法のほうが、やわらかいです!」
「意味が分からない」
オーナーが奥からにやにやしながら出てくる。
「監査官、安心したまえ! 今回の魔法は小さい! 着ぐるみが“可愛く”なるだけだ!」
「“だけ”が信用できない」
「ははは!」
レオンは企画書をめくる。安全距離、誘導スタッフ、撤収ルート。よし。最低限は守っている。
……だが、嫌な予感が消えない。
「ミア。増殖はないな?」
「ないです! ふわぽんは、ひとりです!」
「ひとり?」
「一体です!」
レオンは朱印を押した。
押してしまった。
その瞬間、ふわぽんの頭が、ぽよん、と揺れた気がした。
気のせいだと思いたい。
*ーーー*
昼の王都は、いつもよりさらに賑わっていた。
ふわぽんが街に出たからだ。
マスコットの効果は凄まじい。子どもは追う。大人は写真を撮る。屋台の呼び込みは「ふわぽんの隣」というだけで列が伸びる。
ふわぽんの中に入っているのは、企画屋のスタッフ――のはずだが、動きが妙に上手い。キレがある。ゆるかわなのに、キレがある。怖い。
レオンとミアは、少し離れたところで監視していた。
「……今日は平和だな」
レオンが呟くと、ミアがきらきらして頷く。
「はい! ふわぽん、みんなに愛されてます!」
「愛されるのはいい。だが、信頼しすぎるな」
その直後だった。
ふわぽんが、子どもに手を振った。
ふわふわの手。大きな手。
振った瞬間、手の先が――ぷるん、と揺れた。
揺れた、ではない。
“ちぎれた”。
「……は?」
レオンの声が、喉の奥で凍った。
ちぎれた手が、地面に落ちるのではなく、ふわっ、と浮いた。
そして、手だけじゃない。
頭の頬のピンクが、ぽん、と外れ、丸い何かになって飛んだ。
背中の小さなしっぽが、ぴょん、と跳ねた。
次の瞬間。
ふわぽんの体から、ぷるぷると小さな“ふわぽん”が、分裂するように生まれた。
一体が、二体に。
二体が、四体に。
四体が、八体に。
……増えてる。
増殖してる。
小さなふわぽんが、街へ散った。
「きゃーー! かわいい!」
「ふわぽんの赤ちゃん!?」
「増えた!? 増えた!?」
歓声が上がる。王都は、異常事態をまず喜ぶ。
レオンは額を押さえた。
「ミア」
「……はい……」
「増殖はないと言ったな」
「……言いました……」
「これは?」
「……やわらかい魔法、入れたから……」
「やわらかさが分裂するな!」
ミアは顔を真っ青にして叫んだ。
「ごめんなさい! でも、分裂って可愛くないですか!?」
「可愛いが危険だ!」
危険な可愛さが、今まさに街に散っている。
小さいふわぽんたちは、楽しそうに走り回る。路地に入る。屋台の下に潜る。人の足元をすり抜ける。可愛いから、誰も捕まえようとしない。
いや、捕まえようとすると逆に増える可能性がある。やわらかい魔法だ。分裂しそうだ。触ったら増えるタイプのやつだ。
レオンは即座に指示を出した。
「ミア、解除札はあるか」
「あります!」
「オーナーに拡声貝。衛兵呼べ。導線確保。市民に“追わない”と伝えろ」
「追わない!? みんな追ってます!」
「だから止める」
ミアが走り出す。レオンも動く。
そして――
ここからが、地獄だった。
*ーーー*
小さなふわぽんは、意外と速い。
ゆるかわの見た目に反して、機動力がある。転がるように走り、時々ぴょんと跳ねる。尻尾で方向転換する。何なのその生態。
レオンとミアは、視線と合図だけで動き始めた。
「左! 路地入った!」
「了解、右から回り込みます!」
ミアがすっと裏道へ滑り込み、レオンが表通りで速度を落とし、逃げ場を塞ぐ。
ふわぽんが角を曲がった瞬間、ミアが解除札を“ぺたり”。
小さなふわぽんは、ふにゃ、と力を失い、ただのふわふわぬいぐるみになる。
「よし、1捕獲!」
「次、あそこ! 屋台の下!」
レオンがしゃがみ、屋台の下へ手を伸ばす。だが、触れそうになった瞬間、ふわぽんはぴょんと跳ねて逃げる。
「……ちょこまか」
「監査官さん、言葉がかわいいです!」
「かわいくない!」
ミアが笑いながら、レオンの背後へ回り、ふわぽんの進路を誘導する。
誘導――というより、自然に“追い込み漁”になっている。
レオンが道の中央に立つ。ミアが横へ。ふわぽんが逃げる方向は、二人が作った“空間”だけになる。
そこへ、解除札。
ぺたり。
ふにゃ。
「2捕獲!」
「次、屋根! 屋根の上!!」
小さなふわぽんが、なぜか壁をよじ登り、屋根へ跳ねた。ゆるかわが壁を登るな。
レオンは一瞬ためらったが、ミアがすでに梯子をどこからか持ってきていた。
「監査官さん、こっち!」
「どこから持ってきた」
「屋台の裏です! 借りました!」
「借りたじゃない、盗――いや、後で返せ」
二人はほとんど言葉なしで動く。
レオンが梯子を支え、ミアが登る。ミアが解除札を貼る。落ちてきたぬいぐるみをレオンが受け取る。
リズムが良すぎる。
息が合いすぎる。
そして――周囲の視線が、変わってきた。
「えっ、あの二人……」
「監査官さんと、企画屋の看板娘でしょ?」
「めっちゃ息合う」
「夫婦みたい」
「夫婦!?」
「え、空に“すき”って出た人たちだよね?」
「やっぱり……」
やめろ。
レオンは心の中で叫んだ。だが、叫んでいる暇がない。ふわぽんが増殖中だ。
増殖は、まだ止まっていない。
大きなふわぽん(本体)が、広場の中央でぷるぷるしている。そこからまだ小さいのが出てきている。まるで綿あめ機が暴走している。
オーナーが拡声貝で叫ぶ。
「皆さーん! ふわぽんの赤ちゃんは追わないでくださーい! 追うと増え――」
「増えるって言うな!」
レオンが横から怒鳴る。
「――追うと、もっと可愛くなりまーす!」
「嘘をつくな!」
ミアが、息を切らしながら戻ってくる。
「監査官さん、今のは……」
「後で怒る」
「はい!」
そう言いながら、ミアがレオンの隣に並ぶ。並ぶのが自然すぎる。
レオンは本体を見た。
「本体を止めないと終わらない」
「本体って……ふわぽんですよね」
「そうだ」
ミアは小さく頷き、解除札の束を握り直した。
「じゃあ、監査官さん。作戦、いつものやつで」
「……いつものやつって言うな」
いつものやつ。
追い込み。導線。解除札。安全確保。
王都の平和を守るための、夫婦みたいな連携――
違う。
仕事だ。
レオンは一息で指示を出す。
「俺が正面に出る。お前は右から回り込め。本体の背中に解除札。触れるな、貼れ。分裂の引き金になる」
「了解!」
二人は走った。
レオンが本体の前に立つ。ふわぽんは大きく手を振り、子どもたちが喜ぶ。喜んでいる場合じゃない。
「ふわぽん、停止」
レオンが言うと、もちろん止まらない。
だから、レオンは一歩踏み込み――
足元に散った小さなふわぽんを、踏まないように避けながら――
本体の注意を引くために、監査官席の鈴(なぜか持ってきていた)を鳴らした。
ちりん。
不思議なことに、本体がぴたりと止まった。
「……効くのかよ」
ミアが遠くで笑いそうになる顔をしている。
その隙に、ミアが背後へ回り込み、札を――
ぺたり。
本体が、ふにゃぁ……と崩れた。
大きな着ぐるみが、ただの“着ぐるみ”に戻る。分裂も止まる。小さなふわぽんたちも、ふわっと力を失い、ぬいぐるみに変わる。
広場が、一拍遅れて拍手した。
「わああ! すごい!」
「救った!」
「かわいい平和!」
「夫婦……!」
「夫婦!?」
「夫婦だよね!?」
「違う!!」
レオンの「違う」が、歓声に飲まれた。
ミアが、息を切らしながらレオンの横に戻ってくる。
「……終わりましたね」
「ああ」
「監査官さん、息ぴったりでした」
「仕事だ」
ミアはにこっと笑う。
「仕事って、夫婦みたいですね」
「言うな」
言うな、と言いながら、レオンは彼女の額に汗が光っているのを見て、なぜか胸の奥が少しだけ柔らかくなる。
周囲はまだざわざわしている。
「夫婦?」「夫婦!」と、勝手に祭りの噂が増殖している。
……マスコットより増殖が厄介だ。
オーナーが満足そうに言う。
「いやあ、ふわぽんは増えたが、噂も増えたな! 祭りは大きいほど――」
「黙れ」
「――黙ります!」
レオンは手帳を開き、震えない字で報告書の下書きを書いた。
『マスコット着ぐるみ、分裂事案。原因:やわらかさ魔法の不適切適用。対策:魔法成分の制限。解除札貼付による収束。』
ここまでは、公文書。
その下に、書きかけてやめる。
『追跡中、息が合いすぎたため、市民より“夫婦”と誤認され――』
書けない。
絶対に書けない。
レオンはペンを置き、横にいるミアを見た。
ミアはまだ、ふわっと笑っている。
その笑いが、増殖したふわぽんよりも、ずっと胸に残るのが――
悔しかった。
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