今日の分を、あなたに

星乃和花

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第四話 「撤収後」

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外は、思ったより冷えていた。

店の明かりが背中に遠ざかって、夜の空気が肌に触れる。
彼は少しだけ私の前を歩く。歩幅を合わせるのが上手い。主張しないのに、置いていかない。

これが、彼の主導の仕方なんだろうな、と思った。

「どこ行く?コンビニ?自販機?」

私がそう聞くと、彼は一拍置いて言った。

「……こっちのほうが混んでないので」

混んでないので。
効率の顔。
でも、私を疲れさせないための道でもある。

私たちは角を曲がって、小さな自販機の前に止まった。

「ホット、ありますよ」

彼が言う。

私は自分で選ぼうとして、ふと手を止めた。

――受け取る練習。

私は彼のほうを見て、笑った。

「ね。今日だけ、選んでいい?」

彼の目が、驚いたみたいに開いた。

「……僕が?」

「うん。観察の成果、見せて」

彼は少し黙ってから、自販機のボタンの前に立った。
迷っているようで、迷っていない。

彼は指を伸ばして、押した。

「……これ。ミルク多めで、熱すぎないやつ」

え。
そんなの、あるの?(あるんだ)

私は思わず笑ってしまった。

「なにそれ、完璧……」

彼は小さく息を吐いた。

「……当たってますか」

「当たってる。すごい。観察、満点」

“満点”と言った瞬間、私はしまったと思った。
点数っぽい。

でも彼は、今日だけは逃げなかった。
ほんの少しだけ、口元をゆるめた。

「……よかった」

私は缶を受け取って、両手で包んだ。ぬくぬく。

「ありがとう」

さっきも言ったのに、また言ってしまう。

彼は一瞬、言い訳を探す顔をした。

でも今日は、言い訳の代わりに、別の言葉が出た。

「……喜んでくれて、助かります」

助かります、は便利な言葉だ。
彼の中で、まだ“恋”に変換されていない安全な言葉。

でも私は知っている。

これはたぶん、彼の精一杯の「嬉しい」だ。

「うん。私も、助かった」

私はそう返した。対等に。

夜道を少し歩く。
缶の温度が、指先から身体に広がっていく。

沈黙があっても、怖くない。
彼の沈黙は、拒絶じゃない。

ふと、彼が言った。

「……明日、来ますか」

え。
それ、確認じゃなくて――

私は胸の奥が静かに熱くなるのを感じて、平然を装った。

「うん。行く。準備、少し残ってるし」

彼は一拍置いて、低い声で言った。

「……来てほしい」

心臓が、きゅっと縮む。

来てほしい。
欲しいって言った。
言い訳なしで。

私は缶を握り直して、静かに頷いた。

「うん。行くよ」

その返事が軽くなりすぎないように、丁寧に。

彼はそれ以上何も言わなかった。
でも歩く位置が、ほんの少しだけ近くなった。

あぁ。
この人は、懐くときも、好きになるときも、騒がない。

静かに、確保する。

私は夜の空気の中で、こっそり思った。

――この恋、もう少し進んだら。
“今日の分”だけじゃ足りないって、彼のほうから言う気がする。

そしてそのときはきっと、
私が主導してきた恋が、彼の手に移っていく。

怖いのに、嬉しい。

私は缶の温度を確かめながら、歩いた。
今日の分を、胸にしまって。
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