和平交渉のはずが、参謀が勇者にだけ冷静さを失っています(((論理的思考<勇者が可愛い)))

星乃和花

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第7話「森の赤い核」

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 和平交渉は、順調だった。

 表向きには。

 だが、戦争というものは、
 “終わる”と決まった瞬間に必ず暴れる。

 勝ちたい者ではなく、
 終わってほしくない者がいるからだ。

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

 その夜。
 城の外れの見張り塔で、衛兵が突然声を上げた。

「――火だ!」

 遠くの森が、赤く染まっていた。
 炎が揺れているのではない。
 空気そのものが、怒りみたいに赤い。

 レオンは報告を受けた瞬間、地図の上に指を落とした。

「南の森……交渉の使者が通る道だ」

 敵側の過激派が仕掛けたなら、
 和平交渉の要を折るための“見せしめ”になる。

 レオンの声が冷える。

「部隊を出す。
 火を止めろ。使者を守れ」

 将軍が頷く。

「参謀、勇者は――」

「連れて行かない」

 即答だった。

 ミナは疲れる。
 削れる。
 守るべきだ。

 レオンは立ち上がった――その時。

「行くよぉ」

 ふわっとした声が、背後から落ちた。

 振り向くと、ミナが立っていた。
 部屋着の上に外套を羽織り、髪をまとめただけの格好。

「……聞いていたのか」

「うん」

 ミナは頷く。

「森、怖い色してる。
 怒ってる匂いがする」

 レオンは眉を寄せた。

「匂い?」

「うん」

 ミナは胸に手を当てる。

「空気がね、ざらざらしてる」

 その表現は、正しい。
 怒りの場にいると、空気はざらつく。
 ただ、普通は“匂い”で分からない。

(彼女は……感じ取る)

 レオンは低く言った。

「行くな」

 ミナは素直に首を振る。

「行く」

「命令だ」

「命令、きらい」

 ミナが小さく言った。
 引き止めようと厳しくした、あの傷が、まだ残っている。

 レオンは一瞬だけ目を伏せた。
 そして、言い方を変える。

「……お願いだ。行かないでくれ」

 将軍たちが凍った。

「参謀が……お願い?」

 ミナはぱちぱちした。

「お願い、した?」

「した」

 レオンは認めた。

「君が倒れるのが、嫌だ」

 ミナの目が揺れる。

「でも……守りたい」

 ゆっくり、でも強い声だった。

「使者さん、怖いでしょ。
 兵士さんも、怖いでしょ。
 森も、泣いてるみたいだよ」

 レオンは歯を食いしばった。

(……優しすぎる)

 優しさは、強い。
 でも強すぎる優しさは、命を削る。

 レオンは結論を出す。

「……分かった」

 ミナがぱっと顔を上げる。

「ただし」

 レオンはミナの前に立ち、低く言った。

「私から一歩も離れるな」

「うん」

「魔法は、必要な時だけ」

「うん」

「無理をするな」

「うん」

 返事が素直すぎて、逆に怖い。

 レオンは最後に付け足した。

「……帰ったら、抱きしめる」

 将軍たちが固まった。

「参謀、今……」

「聞かなかったことにしろ」

 レオンは冷たく言い切った。

 ミナはぽわっと笑った。

「えへへ」

(その笑い方は反則だ)

 レオンは、戦場に向かうより重たい覚悟で歩き出した。

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

 南の森。

 炎はまだ上がっていない。
 だが空気が赤い。

 兵士たちが槍を構え、緊張して足を止める。

「……何だ、この圧」

「胸が……ざわざわする」

 レオンは気づいた。

(怒りが“増幅”されている)

 怒っていない人間まで、怒りに引きずられる空気。

 魔法だ。

 その中心に、誰かがいる。

 ミナが小さく呟く。

「ここ、痛い」

「……ミナ」

 レオンが呼ぶと、ミナは頷いた。

「分かってる。無理しない」

 その言葉が逆に怖い。

 進むほど、兵士たちの呼吸が荒くなる。
 敵が見えなくても、怒りが勝手に湧く。

「くそ……!」
「何だよ……!」
「殺してやる……!」

 レオンは即座に命令する。

「止まれ。
 深呼吸しろ。互いを見るな。前を見るな」

 兵士たちが戸惑う。

「参謀、何を――」

「これは敵ではない。
 空気に飲まれている」

 レオンは冷静に言ったが、
 自分の胸もざわついているのが分かる。

(……まずい)

 ミナがふらりと足を止めた。

「……うしろ」

 レオンが反射で振り向く。

 木々の影。
 赤い光が滲む場所に、黒いローブの影が立っていた。

 顔は見えない。
 だが魔力の質が分かる。

(黒幕)

 影が、低い声で笑った。

「……勇者が来たか」

 兵士たちが槍を向ける。

「出ろ!」
「名を名乗れ!」

 影は答えず、ただ言った。

「怒りは、美しい」

 ミナが、きょとんとした。

「怒りって……痛いよ?」

 影が嗤う。

「痛いから良い。
 痛みは、進む力になる」

 レオンの中で、嫌な理解が走った。

(この魔法は“戦争を維持する”ためのものだ)

 怒りが燃料。
 恐怖が燃料。
 燃料が尽きる前に、また燃やす。

 だから彼らは和平を嫌う。

 影はミナを見て言った。

「勇者よ。
 お前の鎮静は、邪魔だ」

 影が手を上げた瞬間、
 森の空気がさらに赤く濃くなる。

 兵士たちの目が血走る。

「殺せ!」
「敵だ!」
「うわああ!」

 レオンが叫ぶ。

「止まれ!!」

 だが怒りは耳を塞ぐ。
 兵士たちは互いを敵と錯覚し、槍を向け始めた。

 ミナが小さく震える。

「……やだ」

 ミナの声が、ふるふると揺れる。

「こんなの、やだよぉ……」

 その瞬間。

 ミナが胸に手を当て、深く息を吸った。

(やめろ)

 レオンの背筋が凍る。

 この規模の怒りを鎮めたら、
 彼女は持たない。

 でもミナは――

「だいじょうぶだよ」

 優しい声を、森に落とした。

 ふわっと鎮静が広がる。
 ざらざらの空気が、一瞬だけ柔らかくなる。

 兵士たちが止まる。

「……はっ」
「俺……何を……」

 だが、影が嗤った。

「効かない」

 赤い空気が、鎮静を押し返す。

 怒りが“核”のように固まって、
 再び全員の胸に火を付ける。

 ミナの顔色が、すっと白くなる。

(……まずい)

 ミナはもう一度、息を吸った。

 レオンは反射でミナの肩を掴む。

「ミナ、やめろ!」

 ミナが振り向く。
 目の奥が揺れている。

「でも……みんな……」

「みんなの前に、君だ!」

 レオンの声が、初めて“感情”で割れた。

 自分でも驚くほど強い声だった。

 兵士たちが息を呑む。
 ミナも目を丸くした。

 レオンは続けた。

「君が倒れたら、全部終わる!
 終わるのは戦争じゃない――君の命だ!!」

 ミナの瞳に涙が溜まる。

「……レオンさん……」

 影が笑った。

「ほう。参謀が泣き叫ぶとは」

 レオンは影を睨みつける。

「お前が何者でもいい。
 今すぐ魔法を止めろ」

「止めない」

 影は淡々と告げる。

「怒りは必要だ。
 怒りがなければ、世界は停滞する」

 ミナが、ふっと息を吐いた。

 その表情が、静かに変わる。

 ほわほわの中に、硬い芯が現れた。

「……停滞しても、いいよ」

 ミナの声はゆっくりだった。
 でも、まっすぐで、強かった。

「止まって、休憩して、
 それからまた歩いたらいい」

 影が目を細める。

「……お前は、怒りを否定するのか」

「否定しない」

 ミナは首を振った。

「怒りはね、あるよ。
 わたしも、ある」

 レオンが息を止める。

 ミナの頬に涙が一筋落ちた。

「でも……怒りに、全部預けたくない」

 ミナは胸に手を当てたまま、ゆっくり言う。

「怒りってね、
 誰かを守りたい気持ちの“裏側”だよ」

 影が、わずかに黙った。

 ミナは続ける。

「守りたいなら、壊さないほうがいい」

 その言葉が、鎮静ではなく――理解として森に落ちた。

 赤い空気が、少しだけ薄くなる。

 影の魔法が揺らいだ。

(今だ)

 レオンは即座に指示を飛ばす。

「術師隊!
 あの魔力の源を封じろ!」

 王国側の術師が一斉に魔法陣を展開する。
 光の鎖が森を走り、影の足元に絡む。

「……っ」

 影が初めて呻いた。

 怒りの増幅が一瞬途切れる。

 その瞬間、ミナの膝ががくりと落ちた。

「ミナ!」

 レオンは迷いなく抱き上げた。

 軽い。
 怖いほど軽い。

 ミナは息をしている。
 だが瞳が揺れ、まぶたが重そうだ。

「……ごめんねぇ」

 ミナが小さく言う。

「無理、しちゃった……」

 レオンの喉が熱くなる。

「謝るな」

 声が震える。

「君は、もう十分だ」

 ミナはふわっと笑う。

「……レオンさん、怒ってる?」

「怒っていない」

「怒ってたよ」

「……怖かっただけだ」

 レオンは、もう隠せなかった。

 ミナが少しだけ目を丸くする。

「怖かったの……?」

「怖かった」

 レオンは言った。

「君が消えるのが、怖い」

 ミナの目に涙が溜まる。

「……消えないよ」

 弱々しい声だった。

「消えないように……する」

 レオンは首を振った。

「するな。
 “消えないように”じゃない。
 消えない。私がそうする」

 ミナが、ふわっと笑った。

「……かっこいいねぇ」

 レオンは息を吐いた。

「褒めるな」

「褒めるよ」

「……今は、駄目だ」

「なんで?」

 レオンは答えた。

「胸が、痛いから」

 ミナは静かに頷いた。

「うん……痛いねぇ」

 レオンはミナを抱きしめ直し、森を後にした。

 背後で、影が術師の鎖に縛られ、
 怒りの空気が静かにほどけていく。

 戦争は、終わりに向かっている。

 その代わりに。

 レオンの中で、別の戦いが始まっていた。

 ――ミナを守り続けるための戦い。



=======
第8話(最終話)「戦争が終わっても、参謀は離れない」
(和平成立→帰還の話→参謀の“最後の戦術”=離さない、甘締)
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