今日の分を、あなたに

星乃和花

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第一話 「許可」

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差し入れ、という言葉が、よく分からなかった。

僕は基本的に、受け取る側にいない。受け取ると、返す必要が生まれる。返せない時は、残り続ける。

紙コップの湯気が、僕の前にあること自体が、少し不自然で、怖い。

――返さなくていいやつです。

彼女は、そう言った。さらっと、当然みたいに。

そういう言い方は、反則だと思った。

返さなくていい、と言われるほど、返したくなる。釣り合わないと落ち着かない。僕の中にはそういう癖がある。昔から。

子どもの頃、家の中で褒められる瞬間は、だいたい決まっていた。

静かにしている時。手がかからない時。何も欲しがらない時。

「いい子だね」

その言葉は、温かい。けれど、同時に条件の札みたいでもあった。

“いい子でいられたら”愛される。
“いい子をやめたら”どうなるかは、誰も教えてくれない。

だから僕は、やめない。

今でも――いつでも。

彼女が椅子に座る許可を求めてきた時、僕は少し驚いた。

隣に座ることに、許可が要ると思っている人は少ない。けれど彼女は、僕の世界に入る時、必ず一歩手前で止まってくれる。

それが、妙に安心だった。

「朗読会の資料なんですけど」

彼女は仕事の話をしているのに、声の調子が柔らかい。こちらの集中を邪魔しない、ちょうどいい明るさ。

僕は説明をする。棚番号、寄贈者の記録、奥付のメモ。口にする内容は淡々としているのに、彼女はちゃんと目を見て頷く。

それが――評価ではなく、受け止めに感じる瞬間があって、僕は落ち着かなくなった。

だから、反射的に言った。

「……その、後で。何か、手伝います。会場設営とか」

返礼。帳尻合わせ。いつものやつ。

彼女は、すぐに笑わなかった。

「うん。助かります」

そこで終わらせずに、続けた。

「でも、それは差し入れのお返しじゃなくて。朗読会の“共同作業”ね」

……共同作業。

その言葉のせいで、僕の胸の中が少しだけ、変な形に温かくなった。

返すためじゃない。
一緒にやるため。

そう言われると、僕は逃げ道がなくなる。嫌だ、という意味じゃない。逃げ道がないのは、怖いはずなのに――

紙コップに口をつけた。

甘い。ミルクが多い。温度がちょうどいい。

彼女は僕を見ていないふりをして、資料をめくっている。

“見ないでいてくれる”優しさ。
“見ていてくれる”優しさ。

両方が同時にここにあって、僕はどうしていいか分からなくなる。

だから、淡々としているふりを続けた。

「……ありがとうございます」

声が小さくなった。

彼女は、嬉しそうに眉だけ少し動かした。

「どういたしまして。今日の分、ね」

“今日の分”。

その言い方が、妙に救いだった。

永遠じゃない。条件でもない。
ただ、今日。

――今日なら、受け取ってもいいのかもしれない。

そう思った自分が、少し怖くて、でも……少しだけ、好きだった。
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