星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

文字の大きさ
5 / 20

第3話 棘の言葉と、理不尽な通告

しおりを挟む
 その日は、いつもより少しだけ慌ただしく始まった。

「ミラ、これ、今日から出す新商品ね。表示と陳列、お願いできる?」

 バックヤードに入るなり、店長が大きな木箱を指さした。
 蓋を開けると、香ばしい匂いがふわっと広がる。

「……ナッツの焼き菓子、でしょうか」

「そう。“星屑ナッツタルト”だ。うちの本部が推してる新作でね。アレルギー表示は特に気をつけるようにって言われてる。表示の紙と注意書きはここにある」

 店長は束ねられた紙を差し出す。
 細かい文字で、原材料、注意事項、アレルギーに関する文言がびっしりと並んでいた。

「最初に下書きして、最終確認はヴェラに頼んで。……わかった?」

「はい」

 ミラは紙束を胸に抱き、こくりとうなずく。

 アレルギー表示。
 それは、ミラにとっても特別に重たい言葉だった。

 小さいころ、仲の良かった子が、知らずに食べたお菓子で酷く苦しんだことがある。
 泣きながら「こわい」と言っていた顔は、今でも忘れられない。

(気をつけよう)

 胸の奥でそっとそう決めて、ミラは売場へ向かった。



 焼き菓子の棚の前。
 昨日まで並んでいた商品を少しずつ下げて、新しいタルトの場所を作る。

「……ここなら、きっと手に取りやすい」

 目線より少し下。
 子どもも、大人も、立ち止まりやすい高さ。

 ミラは商品の箱を一つ取り上げ、ラベルを読み込む。
 原材料名と、アレルギーに関する注意書き。
 それを、自分の言葉に置き換えるようにして、POP用紙にペンを走らせた。

『星屑ナッツタルト
 香ばしい木の実が、たっぷり。
 ナッツをふんだんに使ったお菓子です。』

 その下に、少し小さな字で。

『※ナッツアレルギーのある方は、お控えください』

 ペン先を置き、深呼吸をひとつ。

「……よし」

 自分なりに、伝えるべきことは入れたつもりだ。
 ただ、最終的にどう見せるかは、まだ決められない。

「ヴェラさんに見ていただいてから、貼ろう」

 ミラはPOP用紙を軽く揃え、バックヤードへ向かおうと売場を離れた。



 バックヤードでは、ヴェラがちょうど鏡の前で髪を整えているところだった。

「ヴェラさん、新しいタルトの表示、下書きできました。確認していただけますか?」

「んー?」

 ヴェラは小さく返事をして、片手で髪をまとめながら、もう片方の手で紙を受け取る。

「ちょっと待ってね。……今日、星市の店割りのことで店長に話さなきゃいけないし、その前に――あ、やだ。メッセージ来てるじゃない」

 机の上に置かれた小さな魔導板が光る。
 ヴェラは紙を机にぽんと置き、そちらに手を伸ばした。

「すみません、アレルギー表示のところだけでも……」

「大丈夫よ、ちゃんと見るから。……ねえ見て、このスタンプ可愛い~」

 ミラの声は、軽い笑い声に飲まれていく。

 紙束は、鏡の横の棚に、他の書類と一緒に重ねられた。
 ミラは少し不安になりながらも、邪魔をしてはいけない気がして、口をつぐむ。

(開店前には、きっと確認してくれる。……大丈夫)

 そう自分に言い聞かせ、売場に戻ってタルトの箱を運び続けた。



 やがて開店の鐘が鳴り、店内に客が入り始める。

 午前のピークを過ぎた頃。
 焼き菓子の棚の前で、小さな男の子と母親らしき女性が立ち止まっていた。

「ママ、これ、星がのってる!」

「本当だね。……あ、でも、ナッツ入ってるかな」

 女性は、箱の裏の原材料表示を読み始める。
 その横で、別のスタッフが通りかかり、何気なくPOPに目を落とした。

『星屑ナッツタルト
 香ばしい木の実が、たっぷり。
 ナッツをふんだんに使ったお菓子です。』

 と、そこまではミラの書いた通りだった。

 だが、その下に続く文言は――
 見覚えのある「別の商品の注意書き」に差し替わっていた。

『※ナッツアレルギーの方にも安心してお召し上がりいただけます』

「……え?」

 スタッフは思わず二度見する。

 箱の裏には、はっきりと「ナッツを含みます」の表記。
 POPには、「ナッツアレルギーでも安心」という文字。

「ちょっと待ってください」

 スタッフは慌てて親子に声をかけた。

「こちらの商品、ナッツがたくさん入っています。もしアレルギーがあれば、別の商品をおすすめさせてください」

「えっ……あ、そうなんですか?」

 女性は驚いた顔をして箱を見直し、青ざめたように息をついた。

「危なかった……この子、ナッツだめで」

「申し訳ありません、表示が紛らわしくて……」

 スタッフは客に深く頭を下げながら、心の中で冷や汗を流す。

(どうして、こんな表示に……?)

 その疑問は、すぐに店の中を駆け巡った。



 バックヤード。
 呼び出しを受けたミラは、少し震える足で入っていく。

 そこには、店長とヴェラ、そして先ほどのスタッフが揃っていた。

「ミラ。……新商品の表示について、話をしよう」

 店長の声は低く、いつになく硬い。

「先ほど、お客様から指摘があった。『ナッツアレルギーでも安心』と書かれたPOPが、ナッツ入り商品に付いていたと」

「あの……」

 ミラは目を丸くする。

「わ、わたし、注意書きは『お控えください』って書いて――」

「その下書きは、見たよ」

 ヴェラが口を挟む。
 さっきまでの柔らかい調子とは違う、少しだけ冷たい響き。

「でも、あなた、『どっちがいいですか?』って聞いたでしょ? “アレルギーでも安心って書いた方が売れるかも”って」

「え……?」

 ミラの頭が真っ白になる。

 そんなことは言っていない。
 けれど、言葉が出てこない。

「わ、わたしは、『控えてください』って――」

「そうね、最初はそう書いてた。わたしは、“それだと怖がらせすぎるかもね”って言っただけ。最終的に書き換えたのは、あなたでしょ?」

 ヴェラは、紙束をひらりと掲げる。
 そこには、ミラの筆跡で書かれた文と、その上から別の文言が書き直された跡があった。

 だが、それは――
 ヴェラが自分の筆で上書きしたものだと、ミラは知っている。

 それでも、証明する術はなかった。
 誰も、その瞬間を見てはいないのだから。

「店長」

 ヴェラは、少しだけ悲しそうな顔を作ってみせる。

「わたし、止めたんです。『アレルギーのことは慎重にね』って。……でも、“こう書いた方が売れるから”って、ミラが」

「そんな……」

 ミラの声は、空気の中で薄くほどけた。

 スタッフが一人、口を開きかけて、すぐに閉じる。
 自分が見たのは、もう書かれたあとのPOPだけ。
 どちらの言い分が正しいか、断言できない。

 店長は、深く息を吐いた。

「真相がどうであれだ。結果として、この店で重大な表示ミスが起こりかけたのは事実だ。……対外的には、“未然に防いだ”という形で報告するが」

 硬い視線が、ミラに向けられる。

「ミラ。君は、細かいところに気がつく。丁寧に仕事をする。それは、わかっている」

「……ありがとうございます」

「だが、その“こだわり”が、今回のような事態に繋がった可能性も否定できない」

「え……?」

「君は、自分のこだわりを優先して、判断を迷わせすぎる。売場にとって必要なのは、“わかりやすさ”だ。お客様にも、スタッフにも」

 店長の言葉が、一つ一つ、石のように重く落ちていく。

「だから――」

 短い沈黙。

「もう君の“こだわり”は、この店には必要ない」

 ミラの中で、何かが音を立ててひび割れた。

 必要、ない。
 その言葉だけが、やけにはっきりと耳に残る。

「本日付けで、雇用契約を終了する。……荷物をまとめて、受付で手続きをしてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ミラは慌てて一歩前に出た。

「わたし、本当に、『お控えください』って書いたんです。ヴェラさんが、その……」

「ミラ」

 店長はかぶせるように言葉を重ねた。

「これ以上、誰かのせいにするのはやめなさい。……君は、いい子だ。真面目で、よく働いた。それは認める。しかし、店としては、これ以上リスクを取れない」

 優しさにも似た口調。
 だが、その中身は、冷たい結論だった。

 ヴェラは横で、気の毒そうな顔だけを作っている。

「ごめんね、ミラ。わたし、もっとちゃんと見てあげればよかったのかも」

 その言葉が、余計に胸を締め付けた。

 ミラは、もう何も言えなかった。

 自分の声が、何も届いていないことに、気づいてしまったから。



 ロッカーから荷物を出し、エプロンを畳んで返す。

 周りのスタッフたちは、遠巻きに様子をうかがいながらも、誰も近づいてこない。
 忙しさと、何かに巻き込まれたくない気持ちが、うっすらとした壁を作っている。

「……お世話になりました」

 受付に頭を下げ、形だけの書類に署名をする。

 手が、少し震えていた。
 だが、涙はまだ出てこない。

 何かを感じる前に、すべてが終わってしまったようだった。

 店の自動扉が開く。
 外の光が、やけに眩しい。

 ミラは、少しだけ俯いて店を出た。



 その日の夕方。
 いつもの癖で、ミラの足は自然と階段を上っていた。

 もう、従業員ではないのに。

 屋上への扉は重い。
 手が震えて、押し開けるのに少し時間がかかる。

 ようやく外に出ると、空は藍色に染まり始めていた。

 街の灯りがぽつぽつと点き、遠くの方には、他の店の看板が見える。
 高い場所から見るそれは、どこか他人事のようだった。

 ミラは、フェンスのそばまで歩き、両手で柵を握る。

「…………」

 胸の奥に、さっきの言葉が、何度も何度も反響していた。

 ――もう君の“こだわり”は、この店には必要ない。

 必要ない。
 必要とされていない。

 その二つの意味が、少しもつれて、鋭い棘になっている。

(わたし……)

 ここで、ずっと頑張ってきた。
 売場の空気を、少しでも柔らかくしたくて。
 誰かの今日が、少しだけ楽になればいいと願って。

 でも、その積み重ねは、
 紙の上の一行で、あっさりと切られてしまった。

 柵を握る手に、力が入る。
 爪が白くなるほど握りしめても、胸の苦しさは少しも和らがない。

「……忘れられないんです」

 ぽつりと、言葉がこぼれた。

「こびりついたみたいに、言葉の棘が残っていて」

 誰もいない屋上で、ようやく声が震えた。

 空を見上げる。
 雲の切れ間から、いくつかの星が顔を出し始めている。

「笑ってほしくて、並べてきたのにな」

 自分の言葉が、自分に突き刺さるみたいで、苦笑いがこぼれた。

 風が頬をなでる。
 涙が一筋、そこを伝って落ちた。

 かすかな星の粉が、屋上の床で揺れる。
 それは、誰も見ていないのに、ミラの足元だけを静かに照らしていた。

 けれど、その灯りすらも、ミラ自身は気づかない。

 胸の中の棘が、まだ抜けなくて。
 「必要とされていない」という言葉が、
 彼女の世界を静かに閉ざし始めていたから。

 それでも――
 遠く離れた別の街で、その小さな灯りを探している男がいることを、
 このときのミラはまだ知らない。

 夜は、少しずつ、深くなっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~

ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。 彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。 ――死んだはずの彼女が、生きている? 同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。 「今さら、逃げ道があると思うなよ」 瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。 秘された皇子と、選び直した愛。 三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?    * * * 後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。

魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。 巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。 今日も黙々と床を磨いていたら―― 「お前の磨いた床は、よく眠れる」 恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。 見た目は完全にラスボス。 中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。 勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。 光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。 戦争よりも、まず床。 征服よりも、まず対話。 これは、世界最強の存在に溺愛されながら 世界平和を“足元から”始める物語。 甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...