星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第3話 棘の言葉と、理不尽な通告

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 その日は、いつもより少しだけ慌ただしく始まった。

「ミラ、これ、今日から出す新商品ね。表示と陳列、お願いできる?」

 バックヤードに入るなり、店長が大きな木箱を指さした。
 蓋を開けると、香ばしい匂いがふわっと広がる。

「……ナッツの焼き菓子、でしょうか」

「そう。“星屑ナッツタルト”だ。うちの本部が推してる新作でね。アレルギー表示は特に気をつけるようにって言われてる。表示の紙と注意書きはここにある」

 店長は束ねられた紙を差し出す。
 細かい文字で、原材料、注意事項、アレルギーに関する文言がびっしりと並んでいた。

「最初に下書きして、最終確認はヴェラに頼んで。……わかった?」

「はい」

 ミラは紙束を胸に抱き、こくりとうなずく。

 アレルギー表示。
 それは、ミラにとっても特別に重たい言葉だった。

 小さいころ、仲の良かった子が、知らずに食べたお菓子で酷く苦しんだことがある。
 泣きながら「こわい」と言っていた顔は、今でも忘れられない。

(気をつけよう)

 胸の奥でそっとそう決めて、ミラは売場へ向かった。



 焼き菓子の棚の前。
 昨日まで並んでいた商品を少しずつ下げて、新しいタルトの場所を作る。

「……ここなら、きっと手に取りやすい」

 目線より少し下。
 子どもも、大人も、立ち止まりやすい高さ。

 ミラは商品の箱を一つ取り上げ、ラベルを読み込む。
 原材料名と、アレルギーに関する注意書き。
 それを、自分の言葉に置き換えるようにして、POP用紙にペンを走らせた。

『星屑ナッツタルト
 香ばしい木の実が、たっぷり。
 ナッツをふんだんに使ったお菓子です。』

 その下に、少し小さな字で。

『※ナッツアレルギーのある方は、お控えください』

 ペン先を置き、深呼吸をひとつ。

「……よし」

 自分なりに、伝えるべきことは入れたつもりだ。
 ただ、最終的にどう見せるかは、まだ決められない。

「ヴェラさんに見ていただいてから、貼ろう」

 ミラはPOP用紙を軽く揃え、バックヤードへ向かおうと売場を離れた。



 バックヤードでは、ヴェラがちょうど鏡の前で髪を整えているところだった。

「ヴェラさん、新しいタルトの表示、下書きできました。確認していただけますか?」

「んー?」

 ヴェラは小さく返事をして、片手で髪をまとめながら、もう片方の手で紙を受け取る。

「ちょっと待ってね。……今日、星市の店割りのことで店長に話さなきゃいけないし、その前に――あ、やだ。メッセージ来てるじゃない」

 机の上に置かれた小さな魔導板が光る。
 ヴェラは紙を机にぽんと置き、そちらに手を伸ばした。

「すみません、アレルギー表示のところだけでも……」

「大丈夫よ、ちゃんと見るから。……ねえ見て、このスタンプ可愛い~」

 ミラの声は、軽い笑い声に飲まれていく。

 紙束は、鏡の横の棚に、他の書類と一緒に重ねられた。
 ミラは少し不安になりながらも、邪魔をしてはいけない気がして、口をつぐむ。

(開店前には、きっと確認してくれる。……大丈夫)

 そう自分に言い聞かせ、売場に戻ってタルトの箱を運び続けた。



 やがて開店の鐘が鳴り、店内に客が入り始める。

 午前のピークを過ぎた頃。
 焼き菓子の棚の前で、小さな男の子と母親らしき女性が立ち止まっていた。

「ママ、これ、星がのってる!」

「本当だね。……あ、でも、ナッツ入ってるかな」

 女性は、箱の裏の原材料表示を読み始める。
 その横で、別のスタッフが通りかかり、何気なくPOPに目を落とした。

『星屑ナッツタルト
 香ばしい木の実が、たっぷり。
 ナッツをふんだんに使ったお菓子です。』

 と、そこまではミラの書いた通りだった。

 だが、その下に続く文言は――
 見覚えのある「別の商品の注意書き」に差し替わっていた。

『※ナッツアレルギーの方にも安心してお召し上がりいただけます』

「……え?」

 スタッフは思わず二度見する。

 箱の裏には、はっきりと「ナッツを含みます」の表記。
 POPには、「ナッツアレルギーでも安心」という文字。

「ちょっと待ってください」

 スタッフは慌てて親子に声をかけた。

「こちらの商品、ナッツがたくさん入っています。もしアレルギーがあれば、別の商品をおすすめさせてください」

「えっ……あ、そうなんですか?」

 女性は驚いた顔をして箱を見直し、青ざめたように息をついた。

「危なかった……この子、ナッツだめで」

「申し訳ありません、表示が紛らわしくて……」

 スタッフは客に深く頭を下げながら、心の中で冷や汗を流す。

(どうして、こんな表示に……?)

 その疑問は、すぐに店の中を駆け巡った。



 バックヤード。
 呼び出しを受けたミラは、少し震える足で入っていく。

 そこには、店長とヴェラ、そして先ほどのスタッフが揃っていた。

「ミラ。……新商品の表示について、話をしよう」

 店長の声は低く、いつになく硬い。

「先ほど、お客様から指摘があった。『ナッツアレルギーでも安心』と書かれたPOPが、ナッツ入り商品に付いていたと」

「あの……」

 ミラは目を丸くする。

「わ、わたし、注意書きは『お控えください』って書いて――」

「その下書きは、見たよ」

 ヴェラが口を挟む。
 さっきまでの柔らかい調子とは違う、少しだけ冷たい響き。

「でも、あなた、『どっちがいいですか?』って聞いたでしょ? “アレルギーでも安心って書いた方が売れるかも”って」

「え……?」

 ミラの頭が真っ白になる。

 そんなことは言っていない。
 けれど、言葉が出てこない。

「わ、わたしは、『控えてください』って――」

「そうね、最初はそう書いてた。わたしは、“それだと怖がらせすぎるかもね”って言っただけ。最終的に書き換えたのは、あなたでしょ?」

 ヴェラは、紙束をひらりと掲げる。
 そこには、ミラの筆跡で書かれた文と、その上から別の文言が書き直された跡があった。

 だが、それは――
 ヴェラが自分の筆で上書きしたものだと、ミラは知っている。

 それでも、証明する術はなかった。
 誰も、その瞬間を見てはいないのだから。

「店長」

 ヴェラは、少しだけ悲しそうな顔を作ってみせる。

「わたし、止めたんです。『アレルギーのことは慎重にね』って。……でも、“こう書いた方が売れるから”って、ミラが」

「そんな……」

 ミラの声は、空気の中で薄くほどけた。

 スタッフが一人、口を開きかけて、すぐに閉じる。
 自分が見たのは、もう書かれたあとのPOPだけ。
 どちらの言い分が正しいか、断言できない。

 店長は、深く息を吐いた。

「真相がどうであれだ。結果として、この店で重大な表示ミスが起こりかけたのは事実だ。……対外的には、“未然に防いだ”という形で報告するが」

 硬い視線が、ミラに向けられる。

「ミラ。君は、細かいところに気がつく。丁寧に仕事をする。それは、わかっている」

「……ありがとうございます」

「だが、その“こだわり”が、今回のような事態に繋がった可能性も否定できない」

「え……?」

「君は、自分のこだわりを優先して、判断を迷わせすぎる。売場にとって必要なのは、“わかりやすさ”だ。お客様にも、スタッフにも」

 店長の言葉が、一つ一つ、石のように重く落ちていく。

「だから――」

 短い沈黙。

「もう君の“こだわり”は、この店には必要ない」

 ミラの中で、何かが音を立ててひび割れた。

 必要、ない。
 その言葉だけが、やけにはっきりと耳に残る。

「本日付けで、雇用契約を終了する。……荷物をまとめて、受付で手続きをしてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ミラは慌てて一歩前に出た。

「わたし、本当に、『お控えください』って書いたんです。ヴェラさんが、その……」

「ミラ」

 店長はかぶせるように言葉を重ねた。

「これ以上、誰かのせいにするのはやめなさい。……君は、いい子だ。真面目で、よく働いた。それは認める。しかし、店としては、これ以上リスクを取れない」

 優しさにも似た口調。
 だが、その中身は、冷たい結論だった。

 ヴェラは横で、気の毒そうな顔だけを作っている。

「ごめんね、ミラ。わたし、もっとちゃんと見てあげればよかったのかも」

 その言葉が、余計に胸を締め付けた。

 ミラは、もう何も言えなかった。

 自分の声が、何も届いていないことに、気づいてしまったから。



 ロッカーから荷物を出し、エプロンを畳んで返す。

 周りのスタッフたちは、遠巻きに様子をうかがいながらも、誰も近づいてこない。
 忙しさと、何かに巻き込まれたくない気持ちが、うっすらとした壁を作っている。

「……お世話になりました」

 受付に頭を下げ、形だけの書類に署名をする。

 手が、少し震えていた。
 だが、涙はまだ出てこない。

 何かを感じる前に、すべてが終わってしまったようだった。

 店の自動扉が開く。
 外の光が、やけに眩しい。

 ミラは、少しだけ俯いて店を出た。



 その日の夕方。
 いつもの癖で、ミラの足は自然と階段を上っていた。

 もう、従業員ではないのに。

 屋上への扉は重い。
 手が震えて、押し開けるのに少し時間がかかる。

 ようやく外に出ると、空は藍色に染まり始めていた。

 街の灯りがぽつぽつと点き、遠くの方には、他の店の看板が見える。
 高い場所から見るそれは、どこか他人事のようだった。

 ミラは、フェンスのそばまで歩き、両手で柵を握る。

「…………」

 胸の奥に、さっきの言葉が、何度も何度も反響していた。

 ――もう君の“こだわり”は、この店には必要ない。

 必要ない。
 必要とされていない。

 その二つの意味が、少しもつれて、鋭い棘になっている。

(わたし……)

 ここで、ずっと頑張ってきた。
 売場の空気を、少しでも柔らかくしたくて。
 誰かの今日が、少しだけ楽になればいいと願って。

 でも、その積み重ねは、
 紙の上の一行で、あっさりと切られてしまった。

 柵を握る手に、力が入る。
 爪が白くなるほど握りしめても、胸の苦しさは少しも和らがない。

「……忘れられないんです」

 ぽつりと、言葉がこぼれた。

「こびりついたみたいに、言葉の棘が残っていて」

 誰もいない屋上で、ようやく声が震えた。

 空を見上げる。
 雲の切れ間から、いくつかの星が顔を出し始めている。

「笑ってほしくて、並べてきたのにな」

 自分の言葉が、自分に突き刺さるみたいで、苦笑いがこぼれた。

 風が頬をなでる。
 涙が一筋、そこを伝って落ちた。

 かすかな星の粉が、屋上の床で揺れる。
 それは、誰も見ていないのに、ミラの足元だけを静かに照らしていた。

 けれど、その灯りすらも、ミラ自身は気づかない。

 胸の中の棘が、まだ抜けなくて。
 「必要とされていない」という言葉が、
 彼女の世界を静かに閉ざし始めていたから。

 それでも――
 遠く離れた別の街で、その小さな灯りを探している男がいることを、
 このときのミラはまだ知らない。

 夜は、少しずつ、深くなっていった。
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