今日の分を、あなたに

星乃和花

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第六話 「増える」

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昼の休憩、彼は本当に“効率”の顔で、軽食を用意した。

パンとスープ。
温度は熱すぎない。
塩気は強すぎない。
私が「ちょうどいい」を言う前から、ちょうどいい。

「……ねえ。これ、どこで調達したの」

「店の人に」

「また検索」

「……検索です」

淡々と言いながら、ちょっとだけ恥ずかしそうで、私は笑ってしまった。

「ありがと。嬉しい」

彼が少しだけ目を伏せる。
でも今日は、逃げない。

「……どういたしまして」

返礼の針が動いていない。
いや、動いてるかもしれないけど、制度にしていない。

それは彼にとって、かなりの進歩だ。

休憩が終わって、作業の終盤。
在庫整理の最後の棚を閉めたとき、私は小さく拍手した。

「よし。区切った」

彼が頷く。

「終わりました」

淡々とした声。
でも、少しだけ誇らしそう。

私は紙をまとめて言った。

「じゃあ、今日はここまで。おつかれさま」

「……おつかれさまです」

私は荷物を持って立ち上がった。
その瞬間、彼の手が少しだけ動いて、止まった。

止まったのは、言葉を探している時の動き。

「……あの」

「ん?」

彼は一拍置いて、言った。

「……今日は、ここまで、で……足りますか」

足りる?
それは、昨日の“足りない”の延長だ。
でも今度は、自分の欲を相手の確認にしてる。
臆病な形の、主導。

私は少しだけ笑って、でも真剣に答えた。

「足りるよ。今日の分、ちゃんと増えた」

彼の目が揺れた。

「……増えた」

「うん。あなたが、最初にカップ用意して待ってたでしょ」

彼がほんの少しだけ眉を寄せる。

「……バレてましたか」

「バレてた。可愛い」

言い切ると、彼は一瞬黙って、でも逃げなかった。

「……次から、隠しません」

え。

隠しません。
それって、何を?

私は心臓が少しだけ跳ねた。

「……次から、ちゃんと待ってるってこと?」

彼はゆっくり頷いた。

「……はい。来てほしいので」

来てほしい、がまた増えた。
回数が増えたんじゃない。
言い訳が減った。

私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、頷いた。

「うん。行く」

それから、冗談で逃げ道も置く。

「でも私も忙しい日あるから、その時はちゃんと先に言うね」

「……はい」

彼は真面目に頷いてから、少しだけ声を落とした。

「……言ってくれたら、待てます」

待てます。
子どもの頃の“待つ”じゃなく、今の“待つ”。

私はその言葉を、そっと胸にしまった。

扉の前で靴を履きながら、ふと振り返る。
彼はいつもの場所に戻っているのに、今日の彼は少し違う。

“奥”にいるだけじゃなくて、
私を迎えに出てきた。

それは小さなことに見えるけど、
彼にとっては、とても大きいはずだ。

今日の分が増えた。
そしてたぶん、明日は――

彼のほうから「今日の分」を取りに来る。

そんな予感がした。

私は夜の空気を吸い込んで、静かに笑った。

恋の主導権が、少しずつ、彼の手に移っていく。
怖いのに、嬉しい。

“足りない”の次は、“増える”。

その増え方が、騒がしくないのが、彼らしいと思った。
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