和平交渉のはずが、参謀が勇者にだけ冷静さを失っています(((論理的思考<勇者が可愛い)))

星乃和花

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後日談①「王が“参謀の私情”を把握している」

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 和平条約の署名から一週間。

 王城の空気は、驚くほど軽くなった。
 廊下の足音に怯える者が減り、
 窓辺に花が飾られ、
 兵士たちが久々に“笑っていい顔”をしていた。

 そして――参謀レオンだけが、妙に忙しい。

 忙しい理由は明白だった。

 書類の山。復興計画。兵の配置換え。捕虜交換の手順。
 そして何より、

(ミナの管理)

 いや、管理ではない。
 守護だ。護衛だ。健康観察だ。安全確認だ。

 ……抱きしめ確認だ。

 そこまで思考が進んだ時点で、レオンは深く息を吐いた。

(冷静を取り戻せ)

 彼は今日も執務室の机に向かい、完璧に書類を整理していた。
 その机の端には、湯気の立つカップが置かれている。

「お茶、置くねぇ」

 柔らかい声。
 柔らかい足音。
 柔らかい、存在。

 レオンはペンを持ったまま視線を上げずに言った。

「……ありがとう」

「どういたしましてぇ」

 返事が、ふわふわしている。

 ミナは机の横で立ち止まり、首を傾げた。

「レオンさん、今日も眉がきゅってしてる」

「していない」

「してるよぉ」

 ミナがそっと、指で自分の眉を“きゅ”の形にして見せる。
 レオンは一瞬、思考が止まった。

(……その再現、必要か?)

 ミナはにこっとする。

「えらいねぇ」

「褒めるな」

「褒めるよ」

 レオンはペン先を紙に落としたまま、短く言った。

「……今日は王に呼ばれている」

「王さまに?」

「進捗報告だ」

 ミナはぱちぱちした。

「お仕事だぁ」

「参謀の仕事だ」

「えらい」

「褒めるな」

「褒めるよ」

 レオンは諦めた。
 ミナ相手に“褒めるな”は通じない。

 彼は立ち上がり、外套を羽織る。
 するとミナが、当然のように一歩近づいた。

 ――そして、両手でレオンの袖をつかむ。

「……いってらっしゃい、の前に」

 ミナが、にこっと笑う。

「抱きしめ?」

 レオンの脳内で、参謀としての警報が鳴った。

(駄目だ。ここは執務室。通路の近く。人目――)

 しかし感情が、即座に反論する。

(必要だ)

 必要とは何だ。
 戦略か。安全確保か。精神安定か。

 ――精神安定だろう。

 レオンは無言でミナの肩に手を置き、軽く抱き寄せた。

「ん」

 ミナが満足そうに頷く。

「行ってらっしゃい」

 レオンは顔を伏せたまま答えた。

「……行ってくる」

 扉を出た瞬間、レオンは深呼吸した。

(冷静を取り戻せ)

 今日こそ、王の前では完璧に冷静でいろ。
 余計なことは言うな。
 余計なことを言わせるな。

 王は鋭い。
 危険だ。

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

 謁見の間。

 王は玉座に座り、書簡の束を見ていた。
 レオンが入室すると、王は片手を上げる。

「参謀レオン。来たか」

「はい」

 レオンは礼をして、すぐに報告を始めた。

「和平成立後の補給線は安定しています。
 難民の帰還は予定より三日早く――」

 王は頷きながら、淡々と聞いている。
 だが途中で、ふっと口元が緩んだ。

「……ところで」

 レオンは嫌な予感がした。

「勇者の帰還儀式延期について、追加の進言はあるか」

 レオンは一瞬、喉が詰まる。

(来た)

 レオンは冷静に答える。

「ありません。現時点では、回復を優先すべきです」

 王は頷いた。

「妥当だ」

 そして、間髪入れず続けた。

「参謀。お前は“回復”という言葉を便利に使うな」

 レオンの背筋が凍る。

「……職務です」

「職務、と言えば許されると思っているな」

 王の声は笑っている。
 だが、笑っているほど恐ろしい。

 レオンは無表情で言った。

「許されるかどうかは、判断の範囲外です」

 王が目を細めた。

「相変わらずだな」

 そして、書簡を一枚持ち上げる。

「勇者ミナについて、宮廷から要望が来ている」

「要望?」

 レオンの声が少し低くなる。

「“勇者の声をもう一度”と」

 レオンの口が勝手に動いた。

「却下です」

 王が笑った。

「早いな」

「勇者は道具ではありません」

「知っている」

 王は淡々と言う。

「だが民は、不安だ。
 鎮静魔法がなくなれば、また怒りが戻ると」

 レオンは即座に答えた。

「戻りません。
 怒り増幅魔法の核は封じました。
 再発の可能性は極めて低い」

「“低い”か」

 王がゆっくり言う。

「“ゼロ”ではないのだな」

 レオンは一拍置く。

「……ゼロではありません」

 王は書簡を置き、レオンを見る。

「では、提案だ」

 レオンは警戒する。

「勇者の部屋を――参謀室の隣に移せ」

 レオンの脳が止まった。

「……は?」

 王が平然と言う。

「勇者の回復と安全確保のためだ。
 参謀が“管理”しやすいだろう」

 レオンの喉がカラカラになる。

(何を言っている)

 王は続ける。

「ついでに、廊下の巡回も減らせ。
 勇者に近づこうとする者も、抑えられる」

 合理的。完璧に合理的。
 そして、とても嫌な合理性。

 レオンは無表情を保とうと努力しながら言った。

「……陛下。
 それは、誤解を生みます」

「何の誤解だ」

 王が首を傾げる。

 レオンは言葉に詰まる。

(誤解ではない)

 誤解ではない。
 事実になりつつある。

 王は楽しそうに言った。

「参謀。お前は誤解を恐れているのか」

「……恐れていません」

「では問題ないな」

「問題です」

 王が頷く。

「問題なら、解決しろ」

 レオンは一瞬、何も言えなくなった。

 王はにこやかに追撃する。

「それとも、勇者が隣に来るのが困るのか?」

「困りません」

 即答した。
 してしまった。

 王の笑みが深くなる。

「そうか。なら決定だ」

 レオンは、戦場でも経験したことのない種類の敗北を感じた。

(これは……詰められている)

 王が最後に言った。

「参謀レオン。
 戦争は終わった。
 次は――お前の人生の管理をしろ」

 レオンの耳が、熱くなった。

「……陛下」

「安心しろ。私は余計な口出しはしない」

 王はさらっと言う。

「ただし」

 レオンは身構える。

「勇者を泣かせたら、国の損失だ」

 その言葉は、冗談に見せかけた脅しだった。

 レオンは低く答えた。

「……承知しました」

 王は満足げに頷いた。

「よろしい。下がれ」

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

 謁見の間を出た瞬間。

 レオンは廊下の壁に手をつき、深く息を吐いた。

(終わった)

 参謀としての戦いではない。
 これは――生活の戦いだ。

 しかも相手は王。勝てるはずがない。

 レオンは歩き出す。
 足取りが妙に速い。

 執務室の扉を開けると、ミナが待っていた。

「おかえりぃ」

 その声で、肩の力が抜ける。

「……ただいま」

 ミナはにこにこしながら近づいてきた。

「王さま、なにか言ってた?」

 レオンは一拍置いてから言った。

「……君の部屋が移動になる」

「え?」

 ミナがきょとんとする。

「どこに?」

 レオンは目を逸らしつつ答えた。

「……隣だ」

「隣?」

「私の部屋の、隣だ」

 ミナがぱちぱちする。

「えっ、近いねぇ」

「近い」

「すごいねぇ」

 ミナは純粋に笑う。

「じゃあ、すぐ会える」

 レオンは喉が詰まる。

(そうだ)

 すぐ会える。
 すぐ声が聞ける。
 すぐ抱きしめられる。

 それは嬉しい。
 嬉しいのに、参謀としては危険すぎる。

 ミナがふわっと笑って言った。

「レオンさん、嬉しそう」

「……嬉しくない」

「嘘だぁ」

 ミナはレオンの外套の袖をつかむ。

「ねぇ、嬉しいでしょ?」

 レオンは抵抗した。

「私は、効率を考えただけだ」

「効率って言ったぁ」

 ミナが楽しそうに笑う。

「レオンさん、照れてる?」

「照れていない」

「耳が赤いよぉ」

 レオンは固まった。

(見られている)

 ミナはいつも、
 レオンの崩れる瞬間だけ正確に見つける。

 ミナが小さく言う。

「王さま、やさしいねぇ」

「……やさしいのではない」

 レオンは低く言った。

「追い詰めるのが上手い」

 ミナがくすっと笑う。

「レオンさんも、上手だよ」

「何がだ」

「守るの」

 ミナはにこっとする。

「わたし、守られてるって分かる」

 その言葉が胸に落ちた。

 レオンは、一瞬だけ何も言えなくなる。

 ミナは続ける。

「だからね、隣でも安心」

 レオンは、やっと息を吐いた。

「……安心させるな」

「安心するよ」

「……危険だ」

「危険って、なぁに?」

 ミナが首を傾げる。

 レオンは答えた。

「君が近いと、冷静が消える」

 ミナはぽわっと笑った。

「冷静さん、迷子?」

「迷子だ」

 ミナは嬉しそうに頷く。

「じゃあ、見つけてあげる」

 レオンは眉を寄せる。

「見つけなくていい」

「よくないよぉ」

 ミナは真剣な顔をする。

「迷子は、さみしい」

 レオンの喉が熱くなる。

(……この子は)

 正論をふわふわ言う。
 そしてそれが、最も刺さる。

 レオンは観念してミナを抱き寄せた。

 執務室の椅子の横。
 いつもより少し強い抱擁。

「……っ」

 ミナがふにゃっと笑う。

「あったかい」

 レオンは低く言った。

「隣になったら、こうなる回数が増える」

「いいねぇ」

「よくない」

「よいよ」

 ミナは楽しそうに言った。

「参謀さん、回復するもん」

 レオンは呻いた。

「……その言葉を王の前で言うな」

「言わないよぉ」

 ミナが笑う。

「王さまの前では、ちゃんと静かにする」

「静かにできるのか」

「できるよ」

 ミナは胸を張る。

「でも、レオンさんの前では、できない」

 レオンは固まった。

「……何故だ」

 ミナは、ゆっくり言った。

「レオンさんの前は、安心だから」

 レオンの胸が、ぎゅっとなる。

 それは、
 戦争を終わらせた魔法より、
 和平条約の文字より、
 ずっと強い言葉だった。

 レオンは、ミナの髪にそっと口づける代わりに、
 額を寄せるだけで堪えた。

「……なら、隣でいい」

 ミナがふわっと笑う。

「うん。隣がいい」

 レオンは小さく息を吐いた。

(王は、全て分かっている)

 そして恐ろしいことに、
 彼はそれを“国益”として整えている。

 参謀レオン。
 戦争は終わった。

 ――だが、抱きしめの戦線は、ここからが本番だった。

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

おまけ:兵士たちの翌日の噂

「勇者さまの部屋が参謀室の隣になったらしい」
「参謀の冷静が、隣室に引っ越したってことか?」
「いや、もう冷静は帰還したよ」
「じゃあ参謀、何で動いてるんだ」
「勇者さまの『えらいねぇ』だろ」
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