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そしてケモノは愛される

1.プロローグ

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「先生、こんにちは」
 町を歩いていると、老婆に声を掛けられる。穂積は顔を見て会釈した。

「腰の具合はどうだい」
「おかげさまで、調子いいよ。先生の処方してくれた湿布薬のおかげだよ」
 お大事に、と声を掛けてしばらく歩くとまた声を掛けられる。今度は小さな子供だ。

「あー。ほずみせんせーだ」
「走り回って怪我するなよ」
「ばいばーい」
 子供に手を振られ、また歩き出す。

 歩きながらも、露店主の親父などに時折声を掛けられ、挨拶をする。
 町医者をしていると、住人と話をする機会は多い。しかも、穂積の人柄もあって皆気さくに声を掛けてくる。

「あーら、穂積の旦那」
 色っぽい声を掛けられ顔を向けると、飲み屋の店先の柱に女が寄りかかり立っていた。

「最近来てくれないじゃない。他の女の子にご執心なのかしら」
 少し広く開けた胸元からわざと谷間を見せつけるように、女が手摺に肘を置く。グラマーな胸元に引き寄せられるように、穂積は近づいて行った。

「愛香ちゃん、そんなことないに決まってるだろ。今晩飲みに行く行く」
「絶対よ」
 色っぽく人差し指で唇に触れられると、思わずだらしなくにやけそうになる。
 今晩の予定は、美人のお姉さんたちと楽しく過ごすことが決定した。
 むしろ予定を早く済ませて飲みに行こう。


 穂積は目的の店へと向かった。
 商店に入ると、いつもの熊親父が店の奥のカウンターに座っていた。
「やあ、先生。いらっしゃい」
「包帯を二箱、消毒を一瓶、小巾木綿を三袋。それから……」

 病院で使用する用品を十点ほど注文すると、親父は棚を移動しながら商品をカウンターに揃えていく。
 その腕は毛深く、穂積は熊親父と呼んでいる。
 ただ、親父の頭には小さな黒い耳と、尻には小さな尻尾がくっついていた。親父が熊の獣人だからだ。

 注文商品が用意されるのを奥のカウンター前で待っていると、店の扉が開き他の客が入ってきた。手前のカウンターにいた、親父の息子らしき若い男が対応に出る。

「傷薬を買いたい。獣人用のもので、ランク2のものを頼む」
 背中越しに聞こえてきた聞き覚えのある澄んだ声に、穂積は振り返る。離れた入り口近くのカウンターに二人の客が立っていた。

「斎賀じゃねえか」
 声を掛けると、店員の方を向いていた長身の男が穂積の方を向いた。

 胸元まで伸ばした綺麗な銀の髪に、涼やかな瞳。形の良い鼻と唇。男らしいくせに美しいという言葉が似合う男を、斎賀以外に穂積は知らない。
 斎賀は犬の獣人で、その頭には尖った耳と、尻には膝まである動かない尾が付いていた。

「穂積。なんだ、お前も買い物か」
 見た目を裏切らない澄んだ声は、斎賀が美しすぎるゆえに冷たく聞こえることもある。

「あ、穂積先生。こんにちは!」
 斎賀の陰から少し目つきの悪い青年が姿を現す。茶色の髪をした、斎賀と同じ犬の獣人だ。斎賀と一緒にいるのをよく見る、斎賀のファミリーの一員だ。
 名は志狼といい、三年ほど前に斎賀の元にやってきた。ファミリーに来た頃まで覚えているのは、ファミリーのメンバーの中で、斎賀が最もよく連れ歩いているからだ。

「補充にな。お前らもか」
「ああ」
 返事をする斎賀に、店員が声を掛ける。
「これでいいですか」

 獣人の耳や尾など毛並みの多い部分には軟膏薬が使えない為、獣人用の薬が必要となる。
 店員は薬の容器の蓋を開け、斎賀に中身を見せた。斎賀が確認した後、商品を紙袋に入れ、店員は後ろの棚から別の商品を取り出した。

「ちなみに旦那。今これが人気でして」
 商売上手の店員は、斎賀に別の商品を薦める。
 容器からとろりとした透明のジェルを指で掬い見せると、志狼が涎を垂らしそうな勢いで覗き込む。
「おいしそー!」
 その反応に、穂積は思わず吹き出しそうになる。食べ物みたいな感想がまるで子供だ。

「寝る前にお肌に塗ると翌朝しっとりってんで、お肌の手入れとして女性に大人気なんですよ。それに、植物性の天然物で人体に影響がないんで、夜アッチの方にも使えるんです。まあ、旦那みたいな色男を前にしちゃ女も潤って要らんでしょうがね。女性へのプレゼントにも使えますよ。どうですか」

 店員がいやらしい笑みを浮かべる。
 斎賀は下品な店員の言葉も意に介さない様子で、静かに微笑んだ。色男の余裕かよ、と心の中で呟く。

「……そうだな。私もそろそろいい歳だ。肌の手入れでもした方がいいかもしれん」
 悠然と答える斎賀に、本人以外が思わず反応してしまった。

「斎賀様、そんなことありません! 斎賀様はまだまだキレイでカッコイイです!」
 隣で志狼が抗議の声を上げた。斎賀の方が少し背が高いので、真剣な顔で斎賀を見上げている。

 続いて穂積も抗議する。
「おい。三十六歳のお前がいい歳なら、二つ上の俺もいい歳ってことになるだろうが。俺はまだまだ若いつもりだぞ」

「……」
 穂積を一瞥するとふっと笑みを浮かべ、斎賀は志狼に向き直った。
「ありがとう、志狼」

 おい、と思わず不満が漏れる。今の笑みはどういう意味だ。穂積の黒髪には、白い毛一本すらないというのに。

「明日は誕生日だな。お前にも買ってやろう。まだまだ日差しが強いから、肌の手入れに使うといい」
「ええっ。い、いいんですか。一生大事にしますっ」
 膝上までの茶色い尾をぶんぶんと振り回し、志狼が喜ぶ。

「ちゃんと使ってくれないと困るよ。皆には内緒だぞ」
「は、はいっ。大事に使いますっ」

 尾を振り回し、全力で嬉しさを表す志狼を見ていると、まったく尾を動かさない斎賀の尾が作り物に思える。
 顔も満面の笑みだが、なんて分かりやすく感情を表現する尾だ。人間の穂積からすると、面白くて見ていて飽きない。

「で、何歳になるんだ?」
 誕生日と聞き、穂積が何となく訊ねると志狼が両手の指を二本ずつ立てる。
「二十二だ!」

「お前成人してたのか?」
 思わず驚きの声を上げてしまった。
 確かに体は大人だが、斎賀と一緒にいるのを見る時は子供っぽさがあるものだから、まだ成人していないとばかり思っていた。

「どこからどう見ても大人の男だろっ」
 抗議した志狼を見て、斎賀がくすりと笑う。

「斎賀様まで……!」
 顔を真っ赤にして、志狼は斎賀を見上げた。
 ふふっと微笑み、斎賀の手が志狼の頭に乗せられる。髪と耳を撫でられると、途端に志狼はもじもじと大人しくなる。

 本当に、志狼は斎賀が大好きなんだな、と穂積は二人を見つめた。

 斎賀のことを好きなあまり、斎賀の前で志狼は年相応より可愛らしい反応を見せるのだ。
 溢れんばかりの好意が、傍からも丸分かりだ。あれだけ好意を向けられれば、可愛がりたくもなる。

 そして、常に冷静ぶっている斎賀も、まんざらではない。

 外出時に連れ歩くという特別扱いや、志狼を見るまなざしの柔らかさ。それはファミリーのボスという立場から可愛がっているというだけには見えない。
 他人には分からなくても、付き合いの長い穂積には分かる。

 斎賀もまた、志狼を特別大事に想っているのだと。

 あの斎賀が、特別に想っている男―――。
 それだけで、志狼に興味を持つには十分だった。

「笑った詫びに、帰る前に甘いものでも食べに連れて行ってやろう」
 斎賀に頭を撫でられていた志狼の顔が、ぱぁっと嬉しそうに綻ぶ。
 本当に、分かりやすい子だ。

 穂積が二十二歳の頃は、もっとガツガツとして男らしかったものだ。
 志狼がファミリーに来たばかりの頃は、それまでの荒んだ生活のせいか、目つきの悪さと無口さもあって凶悪さが漂っていたが、今やすっかり角が取れてしまっている。

「先生。ご用意できましたよ」
 熊親父に声を掛けられカウンターを振り返る。

「またな、穂積」
「じゃあね、穂積先生」
 支払いのため背を向けている間に、二人は店を出て行ってしまった。

「おアツイことで……」
 閉じられた店の扉を見つめながら、穂積はぽつりと呟いた。
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