星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第4話 満天の星と、連れ去りの誘い②

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 翌日。

 ミラは早めの時間に店の前に立っていた。

 もう従業員ではない。
 でも、昨日はあまりに突然なことで、きちんと挨拶もできなかった。

 返しそびれた名札と、ロッカーの中に置きっぱなしにしてしまった小さな私物。
 それらを整理するために、もう一度だけ足を運ぶことにしたのだ。

(それに……)

 昨日のリオンの申し出を、きちんと断らなければならない。

 彼の言葉は、嬉しかった。
 でも、自分の気持ちが追いついていないまま飛び込むのは、やっぱり違う気がした。

 店の自動扉が開き、ミラは中に入る。

 受付カウンターには、事務員の女性が座っていた。

「すみません。昨日、退職の手続きで伺ったミラです。ロッカーの中に残っているものを――」

「ああ、ミラさんね」

 女性の表情が、ほんの一瞬だけ固くなった。

「店長から聞いてますよ。……こちら、“解雇通知書”です」

 差し出された封筒に、「解雇」の文字が明記されている。
 昨日、“本日付けで終了”と言われたことが、正式な形になったのだ。

「ロッカーの中のものは、こちらでまとめておきました」

 小さな箱が渡される。
 中には、予備のメモ帳、ハンカチ、使いかけのペン、そして、こっそり書いていたPOPの下書きが何枚か。

「……ありがとうございます」

 ミラは、封筒と箱を抱えた。

 受付の女性は、それ以上何も言わない。
 周りを行き交うスタッフも、ちらりと視線を向けるだけで、すぐに目を逸らす。

 その様子に、ミラは「ああ、本当に終わったんだ」と理解した。

(ここでは、もう、何もできない)

 言葉にならない寂しさが、喉元までせり上がってくる。

 それでも、礼儀正しく頭を下げて、ミラは店を出た。



 外の空気は、思ったより冷たかった。
 太陽は高く昇っているのに、風だけが妙に心細い温度をしている。

 封筒と箱を抱えながら、ミラは一歩、二歩と歩き出した。

 そのとき。

「やあ」

 すぐ目の前で、穏やかな声がした。

 顔を上げると、街路樹の陰に、見慣れた姿がもたれている。

「……リオンさん?」

「断りに来た顔だな」

 リオンは、そう言って口の端を上げた。

「来る時間を当てるのは難しかった。……こういうのは慣れてないが、まあ、勘は悪くないらしい」

 軽い調子なのに、その目は真剣だった。

 ミラは、抱えていた箱を抱き直す。

「き、昨日のお返事をしようと思って……」

「聞こう」

 リオンは、真っ直ぐに見る。

「昨日の話は、とても嬉しかったです。でも――」

 喉の奥が詰まりそうになるのを、なんとか飲み込む。

「今のまま、すぐに新しい場所へ行くのが、怖くて。
 自分が、ただ逃げているだけなんじゃないかって……」

 言葉にすると、情けなく響いてしまう。
 それでも、誤魔化したくはなかった。

「だから、一度は、お断りしようと思って……」

「一度は、か」

 リオンは少しだけ笑った。

「じゃあ、二度目の話をしよう」

「え?」

「昨日は、“必要ないと言われたら、その足で来い”と言ったな」

 リオンの視線が、ミラの抱える封筒に落ちる。

「……もう、言われただろう?」

 封筒の表に書かれた、「解雇通知書」の文字。
 それは、改めて目にすると、やはり胸に痛い。

「昨日は口頭。今日は正式な紙。……二回もだ」

 リオンは、淡々と言葉を重ねる。

「もう十分だろう。ここが君を必要としていないことは」

 ミラの胸の奥で、何かがふっと力を失った。

「君は、“逃げる”って言ったが」

 リオンは首を横に振る。

「毒のある土から、自分で根を抜いて別の場所に移ることを、“逃げる”とは言わない。……それを、“選ぶ”って言うんだ」

 その言い方は、静かで、けれど強かった。

「昨日までの君の頑張りが、消えるわけじゃない。
 棚に残った笑顔も、君の書いた言葉も、全部ちゃんと、この店に残ってる」

「……でも」

「でも、君はもう、ここではこれ以上、咲けない」

 きっぱりと言い切る。

「それなら、別の場所を選ぶ権利がある」

 リオンは少しだけ前に出て、ミラの箱をそっと受け取った。

「俺の願いは、変わらない。
 ――うちに来てくれ」

 箱を片手で軽々と持ち上げ、馬車の荷台に乗せながら言う。

「これは、俺の都合でもある。
 君の技術が、欲しい。
 君の“こだわり”が、うちの店に必要だ」

 まっすぐな視線が、逃げ場を与えない。

 けれど、それは追い詰めるためではなく、
 「ここに出口がある」と示すための強さに思えた。

「……本当に、わたしでいいんですか」

 ミラの声は、かすかに震えていた。

「誰か他の、もっと上手な人が――」

「もっと上手い人間がいるなら、そいつはそいつの場所で光るだろう」

 リオンは微かに笑う。

「俺は、昨日からずっとここにいる。
 “ミラがいい”と決めたから、こうして待っていたんだ」

 その一言が、胸の奥の何かを決定的に揺らした。

 「必要ない」と言われた。
 「ミラがいい」と言われた。

 どちらを、信じたいか。

「…………」

 風が吹く。
 街路樹の葉がざわめき、遠くで鐘の音が鳴った。

 ミラは、ポケットに入れていたカードを握りしめる。

 昨日、屋上で受け取った、小さな約束。
 まだ折り目もついていないその紙は、妙に重く感じられた。

(逃げるんじゃない)

 自分に言い聞かせる。

(ちゃんと選ぶんだ)

 ここで、もう二度と「必要ない」と言われない場所を。

 自分の“こだわり”ごと求められる場所を。

 ゆっくりと顔を上げると、リオンの瞳がまっすぐにそこにあった。

「……お願いします」

 ミラは、深く頭を下げる。

「連れて行ってください。
 あなたの店で、もう一度、棚を並べさせてください」

 言いながら、胸の奥が熱くなった。

 悔しさも、寂しさも、ぜんぶ抱えたまま。
 それでも、前に進みたい――そんな、図々しい願い。

 リオンは、満足げに息を吐いた。

「いい返事だ」

 そう言って、そっとミラの荷物を受け取る。

「連れ去る、ってほど格好いいものじゃないが」

 馬車の扉を開けながら、少し照れたように続けた。

「俺としては、“ようやく迎えに来られた”って感じだ」

 ミラは、少しだけ笑ってしまう。

「……なんだか、誘拐されるみたいですね」

「なら、誘拐犯らしく言っておこう」

 リオンは、いたずらっぽく目を細めた。

「君を、俺の店に連れ去る。
 ――もちろん、“来い”と言うだけで、いつでも降りることはできる」

 その条件が、ミラの不安を少しだけ軽くする。

「途中で嫌になったら、別の道を選べばいい。
 それでも、今は――」

 リオンは、手を差し出した。

「一緒に来てくれるか」

 差し出された手のひらは、大きくて、温かそうで。
 そして、不器用なほど真剣だった。

 ミラは、そっとその手に自分の手を重ねる。

「……はい」

 その瞬間、胸の奥に絡まっていた何かが、ほどけていく気がした。

 馬車が動き出す。
 店の看板が、少しずつ遠ざかっていく。

 ミラは、一度だけ振り返った。

 この場所で笑ってくれた人たち。
 小さなPOPを読んで、そっとビスケットを選んでくれた少年。
 「お疲れさま」と書かれた札に、微笑んでくれた人。

「……ありがとう」

 心の中で、もう一度お礼を言う。

 そして、前を向いた。

 馬車の窓の向こうには、まだ見ぬ街並みと、遠くにきらめく別の看板の光。

 その上には、変わらない空と、星がある。

 ――お星様みたいにきらきらした店。

 昨日、屋上で想像した言葉が、ふと頭をよぎる。

(本当に、そんな場所だったらいいな)

 ミラは、小さくそう願った。

 その願いに答えるように、昼間の空にもかすかな星の粉が舞い、
 馬車の進む先を、そっと照らしていた。
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