星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第4話 満天の星と、連れ去りの誘い

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 風が、ひときわ強く吹いた。

 柵をつかんだ指先から力が抜けて、ミラはその場にしゃがみ込む。
 涙がぽと、ぽと、と靴のつま先に落ちた。

 胸の中で、さっきの言葉がまだ鳴り響いている。

 ――もう君の“こだわり”は、この店には必要ない。

(必要ない、って……)

 喉の奥がきゅっと詰まる。
 泣きたくないのに、涙は言うことを聞いてくれなかった。

 そのとき。

 ぎ、と、屋上の扉が開く音がした。

 驚いて顔を上げる。
 逆光の中に、長身の影がひとつ、立っていた。

「……やっぱり、ここにいたか」

 低く、よく通る声。
 何度か売場で耳にした、あの客の声だった。

「……あの」

 ミラは慌てて涙を拭う。
 立ち上がろうとして、足元がふらりと揺れた。

 影の持ち主――リオンは、すぐに歩み寄ってくる。

「無理に立たなくていい。足、震えてる」

「だ、大丈夫です。すみません……ここ、もう、入っちゃいけないところなのに」

 自分で言って、胸がきゅっと縮こまる。
 もう従業員ではないのに。
 それでも、足が勝手にこの場所を目指してしまった。

 そんな自分の未練が、みっともないように思えてしまう。

「入ってはいけない、とは、誰も書いていなかったが」

 リオンは淡々と言い、柵のそばに立った。
 ミラと同じように、夜になりかけた街を見下ろす。

「……さっき、下で店長と話していたのが聞こえた」

 その一言に、ミラは肩を震わせる。

「覗き見したわけじゃない。……たまたま、廊下を通りかかっただけだ」

 それでも、と言葉をつなぐ。

「本来、あの責任を一人に押し付けるのは、おかしい」

 ミラは、ぎゅっと指を握りしめた。

「……わたし、ちゃんと、伝えられなかったので」

 声が、少し掠れる。

「“控えてください”って書いたってことも。……怖かったんです。言っても、信じてもらえないんじゃないかって」

「信じてもらえなさそうな顔をしていたのは、そっちじゃない」

「え?」

「店長も、周りの連中も、最初から“誰か一人に責任を押し付ける場所”を探していた。……そういう顔だ」

 リオンは、少しだけ目を細めた。

「それは、ここの問題であって、君の価値の問題じゃない」

 ミラは、言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。
 代わりに、胸の奥にじわりと温かいものが広がる。

「……あなたは、どなた、ですか?」

 やっとの思いで尋ねる。

「ああ。まだ名乗ってもいなかったな」

 リオンは軽く咳払いをして、姿勢を正した。

「星灯バザール王都支店店長――リオン・アストレア。
 星灯一族の、三男だ」

 ミラは目を見開いた。

 星灯バザール。
 王都でも有名な、大きな総合商店の名前だ。

「この店には、“噂を聞いて視察に”来ていた」

「……視察」

「そうだ。数字は悪くないが、俺の店には“何か”が足りない。その“何か”を探していた」

 リオンは、ミラの方を向く。

「そして、見つけた」

 じっと見つめられて、ミラは視線を泳がせた。

「……なに、を」

「君だ」

 短く、迷いのない声だった。

 耳が熱くなる。
 意味がわからなくて、余計に心臓の鼓動が早まる。

「き、きっと、わたしじゃないと思います。ヴェラさんが――」

「もちろん、あの女の接客も悪くはない。だが、あれは表面だ」

 リオンは遮る。

「俺が見ていたのは、棚だ。瓶と箱と、余白と、言葉。……それは全部、君が触れていたところだけが違っていた」

 屋上の風が、二人の間を通り抜ける。

「君が棚を撫でるたび、空気が柔らかくなった。客が立ち止まった。笑った。……商売の魔法として、あれは十分すぎる」

 ミラは、言われていることの大きさに、くらりとする。

 自分のしていたことは、ただの「癖」で、「自己満足」で。
 誰にも気づかれないまま、終わっていくはずのものだと思っていた。

「……そんな、大げさな」

「大げさかどうかは、数字が証明する」

 リオンはわずかに口の端を上げた。

「少なくとも、俺は、君の技術が欲しいと思った。――だから、誘いに来た」

「誘い……?」

「俺の店に来てくれ」

 その言葉は、あまりにも真っ直ぐで。

 ミラの胸に、ざぶん、と波のように押し寄せる。

「もちろん、今すぐ決めろとは言わない。……いや、本当は今すぐ連れて帰りたいが」

 そこで、ふ、と苦笑いが混じった。

「これは、君の人生だ。俺が数字のように勝手に動かしていいものじゃない」

 そう言っておきながら、リオンの瞳はやっぱり「待つ」ことを少し苦手にしているように見えた。

「だから、選んでくれ。
 “必要ない”と言われた場所に、留まろうとするのか。
 ――その“こだわり”ごと必要としている店に来るか」

 ミラは、息を飲んだ。

 言葉の一つ一つが、さっきまで胸に刺さっていた棘に触れてくる。
 痛いような、でも、少しだけ救われるような感覚。

「わ、たし……」

 どう答えていいのかわからない。
 さっきまで、「必要とされていない」と突きつけられたばかりだ。

 急に「必要だ」と言われても、心が追いつかない。

「置かれた場所で咲こうと、ずっと思ってきました」

 ミラは、やっとの思いで口を開く。

「嫌なことがあっても、ひとつひとつ、工夫して。
 この棚を好きになってもらえるように、って。
 ……だから、ここから離れるのが、怖いです」

 ここで踏ん張れなかったら、
 今まで頑張ってきた自分を、否定してしまうような気がした。

「それは、君が悪いわけじゃない」

 リオンは、はっきりと首を振る。

「“置かれた場所で咲く”っていうのは、いい言葉だ。だが、土が毒を含んでいたらどうだ? 水が一滴ももらえなかったら?」

 ミラの胸に、すっと冷たい風が吹き込む。

「君の“こだわり”を否定する場所で、咲き続けろというのは、残酷だ」

「……でも」

「俺の店は、少なくとも、そんな場所にはしない」

 リオンは空を仰いだ。

「自分のこだわりを持つ従業員は、扱いづらい。数字の表だけ見ていた頃の俺なら、そう思ったかもしれない」

「……」

「でも、今は違う。数字は足りていても、何かが足りない。その“何か”を補うのは、マニュアルじゃない。君みたいな人間だ」

 リオンの言葉は、熱を帯びていた。

「だから――俺は、君に来てほしい」

 それは、まるで告白みたいな真剣さだった。

 ミラは、視線を落とす。
 泣き疲れた目に、星の光がにじんで見えた。

「……少し、考えさせてください」

 やっと、そこまで言うのが精一杯だった。

「今すぐに、はい、とは言えなくて。
 怖いとか、申し訳ないとか、いろんな気持ちが混ざってしまって……」

「いい」

 リオンは即答した。

「怖いと言えるのは、ちゃんと考えている証拠だ。……取り繕った“やります”より、よほど信頼できる」

 そう言って、懐から小さなカードを取り出す。

「これは?」

「俺の店の位置と、連絡用の魔導番号だ。いつでもいい。決めたら、これを持って来い」

 カードには、シンプルな地図と店の名前、それからリオンの名前が記されていた。

「……決めなかったら?」

「そのときは、そのときだ」

 リオンは肩をすくめる。

「残念だけど、俺の見る目がなかったと思って諦める」

 軽く冗談めかして言いながら、瞳は少しも冗談ではなかった。

「ただし」

 と、付け足す。

「今度誰かに、『君のこだわりは必要ない』なんて言われたら、その足でうちに来い」

 ミラの心臓が、きゅっと締め付けられる。

 さっき、言われたばかりの言葉。
 それを、彼はまるで上書きするように、別の約束で包んでくる。

「君の“こだわり”ごと、必要としている店が、ひとつはここにあるってことだけ、覚えておいてくれればいい」

 それだけ言うと、リオンはくるりと背を向けた。

「……待つのは苦手だが」

 扉に向かいながら、ぽつりとこぼす。

「君くらいなら、少しくらいは待てると思う」

 最後に、振り返りもせずに手を軽く上げて。

 屋上から、去っていった。



 残されたミラは、カードを両手で包み込むようにして見つめた。

 淡い光の紙に、丁寧な字で書かれた店の名前。
 その下に、小さく「リオン」と署名がある。

「…………」

 心臓が、落ち着かない。

 嬉しい。
 でも、怖い。
 でも、嬉しい。

 感情がぐるぐると渦を巻き、言葉にならない。

(……わたしが、必要だって)

 その一言が、胸の真ん中にじんわりと広がる。
 さっき刺さった棘の周りに、柔らかな布を巻かれたような感覚。

 けれど、すぐに別の声が湧いてくる。

(でも、逃げるみたいで、いやだ)

 ここで誘いに乗ったら、
 「居心地が悪くなったから出ていった」と見られるかもしれない。
 今まで頑張ってきた日々を、自分で軽く扱ってしまうような気がして。

(それに……)

 ミラは空を見上げる。

 満天の星。
 屋上から見える星たちは、今日も相変わらず美しく瞬いている。

(置かれた場所で、咲きたいと思ってきたんだもん)

 簡単に、場所を変えるのが正しいのかどうか。
 答えは、まだ出せなかった。

 だから、ミラは決めた。

(明日、とりあえず、お断りしよう)

 リオンには申し訳ないけれど。

 今はまだ、ここで頑張りたかった自分の気持ちを、ちゃんと見送ってからじゃないと、前に進めない気がした。

 カードを大切にポケットにしまい、
 ミラは、もう一度だけ店の屋根を見下ろした。

「……今まで、ありがとう」

 心の中で、そう呟く。

 星が一つ、彼女の上で静かに瞬いた。
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