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第8話「戦争が終わっても、参謀は離れない」
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怒りの増幅魔法の“核”は封じられた。
森の赤い空気は薄れ、兵士たちは正気を取り戻し、
敵側の過激派の動きは一気に鈍った。
その数日後――。
王城の大広間で、和平条約の署名が行われた。
敵将は深く頭を下げ、王は厳かに頷く。
周囲の貴族たちは緊張を解き、
兵士たちは息を吐き、
民は外で祈りながら涙を流した。
戦争は、終わった。
終わったのに。
レオンの胸の中には、終わらないものが残っていた。
(……彼女は、帰る)
勇者は召喚された存在。
戦争が終われば、役目は終わる。
役目が終われば――帰還の儀式が行われる。
それは、当然だ。
当然なのに。
(嫌だ)
参謀が抱くには、幼稚で不適切な感情だった。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
夜。
執務室。
条約文書の山が片付き、ようやく静かな時間が訪れた。
机の端に置かれたカップから、湯気が上がる。
「おつかれさまぁ」
ミナが椅子の横に立っていた。
ふわっとした笑顔。
でも今日は、その笑顔の奥に“終わり”の気配がある。
レオンは分かってしまう。
「……何か言いたいことがある顔だ」
「うん」
ミナは素直に頷いた。
「レオンさんって、鋭いねぇ」
「参謀だからな」
「参謀さん、えらいねぇ」
「褒めるな」
「褒めるよ」
いつものやりとり。
だけど、今日は胸が痛い。
ミナは椅子に座らず、窓の方へゆっくり歩いた。
「今日はね、星が綺麗」
レオンも窓を見る。
夜空は澄み、冬の星が冷たく光っていた。
ミナがぽつりと言う。
「わたし……帰ることになるって」
レオンの指先が止まった。
紙の上の文字が、急に読めなくなる。
「……王から聞いたのか」
「うん」
ミナは振り向かないまま、優しく言う。
「戦争が終わったから、儀式をするんだって」
レオンの胸の奥が、ぎゅっと縮む。
参謀として言うべき言葉がある。
(ありがとう。よくやった。帰れ)
それが正しい。
でも口が、動かない。
ミナが続けた。
「わたしね、最初、帰りたかったよ」
レオンの喉が詰まる。
「怖かったもん。
知らない世界で、怒りがいっぱいで」
ミナは少し笑った。
「でもね、今は……ちょっと、困ってる」
「……困っている?」
レオンは、やっと声を出した。
ミナはゆっくり頷く。
「ここに、好きなものができちゃった」
レオンの心臓が、跳ねた。
(好きなもの)
王城? お茶? 星?
いや――それだけじゃない。
ミナは振り向いて、ふわっと笑う。
「レオンさん」
名前を呼ばれただけで、胸が熱くなる。
「……何だ」
「レオンさん、わたしがいなくなっても、大丈夫?」
その問いが、刃みたいに刺さった。
レオンは答えを選べない。
選べるはずがない。
「大丈夫ではない」
即答だった。
参謀の判断ではない。
ただの本音。
ミナがぱちぱちする。
「えへへ……正直だねぇ」
「……正直になるつもりはなかった」
「なっちゃった?」
「なった」
レオンは椅子から立ち上がった。
窓の近くへ歩き、ミナの前で止まる。
距離が近い。
でも今日は、それが怖くない。
「ミナ」
「うん?」
レオンは息を吸って、言った。
「帰還の儀式を止める方法はある」
ミナが目を丸くする。
「あるの?」
「……ある」
「どうやって?」
レオンは視線を逸らさず答えた。
「王に進言する。
“勇者はこの国に必要だ”とな」
ミナがふるっと笑う。
「必要……」
レオンは胸の奥が痛んだ。
“必要”という言葉は、彼女を縛るかもしれない。
だから、言い直した。
「違う」
「え?」
レオンは低く言う。
「君が必要だからではない。
君が――ここにいたいなら、いていい」
ミナの目が揺れた。
「……わたしの気持ち?」
「そうだ」
ミナはゆっくり瞬きをして、ぽつりと言う。
「でも……みんな、わたしを“役目”で見てたよ」
レオンは答える。
「私は違う」
ミナの胸が、ふわっと温かくなる。
「……違うの?」
「違う」
レオンは言葉を続ける。
「君は役目ではない。
道具でもない。
魔法でもない」
ミナは小さく息を止める。
「じゃあ……なに?」
レオンは、言ってしまった。
参謀として最も不適切で、
人として最も真実な言葉。
「……私の、大切だ」
ミナの頬が、ぽわっと赤くなった。
「たいせつ……」
レオンはもう止まらない。
「君がいなくなる未来が、怖い」
「……うん」
「君が削れるのも怖い」
「……うん」
「君が笑わないのも怖い」
ミナの目に涙が溜まる。
「……レオンさん、怖がりさんだねぇ」
レオンは少しだけ笑った。
「君のせいだ」
「えへへ……ごめんねぇ」
「謝るな」
レオンはミナの肩に手を置き、
そのまま――抱きしめた。
戦術的抱擁ではない。
逃がさないためでもない。
ただ、ここにいてほしいから。
ミナは最初、少し固まってから、
ゆっくりレオンの背中に手を回した。
「……レオンさん、あったかい」
「……そうか」
「うん。ここ、好き」
レオンは目を閉じた。
(終わらせたくない)
戦争は終わったのに、
この時間は終わらせたくない。
ミナが小さく言った。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「帰らないって言ったら……わがまま?」
レオンは、即答した。
「わがままではない」
「ほんと?」
「本当だ」
レオンはミナを離さず、低く言う。
「わがままなのは、私だ」
ミナがぱちぱちする。
「レオンさんが?」
「……君を、帰したくない」
ミナが息を止めた。
そして、ふわっと笑った。
「えへへ……それ、うれしい」
レオンの胸がぎゅっとなる。
「……なら、帰るな」
ミナはゆっくり頷いた。
「うん。帰らない」
その言葉が、世界を変えた。
レオンは抱きしめたまま、ぽつりと言う。
「……王には、私が話す」
「うん」
「儀式は延期だ」
「うん」
「君の部屋は、そのまま使え」
「うん」
ミナが小さく笑った。
「参謀さんって、こういうとき早口になるねぇ」
レオンは固まった。
「……なっていない」
「なってるよぉ」
ミナはふわっと笑って、言った。
「可愛い」
レオンは、呻いた。
「……言うな」
「言っちゃった」
レオンは顔を伏せた。
(完敗)
参謀としては。
でも――それでいい。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
翌日。
王の前で、レオンは淡々と進言した。
「勇者の帰還儀式は延期すべきです」
王は眉を上げる。
「理由は」
「勇者は、まだ完全に回復していません」
王は頷いた。
「妥当だ」
そして王は、少しだけ笑った。
「参謀レオン。
お前は“管理”が上手いな」
レオンは無表情で答える。
「……職務です」
背後でミナが小声で笑う。
「職務って言ったぁ」
レオンの耳が少し赤くなる。
王はそれを見て、何も言わずに目を細めた。
――戦争は終わった。
そして、新しい問題が始まった。
勇者が帰らない。
参謀が離れない。
王城は今日も、少しだけ温かい。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
夜。
執務室で、ミナがカップを置く。
「お茶、できたよぉ」
レオンは紙に向かったまま言う。
「……うむ」
ミナが隣に座る。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「戦争、終わったねぇ」
「終わった」
「じゃあ、次はなにするの?」
レオンは一拍置いて、答えた。
「……君を、守る」
ミナがぽわっと笑う。
「それ、職務?」
レオンは、少しだけ迷ってから言った。
「……もう、職務ではない」
ミナの目が優しく揺れる。
「じゃあ、なに?」
レオンは静かに言った。
「……私の、願いだ」
ミナはふわっと笑った。
「いいねぇ」
そして、小さく言った。
「わたしも、守るよ」
レオンが眉を寄せる。
「私は守らなくていい」
「よくないよぉ」
ミナは真剣な顔をする。
「守る人は、守られたほうがいい」
レオンは諦めたように息を吐いた。
「……好きにしろ」
「うん。好きにする」
ミナはにこにこする。
「レオンさん、今日もえらい」
「褒めるな」
「褒めるよ?」
「……」
レオンはカップを手に取り、小さく飲んだ。
温かい。
甘い。
胸が落ち着く。
そして、気づく。
戦争を終わらせた魔法は、
もしかすると――
“だいじょうぶ”の言葉よりも、
この静かな日常のほうが強いのかもしれない。
ミナは窓の外の星を見て、呟いた。
「ここにいていいって、思えるの……うれしい」
レオンは、短く答えた。
「……ここにいろ」
ミナがふわっと笑う。
「うん。いるよ」
レオンはその言葉を聞いて、
初めて、心から呼吸ができた。
(完)
ご愛読ありがとうございました。
後日談有ります。
森の赤い空気は薄れ、兵士たちは正気を取り戻し、
敵側の過激派の動きは一気に鈍った。
その数日後――。
王城の大広間で、和平条約の署名が行われた。
敵将は深く頭を下げ、王は厳かに頷く。
周囲の貴族たちは緊張を解き、
兵士たちは息を吐き、
民は外で祈りながら涙を流した。
戦争は、終わった。
終わったのに。
レオンの胸の中には、終わらないものが残っていた。
(……彼女は、帰る)
勇者は召喚された存在。
戦争が終われば、役目は終わる。
役目が終われば――帰還の儀式が行われる。
それは、当然だ。
当然なのに。
(嫌だ)
参謀が抱くには、幼稚で不適切な感情だった。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
夜。
執務室。
条約文書の山が片付き、ようやく静かな時間が訪れた。
机の端に置かれたカップから、湯気が上がる。
「おつかれさまぁ」
ミナが椅子の横に立っていた。
ふわっとした笑顔。
でも今日は、その笑顔の奥に“終わり”の気配がある。
レオンは分かってしまう。
「……何か言いたいことがある顔だ」
「うん」
ミナは素直に頷いた。
「レオンさんって、鋭いねぇ」
「参謀だからな」
「参謀さん、えらいねぇ」
「褒めるな」
「褒めるよ」
いつものやりとり。
だけど、今日は胸が痛い。
ミナは椅子に座らず、窓の方へゆっくり歩いた。
「今日はね、星が綺麗」
レオンも窓を見る。
夜空は澄み、冬の星が冷たく光っていた。
ミナがぽつりと言う。
「わたし……帰ることになるって」
レオンの指先が止まった。
紙の上の文字が、急に読めなくなる。
「……王から聞いたのか」
「うん」
ミナは振り向かないまま、優しく言う。
「戦争が終わったから、儀式をするんだって」
レオンの胸の奥が、ぎゅっと縮む。
参謀として言うべき言葉がある。
(ありがとう。よくやった。帰れ)
それが正しい。
でも口が、動かない。
ミナが続けた。
「わたしね、最初、帰りたかったよ」
レオンの喉が詰まる。
「怖かったもん。
知らない世界で、怒りがいっぱいで」
ミナは少し笑った。
「でもね、今は……ちょっと、困ってる」
「……困っている?」
レオンは、やっと声を出した。
ミナはゆっくり頷く。
「ここに、好きなものができちゃった」
レオンの心臓が、跳ねた。
(好きなもの)
王城? お茶? 星?
いや――それだけじゃない。
ミナは振り向いて、ふわっと笑う。
「レオンさん」
名前を呼ばれただけで、胸が熱くなる。
「……何だ」
「レオンさん、わたしがいなくなっても、大丈夫?」
その問いが、刃みたいに刺さった。
レオンは答えを選べない。
選べるはずがない。
「大丈夫ではない」
即答だった。
参謀の判断ではない。
ただの本音。
ミナがぱちぱちする。
「えへへ……正直だねぇ」
「……正直になるつもりはなかった」
「なっちゃった?」
「なった」
レオンは椅子から立ち上がった。
窓の近くへ歩き、ミナの前で止まる。
距離が近い。
でも今日は、それが怖くない。
「ミナ」
「うん?」
レオンは息を吸って、言った。
「帰還の儀式を止める方法はある」
ミナが目を丸くする。
「あるの?」
「……ある」
「どうやって?」
レオンは視線を逸らさず答えた。
「王に進言する。
“勇者はこの国に必要だ”とな」
ミナがふるっと笑う。
「必要……」
レオンは胸の奥が痛んだ。
“必要”という言葉は、彼女を縛るかもしれない。
だから、言い直した。
「違う」
「え?」
レオンは低く言う。
「君が必要だからではない。
君が――ここにいたいなら、いていい」
ミナの目が揺れた。
「……わたしの気持ち?」
「そうだ」
ミナはゆっくり瞬きをして、ぽつりと言う。
「でも……みんな、わたしを“役目”で見てたよ」
レオンは答える。
「私は違う」
ミナの胸が、ふわっと温かくなる。
「……違うの?」
「違う」
レオンは言葉を続ける。
「君は役目ではない。
道具でもない。
魔法でもない」
ミナは小さく息を止める。
「じゃあ……なに?」
レオンは、言ってしまった。
参謀として最も不適切で、
人として最も真実な言葉。
「……私の、大切だ」
ミナの頬が、ぽわっと赤くなった。
「たいせつ……」
レオンはもう止まらない。
「君がいなくなる未来が、怖い」
「……うん」
「君が削れるのも怖い」
「……うん」
「君が笑わないのも怖い」
ミナの目に涙が溜まる。
「……レオンさん、怖がりさんだねぇ」
レオンは少しだけ笑った。
「君のせいだ」
「えへへ……ごめんねぇ」
「謝るな」
レオンはミナの肩に手を置き、
そのまま――抱きしめた。
戦術的抱擁ではない。
逃がさないためでもない。
ただ、ここにいてほしいから。
ミナは最初、少し固まってから、
ゆっくりレオンの背中に手を回した。
「……レオンさん、あったかい」
「……そうか」
「うん。ここ、好き」
レオンは目を閉じた。
(終わらせたくない)
戦争は終わったのに、
この時間は終わらせたくない。
ミナが小さく言った。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「帰らないって言ったら……わがまま?」
レオンは、即答した。
「わがままではない」
「ほんと?」
「本当だ」
レオンはミナを離さず、低く言う。
「わがままなのは、私だ」
ミナがぱちぱちする。
「レオンさんが?」
「……君を、帰したくない」
ミナが息を止めた。
そして、ふわっと笑った。
「えへへ……それ、うれしい」
レオンの胸がぎゅっとなる。
「……なら、帰るな」
ミナはゆっくり頷いた。
「うん。帰らない」
その言葉が、世界を変えた。
レオンは抱きしめたまま、ぽつりと言う。
「……王には、私が話す」
「うん」
「儀式は延期だ」
「うん」
「君の部屋は、そのまま使え」
「うん」
ミナが小さく笑った。
「参謀さんって、こういうとき早口になるねぇ」
レオンは固まった。
「……なっていない」
「なってるよぉ」
ミナはふわっと笑って、言った。
「可愛い」
レオンは、呻いた。
「……言うな」
「言っちゃった」
レオンは顔を伏せた。
(完敗)
参謀としては。
でも――それでいい。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
翌日。
王の前で、レオンは淡々と進言した。
「勇者の帰還儀式は延期すべきです」
王は眉を上げる。
「理由は」
「勇者は、まだ完全に回復していません」
王は頷いた。
「妥当だ」
そして王は、少しだけ笑った。
「参謀レオン。
お前は“管理”が上手いな」
レオンは無表情で答える。
「……職務です」
背後でミナが小声で笑う。
「職務って言ったぁ」
レオンの耳が少し赤くなる。
王はそれを見て、何も言わずに目を細めた。
――戦争は終わった。
そして、新しい問題が始まった。
勇者が帰らない。
参謀が離れない。
王城は今日も、少しだけ温かい。
⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎
夜。
執務室で、ミナがカップを置く。
「お茶、できたよぉ」
レオンは紙に向かったまま言う。
「……うむ」
ミナが隣に座る。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「戦争、終わったねぇ」
「終わった」
「じゃあ、次はなにするの?」
レオンは一拍置いて、答えた。
「……君を、守る」
ミナがぽわっと笑う。
「それ、職務?」
レオンは、少しだけ迷ってから言った。
「……もう、職務ではない」
ミナの目が優しく揺れる。
「じゃあ、なに?」
レオンは静かに言った。
「……私の、願いだ」
ミナはふわっと笑った。
「いいねぇ」
そして、小さく言った。
「わたしも、守るよ」
レオンが眉を寄せる。
「私は守らなくていい」
「よくないよぉ」
ミナは真剣な顔をする。
「守る人は、守られたほうがいい」
レオンは諦めたように息を吐いた。
「……好きにしろ」
「うん。好きにする」
ミナはにこにこする。
「レオンさん、今日もえらい」
「褒めるな」
「褒めるよ?」
「……」
レオンはカップを手に取り、小さく飲んだ。
温かい。
甘い。
胸が落ち着く。
そして、気づく。
戦争を終わらせた魔法は、
もしかすると――
“だいじょうぶ”の言葉よりも、
この静かな日常のほうが強いのかもしれない。
ミナは窓の外の星を見て、呟いた。
「ここにいていいって、思えるの……うれしい」
レオンは、短く答えた。
「……ここにいろ」
ミナがふわっと笑う。
「うん。いるよ」
レオンはその言葉を聞いて、
初めて、心から呼吸ができた。
(完)
ご愛読ありがとうございました。
後日談有ります。
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