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第6話 星見の広場で、はじめの一歩
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朝、カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。
見慣れない天井。
けれど、嫌な感じはしない。
新しい木の匂いと、どこかからふんわり漂ってくるパンの香り。
(……そっか)
ミラは、ゆっくり上体を起こした。
ここは、星灯バザールの従業員宿舎。
今日から、本当にここで働くのだ。
胸の奥がきゅっと縮こまり、同時にじわじわと熱くなる。
「……がんばろう」
小さく呟いて、ベッドから降りた。
◇
支給された制服は、落ち着いた藍色だった。
前の店の真っ白なエプロンとは違う。
胸元には、小さな星型の刺繍がひとつだけ付いている。
制服に袖を通し、鏡の前に立つ。
「……なんだか、本当に“星の店”の人みたい」
襟を整えながら苦笑いする。
似合っているかどうかはわからない。でも――
(ここにいて、いいんだよって、言ってもらえた服だ)
そう思うと、少しだけ背筋が伸びた。
◇
朝のミーティングは、バックヤードの広いスペースで行われた。
すでに何人もの従業員が集まっており、簡単な朝礼のあと、今日の連絡事項が共有されていく。
「――以上。星市まで残り二十日、“星見の広場”周辺の工事は今週中に完了予定。売場づくりについては、今日から新しく入ったスタッフと一緒に進める」
リオンの声が、場を締めた。
「新しく?」
「紹介する」
視線が、一斉にこちらへ向く。
ミラは思わず足をきゅっと揃えた。
「昨日から、この店で働くことになった。
“棚づくり担当”――ミラだ」
「た、棚づくり……?」
思わず小さく反芻してしまう。
肩書きとして聞くのは、初めてだった。
でも、不思議としっくりくる。
「前の店で、売場の“空気”を動かしていた。
ここでは、“星見の広場”と連動するお菓子コーナーを中心に任せるつもりだ」
リオンは簡潔に説明し、
「ひとまず、今日は“見て覚える日”だ。邪魔にならない程度に、いろいろ教えてやってくれ」
と、周囲に頼んだ。
「よろしくお願いします……!」
ミラは深く頭を下げる。
ぱらぱらと拍手が起こった。
「棚づくり担当って、なんか格好いいな」
「星市の目玉かもね」
そんな小さな囁きが聞こえて、耳が少し熱くなる。
(……前の店とは、ぜんぜん違う)
ここでは、「余計なことしないで」と言われる空気ではない。
むしろ「やってくれ」と期待されている。
嬉しさと怖さが、同じくらい胸の中で暴れた。
◇
朝礼が終わると、カイがミラを呼び止めた。
「まずは手続きから行きましょうか」
事務室に通され、雇用契約書や、シフト表の説明が行われる。
「ミラさんの契約は、当面“試用期間つきの専任スタッフ”という形になります。
でも、あまり堅く考えないでくださいね」
カイは微笑みながら続ける。
「仕事の内容は、“星見の広場周辺の売場づくり”が中心。
ただし、一人で全部抱え込むのはナシです」
「……ナシ、ですか?」
「はい。うちはチームで動くのが基本ですから」
カイは、さらりと言った。
「“この棚の売上、全部あなた一人の責任ね”みたいなことは、しません」
その一言に、ミラの胸がびくりと反応する。
(……全部、わたしの責任)
昨日、言われた“必要ない”とも、
以前から抱えていた“もし失敗したら全部自分のせい”という感覚とも、別の言葉がそこに置かれた。
「困ったとき、手が足りないときは、ちゃんと誰かを呼んでください。
“自分だけでなんとかしなきゃ”は、この店では禁句ですよ」
「……はい」
本当に、そうしていいのだろうか。
その疑いと、そうできたらいいのに、という願いが、胸の中で小さく絡まる。
「では――」
書類にサインを終えたミラに、カイが手を差し出した。
「改めて。ようこそ、星灯バザールへ」
「よ、よろしくお願いします」
握手を交わした手のひらは、温かかった。
◇
午前中は、店内をゆっくり歩きながら、各セクションの責任者と挨拶を交わした。
青果担当の初老の男性は、土つきの野菜を撫でながら誇らしげに語った。
「こいつらがね、朝一番に顔を出してくれると、店全体の空気がよくなるんだ」
惣菜担当の若い女性は、揚げたてのコロッケを見せながら、自慢の味付けについて教えてくれた。
「星市の日には、星型コロッケも出す予定なんです。
そのときは、ミラさんの棚の近くに特設コーナーを……」
「素敵ですね」
会話のどこかで、自然と「一緒に」が混ざってくる。
(……一人じゃない)
その感覚が、少しずつ身体に馴染んでいった。
◇
昼過ぎ。
「そろそろ、“現場”も見ておくか」
リオンに呼ばれ、“星見の広場”へ向かう。
広場の中央には、例の星空を映す天井。
その周囲はまだ仮設の柵で囲まれており、工事スペースとの境界が示されている。
「ここから、あのバックヤードの空きスペースまでが、“星市コーナー予定地”だ」
リオンが簡易図面を広げる。
「全部を一気に任せるつもりはない。……まずは、この一角だけだ」
指さしたのは、広場の片側、まだ棚が一つだけ立っている場所だった。
「ここの棚を、“試験棚”にする。
星市までは、ここでいろいろ試してみてくれ」
「試験棚……」
「置くものは、主に焼き菓子とお茶。
『今日もおつかれさま』の売場だ」
ミラの胸が、小さく跳ねる。
前の店で書いていた言葉と、同じ響き。
「今日は、ここをじっと見ていてほしい」
「見る、だけ……ですか?」
「そうだ。客がどう通るか。どこで立ち止まるか。今の棚の、どこが“寂しい”か」
リオンは、あえて何も置かれていない棚の前に立たせた。
「手は、明日から動かせばいい。
今日は、目と、心と、足を使え」
ミラは、言われた通りに頷いた。
◇
午後の時間帯、“星見の広場”には、さまざまな客がやって来た。
買い物に疲れた主婦が、ベンチに腰を下ろして空を見上げる。
子ども連れの家族が、天井の星を指さしてはしゃぐ。
仕事帰りと思しき男性が、一人でお茶を飲みながら、ぼんやり座っている。
棚の前を通るけれど、まだ何も置かれていない。
客の視線が一瞬だけそこに引っかかっては、そのまま通り過ぎていく。
(ここに、何があったら――)
ミラは、手帳を片手に、ひたすらメモを取った。
『ベンチに座る人、多い。荷物が多いときは、足元に置いている。』
『子どもが星を指さすとき、親も一瞬だけ空を見上げる。顔が少し和らぐ。』
『ひとり客は、飲み物だけで、食べ物は持ってこないことが多い。』
書いているうちに、ふと気づく。
(“おつかれさま”って、いろんな形があるんだ)
誰かと一緒の「お疲れさま」。
一人になって、ようやく出てくる「お疲れさま」。
どちらにも、そっと寄り添える棚を作れたら――
そんな欲張りな願いが、こっそり芽を出した。
◇
ひと区切りついた頃、隣に気配がした。
「……どうだ」
リオンだった。
「なにか、見えてきたか?」
「少しだけ、です」
ミラは手帳を見下ろしながら答える。
「ここを通る人は、みんな、ちょっとだけ“自分の時間”になっているように見えます。
誰かと話していても、空を見上げるとき、ふっと静かになって」
「ふむ」
「だから、“誰かに見せるためのおやつ”よりも、“自分だけの小さなごほうび”が合うんじゃないかなって」
口にしてみると、自分でもしっくりくる。
「一緒に食べるクッキーは、賑やかな通路でも楽しいけれど、
ここではもう少し、静かに寄り添うお菓子の方が……」
そこで、ふと我に返る。
「あ、すみません。勝手に」
「いい」
リオンは、すぐに言った。
「君の“勝手”を聞きたいから、ここに立たせている」
その言い方が可笑しくて、ミラは少し笑ってしまう。
「……じゃあ、もう少しだけ」
手帳をめくる。
「『今日もお疲れさま』って言葉も、
“誰かに言ってもらったら嬉しい人”と、“自分で自分に言えるようになりたい人”と、二種類いる気がして」
自分の過去のことも、少し重なっていた。
「前の店では、その二つを一緒くたにしてしまっていたかもしれません。
でもここでは、棚を分けたいです。
“誰かに言ってほしいお疲れさま”と、“自分で自分に渡すお疲れさま”と」
言葉にしながら、胸の奥がじんとする。
――自分自身が、ずっと「誰かに言ってほしかった」側だったから。
「なるほどな」
リオンは、真面目な顔で聞いていた。
「何人分くらい、想定している」
「……そうですね。
“誰かに言ってほしい”ほうは、家族連れや恋人同士も使えるように、少し華やかな箱を。
“自分に渡す”ほうは、ひとりで食べ切れるサイズで、静かな色合いのパッケージを……」
話しているうちに、棚の図が頭の中で組み上がっていく。
左半分には、“誰かと一緒”の言葉。
右半分には、“自分へそっと”の言葉。
「POPの言葉は?」
リオンの問いに、ミラは一瞬迷ってから、勇気を出して口にした。
「左側には――
『今日もいちにち、おつかれさま。いっしょに食べると、もっとおいしい』」
「ふむ」
「右側には」
少し息を吸う。
「『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ』」
言いながら、頬が熱くなる。
自分に向けて言ってほしかった言葉を、棚に置こうとしている。
「……悪くない」
リオンは、あっさりと言った。
「むしろ、いい」
「え……」
「文章をそのまま使うかは、また一緒に考えるとして」
と前置きしつつも、
「“誰かと一緒”と“自分に渡す”で棚を分ける発想は、星見の広場にぴったりだ」
真っ直ぐな目で言われる。
「よく見ている。……やっぱり連れてきて正解だったな」
その一言が、胸の奥にじんわり染みた。
ミラは、思わず背筋を伸ばす。
「ありがとうございます。もっと頑張ります!」
いつもの癖で、ついそう言ってしまう。
リオンの口元が、少しだけ苦笑いに変わった。
「……今のは、訂正だ」
「え?」
「『もっと頑張ります』じゃない」
リオンは、星見の広場をぐるりと見渡した。
「『ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります』だ」
「……ちゃんと、休みながら」
「昨日も言ったが、未来永劫、君にはたくさん働いてもらう予定だ」
その言い方が妙にさらっとしていて、ミラはまた顔が熱くなる。
「そのために、今日はここまでだ」
リオンは腕時計に視線を落とした。
「あと一時間ほどで、今日のシフトは終わり。
このあとは、客として店を回ってみろ」
「きゃ、客としてですか?」
「そうだ。自分の足で、“お疲れさま”の棚を探してみる。
そこに何が足りないか、明日、教えてくれ」
ミラは、なんとも言えない気持ちになった。
(休めって、言われてるんだ……)
本当なら、「このままPOPを書いてもいいですか」と言いたかった。
でも、リオンの言葉の裏にある意図も感じる。
――走り出しすぎるな。
ちゃんと、“自分の時間”も感じろ。
星見の広場で見ていた、あの人たちと同じように。
「……わかりました」
ミラは、素直に頷いた。
「ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります」
「よし」
リオンは満足げに頷き、
「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃないか、とも付け加えておく」
と、さらりと言った。
ミラは、くすりと笑ってしまう。
「じゃあ、“図々しく”店内見てきます」
「そうしろ」
そのやりとりが、どこかくすぐったくて、
でも確かに、自分の中の「頑張らなきゃ」の形を少し変えてくれている気がした。
◇
シフトを終えたあと、ミラは客として店内を歩いた。
自分の給与では頻繁には買えないちょっといいお茶や、
惣菜コーナーの香り。
夕方の店内は、どこか柔らかい疲れに包まれている。
(……ここに、“わたしのお疲れさま”があったら)
そう想像しながら歩くと、棚の見え方が少し変わった。
明日から、自分がつくる棚も、
ここで誰かが「ふう」と息をついてから手に取るものになる。
そう思うと、怖さよりも、
「うまくやりたい」という、静かな火が灯っていく。
宿舎に戻る頃、空には、もうくっきりと星が瞬いていた。
「……今日も、おつかれさま」
窓に映った自分に、そっとそう言ってみる。
慣れない言葉は、少しくすぐったい。
でも、そのくすぐったさごと、大事にしてみようと思った。
星灯バザールの屋根の魔灯が、
遠くで、小さく瞬いた気がした。
見慣れない天井。
けれど、嫌な感じはしない。
新しい木の匂いと、どこかからふんわり漂ってくるパンの香り。
(……そっか)
ミラは、ゆっくり上体を起こした。
ここは、星灯バザールの従業員宿舎。
今日から、本当にここで働くのだ。
胸の奥がきゅっと縮こまり、同時にじわじわと熱くなる。
「……がんばろう」
小さく呟いて、ベッドから降りた。
◇
支給された制服は、落ち着いた藍色だった。
前の店の真っ白なエプロンとは違う。
胸元には、小さな星型の刺繍がひとつだけ付いている。
制服に袖を通し、鏡の前に立つ。
「……なんだか、本当に“星の店”の人みたい」
襟を整えながら苦笑いする。
似合っているかどうかはわからない。でも――
(ここにいて、いいんだよって、言ってもらえた服だ)
そう思うと、少しだけ背筋が伸びた。
◇
朝のミーティングは、バックヤードの広いスペースで行われた。
すでに何人もの従業員が集まっており、簡単な朝礼のあと、今日の連絡事項が共有されていく。
「――以上。星市まで残り二十日、“星見の広場”周辺の工事は今週中に完了予定。売場づくりについては、今日から新しく入ったスタッフと一緒に進める」
リオンの声が、場を締めた。
「新しく?」
「紹介する」
視線が、一斉にこちらへ向く。
ミラは思わず足をきゅっと揃えた。
「昨日から、この店で働くことになった。
“棚づくり担当”――ミラだ」
「た、棚づくり……?」
思わず小さく反芻してしまう。
肩書きとして聞くのは、初めてだった。
でも、不思議としっくりくる。
「前の店で、売場の“空気”を動かしていた。
ここでは、“星見の広場”と連動するお菓子コーナーを中心に任せるつもりだ」
リオンは簡潔に説明し、
「ひとまず、今日は“見て覚える日”だ。邪魔にならない程度に、いろいろ教えてやってくれ」
と、周囲に頼んだ。
「よろしくお願いします……!」
ミラは深く頭を下げる。
ぱらぱらと拍手が起こった。
「棚づくり担当って、なんか格好いいな」
「星市の目玉かもね」
そんな小さな囁きが聞こえて、耳が少し熱くなる。
(……前の店とは、ぜんぜん違う)
ここでは、「余計なことしないで」と言われる空気ではない。
むしろ「やってくれ」と期待されている。
嬉しさと怖さが、同じくらい胸の中で暴れた。
◇
朝礼が終わると、カイがミラを呼び止めた。
「まずは手続きから行きましょうか」
事務室に通され、雇用契約書や、シフト表の説明が行われる。
「ミラさんの契約は、当面“試用期間つきの専任スタッフ”という形になります。
でも、あまり堅く考えないでくださいね」
カイは微笑みながら続ける。
「仕事の内容は、“星見の広場周辺の売場づくり”が中心。
ただし、一人で全部抱え込むのはナシです」
「……ナシ、ですか?」
「はい。うちはチームで動くのが基本ですから」
カイは、さらりと言った。
「“この棚の売上、全部あなた一人の責任ね”みたいなことは、しません」
その一言に、ミラの胸がびくりと反応する。
(……全部、わたしの責任)
昨日、言われた“必要ない”とも、
以前から抱えていた“もし失敗したら全部自分のせい”という感覚とも、別の言葉がそこに置かれた。
「困ったとき、手が足りないときは、ちゃんと誰かを呼んでください。
“自分だけでなんとかしなきゃ”は、この店では禁句ですよ」
「……はい」
本当に、そうしていいのだろうか。
その疑いと、そうできたらいいのに、という願いが、胸の中で小さく絡まる。
「では――」
書類にサインを終えたミラに、カイが手を差し出した。
「改めて。ようこそ、星灯バザールへ」
「よ、よろしくお願いします」
握手を交わした手のひらは、温かかった。
◇
午前中は、店内をゆっくり歩きながら、各セクションの責任者と挨拶を交わした。
青果担当の初老の男性は、土つきの野菜を撫でながら誇らしげに語った。
「こいつらがね、朝一番に顔を出してくれると、店全体の空気がよくなるんだ」
惣菜担当の若い女性は、揚げたてのコロッケを見せながら、自慢の味付けについて教えてくれた。
「星市の日には、星型コロッケも出す予定なんです。
そのときは、ミラさんの棚の近くに特設コーナーを……」
「素敵ですね」
会話のどこかで、自然と「一緒に」が混ざってくる。
(……一人じゃない)
その感覚が、少しずつ身体に馴染んでいった。
◇
昼過ぎ。
「そろそろ、“現場”も見ておくか」
リオンに呼ばれ、“星見の広場”へ向かう。
広場の中央には、例の星空を映す天井。
その周囲はまだ仮設の柵で囲まれており、工事スペースとの境界が示されている。
「ここから、あのバックヤードの空きスペースまでが、“星市コーナー予定地”だ」
リオンが簡易図面を広げる。
「全部を一気に任せるつもりはない。……まずは、この一角だけだ」
指さしたのは、広場の片側、まだ棚が一つだけ立っている場所だった。
「ここの棚を、“試験棚”にする。
星市までは、ここでいろいろ試してみてくれ」
「試験棚……」
「置くものは、主に焼き菓子とお茶。
『今日もおつかれさま』の売場だ」
ミラの胸が、小さく跳ねる。
前の店で書いていた言葉と、同じ響き。
「今日は、ここをじっと見ていてほしい」
「見る、だけ……ですか?」
「そうだ。客がどう通るか。どこで立ち止まるか。今の棚の、どこが“寂しい”か」
リオンは、あえて何も置かれていない棚の前に立たせた。
「手は、明日から動かせばいい。
今日は、目と、心と、足を使え」
ミラは、言われた通りに頷いた。
◇
午後の時間帯、“星見の広場”には、さまざまな客がやって来た。
買い物に疲れた主婦が、ベンチに腰を下ろして空を見上げる。
子ども連れの家族が、天井の星を指さしてはしゃぐ。
仕事帰りと思しき男性が、一人でお茶を飲みながら、ぼんやり座っている。
棚の前を通るけれど、まだ何も置かれていない。
客の視線が一瞬だけそこに引っかかっては、そのまま通り過ぎていく。
(ここに、何があったら――)
ミラは、手帳を片手に、ひたすらメモを取った。
『ベンチに座る人、多い。荷物が多いときは、足元に置いている。』
『子どもが星を指さすとき、親も一瞬だけ空を見上げる。顔が少し和らぐ。』
『ひとり客は、飲み物だけで、食べ物は持ってこないことが多い。』
書いているうちに、ふと気づく。
(“おつかれさま”って、いろんな形があるんだ)
誰かと一緒の「お疲れさま」。
一人になって、ようやく出てくる「お疲れさま」。
どちらにも、そっと寄り添える棚を作れたら――
そんな欲張りな願いが、こっそり芽を出した。
◇
ひと区切りついた頃、隣に気配がした。
「……どうだ」
リオンだった。
「なにか、見えてきたか?」
「少しだけ、です」
ミラは手帳を見下ろしながら答える。
「ここを通る人は、みんな、ちょっとだけ“自分の時間”になっているように見えます。
誰かと話していても、空を見上げるとき、ふっと静かになって」
「ふむ」
「だから、“誰かに見せるためのおやつ”よりも、“自分だけの小さなごほうび”が合うんじゃないかなって」
口にしてみると、自分でもしっくりくる。
「一緒に食べるクッキーは、賑やかな通路でも楽しいけれど、
ここではもう少し、静かに寄り添うお菓子の方が……」
そこで、ふと我に返る。
「あ、すみません。勝手に」
「いい」
リオンは、すぐに言った。
「君の“勝手”を聞きたいから、ここに立たせている」
その言い方が可笑しくて、ミラは少し笑ってしまう。
「……じゃあ、もう少しだけ」
手帳をめくる。
「『今日もお疲れさま』って言葉も、
“誰かに言ってもらったら嬉しい人”と、“自分で自分に言えるようになりたい人”と、二種類いる気がして」
自分の過去のことも、少し重なっていた。
「前の店では、その二つを一緒くたにしてしまっていたかもしれません。
でもここでは、棚を分けたいです。
“誰かに言ってほしいお疲れさま”と、“自分で自分に渡すお疲れさま”と」
言葉にしながら、胸の奥がじんとする。
――自分自身が、ずっと「誰かに言ってほしかった」側だったから。
「なるほどな」
リオンは、真面目な顔で聞いていた。
「何人分くらい、想定している」
「……そうですね。
“誰かに言ってほしい”ほうは、家族連れや恋人同士も使えるように、少し華やかな箱を。
“自分に渡す”ほうは、ひとりで食べ切れるサイズで、静かな色合いのパッケージを……」
話しているうちに、棚の図が頭の中で組み上がっていく。
左半分には、“誰かと一緒”の言葉。
右半分には、“自分へそっと”の言葉。
「POPの言葉は?」
リオンの問いに、ミラは一瞬迷ってから、勇気を出して口にした。
「左側には――
『今日もいちにち、おつかれさま。いっしょに食べると、もっとおいしい』」
「ふむ」
「右側には」
少し息を吸う。
「『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ』」
言いながら、頬が熱くなる。
自分に向けて言ってほしかった言葉を、棚に置こうとしている。
「……悪くない」
リオンは、あっさりと言った。
「むしろ、いい」
「え……」
「文章をそのまま使うかは、また一緒に考えるとして」
と前置きしつつも、
「“誰かと一緒”と“自分に渡す”で棚を分ける発想は、星見の広場にぴったりだ」
真っ直ぐな目で言われる。
「よく見ている。……やっぱり連れてきて正解だったな」
その一言が、胸の奥にじんわり染みた。
ミラは、思わず背筋を伸ばす。
「ありがとうございます。もっと頑張ります!」
いつもの癖で、ついそう言ってしまう。
リオンの口元が、少しだけ苦笑いに変わった。
「……今のは、訂正だ」
「え?」
「『もっと頑張ります』じゃない」
リオンは、星見の広場をぐるりと見渡した。
「『ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります』だ」
「……ちゃんと、休みながら」
「昨日も言ったが、未来永劫、君にはたくさん働いてもらう予定だ」
その言い方が妙にさらっとしていて、ミラはまた顔が熱くなる。
「そのために、今日はここまでだ」
リオンは腕時計に視線を落とした。
「あと一時間ほどで、今日のシフトは終わり。
このあとは、客として店を回ってみろ」
「きゃ、客としてですか?」
「そうだ。自分の足で、“お疲れさま”の棚を探してみる。
そこに何が足りないか、明日、教えてくれ」
ミラは、なんとも言えない気持ちになった。
(休めって、言われてるんだ……)
本当なら、「このままPOPを書いてもいいですか」と言いたかった。
でも、リオンの言葉の裏にある意図も感じる。
――走り出しすぎるな。
ちゃんと、“自分の時間”も感じろ。
星見の広場で見ていた、あの人たちと同じように。
「……わかりました」
ミラは、素直に頷いた。
「ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります」
「よし」
リオンは満足げに頷き、
「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃないか、とも付け加えておく」
と、さらりと言った。
ミラは、くすりと笑ってしまう。
「じゃあ、“図々しく”店内見てきます」
「そうしろ」
そのやりとりが、どこかくすぐったくて、
でも確かに、自分の中の「頑張らなきゃ」の形を少し変えてくれている気がした。
◇
シフトを終えたあと、ミラは客として店内を歩いた。
自分の給与では頻繁には買えないちょっといいお茶や、
惣菜コーナーの香り。
夕方の店内は、どこか柔らかい疲れに包まれている。
(……ここに、“わたしのお疲れさま”があったら)
そう想像しながら歩くと、棚の見え方が少し変わった。
明日から、自分がつくる棚も、
ここで誰かが「ふう」と息をついてから手に取るものになる。
そう思うと、怖さよりも、
「うまくやりたい」という、静かな火が灯っていく。
宿舎に戻る頃、空には、もうくっきりと星が瞬いていた。
「……今日も、おつかれさま」
窓に映った自分に、そっとそう言ってみる。
慣れない言葉は、少しくすぐったい。
でも、そのくすぐったさごと、大事にしてみようと思った。
星灯バザールの屋根の魔灯が、
遠くで、小さく瞬いた気がした。
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