和平交渉のはずが、参謀が勇者にだけ冷静さを失っています(((論理的思考<勇者が可愛い)))

星乃和花

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後日談a「平和の確認作業」

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 和平後の王城には、新しい日課が生まれた。

 朝――鐘が鳴る。
 昼――書類が積まれる。
 夕――庭が明るくなる。
 夜――参謀が崩れる。

 最後の一つだけ、誰も公式に記録していない。
 だが全員が知っている。

 参謀レオンは、勇者ミナの前でだけ、異様に人間になる。

 そしてそれは、今日も例外ではなかった。

⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎・⭐︎

 参謀室の机は、相変わらず綺麗だった。
 文字は整い、地図は平らで、ペンの位置すら戦略的。

 そこに――

「おはようございますぅ」

 ふわっとした声が入ってくる。

 ミナだった。

 片手に、湯気の立つカップ。
 もう片手に、丸いパンが二つ。

「差し入れだよぉ」

「……ありがとう」

 レオンは返事をしながら、ペンを持ったまま視線を上げない。
 上げないが、耳は赤くなる。

 ミナはそれを見逃さない。

「耳、赤い」

「赤くない」

「赤いよぉ」

「……気のせいだ」

「気のせいじゃないよぉ」

 ミナは楽しそうに笑って、机の端にカップを置いた。

 レオンは、書類に視線を落とし直しながら淡々と言う。

「今日は忙しい。邪魔をするな」

「邪魔しないよぉ」

「……本当に?」

「うん」

 ミナは素直に頷いてから、ぱちぱちと瞬きする。

「じゃあ……わたし、ここで座っててもいい?」

「……座るだけなら」

「うん!」

 ミナは嬉しそうに椅子へ向かい――
 途中で小さくつまずいた。

 足が遅いのに、危機の訪れは早い。

 レオンの手が伸びるのも、早い。

 ミナの腰が、ふわっと浮いた。

「えっ」

 ミナが抱き上げられていた。

「参謀さん、抱っこした」

「……危険回避だ」

 レオンは無表情で答えた。

 ミナはきょとんとしたあと、にこっと笑う。

「危険って、床?」

「床だ」

「床、こわいねぇ」

「……床は怖い」

 レオンは真面目に言った。

「君が怪我をする可能性がある」

「参謀さん、心配しすぎ」

「必要だ」

「必要なんだぁ」

 ミナはそのまま、抱き上げられた状態でのんびり言う。

「じゃあ、危険回避のついでに」

「ついでに?」

「椅子まで運んでぇ」

 レオンの動きが止まる。

「……運ぶ必要はない」

「あるよぉ」

 ミナは無邪気に笑う。

「わたし、足が遅いから」

 正論だった。
 正論は、参謀の弱点である。

 レオンは無言でミナを椅子に“そっと”乗せた。
 ……そっと、なのがさらに問題だ。

 ミナは満足そうに頷く。

「ありがとう」

「……当然だ」

 レオンは戻ろうとする。

 その時、ミナがふわっと言った。

「参謀さん」

「何だ」

「えらいねぇ」

 レオンの背中が固まった。

「褒めるな」

「褒めるよぉ」

「……忙しいと言っただろう」

「忙しいの、えらい」

 レオンは、静かに敗北した顔で机へ戻る。

(冷静を取り戻せ)

 ペンを走らせ、書類を整え、思考を組み立てる。

 五分――いや、三分も経たないうちに。

 隣から、ふわっと小声がする。

「レオンさん」

「何だ」

「……ねむい」

「寝ろ」

「ここで寝ていい?」

「よくない」

 ミナはふにゃっと笑う。

「じゃあ、起きてる」

「……起きていろ」

 ミナは頷いて、カップを両手で包む。

 しばらく静か。

 レオンのペンの音だけが続く。

 ……平和だ。

 ――コンコン。

 参謀室の扉が叩かれた。

「参謀!報告です!」

 レオンが淡々と答える。

「入れ」

 副官が入ってくる。
 そして、入って一秒で固まった。

 参謀室の椅子に座る勇者ミナ。
 その隣で書類を書く参謀レオン。
 距離が、近い。

 副官は敬礼をしながら、視線を揺らす。

「……参謀、あの、業務中ですが」

「業務中だ」

 レオンは真顔で返す。

 副官が必死に続ける。

「勇者さまが……その……」

「邪魔をしているように見えるか」

「い、いえ……!」

 副官は冷汗をかく。

 レオンは淡々と言った。

「見えるなら、お前の視力が悪い」

「し、失礼しました!」

 副官は報告書を差し出し、早口で読み上げ始めた。
 だが、途中で詰まる。

 なぜなら――

 ミナが副官ににこっと笑って言ったから。

「報告、えらいねぇ」

 副官の魂が抜けかける。

「え……」

 副官の顔が、赤くなる。

 レオンのペンが止まる。

 空気が、危険な方向に傾く。

 副官は完全に固まりながら、かすれた声で言った。

「……勇者さま、ありがとうございます」

 ミナはふわっと頷く。

「うん」

 レオンは低く言った。

「報告を続けろ」

「はいっ!」

 副官は必死に報告を終える。

 そして、退出の直前――
 勇気を振り絞って言った。

「参謀……その……」

 レオンの視線が刺さる。

「何だ」

 副官は真面目に言った。

「勇者さまの『えらいねぇ』は……危険です」

 レオンが即答する。

「知っている」

 副官が震える。

「知ってて浴びてるんですか」

 レオンは冷静に答えた。

「……必要だからだ」

 副官は敬礼をして、逃げるように退室した。

 扉が閉まる。

 ミナが首を傾げる。

「危険って、なぁに?」

 レオンは書類をまとめながら言った。

「君の言葉は、人を壊す」

「壊す?」

「理性を」

 ミナはぱちぱちする。

「理性さん、かわいそう」

「……かわいそうだ」

 レオンはそう言って、ミナの頭に手を置いた。
 軽く、整えるみたいに撫でる。

 ミナの目が丸くなる。

「なでなでした」

「……確認だ」

「確認?」

「君が、ここにいるか」

 ミナの胸が、ふわっと温かくなる。

 昼間なのに、夜みたいな言葉だった。

 ミナは、少しだけ声を小さくした。

「いるよぉ」

 レオンの手が止まる。

 そして、短く息を吐いた。

「……それでいい」

 ミナは嬉しくなって、ふわっと笑う。

「じゃあ参謀さん」

「何だ」

「今日もここにいるねぇ」

 レオンの耳が赤くなる。

 ミナはそれを見て、少しだけ目を細める。

 いつも笑って言ってしまう言葉を、今日はゆっくり言った。

「帰らない、じゃなくて……」

 レオンの呼吸が、ほんの少し深くなる。

 ミナは続ける。

「ここにいる、だよねぇ」

 レオンは、頷いた。

「……ああ」

 ミナはカップを持ち上げて、小さく乾杯みたいに笑う。

「平和の確認作業、完了」

 レオンは、口元だけほんの少しだけ緩めた。

「……毎日やる」

「毎日?」

「毎日」

 ミナがふわっと笑う。

「レオンさん、それって」

「何だ」

「幸せの作業だねぇ」

 レオンは、返事をしなかった。

 返事をしない代わりに、
 もう一度だけミナの頭を撫でた。

 その動きが、とても静かで、確かだった。

 昼の光の中で、
 平和は今日も、少しずつ形になっていった。
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