星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第7話 はじめての「おつかれさま」棚

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 翌朝。
 ミラはいつもより少し早く、星灯バザールの店内に入った。

 開店前の静かな空気。
 昨日「見るだけ」だった星見の広場の端に、今日は工具と空の棚が待っている。

(……いよいよ、ここに並べるんだ)

 胸の奥が、きゅっとなる。

「おはようございます」

 近くで作業していたスタッフたちに頭を下げると、数人が笑顔を返してくれた。

「おはよう、ミラちゃん」
「今日から、いよいよだね。楽しみにしてたよ」

 そんな言葉が、緊張と同じくらい、心にじんわり染みる。



 しばらくすると、カイが箱を二つ抱えてやってきた。

「ミラさん、頼まれていた商品、ひとまずこんな感じで揃えてみました」

 箱の中には、星型のクッキー、小さな缶に入ったビスケット、個包装のお茶菓子、それから、優しい色合いのパッケージに入ったタルト。

「わ……」

 ミラは、思わず声を漏らす。

「“誰かと一緒”のほうは、見た目が華やかなものを中心に。
 “自分に渡す”ほうは、落ち着いた色合いで、量も少なめのものを選んでいます」

 カイは、箱を棚の前に置きながら説明する。

「もし、『これは違う』というのがあれば、遠慮なく言ってください。仕入れ担当と調整しましょう」

「ち、違うなんて……」

 そんなこと、言っていいのだろうか。
 でも、カイの表情は本気だった。

「これは、“ミラさんと一緒に考える棚”ですからね」

 その一言に、ほんのり勇気が湧く。

(……一緒に、か)

 今まで、「自分がなんとかしなきゃ」と思ってきた棚づくり。
 ここでは、その最初の前提から違っている。



「じゃあ、まずは並べてみましょうか」

「はい」

 ミラは、棚の左半分と右半分を見比べるようにして、商品を取り出した。

 左――“誰かと一緒のおつかれさま”。

 星型クッキーの箱を、目線より少し高めに置く。
 その隣に、二人分にちょうどいい大きさのタルトを。

「ここは、“いっしょに食べる顔”が浮かぶものを」

 右――“自分に渡すおつかれさま”。

 小さな缶ビスケットを、少しだけ低い位置に。
 夜空の絵が描かれた小箱のチョコレートを、その隣に。

「こっちは、“ひとりの静かな時間”を想像しながら」

 並べながら、頭の中でそれぞれの「今日」を描いていく。

 仕事を終えて帰ってきた二人が、
 「お疲れさま」と笑い合いながらクッキーを割る姿。

 ひとりでベッドの端に座って、
 「よく頑張ったな」と自分に言いながら缶を開ける姿。

 そういう「誰かの夜」が、棚の上にそっと重なっていく。

「……いいですね」

 隣で見ていたカイが、小さく感嘆の声を漏らした。

「並べ方だけで、“ここは賑やか”“ここは静か”って、空気が変わりますね」

「本当ですか?」

「ええ。棚の左側は、声が少し賑やかに聞こえる気がしますし、右側は――」

 カイは、右の棚の前で一瞬目を閉じた。

「……深呼吸したくなる感じがします」

 言われてみると、ミラも同じように感じた。

(ちょっとだけ、空気の密度が違う)

 言葉にはしづらいけれど、確かに、何かが違っている。



 並べ終えたところで、POPを書く番になった。

 ミラは、用意してもらった厚手の紙を前に、ペンを握る。

(左は、“誰かと一緒”)

 昨日、リオンに話した言葉を思い出す。

 ――『今日もいちにち、おつかれさま。いっしょに食べると、もっとおいしい』

 ペン先が、すべるように動いた。

『今日もいちにち、おつかれさま。
 いっしょに食べると、もっとおいしい』

 文字の端に、小さな星を二つ。
 それぞれ、少しだけ距離を空けて描く。

「“二人の星”ですか?」

 カイが覗き込んでくる。

「……はい。
 一人分でも買えるけど、“もうひとつ星を用意しておきたいとき”の棚っていうか」

 言葉にしてみて、自分でも少し笑ってしまった。

(なんだか、ちょっとロマンチックかもしれない)

「いいと思います」

 カイはあっさり言う。

「星灯バザールの“星”とも繋がりますしね。
 うちのブランドって、“ちょっと気恥ずかしいくらいの優しさ”が似合うんですよ」

 それを聞いて、ミラの胸がくすぐったくなる。

(“気恥ずかしいくらいの優しさ”)

 自分の書く言葉は、まさにそういう方向のものばかりだ。

 次は、右の棚。

 ――『今日のわたしに、おつかれさま。ちゃんと頑張ったあなたへ』

 少しだけ、息を整えてから書き始める。

『今日のわたしに、おつかれさま。
 ちゃんと頑張ったあなたへ。』

 こちらのPOPには、小さな星をひとつだけ。
 線を引かず、ぽつりと浮かせるように描いた。

「……自分用の星ですね」

「はい。
 誰かに見せるためじゃなくて、自分だけが知っている星で」

 書き上げて顔を上げると、カイが少しだけ目を潤ませているように見えた。

「どうかしましたか?」

「いえ……なんだか、今すぐ何か買って帰りたくなっただけです」

 冗談めかした口調に、ミラも笑ってしまう。



 POPを棚に立てる。

 左の棚には、「いっしょに」。
 右の棚には、「わたしへ」。

 ふっと、空気が動いた気がした。

 目には見えないけれど、
 棚の周りを小さな星の粉が巡り始めたような、そんな感覚。

(……あ)

 ミラの胸の奥で、何かが少し軽くなる。

 前の職場で、「必要ない」と言われた「こだわり」が、
 ここでは棚の真ん中に立っている。

「リオン店長を呼んできます」

 カイがそう言ってバックヤードに向かう。

「きっと、すごく喜びますよ」

「そ、そうでしょうか」

 急に緊張が戻ってくる。

 棚の前で、ミラは手帳を抱え直した。

(大丈夫、大丈夫。ここでやっていいって、言われたんだもん)

 そう自分に言い聞かせる。



 数分後。

「――ほう」

 リオンが棚の前に立ち、短く息を漏らした。

 視線が、左のPOPから右のPOPへ、ゆっくりと流れていく。

「“誰かと一緒”と、“自分に渡す”か」

 声には感情をあまり乗せないのに、瞳の奥が静かに光っている。

「並びも悪くない。
 左のほうが少しだけ色が賑やかで、右が落ち着いている。
 視線の流れも、こっちから入って――」

 リオンは、客として通るであろう動線を一歩ずつ踏みしめるように歩いてみせる。

 星見の広場からベンチへ向かう人の目線。
 ベンチから立ち上がって通路へ戻る人の目線。

 そのどちらにも、棚が自然に入るように設計されていた。

「悪くないどころか、かなりいい」

 リオンは、あっさりと言う。

「これなら、“余白”も意味を持つ。
 ここに立ち止まる人間が、何かを受け取って帰れる」

 その評価の仕方が、ミラには新鮮だった。

(“売れるかどうか”だけじゃなくて、“何を受け取るか”も見てるんだ)

 数字一辺倒に見えて、ちゃんとその先まで見ている。

「問題があるとすれば」

「……あ、ありますか」

 ミラは緊張して身構える。

「君の字だな」

「え」

 思ってもみなかったことを言われて、思わず固まった。

「下手って意味じゃない。むしろ、うちの客が好みそうな、素直な字だ」

「そ、そうですか?」

「ああ。
 だが、この棚が当たった場合――」

 リオンは、真面目な顔で言った。

「星市の間中、君はPOPを書き続けることになる。
 “全部手書きで”と客に言われる可能性がある」

「えっ」

 そんな未来を想像していなかったミラは、慌てて手を振る。

「む、無理です無理です!
 そんな、全部は――!」

「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃないか、とも思うが」

 リオンが、口元だけで笑う。

「もっとも、全部を手書きにする必要はない。
 君の字を元に、魔導印刷にかける方法もある。
 “ミラ書体”としてな」

「ミ、ミラ書体……」

 耳まで真っ赤になりそうな言葉だった。

 けれど、同時に、少しだけ嬉しい。

(“要らない”どころか、“書体にする”……)

 自分の字が、棚の一部として認められている。

「いきなり全部はきついので、まずはこの試験棚だけ、手書きでいきましょう」

 カイが、穏やかにフォローする。

「様子を見て、印刷に切り替える場所と、手書きを残す場所を一緒に決めていきましょう」

「……はい」

 ミラは少し深呼吸をして、素直に頷いた。

「が、頑張ります。ちゃんと休みながら」

 自分で言って、ふと顔を上げると、リオンの視線とぶつかった。

「……いい心がけだ」

 リオンは、満足げに小さく頷いた。



 開店の時間が来る。

 星見の広場にも、人が流れ始めた。

「さて、最初のお客さんはどんな人でしょうね」

 カイが少し楽しそうに言う。

「緊張します……」

 ミラは、棚から少し離れた位置に立って様子を見ることにした。

 しばらくすると、幼い子どもを連れた夫婦が広場に入ってくる。

「ほら、あの天井、星が動いてるだろ」

「わあ、きらきらしてる!」

 子どもが喜んで天井を指差す。
 母親が微笑みながら、その隣に立つ。

 そのままベンチへ向かいかけたとき――
 父親の視線が、棚の左側のPOPに引っかかった。

『今日もいちにち、おつかれさま。
 いっしょに食べると、もっとおいしい』

「……お」

 父親は足を止め、クッキーの箱を手に取る。

「なにそれ?」

「いや、“いっしょに食べるとおいしい”らしい」

「ふふ。うち、毎日いっしょに食べてるじゃない」

「じゃあ、もっとおいしいかもしれないだろ」

 軽い冗談を交わしながら、夫婦は顔を見合わせて笑った。

「ねえ、これ、帰りに食べようか」

「たべるー!」

 子どもも元気よく手を挙げる。

 クッキーの箱は、そのままカゴに入れられた。

 その瞬間、ミラの胸の中で、小さな灯りがふっと明滅した。

(……今の笑顔)

 POPを読んで、
 「ふふ」と笑ってくれた顔。

 前の店でも何度か見た光景。
 でも、今日はそれが、胸にしっかりと届いた気がした。



 少しして、今度はひとりの女性客がやってきた。

 仕事帰りだろうか。
 少し疲れた顔で、広場のベンチに腰を下ろし、天井を見上げる。

 しばらくしてから立ち上がり、ゆっくりと棚の右側へ歩いてきた。

 女性の視線が、POPの文字を追う。

『今日のわたしに、おつかれさま。
 ちゃんと頑張ったあなたへ。』

 ほんの一瞬だけ、表情が揺れた。

 目をそらすように棚から離れる――かと思いきや、
 彼女は小さな缶ビスケットの前で立ち止まり、迷うように指先を伸ばした。

「……自分に、くらい」

 ごくかすかな声が漏れる。

 それから、缶をひとつ、そっと手に取ってカゴに入れた。

 その横顔は、まだ疲れてはいたけれど、
 どこかで「自分を赦そうとしている」ようにも見えた。

 ミラは、胸の奥がじん、と熱くなった。

(笑ってくれたら、嬉しいから)

 声に出さなくても、心の中でその言葉を繰り返す。

 笑っていなくてもいい。
 ちょっとだけ肩の力が抜けたなら、それでもいい。

 そう思えるようになっている自分に、ふと気づく。

(……あ)

 もしかしたら、自分自身にも同じことを言ってあげたいのかもしれない。

 「笑ってなきゃだめ」じゃなくて。
 「泣いてても、疲れてても、ちゃんと頑張ってるよ」って。



 夕方、シフトの終わり頃。

 簡単な数字の確認が行われた。

「まだ半日だけのデータですが、“試験棚”、悪くない動きです」

 カイが、販売数のメモを持って報告する。

「左側の“いっしょに”お菓子は、主に家族連れとカップルが。
 右側の“わたしへ”缶ビスケットは、ひとり客が多いですね」

「想定通りだな」

 リオンは、数字にざっと目を通す。

「まだ全体の売上に大きく影響するほどではないが、
 “星見の広場に寄り道する率”が少し上がっている」

「そうなんですか?」

 ミラは、数字を覗き込む。

 広場に立ち寄った客数、ベンチの滞在時間、
 そこから別の売場に流れた割合――

 そんなものまで、簡易的に測られている。

「“ちょっと疲れた”ときに寄れる場所があると、店全体の滞在時間が伸びるんです」

 カイが説明する。

「結果的に、“ついで買い”も増えますし、
 『あの店、なんか落ち着く』って印象にも繋がります」

「だから重要なんだ。……この『なんか』が」

 リオンは、ペン先で数字の端を軽くつついた。

「この『なんか』をつくるのは、マニュアルじゃない。
 君みたいな、棚精の仕事だ」

 真顔で言われて、ミラはどう反応していいかわからず、
 結局、小さく笑うしかできなかった。

「ありがとうございます。……もっと、」

 言いかけて、はっと口をつぐむ。

 いつもの癖で、「もっと頑張ります」と続けそうになったのだ。

「ちゃんと休みながら、頑張ります」

 言い直すと、リオンがわずかに目を細めた。

「自分で訂正できるようになったか」

 その声には、どこか安堵の色が混ざっている。

「いい傾向だ」

「……はい」

 褒められるのも照れくさいけれど、
 直してもらえたところを、自分で守りたくなっている自分がいた。



 ミラが事務室を出ようとしたとき、
 ふと背後から、ぽつりと声が落ちてきた。

「……もっと、早く、君を見つけていたらな」

「え?」

 振り返ると、リオンが少しだけ視線を逸らしていた。

「いや。独り言だ」

 あっさりと言って、机の書類に目を落とす。

「君が前の店で、どんな“こだわり方”をしていたのか。
 もっと早く気づけていれば、こんな棘だらけの状態で連れて来ずに済んだかもしれない」

 少しだけ、悔しそうな響き。

「でも」

 ミラは、首を横に振った。

「今でよかったです」

 自分でも、意外なほどはっきり言えた。

「前の店で頑張ってきたから、
 “誰かに言ってほしいおつかれさま”と、“自分に渡したいおつかれさま”に気づけた気がするので」

 あの棘も、無駄ではなかったのだと、
 少しだけ思えるようになっていた。

「……そうか」

 リオンの表情が、わずかに和らぐ。

「なら、今からでいいな」

「はい」

「これから、“棘”ごと、ちゃんと働いてもらう」

 言葉の端に、くすっとした笑いが乗る。

「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃないか、とも思うしな」

 そのフレーズが、ミラの胸の中で小さな灯りになっていく。

(図々しいくらいで、いいんだ)

 必要とされることに慣れていない自分にとって、
 それは、優しい許可のように感じられた。



 宿舎に戻る道すがら、ミラは空を見上げた。

 星見の広場で見た星空と、
 外に出てから見る本物の星空。

 どちらにも、ちいさな「おつかれさま」が、
 ふわふわと浮かんでいるような気がする。

「……今日も、おつかれさま」

 今度は、昨日より少し自然に、自分に言えた。

 星がひとつ、瞬いた。

 それは、試験棚の上で灯った、
 最初の小さな“商売の星”と、どこか同じ色をしていた。
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