今日の分を、あなたに

星乃和花

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第三話 「制度」

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扉を開けた瞬間、まず目に飛び込んできたのは――紙だった。

机の上に、きっちり揃えられたA4用紙。
タイトルが太字で印刷されている。

差し入れ運用(暫定)
1. 差し入れは一日一回まで(過剰摂取防止)
2. 受領側は翌営業日までに同等品を返礼すること(釣り合い保持)
3. 例外規定: “今日の分”は、週2回まで許容する(負担軽減)
4. 当番表:別紙参照

……当番表?

私は一歩引き、視線を落とした。
“別紙参照”の紙が、ちゃんとホチキスで留められている。

差し入れ当番表(朗読会準備期間)
月:私
火:彼
水:私
木:彼
金:私
(土日:状況により判断)

……状況により判断。
何それ。可愛い。

私は笑いをこらえながら、彼を見る。
彼はいつもの淡々顔で、ペンを持っている。
ただ、耳だけほんのり赤い気がした。

「おはようございます」

「おはよう。……えっと、これ、なに?」

私が“なに?”と言った瞬間、彼の背筋が微妙に固くなる。

「……制度です」

制度。
恋を制度化しようとしている。
しかも“暫定”。可愛いが過ぎる。

「なるほど。制度。……これ、誰のため?」

彼は即答した。

「僕のためです」

正直だ。
ここで誤魔化さないの、彼のいいところ。

私は紙を指でトントンと叩いた。

「“返礼すること”って書いてあるけど、私たち、返礼はしないって決めたよね?」

彼の視線が、紙の“返礼”の文字を一瞬だけ見て、それから逸れる。

「……受け取る練習、って言われたので。僕も、練習します。あなたが、受け取る練習を」

そう言われると、私は少しだけ胸が温かくなる。
彼は彼なりに、私の言葉を受け止めている。

ただ――この人、真面目すぎて“練習”を“制度”に変換するんだ。

「うん。気持ちは分かる」

私は笑いながら、でもちゃんと目を見て言う。

「でもね。制度にすると、あなたの“返さなきゃ”が強くなると思う」

彼の指が、ペンを握り直した。

「強く……」

「うん。だってこれ、点数みたいになってる」

私は“点数”という言葉をわざと使った。
彼の目がほんの少しだけ揺れる。

「……」

「だから提案。制度は却下。代わりに、もっとゆるいのにしよ」

私は紙を一枚取り出して、彼の“暫定”の横に並べた。

ゆるい差し入れルール(確定)
1. “今日の分”は、回数制限なし(ただし無理はしない)
2. 返礼は禁止(共同作業は歓迎)
3. どうしても何かしたい時は、相手の“好き”を一つ覚える(返礼ではなく観察)
4. 例外:一緒に飲むのは、いつでも可

「……観察?」

彼が小さく繰り返した。

「そう。返すんじゃなくて、覚える。あなたが“私のために何かしたい”って思ったなら、私の好きな甘さとか、温度とか。そういうの」

言いながら、私は少し照れる。
“私のために”って言ってしまった。
でもこれは、事実だからいい。

彼は紙を見つめたまま、低い声で言った。

「……それだと、僕が得をします」

「うん。得して」

即答すると、彼は一瞬だけ困った顔をした。
そして、まるで逃げ道を探すみたいに、淡々と聞いてくる。

「……あなたの好きな甘さは、どれくらいですか」

来た。観察、始まってる。

私は笑ってしまった。

「ミルク多め。甘さは、今のままでちょうどいい」

彼は頷いて、メモを取る。
真面目にメモを取る。恋のメモ。

「……温度は」

「熱すぎないのが好き。猫舌」

「把握しました」

把握しました、って言う恋人、いる?(まだ恋人じゃないけど)

私は紙を指で軽く押さえた。

「で。この当番表は……処分で」

「……分かりました」

分かりました、の声がちょっと残念そうで、胸がきゅっとする。

だから私は、優しさの代わりに、次の許可を取りに行く。

「ね。制度の代わりにさ――」

私は少しだけ声を落とした。

「朗読会の帰り、飲み物を買いに行くの、付き合ってくれる?」

“買いに行く”って、二人の外側に出ることだ。
彼の“奥”を、私のほうに少し広げることだ。

彼は一瞬固まって、それから小さく息を吐いた。

「……効率、ですか」

効率、出た。
でも声が、昨日より少しだけ柔らかい。

「うん。効率。帰り道の効率」

私が冗談めかすと、彼はほんの少しだけ口元をほどく。

「……分かりました。付き合います」

その“分かりました”は、許可というより、約束に近かった。

私は胸の奥が静かに熱くなるのを感じながら、いつもの資料に目を落とした。

恋を急がない。
でも、確実に外へ連れ出す。

今日も、ちゃんと進む。
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