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第二話 「帳尻」
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僕
昨日の夜、寝る前に思った。
――あの差し入れを受け取ったままでは、落ち着かない。
落ち着かない、というのは、悪い意味じゃない。
胸の中に小さな針が残っている感じだ。
返せば抜ける針を、わざと刺したままにしているみたいで、気持ちが悪い。
だから僕は、資料を整理した。配置図を作った。付箋を色分けした。
“やるべきこと”に変換すれば、優しさは整理できる。
僕はずっとそうやって生きてきた。
家の中でもそうだった。
泣かなければ、褒められる。
我慢できれば、いい子。
欲しがらなければ、優しい子。
優しさは、評価の上に置かれるものだった。
だから、受け取ることは危険だ。
受け取ったら、返さなければならない。
返せなければ、価値が下がる。
……そういう感覚が、今も僕の中に残っている。
彼女は、それを言葉にした。
「あなたが“返さなきゃ”って顔をするの、分かるよ」
分かる。
気づかれている。
それが恥ずかしい。
恥ずかしいのに、少しだけ安心する。
「受け取る練習を、一緒にしない?」
彼女は、“一緒に”と言った。
僕はその言葉に弱い。
一緒に、というのは、評価ではない。
点数ではない。
足りないものを責めない。
でも同時に、逃げ道がなくなる。
受け取ったら、僕は何になる?
受け取るだけの人間になったら、僕は役に立たない。
そう思ってしまうから、僕はいつも“返礼”を探す。
彼女はそれを止めた。
「今ここで帳尻を合わせないで」
帳尻。
僕の癖を、彼女は面白がって言った。
面白がって、でも馬鹿にしない。
僕は紙コップを受け取った。
温かい。甘い。ちょうどいい。
受け取った瞬間、針が刺さるのが分かる。
胸の中が、落ち着かなくなる。
返したい。何かを。
だから僕は、言った。
「……朗読会の当日。あなたの負担が増えないように、僕が受付の表を作っておきます」
言った瞬間、彼女がこちらを見る。
“また帳尻?”みたいな目。
僕は慌てて補足する。
「これは、返礼ではなくて。共同作業です」
彼女の口元が、少しだけ上がった。
「よし。ちゃんと“共同作業”って言えた」
褒められた。
条件のない褒め言葉は、身体が慣れていない。
少しだけ、心臓が早くなる。
僕は、落ち着いているふりをした。
でも、彼女の椅子にブランケットを掛けたことを、
“効率”と言い訳したことを、
彼女が見抜いたことを、
僕は内心で何度も反芻していた。
――僕は、見られている。
でも、減点されない。
その事実が、怖いのに嬉しい。
僕は紙コップをもう一口飲んで、
自分でも気づかないほど小さな声で言っていた。
「……今日も、来てくれて……」
声が小さすぎて、たぶん聞こえていない。
聞こえていないはずなのに、彼女がペンを止める。
「ん?」
――聞かれた。
僕は一瞬、逃げそうになった。
でも、彼女が“逃げても追い詰めない”人だと、もう知っている。
だから、言い直した。
「……来てくれて、助かります」
恋の言葉じゃない。
でも今の僕には、これが精一杯だ。
彼女は頷いて、静かに言った。
「うん。私も、助かってる」
互いに助かってる。
その対等さに、胸の針が少しだけ、丸くなる気がした。
昨日の夜、寝る前に思った。
――あの差し入れを受け取ったままでは、落ち着かない。
落ち着かない、というのは、悪い意味じゃない。
胸の中に小さな針が残っている感じだ。
返せば抜ける針を、わざと刺したままにしているみたいで、気持ちが悪い。
だから僕は、資料を整理した。配置図を作った。付箋を色分けした。
“やるべきこと”に変換すれば、優しさは整理できる。
僕はずっとそうやって生きてきた。
家の中でもそうだった。
泣かなければ、褒められる。
我慢できれば、いい子。
欲しがらなければ、優しい子。
優しさは、評価の上に置かれるものだった。
だから、受け取ることは危険だ。
受け取ったら、返さなければならない。
返せなければ、価値が下がる。
……そういう感覚が、今も僕の中に残っている。
彼女は、それを言葉にした。
「あなたが“返さなきゃ”って顔をするの、分かるよ」
分かる。
気づかれている。
それが恥ずかしい。
恥ずかしいのに、少しだけ安心する。
「受け取る練習を、一緒にしない?」
彼女は、“一緒に”と言った。
僕はその言葉に弱い。
一緒に、というのは、評価ではない。
点数ではない。
足りないものを責めない。
でも同時に、逃げ道がなくなる。
受け取ったら、僕は何になる?
受け取るだけの人間になったら、僕は役に立たない。
そう思ってしまうから、僕はいつも“返礼”を探す。
彼女はそれを止めた。
「今ここで帳尻を合わせないで」
帳尻。
僕の癖を、彼女は面白がって言った。
面白がって、でも馬鹿にしない。
僕は紙コップを受け取った。
温かい。甘い。ちょうどいい。
受け取った瞬間、針が刺さるのが分かる。
胸の中が、落ち着かなくなる。
返したい。何かを。
だから僕は、言った。
「……朗読会の当日。あなたの負担が増えないように、僕が受付の表を作っておきます」
言った瞬間、彼女がこちらを見る。
“また帳尻?”みたいな目。
僕は慌てて補足する。
「これは、返礼ではなくて。共同作業です」
彼女の口元が、少しだけ上がった。
「よし。ちゃんと“共同作業”って言えた」
褒められた。
条件のない褒め言葉は、身体が慣れていない。
少しだけ、心臓が早くなる。
僕は、落ち着いているふりをした。
でも、彼女の椅子にブランケットを掛けたことを、
“効率”と言い訳したことを、
彼女が見抜いたことを、
僕は内心で何度も反芻していた。
――僕は、見られている。
でも、減点されない。
その事実が、怖いのに嬉しい。
僕は紙コップをもう一口飲んで、
自分でも気づかないほど小さな声で言っていた。
「……今日も、来てくれて……」
声が小さすぎて、たぶん聞こえていない。
聞こえていないはずなのに、彼女がペンを止める。
「ん?」
――聞かれた。
僕は一瞬、逃げそうになった。
でも、彼女が“逃げても追い詰めない”人だと、もう知っている。
だから、言い直した。
「……来てくれて、助かります」
恋の言葉じゃない。
でも今の僕には、これが精一杯だ。
彼女は頷いて、静かに言った。
「うん。私も、助かってる」
互いに助かってる。
その対等さに、胸の針が少しだけ、丸くなる気がした。
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