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後日談⑤「“帰らない”の言葉の重みを二人が噛みしめる夜」
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昼の王城は、もう戦争の匂いがしなかった。
廊下には人の気配があり、
窓からは冬の光が差し、
どこかで誰かが笑っていた。
ミナも、笑えた。
兵士に「お疲れさま」と言って、
庭の花壇を眺めて、
厨房のパンの焼ける匂いに「いい匂いだぁ」と呟いて。
普通のことを、普通にできた。
なのに。
夜になると、心が少しだけ冷たくなる。
誰も責めていないのに、
自分で自分を責めそうになる。
部屋に戻って灯りをつけると、
壁が静かで、空気が広くて、
ふと“ここが借り物の場所”に見えてしまう。
(わたし、帰らないって言った)
(でも、ほんとに……いいのかな)
ミナはベッドの端に座り、手のひらを見つめる。
この手で鎮静魔法を使った。
たくさんの怒りを溶かして、
たくさんの人を眠らせて、
たくさんのものを終わらせた。
その結果が、今。
(終わったのに)
(わたしだけ、残ってる)
胸の奥が、くすっと痛む。
笑ったり、楽しかったりするほど、
夜が怖くなる。
静けさが、“責任”みたいに重くなってしまう。
ミナは自分に言い聞かせる。
「だいじょうぶ……」
でも今日は、その言葉が薄い。
ふと、隣の壁の向こうを見た。
あそこに、レオンがいる。
昼間は普通に話せた。
「お茶だよぉ」って言えた。
「えらいねぇ」って笑えた。
だけど夜になると、
“帰らない”の言葉が胸を押してくる。
(レオンさんの人生に、わたしが入っていいの?)
(わたしのせいで、重くならない?)
ミナは小さく息を吐いた。
呼んでいい、と言われていた。
怖くなったら呼べ、と。
けれどそれは――
夜の弱さを見せることでもあった。
ミナは迷う。
迷って、
迷って、
それでも。
扉の前まで、ゆっくり歩いた。
ノックをする手が震える。
ミナは、ふわっと笑おうとして失敗した。
「……レオンさん」
声が小さすぎて、自分でも聞こえなかった。
それでも、言った。
もう一度。
「レオンさん」
そして、指先で扉を叩いた。
コンコン。
すぐに音が返る。
鍵の鳴る音。
扉が開く。
レオンが立っていた。
眠る直前だったのだろう。
髪が少しだけ乱れていて、
軍服ではなく、部屋着のまま。
それでも目は鋭い。
……けれど、声は柔らかかった。
「どうした」
ミナは喉が詰まる。
レオンがミナの顔を見て、眉を寄せた。
「……泣くのか」
「泣かない」
ミナは即答してしまった。
泣かない。泣きたくない。
強いって思われたいわけじゃない。
でも、泣いたら終わりそうだった。
レオンは何も言わず、扉を大きく開けた。
「入れ」
ミナは小さく頷き、レオンのいる部屋へ入った。
部屋は静かで、整っている。
机の上に地図はない。
書類もない。
ここは、参謀の戦場ではなく――
ただの、夜だ。
ミナは立ったまま、手を握ったり開いたりしてしまう。
言葉が出てこない。
レオンはミナの動きを見て、少しだけため息を吐いた。
「座れ」
ミナはベッドの端に腰掛けた。
レオンはその前に膝をつく。
視線が同じ高さになる。
こういうところがずるい、とミナは思う。
守る人なのに、
見下ろさない。
「……何が怖い」
レオンは端的に問う。
ミナは口を開いて、閉じる。
言ったら、重くなる。
レオンの肩に、また何か乗せてしまう。
でも――
夜の重みは、もう抱えきれない。
ミナは小さく言った。
「……ほんとに、ここにいていいのかなぁ」
言ってしまった瞬間、胸がきゅっと縮む。
レオンの顔が固まるかと思った。
けれど、レオンは固まらなかった。
ただ、目だけが少しだけ揺れた。
「……その質問を、今するのか」
ミナはうつむく。
「昼はね、平気なの」
言い訳みたいに聞こえた。
でも、これは本当だった。
「昼は、笑えるの。
普通に歩けるの。
みんなが優しくしてくれるのも、嬉しいの」
ミナは指先を見つめて続ける。
「でも夜になると……急に、こわくなる」
声が震える。
「わたしがここにいることで、
この城の空気が変になってないかなって」
レオンは動かない。
ただ、聞いている。
ミナは頑張って言葉を出した。
「帰還の儀式を延期したの、
陛下の許可もあるのに……」
それでも胸の奥が痛い。
「わたし、帰らないって言ったけど……
それって、わがままだったのかなぁって」
言い切った瞬間、目が熱くなる。
泣かないって言ったのに、
涙の準備だけは完璧だった。
レオンが、静かに言った。
「わがままではない」
ミナは顔を上げる。
レオンは迷いなく続けた。
「君が望んだ。
私はそれを選んだ。
陛下も許した。
それで終わりだ」
参謀らしい、整理された言葉。
なのに、ミナの胸はまだ軽くならない。
ミナは小さく聞いた。
「……でも、レオンさんが」
言葉が詰まる。
(レオンさんが、困るなら)
(重くなるなら)
言いたいのに、言えない。
レオンはミナの心を読んだみたいに、先に答えた。
「私は困らない」
ミナの目が揺れる。
レオンは少しだけ間を置いて、
今度は参謀じゃない声で言った。
「……困るのは、君がいない未来だ」
ミナの胸が、ふわっと崩れる。
あまりに真っ直ぐで、
逃げ道がなくて、
でも温かい。
ミナは震える声で言った。
「それって……」
「君を帰したくないという意味だ」
レオンは淡々と言った。
でも手は、ミナの指先に触れている。
確かめるように、そこにいると確かめるように。
「……でも、レオンさん」
ミナは少し笑おうとして、また失敗した。
「それって……重いよ」
レオンは即答した。
「重くていい」
ミナの涙が、落ちそうになる。
レオンは続ける。
「君は軽い顔をして、
いつも重いものを抱える」
ミナの息が止まる。
レオンは静かに言った。
「その役目を、やめろ」
「……やめられない」
ミナの声は小さい。
「だって、わたし……そういう魔法だから」
レオンの目が細くなる。
「違う」
ミナが瞬きをする。
「君が優しいからだ」
参謀の言葉とは思えないほど、
不器用で、まっすぐで、逃げられない言葉。
ミナの涙が、ついに一滴こぼれた。
レオンはその涙を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「泣くな」
「泣かないつもりだったぁ」
ミナが弱く笑う。
「でも……でちゃった」
レオンは黙って立ち上がり、
ミナを抱きしめた。
強くはない。
でも、確実に離さない抱擁。
ミナは胸の中で息を吸って、吐いた。
温かい。
心臓の音が聞こえる。
生きてるって、分かる音。
レオンが低く言った。
「ここにいていい」
ミナの目が閉じる。
レオンは続けた。
「君が、そうしたいなら」
ミナは小さく頷く。
「……うん」
レオンの腕が、ほんの少しだけ強くなる。
「……私がそうする」
その言葉は、命令ではなかった。
誰かを縛る言葉でもなかった。
ミナが重く抱えた“帰らない”を、
半分引き受ける言葉だった。
ミナはレオンの胸の中で、ようやく小さく笑えた。
「レオンさん……」
「何だ」
「わたし、夜がこわかった」
「……そうか」
レオンの声が少しだけ柔らかい。
「怖い時は、来い」
「うん」
「呼べ」
「うん」
「……そして、帰るな」
ミナはふにゃっと笑った。
「えへへ……それ、ずるい」
「ずるくていい」
レオンは真面目に言う。
「私は、君に関してはずるい」
ミナはその言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
夜の冷たさが、少しずつ溶けていく。
ミナは小さく呟いた。
「ここにいていいって、言われるの……うれしい」
レオンは短く答えた。
「……うれしくさせる」
ミナは目を閉じたまま、ふわっと笑う。
「レオンさん、やさしい」
レオンの腕が少し固まる。
「褒めるな」
「褒めるよ」
「……今は、やめろ」
「やだぁ」
ミナが笑う。
その笑いが、夜を軽くする。
レオンは息を吐いて、諦めたように言った。
「……好きにしろ」
「うん。好きにする」
ミナはそのまま、レオンの胸に頬を寄せる。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「明るい時間も、好きだけど……」
ミナは眠そうな声で続けた。
「夜にこうして、安心できるのも……好き」
レオンは一拍置いてから、
小さく頷いた。
「……私もだ」
ミナの胸の奥で、
“帰らない”がようやく、怖くなくなる。
重い言葉のはずなのに、
抱きしめられていると、
それは“ここにいていい”に変わった。
ミナは囁いた。
「ありがとう」
レオンは、聞こえるか聞こえないかの声で答えた。
「……こちらこそ」
夜はまだ静かで、
部屋もまだ広いのに。
ミナはもう、怖くなかった。
隣には、帰る場所がある。
――帰らない、ではなく。
帰ってくる、がある。
廊下には人の気配があり、
窓からは冬の光が差し、
どこかで誰かが笑っていた。
ミナも、笑えた。
兵士に「お疲れさま」と言って、
庭の花壇を眺めて、
厨房のパンの焼ける匂いに「いい匂いだぁ」と呟いて。
普通のことを、普通にできた。
なのに。
夜になると、心が少しだけ冷たくなる。
誰も責めていないのに、
自分で自分を責めそうになる。
部屋に戻って灯りをつけると、
壁が静かで、空気が広くて、
ふと“ここが借り物の場所”に見えてしまう。
(わたし、帰らないって言った)
(でも、ほんとに……いいのかな)
ミナはベッドの端に座り、手のひらを見つめる。
この手で鎮静魔法を使った。
たくさんの怒りを溶かして、
たくさんの人を眠らせて、
たくさんのものを終わらせた。
その結果が、今。
(終わったのに)
(わたしだけ、残ってる)
胸の奥が、くすっと痛む。
笑ったり、楽しかったりするほど、
夜が怖くなる。
静けさが、“責任”みたいに重くなってしまう。
ミナは自分に言い聞かせる。
「だいじょうぶ……」
でも今日は、その言葉が薄い。
ふと、隣の壁の向こうを見た。
あそこに、レオンがいる。
昼間は普通に話せた。
「お茶だよぉ」って言えた。
「えらいねぇ」って笑えた。
だけど夜になると、
“帰らない”の言葉が胸を押してくる。
(レオンさんの人生に、わたしが入っていいの?)
(わたしのせいで、重くならない?)
ミナは小さく息を吐いた。
呼んでいい、と言われていた。
怖くなったら呼べ、と。
けれどそれは――
夜の弱さを見せることでもあった。
ミナは迷う。
迷って、
迷って、
それでも。
扉の前まで、ゆっくり歩いた。
ノックをする手が震える。
ミナは、ふわっと笑おうとして失敗した。
「……レオンさん」
声が小さすぎて、自分でも聞こえなかった。
それでも、言った。
もう一度。
「レオンさん」
そして、指先で扉を叩いた。
コンコン。
すぐに音が返る。
鍵の鳴る音。
扉が開く。
レオンが立っていた。
眠る直前だったのだろう。
髪が少しだけ乱れていて、
軍服ではなく、部屋着のまま。
それでも目は鋭い。
……けれど、声は柔らかかった。
「どうした」
ミナは喉が詰まる。
レオンがミナの顔を見て、眉を寄せた。
「……泣くのか」
「泣かない」
ミナは即答してしまった。
泣かない。泣きたくない。
強いって思われたいわけじゃない。
でも、泣いたら終わりそうだった。
レオンは何も言わず、扉を大きく開けた。
「入れ」
ミナは小さく頷き、レオンのいる部屋へ入った。
部屋は静かで、整っている。
机の上に地図はない。
書類もない。
ここは、参謀の戦場ではなく――
ただの、夜だ。
ミナは立ったまま、手を握ったり開いたりしてしまう。
言葉が出てこない。
レオンはミナの動きを見て、少しだけため息を吐いた。
「座れ」
ミナはベッドの端に腰掛けた。
レオンはその前に膝をつく。
視線が同じ高さになる。
こういうところがずるい、とミナは思う。
守る人なのに、
見下ろさない。
「……何が怖い」
レオンは端的に問う。
ミナは口を開いて、閉じる。
言ったら、重くなる。
レオンの肩に、また何か乗せてしまう。
でも――
夜の重みは、もう抱えきれない。
ミナは小さく言った。
「……ほんとに、ここにいていいのかなぁ」
言ってしまった瞬間、胸がきゅっと縮む。
レオンの顔が固まるかと思った。
けれど、レオンは固まらなかった。
ただ、目だけが少しだけ揺れた。
「……その質問を、今するのか」
ミナはうつむく。
「昼はね、平気なの」
言い訳みたいに聞こえた。
でも、これは本当だった。
「昼は、笑えるの。
普通に歩けるの。
みんなが優しくしてくれるのも、嬉しいの」
ミナは指先を見つめて続ける。
「でも夜になると……急に、こわくなる」
声が震える。
「わたしがここにいることで、
この城の空気が変になってないかなって」
レオンは動かない。
ただ、聞いている。
ミナは頑張って言葉を出した。
「帰還の儀式を延期したの、
陛下の許可もあるのに……」
それでも胸の奥が痛い。
「わたし、帰らないって言ったけど……
それって、わがままだったのかなぁって」
言い切った瞬間、目が熱くなる。
泣かないって言ったのに、
涙の準備だけは完璧だった。
レオンが、静かに言った。
「わがままではない」
ミナは顔を上げる。
レオンは迷いなく続けた。
「君が望んだ。
私はそれを選んだ。
陛下も許した。
それで終わりだ」
参謀らしい、整理された言葉。
なのに、ミナの胸はまだ軽くならない。
ミナは小さく聞いた。
「……でも、レオンさんが」
言葉が詰まる。
(レオンさんが、困るなら)
(重くなるなら)
言いたいのに、言えない。
レオンはミナの心を読んだみたいに、先に答えた。
「私は困らない」
ミナの目が揺れる。
レオンは少しだけ間を置いて、
今度は参謀じゃない声で言った。
「……困るのは、君がいない未来だ」
ミナの胸が、ふわっと崩れる。
あまりに真っ直ぐで、
逃げ道がなくて、
でも温かい。
ミナは震える声で言った。
「それって……」
「君を帰したくないという意味だ」
レオンは淡々と言った。
でも手は、ミナの指先に触れている。
確かめるように、そこにいると確かめるように。
「……でも、レオンさん」
ミナは少し笑おうとして、また失敗した。
「それって……重いよ」
レオンは即答した。
「重くていい」
ミナの涙が、落ちそうになる。
レオンは続ける。
「君は軽い顔をして、
いつも重いものを抱える」
ミナの息が止まる。
レオンは静かに言った。
「その役目を、やめろ」
「……やめられない」
ミナの声は小さい。
「だって、わたし……そういう魔法だから」
レオンの目が細くなる。
「違う」
ミナが瞬きをする。
「君が優しいからだ」
参謀の言葉とは思えないほど、
不器用で、まっすぐで、逃げられない言葉。
ミナの涙が、ついに一滴こぼれた。
レオンはその涙を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「泣くな」
「泣かないつもりだったぁ」
ミナが弱く笑う。
「でも……でちゃった」
レオンは黙って立ち上がり、
ミナを抱きしめた。
強くはない。
でも、確実に離さない抱擁。
ミナは胸の中で息を吸って、吐いた。
温かい。
心臓の音が聞こえる。
生きてるって、分かる音。
レオンが低く言った。
「ここにいていい」
ミナの目が閉じる。
レオンは続けた。
「君が、そうしたいなら」
ミナは小さく頷く。
「……うん」
レオンの腕が、ほんの少しだけ強くなる。
「……私がそうする」
その言葉は、命令ではなかった。
誰かを縛る言葉でもなかった。
ミナが重く抱えた“帰らない”を、
半分引き受ける言葉だった。
ミナはレオンの胸の中で、ようやく小さく笑えた。
「レオンさん……」
「何だ」
「わたし、夜がこわかった」
「……そうか」
レオンの声が少しだけ柔らかい。
「怖い時は、来い」
「うん」
「呼べ」
「うん」
「……そして、帰るな」
ミナはふにゃっと笑った。
「えへへ……それ、ずるい」
「ずるくていい」
レオンは真面目に言う。
「私は、君に関してはずるい」
ミナはその言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
夜の冷たさが、少しずつ溶けていく。
ミナは小さく呟いた。
「ここにいていいって、言われるの……うれしい」
レオンは短く答えた。
「……うれしくさせる」
ミナは目を閉じたまま、ふわっと笑う。
「レオンさん、やさしい」
レオンの腕が少し固まる。
「褒めるな」
「褒めるよ」
「……今は、やめろ」
「やだぁ」
ミナが笑う。
その笑いが、夜を軽くする。
レオンは息を吐いて、諦めたように言った。
「……好きにしろ」
「うん。好きにする」
ミナはそのまま、レオンの胸に頬を寄せる。
「ねぇ、レオンさん」
「何だ」
「明るい時間も、好きだけど……」
ミナは眠そうな声で続けた。
「夜にこうして、安心できるのも……好き」
レオンは一拍置いてから、
小さく頷いた。
「……私もだ」
ミナの胸の奥で、
“帰らない”がようやく、怖くなくなる。
重い言葉のはずなのに、
抱きしめられていると、
それは“ここにいていい”に変わった。
ミナは囁いた。
「ありがとう」
レオンは、聞こえるか聞こえないかの声で答えた。
「……こちらこそ」
夜はまだ静かで、
部屋もまだ広いのに。
ミナはもう、怖くなかった。
隣には、帰る場所がある。
――帰らない、ではなく。
帰ってくる、がある。
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