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そしてケモノは愛される

49.旅の行商人<斎賀>

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 斎賀は筆を机の上に置いた。
 ファミリーの皆が頑張っているおかげで、ファミリーの運営は順調だ。来月の皆への手当ては、少し上乗せできる。
 斎賀は開いていた帳簿を閉じた。

 魔族孤児を集めてファミリーという集団を立ち上げたのは、今から五年ほど前のことだ。

 始めた当時はまだ手探り同然だった。家の事業とは別に、新たに慈善事業を始めたいと申し出た時、両親は驚いたが賛成してくれた。
 両親が協力してくれたおかげで、住んでいた屋敷をファミリーの活動拠点として使用できたことは随分助かった。広い屋敷のおかげで、多くの子供を受け入れることができる。

 幼少期に学んだ経営学も、役立った。今は別荘に居を構える両親には、感謝の気持ちしかない。
 だが、勉強と実際の運営は大きく違う。人が増えれば経費も増える。自給自足もしつつ、運営していく。ハンターとして活動していたことも、役立った。

 大人になってみれば、自分が経験してきたすべての良い経験も苦い経験も、無駄なことはなかったのだと思える。

「そういえば……薬の在庫を確認せねばならないんだったな」

 狩りには、必ずしも回復魔法士が同行するわけではない。斎賀の治療も、帰ってからでないとできない。
 特に解毒剤など、狩りには持参が欠かせない薬がある。そういったものの補充も、斎賀の大事な仕事の一つだ。

 斎賀は机の引き出しを開けると紺色のリボンを取り出し、襟足の少し上で髪をまとめた。ちょっとした作業をする時は、長い髪が邪魔になるのだ。

 コンコンと仕事部屋のドアを叩く音がした。返事をすると、柴尾が顔を出した。
「斎賀様。旅の行商が来ていますが、お会いになられますか?」

「ふむ。会おう」
「では、応接室にお通ししておきます」

 突然の訪問だが、旅の行商であれば珍しいものを扱っていることもある。狩りで役立つものがあるかもしれない。
 柴尾が案内を終える頃を見計らって、斎賀は席を立った。



 応接室へ入ると、すでに行商人がソファに座っていた。
 背を向けて座っているため顔は見えないが、男の行商人が一人だ。斎賀は向かいのソファへと移動した。

「お待たせしました。私が屋敷の主の……」
 男の顔を見て、挨拶が途中で止まる。

「お兄さん、お久しぶり!」
 白い短髪の若い鱗人は、まだ記憶に新しい。
 お前か、と苦々しく言ってしまいそうになるのを押し留める。

 斎賀はソファに腰をおろした。斎賀に対して、鱗人は満面の笑みだ。
「いやぁ、お兄……じゃなくて、斎賀さん。また会いたいと思って来ちゃった」

 私はまったく会いたくはないが、と斎賀は心の中で答えた。

 もう二度と顔を見ることはないと思っていたのに。
 まさかあの鱗人が、屋敷にまで来るとは思いもしなかった。偶然行商として訪れたにしては、嫌な再会だ。

「酒場のおっさんに訊いても教えてくれないしさ。試しに町の人に訊いてみたら一人目ですぐ、それは斎賀さんだって答えてくれてさ。斎賀さん、有名なんだな」
 男は一人で喋り続けた。

 初対面でも馴れ馴れしく話しかけられたが、男の軽薄な口調は本人の性格だけではなく、商売人であることも関係しているようだ。

 斎賀は溜め息をついた。男は偶然ではなく、知ったうえでここへ来たのだ。

「あ。俺は、阿影あかげ。よろしく」
 鱗人がにっと笑い、手を差し出してきた。斎賀は一瞥しただけだった。

「で、何の用だ?」
 行商というからには商売に来たはずなのに、話が進む様子がない。斎賀の方から催促した。

「もちろん、斎賀さんが忘れられなくて会いに来たに決まってる。ついでに商売も」
 商売の方がついでか、と斎賀は阿影を冷ややかに見た。

 忘れられなくてという言われ方も、まるで何か関係があったような言い方で気に入らない。
 ただ酒場で隣に座られただけの、通りすがりの関係でしかない。

「なら、さっさと商品を見せろ」

 斎賀は愛想のない態度で、ソファに深く座ると足を組んだ。
 出会い方が最悪な印象だったせいで、今更丁寧な態度をとるつもりにはならなかった。

 阿影は気にも留めず、足元に置いていた大きな木箱からいくつかの品を取り出し、広い机の上に置いていく。

「とりあえず何点かしか持ってきてないけど、目玉はこれ。海で採れた珊瑚の宝飾品、これはご婦人にあげると喜ぶこと間違いなし」

 阿影の手に、キラキラと輝く珊瑚の首飾りが揺れる。確かに美しく、女性には喜ばれそうだ。しかし、贈るような相手がいるわけでもなく必要がない。

「あいにく、宝飾品には興味がない。もっと実用的なものはないのか。海の方も回ってきたのなら、食材でもいい」
「それなら、超実用的なのある。とっておきだ」
 阿影は布袋の中から、いそいそと取り出す。

 何が出てくるのかと期待したが、それはひどく斎賀の期待を裏切った。

 にやりといやらしい笑みを浮かべ、阿影はそれを右手に構えて見せた。
「インバスの触手」
「………」

 阿影の手には、長さも太さも程よい大きさのインバスの触手が握られていた。

「ほら、これ。大きすぎず小さすぎず、いいだろ。この乾燥した触手を濡らせば催淫効果のある成分が出てくるから、体内に入れりゃあ、もう堪らなく乱れちまう。何なら斎賀さん、試してみる? 今なら俺とセットでお試し可能!」

「………」
 イラつきを湛えた鋭い眼光で、斎賀は阿影を見た。

 先日の不快な気分が甦る。

 この容姿のせいで、斎賀は他人から好意の感情を受けやすい。それが女性であればいいのだが、男の欲望すら引き寄せてしまうことがある。

 斎賀がまだ二十代半ばの頃、自分をどうにかしようとした男たちを手酷く痛めつけたのはこの町では有名な話で、それ以来、この町で斎賀を女扱いしたり妙な色目を使う男はいなくなった。そのせいで、男から向けられるいやらしい視線の不快さを、すっかり忘れていた。

 先日、阿影のせいでそれを思い出させられ、また同じことをこの男は繰り返す。

 斎賀をどうにかしようなどと考えている図々しさも腹立たしければ、性欲を満たす対象として抱くという想像をされていることも屈辱でしかなかった。
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