星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第6話 星見の広場で、はじめの一歩

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 朝、カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。

 見慣れない天井。
 けれど、嫌な感じはしない。
 新しい木の匂いと、どこかからふんわり漂ってくるパンの香り。

(……そっか)

 ミラは、ゆっくり上体を起こした。

 ここは、星灯バザールの従業員宿舎。
 今日から、本当にここで働くのだ。

 胸の奥がきゅっと縮こまり、同時にじわじわと熱くなる。

「……がんばろう」

 小さく呟いて、ベッドから降りた。



 支給された制服は、落ち着いた藍色だった。

 前の店の真っ白なエプロンとは違う。
 胸元には、小さな星型の刺繍がひとつだけ付いている。

 制服に袖を通し、鏡の前に立つ。

「……なんだか、本当に“星の店”の人みたい」

 襟を整えながら苦笑いする。
 似合っているかどうかはわからない。でも――

(ここにいて、いいんだよって、言ってもらえた服だ)

 そう思うと、少しだけ背筋が伸びた。



 朝のミーティングは、バックヤードの広いスペースで行われた。

 すでに何人もの従業員が集まっており、簡単な朝礼のあと、今日の連絡事項が共有されていく。

「――以上。星市まで残り二十日、“星見の広場”周辺の工事は今週中に完了予定。売場づくりについては、今日から新しく入ったスタッフと一緒に進める」

 リオンの声が、場を締めた。

「新しく?」

「紹介する」

 視線が、一斉にこちらへ向く。
 ミラは思わず足をきゅっと揃えた。

「昨日から、この店で働くことになった。
 “棚づくり担当”――ミラだ」

「た、棚づくり……?」

 思わず小さく反芻してしまう。

 肩書きとして聞くのは、初めてだった。
 でも、不思議としっくりくる。

「前の店で、売場の“空気”を動かしていた。
 ここでは、“星見の広場”と連動するお菓子コーナーを中心に任せるつもりだ」

 リオンは簡潔に説明し、

「ひとまず、今日は“見て覚える日”だ。邪魔にならない程度に、いろいろ教えてやってくれ」

 と、周囲に頼んだ。

「よろしくお願いします……!」

 ミラは深く頭を下げる。

 ぱらぱらと拍手が起こった。

「棚づくり担当って、なんか格好いいな」
「星市の目玉かもね」

 そんな小さな囁きが聞こえて、耳が少し熱くなる。

(……前の店とは、ぜんぜん違う)

 ここでは、「余計なことしないで」と言われる空気ではない。
 むしろ「やってくれ」と期待されている。

 嬉しさと怖さが、同じくらい胸の中で暴れた。



 朝礼が終わると、カイがミラを呼び止めた。

「まずは手続きから行きましょうか」

 事務室に通され、雇用契約書や、シフト表の説明が行われる。

「ミラさんの契約は、当面“試用期間つきの専任スタッフ”という形になります。
 でも、あまり堅く考えないでくださいね」

 カイは微笑みながら続ける。

「仕事の内容は、“星見の広場周辺の売場づくり”が中心。
 ただし、一人で全部抱え込むのはナシです」

「……ナシ、ですか?」

「はい。うちはチームで動くのが基本ですから」

 カイは、さらりと言った。

「“この棚の売上、全部あなた一人の責任ね”みたいなことは、しません」

 その一言に、ミラの胸がびくりと反応する。

(……全部、わたしの責任)

 昨日、言われた“必要ない”とも、
 以前から抱えていた“もし失敗したら全部自分のせい”という感覚とも、別の言葉がそこに置かれた。

「困ったとき、手が足りないときは、ちゃんと誰かを呼んでください。
 “自分だけでなんとかしなきゃ”は、この店では禁句ですよ」

「……はい」

 本当に、そうしていいのだろうか。
 その疑いと、そうできたらいいのに、という願いが、胸の中で小さく絡まる。

「では――」

 書類にサインを終えたミラに、カイが手を差し出した。

「改めて。ようこそ、星灯バザールへ」

「よ、よろしくお願いします」

 握手を交わした手のひらは、温かかった。



 午前中は、店内をゆっくり歩きながら、各セクションの責任者と挨拶を交わした。

 青果担当の初老の男性は、土つきの野菜を撫でながら誇らしげに語った。

「こいつらがね、朝一番に顔を出してくれると、店全体の空気がよくなるんだ」

 惣菜担当の若い女性は、揚げたてのコロッケを見せながら、自慢の味付けについて教えてくれた。

「星市の日には、星型コロッケも出す予定なんです。
 そのときは、ミラさんの棚の近くに特設コーナーを……」

「素敵ですね」

 会話のどこかで、自然と「一緒に」が混ざってくる。

(……一人じゃない)

 その感覚が、少しずつ身体に馴染んでいった。



 昼過ぎ。

「そろそろ、“現場”も見ておくか」

 リオンに呼ばれ、“星見の広場”へ向かう。

 広場の中央には、例の星空を映す天井。
 その周囲はまだ仮設の柵で囲まれており、工事スペースとの境界が示されている。

「ここから、あのバックヤードの空きスペースまでが、“星市コーナー予定地”だ」

 リオンが簡易図面を広げる。

「全部を一気に任せるつもりはない。……まずは、この一角だけだ」

 指さしたのは、広場の片側、まだ棚が一つだけ立っている場所だった。

「ここの棚を、“試験棚”にする。
 星市までは、ここでいろいろ試してみてくれ」

「試験棚……」

「置くものは、主に焼き菓子とお茶。
 『今日もおつかれさま』の売場だ」

 ミラの胸が、小さく跳ねる。

 前の店で書いていた言葉と、同じ響き。

「今日は、ここをじっと見ていてほしい」

「見る、だけ……ですか?」

「そうだ。客がどう通るか。どこで立ち止まるか。今の棚の、どこが“寂しい”か」

 リオンは、あえて何も置かれていない棚の前に立たせた。

「手は、明日から動かせばいい。
 今日は、目と、心と、足を使え」

 ミラは、言われた通りに頷いた。



 午後の時間帯、“星見の広場”には、さまざまな客がやって来た。

 買い物に疲れた主婦が、ベンチに腰を下ろして空を見上げる。
 子ども連れの家族が、天井の星を指さしてはしゃぐ。
 仕事帰りと思しき男性が、一人でお茶を飲みながら、ぼんやり座っている。

 棚の前を通るけれど、まだ何も置かれていない。
 客の視線が一瞬だけそこに引っかかっては、そのまま通り過ぎていく。

(ここに、何があったら――)

 ミラは、手帳を片手に、ひたすらメモを取った。

『ベンチに座る人、多い。荷物が多いときは、足元に置いている。』
『子どもが星を指さすとき、親も一瞬だけ空を見上げる。顔が少し和らぐ。』
『ひとり客は、飲み物だけで、食べ物は持ってこないことが多い。』

 書いているうちに、ふと気づく。

(“おつかれさま”って、いろんな形があるんだ)

 誰かと一緒の「お疲れさま」。
 一人になって、ようやく出てくる「お疲れさま」。

 どちらにも、そっと寄り添える棚を作れたら――
 そんな欲張りな願いが、こっそり芽を出した。



 ひと区切りついた頃、隣に気配がした。

「……どうだ」

 リオンだった。

「なにか、見えてきたか?」

「少しだけ、です」

 ミラは手帳を見下ろしながら答える。

「ここを通る人は、みんな、ちょっとだけ“自分の時間”になっているように見えます。
 誰かと話していても、空を見上げるとき、ふっと静かになって」

「ふむ」

「だから、“誰かに見せるためのおやつ”よりも、“自分だけの小さなごほうび”が合うんじゃないかなって」

 口にしてみると、自分でもしっくりくる。

「一緒に食べるクッキーは、賑やかな通路でも楽しいけれど、
 ここではもう少し、静かに寄り添うお菓子の方が……」

 そこで、ふと我に返る。

「あ、すみません。勝手に」

「いい」

 リオンは、すぐに言った。

「君の“勝手”を聞きたいから、ここに立たせている」

 その言い方が可笑しくて、ミラは少し笑ってしまう。

「……じゃあ、もう少しだけ」

 手帳をめくる。

「『今日もお疲れさま』って言葉も、
 “誰かに言ってもらったら嬉しい人”と、“自分で自分に言えるようになりたい人”と、二種類いる気がして」

 自分の過去のことも、少し重なっていた。

「前の店では、その二つを一緒くたにしてしまっていたかもしれません。
 でもここでは、棚を分けたいです。
 “誰かに言ってほしいお疲れさま”と、“自分で自分に渡すお疲れさま”と」

 言葉にしながら、胸の奥がじんとする。

 ――自分自身が、ずっと「誰かに言ってほしかった」側だったから。

「なるほどな」

 リオンは、真面目な顔で聞いていた。

「何人分くらい、想定している」

「……そうですね。
 “誰かに言ってほしい”ほうは、家族連れや恋人同士も使えるように、少し華やかな箱を。
 “自分に渡す”ほうは、ひとりで食べ切れるサイズで、静かな色合いのパッケージを……」

 話しているうちに、棚の図が頭の中で組み上がっていく。

 左半分には、“誰かと一緒”の言葉。
 右半分には、“自分へそっと”の言葉。

「POPの言葉は?」

 リオンの問いに、ミラは一瞬迷ってから、勇気を出して口にした。

「左側には――
 『今日もいちにち、おつかれさま。いっしょに食べると、もっとおいしい』」

「ふむ」

「右側には」
 少し息を吸う。

「『今日のわたしに、おつかれさま。
 ちゃんと頑張ったあなたへ』」

 言いながら、頬が熱くなる。

 自分に向けて言ってほしかった言葉を、棚に置こうとしている。

「……悪くない」

 リオンは、あっさりと言った。

「むしろ、いい」

「え……」

「文章をそのまま使うかは、また一緒に考えるとして」

 と前置きしつつも、

「“誰かと一緒”と“自分に渡す”で棚を分ける発想は、星見の広場にぴったりだ」

 真っ直ぐな目で言われる。

「よく見ている。……やっぱり連れてきて正解だったな」

 その一言が、胸の奥にじんわり染みた。

 ミラは、思わず背筋を伸ばす。

「ありがとうございます。もっと頑張ります!」

 いつもの癖で、ついそう言ってしまう。

 リオンの口元が、少しだけ苦笑いに変わった。

「……今のは、訂正だ」

「え?」

「『もっと頑張ります』じゃない」

 リオンは、星見の広場をぐるりと見渡した。

「『ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります』だ」

「……ちゃんと、休みながら」

「昨日も言ったが、未来永劫、君にはたくさん働いてもらう予定だ」

 その言い方が妙にさらっとしていて、ミラはまた顔が熱くなる。

「そのために、今日はここまでだ」

 リオンは腕時計に視線を落とした。

「あと一時間ほどで、今日のシフトは終わり。
 このあとは、客として店を回ってみろ」

「きゃ、客としてですか?」

「そうだ。自分の足で、“お疲れさま”の棚を探してみる。
 そこに何が足りないか、明日、教えてくれ」

 ミラは、なんとも言えない気持ちになった。

(休めって、言われてるんだ……)

 本当なら、「このままPOPを書いてもいいですか」と言いたかった。
 でも、リオンの言葉の裏にある意図も感じる。

 ――走り出しすぎるな。
 ちゃんと、“自分の時間”も感じろ。

 星見の広場で見ていた、あの人たちと同じように。

「……わかりました」

 ミラは、素直に頷いた。

「ちゃんと休みながら、ちゃんと頑張ります」

「よし」

 リオンは満足げに頷き、

「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃないか、とも付け加えておく」

 と、さらりと言った。

 ミラは、くすりと笑ってしまう。

「じゃあ、“図々しく”店内見てきます」

「そうしろ」

 そのやりとりが、どこかくすぐったくて、
 でも確かに、自分の中の「頑張らなきゃ」の形を少し変えてくれている気がした。



 シフトを終えたあと、ミラは客として店内を歩いた。

 自分の給与では頻繁には買えないちょっといいお茶や、
 惣菜コーナーの香り。
 夕方の店内は、どこか柔らかい疲れに包まれている。

(……ここに、“わたしのお疲れさま”があったら)

 そう想像しながら歩くと、棚の見え方が少し変わった。

 明日から、自分がつくる棚も、
 ここで誰かが「ふう」と息をついてから手に取るものになる。

 そう思うと、怖さよりも、
 「うまくやりたい」という、静かな火が灯っていく。

 宿舎に戻る頃、空には、もうくっきりと星が瞬いていた。

「……今日も、おつかれさま」

 窓に映った自分に、そっとそう言ってみる。

 慣れない言葉は、少しくすぐったい。
 でも、そのくすぐったさごと、大事にしてみようと思った。

 星灯バザールの屋根の魔灯が、
 遠くで、小さく瞬いた気がした。
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